不毛な騒動

「わっ、ごめんね。まさか、そんなに吹っ飛ぶとは思わなくて」

 

 後ろから突っ込んで来たのは、アリスだった。とんでもないバカ力で押された小さな身体は、何の抵抗もなく前へとつんのめってしまった。リュシアンを過大評価しているアリスは、こんなことでリュシアンがバランスを崩すとは思っていなかったのだ。

 正直なところ、普段のリュシアンは割とうっかりというか、のんびりというか、周りが心配するほど呑気である。


(ごめんで済むかあっ! なんてことしてくれたんだよ)


 そんなリュシアンは、只今、絶賛取り乱し中である。

 目の端に映る、片目をつぶって舌をだしている少女に悪態をつきながら、動かない身体を無理やり起こそうとジタバタさせた。


「リュシアンダメよ、ちゃんと立ってからよ。そんな態勢で暴れたら危ないわ」


 どうやらニーナは、前のめりになっていたリュシアンの身体を支えてくれていたらしい。確かにあのまま身体を離したら、前に崩れて膝をつく羽目になっただろう。落ち着いて立ち上がったリュシアンは、あらためてニーナにお礼を言った。


「あ、ありがとう、ニーナ……って、わーっ!? ごめん、チョビが」


 失態を恥じるように苦笑しつつ顔を上げたリュシアンは、いまだチョビがニーナの胸元にわしっと掴まっているのを目の当たりにして仰天した。慌てて手を出したものの、どうしたらいいのかわからず変な恰好で固まってしまった。


「いいのよ、構わないわ。わざとじゃないんだし、チョビだし……あら?」


 赤くなったり青くなったり忙しいリュシアンに、ニーナは思わず小さく笑って答えていた。ほっとしたのもつかの間、もぞもぞとチョビがいきなり動き出した。

 無遠慮にニーナの制服の上を、を越えつつよじよじと肩まで登っていく。


(な、なんてところを歩いてるんだ、チョビ!?)


「ちょっと、私を無視しないでよリュシアン」

「え、あ、ちょ……っ、アリス」


 いつまでも二人でごちゃごちゃやっているのに痺れを切らしたように、アリスが突然割り込んできた。けれど、リュシアンは正直それどころではないし、元を質せばこの騒ぎはアリスのせいともいえるのだから、ツッコミどころ満載である。


「……確か、模擬戦の時リュシアンと戦っていた大剣使いかしら?」


 アリスに腕をがっちりホールドされて、リュシアンが何とか逃れようと身を捩っていると、お姫様のいささか低い声が頭上から降って来た。アリスと二人、弾かれたように顔を上げる。

 するとチョビを肩に乗せたニーナが、まるで二人を見下ろすように腕を組んで立っていた。

 さっきまでニコニコしてたのに、お姫様のご機嫌は急降下である。


「人ごみの中、あんなふうに走っては危ないじゃないの。おまけに人を突き飛ばすなんて……、リュシアンが転倒して怪我でもしたらどうするのよ」


 反射的に何か言い返しそうになったアリスだったが、さすがに先ほどの騒ぎはまずかったと思ったのか、ぺこりと頭を下げた。


「……リュシアン、ごめんね」

「いや、僕はいいよ。それよりも」

 

 リュシアンは、先ほどからなぜかすごいプレッシャーを浴びせるニーナを戦々恐々として見上げた。つられて顔を上げたアリスは、ちょっと唇をとがらせてしぶしぶ「そうね」と呟いた。

 

「……すみませんでした、姫様。お騒がせしました」


 アリスも始めは、自然に会話に入っていくつもりだったのだ。それなのに、目的であるリュシアンが、いつまでも学園の姫様とイチャイチャ(アリスの主観)していて、なかなかタイミングが取れずあんな行動に出てしまった。

 自分が気にしている男の子と、有名人の美少女が仲良さげにしていることに、なんだかわけのわからないモヤモヤを覚えたのである。

 

「まあいいわ、すぐにオリエンテーションも始まるし……。ところでアリス、今日はどうしたの? 手伝いにきたのかしら?」

「い、いいえ! 私は参加するために」


 アリスとニーナの会話が始まると、それまで傍観者に徹していたエドガーが、こっそりとリュシアンに近寄ってきた。

「お前も大変だな」と、肩を叩かれ苦笑された。そう思ったんなら助けてくれればよかったのに、ともれなくリュシアンがエドガーを睨んだのは言うまでもない。


「それじゃ、俺は剣術の方へ顔をだしてくるから、またあとでな!」


 リュシアンの嫌味が飛び出す前に、エドガーはそう言って颯爽と去っていた。逃げ足が速すぎて、引き留める間もなかった。


「あら、アリスは剣術のⅣクラスに昇格したのじゃなかったの?」

「そういう姫様だって、体術Ⅴクラスですよね?」


 そして彼女達の会話は、お互い上級クラスなのに、なぜ初級キャンプに参加するのだという論議に突入した。


「私は、短剣術Ⅲで参加するのよ」

「わ、私は指導上級生の枠が足りないと思って、立候補したのよ」


 話はまだまだ続きそうだったが、すでに先頭の方ではオリエンテーションが始りを告げている。

 ニーナの肩に乗っていたチョビは、リュシアンが「おいで」と目配せすると、小さな羽根を駆使してパタパタと飛んできた。もともと重さを感じさせないチョビのこと、後ろ向きだったニーナは全く気が付くことはなかった。

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