籠の鳥

カタスエ

プロローグ

 一+一は二。ゼロをかければ全てゼロ。

 太陽は東から昇って西に沈む。

 世の中は当たり前とされる「答え」で溢れている。それなのに、「答え」があるのに「正解」を口にすると怒られることがある。

 例えば、国語の問題。この時の主人公の気持ちを答えなさい。

 模範解答と一字一句同じように答えたら呼び出しを受けたことがある。屈辱だったし、理解できなかった。それが「正解」なのに。自分は間違ったことなどしていないのに。

 曖昧なものは苦手だ。人の感情もそうだ。見えない正解に踊らされて、読めない答えに怯えて、それでも誤魔化して生きてきた道を、今さら間違いだなどと認めることはできない。

 だからあの日、目の前で出て行く準備をしていた彼に声などかけられるはずもなかった。


『たぶん、お前らは今後苦しむことがたくさんあると思う。人と違うことが悪いことだとは思わない。でも世界は多数で成り立っている。それを無意識で享受している人間は、少数に合わしていけるほどの余裕がねえ。多い方が甘い汁を吸うのは、狭い世界では仕方ねえことに当たり前なんだ。だから辛いこと全部お前たちが悪いわけじゃない。それだけは覚えておけ。――最後まで守ってやれなくてすまん。けれど、ここでは俺が少数で、やっていくには不都合が多すぎた』


 聖路は、弟たちにそう言った。自分を見つめる無数の目が、多少なりとも非難がましい視線をしていたことには気づいていただろう。それを受け止めるように見回して、それから微笑んだ瞳が優しくて切なくて、遠くから眺めていても胸に迫った。

誰も責める言葉は言わなかったが、みんなが一人の味方を失くし、それに寂しさと絶望を感じていることは空気から伝わった。

 すっと聖路の視線が上がり、はたと目が合った。その瞳に対して、何も思っていないことを示すように目を逸らして見せる。彼もその反応について敢えて何か言うことはなかった。

 惜しむ声が響く中、シャンだけが落ち着いた声で言った。

『いってらっしゃい、セージ』

 その声に背中を押されるように、彼はこの世界から出ていった。

 ガシャン、と扉が閉められる。嵌め込まれた擦りガラスからわずかな光が滑り込み、それがまるで鳥籠のように数本の柱の影を立てた。


 あれから、九年も経過したというのに、その鳥籠は未だ錆び落ちることはない。そう思って安心していた。


『鈴ちゃん!』


 耳に残る甲高い叫び声。床に残った血痕。


 長い年月を経て、鳥籠が軋む音が、ようやく世界を揺すぶった。

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