王都のお屋敷とお風呂

 商店が立ち並ぶ街並みを通り抜け、貴族街にあるオービニュ家の小さな屋敷に向かった。冒険者たちとはそこで別れた。しばらくは王都で活動して、帰りも護衛を引き受けてくれるということだ。


 王都の屋敷は、それほど大きなものではない。王都にくれば一か月近くは泊まることになるので、一時的に宿泊するため用意されているものである。

 管理人夫婦と、その娘夫婦の四人の使用人で切り盛りしている。ちなみに娘夫婦には、今年九才になる娘がいる。娘夫婦一家は、主人であるエヴァリストやその家族が滞在していない時は、下層の宿屋などで日中のみ働いていた。そのうち自分たちで宿屋を構えるのが夢らしい。

 到着を知らせていたので、管理人夫婦とその娘が出迎えてくれた。


「またよろしく頼むよ、ジム」


 たぶん六十才くらいだろうか、白髪まじりで真面目くさった顔の男だった。まるで怒った顔だが、あれで通常モードなのだ。隣に控える夫人は、ドリスと名乗った。対照的に優しそうなおばちゃんといった風情で、ふくよかで親しみやすそうな女性だった。

 娘のリンゼイは二十代後半、母親によく似てすこしぽっちゃりとした可愛らしい印象である。そして彼女と手をつないで、食い入るようにリュシアンの方を見てるのが、リンゼイの娘でノア。どうやらその視線は、リュシアンの頭上に集中している。


「降りといで、チョビ」


 呼ぶと、チョビは頭から手のひらに移動した。先ほどからノアの口は開きっぱなしである。その場にいた皆の意識もリュシアンの手のひらへと注がれた。


「そうそう、この小さな家族も一緒に世話になるよ」


 エヴァリストが気をきかせて、リュシアンに代わってチョビを紹介した。ジムも主人に言われるままに視線を落としたが、難しい顔をしたまま再び顔を上げた。


「……………」


 ジムはとてつもなく寡黙な男らしい。なんとなく昭和の頑固おやじを思い出すリュシアンであった。

 ノアが触りたそうにそわそわしていたので、角に触れなければ大丈夫だとそっと手を差し出した。リンゼイやドリスはこわごわと触れていたが、ノアはいきなりガバッと掴みあげて、その場にいた全員をギョッとさせた。

 意外なことにチョビは特に抵抗することなく、ノアの手のひらに収まった。首も羽根も全部丸くたたんでいたので、まだ気を許してるとかではなさそうだが、とりあえず誰彼かまわず攻撃するという心配はなさそうだ。


 リンゼイの旦那のリックは、この場におらず王城へ出向いていた。エヴァリストたちの到着を、陛下に前もって通達しておいてほしいと指示していたからだ。謁見がいつになるか、その確認の為である。数日中には折り返し連絡がくるだろう。


 ジム一家は、じつに有能だった。

 旅疲れしているだろうリュシアン達に、すぐに湯あみができるようにと、温かいお湯を桶いっぱいに用意してくれていた。

 この屋敷に風呂はない。なにしろ泊まるのはほぼエヴァリストのみなので、必要ないといって作らなかったのだ。

 二階の日当たりのよさそうな客間にリュシアンは通された。エヴァリストは一階の自分の部屋だ。

 ちなみに屋根裏と、二階の隅部屋が使用人たちの部屋とのことだ。


 部屋に用意してくれた桶のお湯で、さっそく二週間の旅の汚れを落とすことにした。途中の宿でも身体くらいは拭いたけれど、体中べたべたでかなり汚れていた。

 この世界にも、石鹸らしきものはある。わりと簡単に作れるので、錬金術が盛んなこの国ではお手の物だろう。そして、リュシアンも自家製の石鹸を持ってきた。薬草園で採れる花の香料を添加して作った、泡立ちたっぷりの石鹸である。

 こっちのごわごわして、泡たたない石鹸はちょっと我慢できなかった。やっぱり石鹸はあわあわでいい香りがしないと洗った気がしない。本音を言えば、たっぷりのお湯でお風呂にも毎日入りたい。


「そして、コレ!」


 リュシアンは、カバンからスポンジのようなものを取り出した。

 へちまに似た植物の実で作ったものだ。硬いタワシのようなそれを柔らかくするのには苦労した。それでも乾くとカチカチになってしまうけど、水につければ柔らかいスポンジもどきになる。

 リュシアンがお湯に入ると、チョビは興味深そうに頭から肩に移動した。服を着ておらず、とっかかりながないので、案の定つるっと滑ってあっという間にお湯に落ちた。


「あはは、お約束ってやつだね、チョビ」


 ベヒーモスって泳げるのかな、なんてのんきに見てたら、すーっとお湯に沈んでいった。

 それから十秒経過して、三十秒経過……。シー…ン。


「わーっ! チョビ!?」


 救い上げると、はっ! と気が付いたようにジタバタした。まさか、気絶してたのだろうか。


(そっか、カナヅチなんだね。ベヒーモスがカナヅチなのか、この子だけがそうなのか……)


 なんというかちょっと、かわいそうな子の匂いがした。潜在能力はともかく、ドジ属性というか、そっち系の残念な感じである。

 気を取り直して、リュシアンはチョビを床に置いてスポンジを握った。


「……うわあ、これでも泡立たないんだ…」


 ゴシゴシと身体をこすると、お湯がみるみる真っ黒になっていく。泡は一向に立たないし、この湯に入っているとかえって汚れそうなレベルになってしまった。

 桶を二つ用意してあったので、絞るように身体を拭ったあと新しいお湯へと移り、もう一回、石鹸を泡立てて再度身体を洗った。

 やっと白い泡が立った。

 だが、これでは洗い流せないので桶もう一個運んでもらわないといけない。こんなことなら、一階のキッチン近くでお湯使えばよかった。

 まさかこんな濡れ鼠で下に下りていくわけにもいかず、リュシアンは泡のお化けのような姿で桶に座り込んで考えていた。

 その後、お湯を確認に来たドリスの度肝を抜いたことは言うまでもない。

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