再戦
リアンの背筋に冷たい汗が流れる。
最悪だ。
折角ヤーナを助け出せたというのに、一番見つかりたくない相手に見つかるとは。
不自然なまでに暗い通路から足音が近づいてくる。
抱えたヤーナの身体が腕の中で震える。
(……逃げる? いや、ヤーナを連れては無理だ)
彼女を置いていくなどという選択肢はあり得ない。
だとすれば、ここで迎え撃つしかない。
「ヤーナ、悪いけど一回下ろすよ。不安だろうけど、少し我慢してくれ」
「う、うん。大丈夫、立つくらいは出来るわ」
ヤーナは素直に頷く。
彼女の両手足には謎の拘束具が取り付けられたままだ。
彼女の談では魔力に反応するらしいそれは迂闊に取り外すことが出来ない。
剣を軽く当てた程度ではびくともせず、仕方なく外すのは諦めて彼女を抱えて逃げようとしたのだったが、こんなことであればギリギリまで枷を外す方法を考えるべきだっただろうか。
だが今更後悔しても仕方がない。
リアンがヤーナを地に下ろすと、彼女はふらつきながらもバランスを保ち、立ったまま近くの壁へと寄りかかった。
地べたに座っているよりかは、幾らか危機に対応出来る体勢ではあるが不自由であることに変わりはない。
一秒でも早く窮地を脱するべく、リアンは剣を構え肉体強化に回す魔力を練り上げていく。
「あはああああ……いいいい……その目えええ……すごくいいぞおおおお……」
闇の中から姿を現したのは、分かっていたが狂戦士ザペル。
ギラつく瞳を髪の隙間から覗かせ、上半身をだらりと前に下げて左右にゆらりゆらりと振りながら、ゆっくりと近づいてくる。
「怯えを押し殺してええ、必死に戦おうとするうう、そんな目だああ……」
見ているだけで生理的な嫌悪感と恐怖が湧き上がるようなその動きに顔を顰めながら、リアンはザペルの左腕に注目する。
その怪手は地を撫でんばかりに垂れて、肘の関節のあたりには添え木が雑に布で巻かれているのが分かる。
隙間から見える肌の色は青黒く変色し、形もどこか歪だ。
間違いなく折れている。あれでは使い物になるまい。
だが片腕を失っているも同然のザペルは平然と距離を詰めてくる。
変色した腕が歩くたびに左右に揺れて、不自然にたわむ。
見てるだけで痛々しいというのに、奴は痛みを感じていないというのだろうか。
あの謎の怪手であれば、ザペルという男であればそうであっても不思議ではない。
ただ痛みを感じていなかったとしても、片腕が使えないことは事実だ。
戦力的に考えれば半減どころではない。
しかもリアンは一度ザペルを倒している。
普通に考えれば警戒こそすれど、恐れるほどの相手ではないはずだった。
しかしリアンはザペルの異様な威圧に思わず後ずさりそうになる。
後ろに
(……ザペルの狙いは俺だ、俺が戦う限りヤーナに手出しはしないはず)
それは直感であったが、ザペルという男は人質をとって戦うといった策を弄するようなタイプには見えない。
全くもって、嫌悪と恐怖をしか感じないような凶人ではあったが、その点においてだけは不思議と疑いなく言い切ることが出来た。
リアンは剣を握る手に力を込め、鼻から一つ息を吸う。
ランプの油の匂いが混ざった坑道の埃っぽい空気が頭の奥を少しだけ冷やす。
不自然に熱の篭った息を尖らせた口から吐き出して、正対する相手を見つめる。
(向こうから飛びかかられたら、ヤーナに近づきすぎる。戦いに巻き込まないためには、こちらから行くしかない!)
覚悟を決めて、リアンは地を蹴る。
踏み出す先は向かって右方。つまりはザペルの折れた左腕の側。
ザペルは視線だけでその姿を追う。
(――遅い!)
左腕の上がらないザペルがそちらからの攻撃を防ぐには、向かい直って右腕を使えるようにするしかない。
避けるにしても真横からの攻撃というのは対処がし辛い。
こうなったら攻撃を叩き込んでくれといっているようなものだ。
しかし、あまりにあからさま過ぎる。
この男がそんなあっさりとやられるようなタマか?
過ぎった疑念に絡め取られ、僅かに飛び込みの速度が鈍る。
だが、結果としてそれが身を救うことになる。
突如としてザペルが恐ろしい速度で身を捻る。
回避の動きではない。その場で右足を軸に、ただただ早く身体を回す。
その動きの全容をはっきりと認識できた訳ではない。
それでも直観に従い、全力で後ろに跳ぶ。
次の瞬間、凄まじい勢いで横薙ぎしてくる『何か』が鼻先を掠める。
「……っん……なぁ!?」
驚きの声を漏らしつつ、そのまま距離を取る。
ザペルの動きは単純。
その場で回転し、まるでムチのように己の左腕を振るったのだ。
リアンにも理屈は理解出来る。
折れた肘より先はまともに動かすことが出来ないのだろう。
であれば、腕としてではなく武器として扱ってしまえばいいという訳だ。
だが、壊れているといえど自分自身の腕である。
少し動かすだけでも激痛が襲うであろうそれを、振り回すなど狂気の沙汰だ。
リアンは距離を取ってザペルの様子を窺う。
苦痛に顔を歪めているのかと思えばそんなことはない。
それどころか髪の隙間から覗く異様に裂けた口元は明らかに釣り上がっている。
気味が悪い。
腹の底が冷たくなるようだ。
たとえあの腕に痛覚がなかったとしても、壊れた腕を振り回して嗤うなどリアンの理解の範疇を越えている。
訳の分からなさが身を竦ませる。
いくら抑え込もうとしても、恐怖に近い感情が身体にまとわりついてくる。
(……ビビってる場合か!!)
背中の向こうで、こちらを祈るように見守っている一人の少女を感じて、リアンは己に喝を入れる。
今はとにかく勝たなければいけないのだ。
ヤーナを連れ帰るために、何が何でもこの男を倒さなければならない。
「いいぞお……来いいいい……!!」
ザペルが身体を開いて構える。
両の手をだらりと垂らした異様な構え。
今度は躊躇しない。リアンは剣を腰だめにして真正面からザペルに突進する。
リーチで勝ち目はない。
ただでも身長差が大きいのに加えて、ザペルは異常に長い両手を振り回すのだ。
それでもリアンは真っ直ぐに駆ける。
ザペルは右拳を軽く握り込み、腕全体をしならせるようにして打撃を放つ。
奇妙な軌道を描きながら襲いかかるそれを、地を這わんばかりに姿勢を低くすることでくぐり抜けたリアンだが、第二撃を放とうとしている敵の姿を目にする。
(また左腕か!)
すでに極太の鞭と化した左の怪手は大きく振りかぶられ、今にも打ち下ろされそうになっている。
それでも左腕の軌道は単純だ。鞭のように、といっても骨の通った腕なのだ。
本物の鞭のような複雑な軌道が再現できるはずがない。
予想通り、直線的に振り下ろされる左腕。
いかに異常な打撃であろうが、来る場所が読めていれば避けることは容易い。
地を蹴り、鞭の軌道から身体を外す。
空気が引き裂かれる音と共に、風圧が後頭部を叩く。
だが回避は果たした。
どれだけ長いリーチでも、こうして潜り込んでしまえば関係ない。
むしろ腕を折りたたみにくい分不利とすら言える。
リアンは自身の絶対的有利を確信する。
怪手もここまで近づいてしまえば関係ない。
狂人ザペルといえど不死身という訳ではない。
顔面に全力の一撃を叩き込めば気絶させられるし、首を跳ねれば死ぬだろう。
ザペルの身体はリアンの目の前にある。
防ごうとしても、防ぎようのない距離。
今手にしている剣を突き出せば、リアンの勝利は確実になる。
だというのに、リアンは勝った気がしない。
得体の知れない怖気が身体から離れない。
迷いを振り切るように腰に構えていた剣を突き出す。
狙いは胴の中心。いかに体捌きに優れた達人であれど、回避不能の一撃。
だが、剣閃がザペルの腹を抉ることはない。
突然リアンの側頭部を襲う衝撃。
完全に予想の外から叩き込まれた攻撃に、リアンは何が起きたか理解できない。
身体の体勢が崩れる。
突き出した剣が見当違いの方向へと流れていく。
しかしもはや軌道修正するどころではない。
飛びそうになる意識を保つので精一杯だ。
もはやがむしゃらになって剣を大きく横に振り上げる。
まともに相手を視界に収めず、崩れた体勢で振るう剣が通じる筈もない。
しかし、それでもザペルに距離を取らせることには成功したらしい。
宙を跳んだザペルが少し離れた場所へと着地する。
リアンは眩む視界で周囲を見回す。
不意打ちをしてきた他の敵がいるかと思ったが、それらしい影はない。
不可解さに、リアンの混乱は色濃くなる。
だがリアンがザペルの左腕を再度見た時、すべての謎は氷塊することになる。
ザペルの腕から流れ出す血。
リアンのものではない。側頭部に思わぬダメージこそ受けたが、なんとか身に纏う防御結界のお陰で皮一枚削られただけで済んでいる。
それはザペル自身の血だ。
滅茶苦茶に振り回された腕の中で骨が砕け、皮膚を貫いて突き出しているのだ。
黒い血が絶え間なく溢れ出し、腕を伝って指先から滴り落ちている。
そこまで腕が破壊されたのは、それだけの負担がかかったということ。
ザペルは鞭のごとく腕を振るい、更に跳ね上げるように引き戻したのだ。
腕の可動域の限界を越えた、出鱈目な追撃を誰が予想できるのか。
「っとに、とんでもない化物だなアンタ。痛くないのかよ」
「ひっ……ひひひっ……痛いいいいいい、すごく痛いぞおお……? 痛いからあ、憎いいいい……だからあ、殺したくなるう……そうだろおおお……?」
「……逆恨みだろそれ」
リアンは剣を構え直す。
やはりこの男との戦いは一筋縄ではいかない。
チリチリとする肌を落ち着かせるように、二つ深い呼吸を繰り返す。
「行くぞお……行くぞおおおおおおおおお!!!」
「ああ、来いよ……! こうなったらとことん相手してやる!」
二つの影が再び交錯する。
響く剣戟。空気が弾ける。
少し離れた場所に立つ少女は、ただ少年の勝利を祈ることしかできない。
歯がゆさに拳を握りながらも、少女は戦いを見守る。
まるでそれが義務であるかのように。
戦いの終わりは、ゆっくりとではあるが確実に近づきつつあった。
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