撤退

「みんな、荷物は最低限に。フリーバッグを持ってる人は、貴重品を預かってあげて」


 ニーナは、武術科の上位成績者を前後に配置して、まだ戦闘訓練をしていない新入生を真ん中に守るような形で速足で前進させた。

 あれからさらに三人が加わって大人数になったグループは、迫りくる恐怖と不安に隊列を乱しがちになる。加わった三人のうち、二人は先に逃げていった生徒だ。どうやら途中で恐怖のあまり動けなくなってしまったらしい。この調子では、また道中で何人かは拾いそうだ。

 何班かに分かれることも考えたが、その作業でさえ、今は時間ロスになる。大人数で動きづらくなりながらも、ニーナやアリスは隊列を乱しがちになる生徒たちを叱咤しなんとか進んでいく。


 現場から逃げ出してきた少年少女は、時折後ろを気にするように振り返っていた。置いてきた友人たちを気遣っているのか、はたまた追ってくるだろう魔物をおそれているのか。


「待って、リュシアン!」


 先頭を歩いていたリュシアンは、後方のアリスの声に振りむいた。知らない間に、列がかなり伸びていたようだ。かなり後ろの方でアリスが大声で叫んでいる。

 どうしたのか聞くと、どうやら女の子が倒れたらしい。

 先頭をニーナに任せて、先に行くように促した。列を分断することは危険も伴うが、少なくとも団子になってこんなところで立ち往生するのはもっとマズイ。

 ちょうどいいので、ニーナには少し身軽になってもらって新入生たちを連れて先行してもらうことにした。


「治癒魔法をお願いしたいの。エドガーでは要領悪くて」


 リュシアンが合流するとアリスがすぐに助けを求めてきた。すぐに確認すると、エドガーが幾分焦ったような拗ねたような顔をして少女を診ていた。


「……何度ヒールかけても治らないんだ」


 ヒールで治らないということは、毒でも受けているかもしれない。


「それならキュアは?」

「使えない……」


 即座に帰って来た答えに、リュシアンはソッポを向くエドガーを思わず二度見してしまった。


(は……? え、使えない? うそでしょ、あれだけの属性と魔力があって……もう、本当に仕方ないなあ)

 リュシアンはエドガーを押しのけて、素早く少女の様子を観察した。

 座り込むように蹲った彼女は、異様に早い呼吸をしている。

 手足が震え、冷汗もひどい。


「これは……、過呼吸かな」


 リュシアンは落ち着かせるように背中をさすって、驚かせないように優しく声をかけた。


「大丈夫だよ、息を吸い過ぎないで。落ち着いて、ほら息を吐いて」


 少女は、ようやく目を開けてリュシアンを見た。アリスより年下くらいの、まだ新入生とみられる生徒である。


「深呼吸しちゃだめだよ、浅く吐いて、少しだけ吸って……そう、慌てないで」


 彼女は、先ほど逃げてきた生徒の一人で、魔物も目撃している。話でしかしらないリュシアン達の班とは違って恐怖も段違いのうえ、こうしていつ襲われるかわからない状況で逃げ続けるストレスで発作を起こしてしまったのだ。


「……もう、大丈夫?」

「は、はい」


 彼女の呼吸が落ち着いた頃、リュシアンはカバンから青い液体の入った瓶を一つ手渡した。


「歩ける? これを飲んでね、少しは元気がでるから」


 例のリュシアン特製、ちょっとづつHP回復薬だ。

 これは傷薬ではなく、体力回復の薬である。過呼吸のせいで気力が著しく落ちている彼女を歩かせるのは忍びなかったが、今は非常時なのだ。前を行くニーナのグループにも、あまり遅れをとりたくない。


「なんなんだ、魔法も使わずに治したのかよ?」


 薬を飲んだ少女が立ち上がるのに手を貸していたリュシアンは、エドガーの問いに頷いた。


「過換気症候群は魔法では治らないよ、たぶんね」

「か? ……なんだって」


 インターネットで情報が氾濫していた前世と違って、ここでは調べたり習ったりしない限り知識が手に入らない。回復魔や薬草学科を取っている生徒は、あまり武術科にはいないので、こういうイベントは共同で行うことも考えたほうがいいかも知れない。


「なんでもない……、ちょっとパニックを起こしただけだよ。もう大丈夫だから」

「なんにしてもすごいわね、リュシアン」


 ぺこりとお辞儀をして列に戻る少女を見送って、アリスはリュシアンを改めて感心したように振り返った。

 

「別にすごくないよ。それより、急ごう。アリスは先頭をよろしくね、今度は僕が後ろから見てるよ」


 動き出した列の先頭をアリス、真ん中あたりにエドガー、そして後ろにリュシアンで固めて、ようやく乱れた隊列を整えて出発し直した。

 十分ほど何事もなく黙々と列は進んでいったが、間もなくリュシアンの頭の上のチョビに変化があった。


 ギチギチギチ……


 普段は、重みも感触も皆無なチョビ。

 それが警戒するように、強靭な顎を擦り合わせる例の音が響いてきた。

 甘える声でもなく、構ってコールでもなく、ただそれは鳴り続けた。リュシアンがどうしたの? と声をかけると、今度はぎゅーうぅっと思いっきり頭にしがみ付いてきた。


「あいたたたたたっ!?」


 たまらずリュシアンがチョビの身体を下ろそうとした、その時。

 それは、現れた。

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