逆鱗

 静かに地面に降り立った麒麟は、唖然として絶句している大司教を一瞥して、すぐに僕達の方へと歩いて来た。戸惑うように上司に視線を送る白装束たちも、波が引くように道を開けてゆく。


「……カエデ殿」

「えっ!? あっ、はい!」


 いきなり名前を呼ばれて、カエデは思わず号令でもかけられたように背筋を伸ばした。

 昨日別れたばかりのリンではあったが、姿が違うこともあって印象が全然違う。声も、人の姿の時とは少し響きが違うのでまるで別人のようだった。


「教皇からの申し出があり、皇帝は今回の婚姻を一旦白紙に戻すとのこと、こちらに正式な使者を送ったそうだ」


 その言葉に、カエデはびっくりしたように何度も瞬きして、やがて口元を手で覆って大きく息を吐いた。急な話ですぐには反応できなかったが、やがて呟くように「よかった……」と小さく漏らした。

 正式の伝令はこちらに向かっている最中らしく、リンは何らかの手段でいち早くそれを知ったようだ。そういえば、テレパスのスキルがあるって言ってたし、教皇、或いは皇帝、どちらかと何らかの通信手段を持っているのは確かだろう。


「そっ、そんなはずは……! 教皇様はご病気で、だから……っあ」


 思わず叫んだ大司教に、リンは片眉をピクッと釣り上げてゆっくりと首を巡らせた。


「だからなに? ボクが嘘をついているとでも?」

「いっ、いえ! ですが、大司教様は誰とも話せる状態ではないと……」


 教皇様がどんな人物か知らないが、二人の会話からすると病気で面会もままならない様子がうかがえる。大司教は、そもそも話し合いの席に付くことが出来ないだろうとでも言いたげだけど、だとしたら今回のカエデの祭事は誰が取り仕切るつもりだったのだろうか。


「……床に臥せっていようと方法などいくらでもあるよ。それより問題は、今回のことを教皇が了解してなかったってことなんだけどね」


 どうなの? とばかりに大司教を睥睨するリンに、大司教は我知らず一歩二歩と下がって、危うく蹴躓きそうになっている。


「い、いえ、私はただ、カエデ殿を神殿へ……他のことは何も」

「……詳細は、後ほど到着する使者にでも話すんだね。これは本来ボクの仕事じゃないからね、そもそもカエデ殿の逃亡はともかく、リュ……冒険者の村人への恐喝というなら、キミが捕らえるのも越権行為なんじゃないの?」


 もちろん冤罪ではあるが、もし僕を捕らえるとしたら村の自警団か、ここの領の警備兵だろう。まあ、カエデの逃亡幇助があったので、ぎりぎり関係がないともいえないけれど。


「それから一つだけ、リィブが激怒していたという事だけ伝えておくよ」


 それは大司教でなく、立ち尽くしたままの白装束の後ろに隠れたままの村長に向けられた言葉だった。


「すべては自業自得だ、と……」


 それは、たった一言の伝言だった。

 なにを言われたのかわからずポカンとした村長に、リンはすでに興味を失ったように頭をこちらに向けると、僕に短い伝言だけして、すぐに踵を返して空へと飛び立った。

 結局のところ、井戸のところで捕まっていた実行犯以外は、何かしらはっきりした罪状はない。なにしろ、多少行き過ぎた対応だったとしても、大司教は間違えた情報でカエデたちを拘束しようとしただけだったし、その時点では確かに神殿への道のりの途中で逃げ出した花嫁の確保、という名目に間違いはないのだから。

 

「リンさん、なんて?」

「ああ、うん。湖で待ってるって」


 ともかく、カエデは神殿に行く必要がなくなったというわけだ。教皇のこととか、わからないことは山ほどあるけど、いつまでもこんなところに留まっていたところでどうしようもない。

 村長は先ほどまで縮こまっていたくせに、リンがいなくなった途端に近くの村人を呼びつけ、薬瓶を手渡してなにやら偉そうに命令していた。当然のように井戸の浄化をしているのだろう。

 もともと、そのために作ったんだからいいんだけどね。

 ――でも、あのリィブの伝言。自業自得って……毒は消えたんだから、なにも起こらないと思うけど。


「カエデ、アリソンさんのところへ帰ろう」


 これ以上は本当にここに居ても仕方がない。

 撤収作業をしている大司教のどこか執拗な視線も気になるし。さっさとここを立ち去った方がよさそうである。

 そして、村の井戸を浄化したしたはずの僕達は、まるで犯罪者を見るような村人たちに見送られてその場を後にしたのである。

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