第6話

 今日から二学期が始まった。

 僕は昨日、姫乃と恋人のような関係になると約束したけれど、今のところ大きな変化は見当たらない。

 変わったと言えば学校に来て顔を合わせたとき、挨拶を交わしたくらいで、ほとんど変化はないと言っていいだろう。

 

 まあ、人前でいちゃつくなんて僕は好きじゃないし、彼女もそこらへんは考えているはずだ。

 そもそも昨日の事自体、やっぱりなかった事にしたいのかもしれない。

 

 お昼休みの時、スマートフォンから振動が伝わる。見ると姫乃からLINEが送られていた。

 

『お弁当をもって屋上のところまで来て』

 

 たったそれだけの簡素なものだ。

 なぜそんな場所に、彼女は呼んだのだろう。

 疑問はあるが彼女が呼んだということは、なにかしら理由があるに違いない。

 仕方なく僕はお弁当を持って、屋上へと続く階段に向かう。

 

 屋上の階段を登ると、ちょうど姫乃が立っていた。いつも通りの黒く、美しい髪をなびかせて。

 僕の姿を見つけた彼女は微笑む。

 

「来てくれたんだね、彼方(かなた)くん」

 

 彼女ははじめて、僕を下の名前で呼んだ。恋人っぽく振る舞うためだろうか。

 その新鮮さに少し胸が踊る。

 とりあえず僕は、なぜここへ呼んだのか聞いてみることにした。

 

「どうして僕をここへ呼んだの?」

「一緒に屋上で食べようと思ったからだよ」

「屋上には鍵が掛かってて、入れないはずだけど」

 

 よく漫画とかでは、屋上が開いていてお昼を食べたりする。なんて話がよくあるがあれはフィクションだ。

 実際に屋上が開いてる学校なんて、ほとんどない。


「まあ、待ってて。もう一人来るからそしたら話すよ」

 

 おそらく、姫乃の友人である天原の事だろう。

 予想通り、しばらくして一人の女の子が現れた。

 

「お待たせ~ヒメちゃんっ。……っておやおや、きみは彼方くんじゃないか!」

 

 背が小さくショートカットの少女、天原初音(あまはらういね)が僕を見てびっくりするように言った。

 天原はなぜか、大量の食べ物が入っているビニール袋を持っていた。天原は階段を上って、僕の方に近づく。

 僕の胸辺りまでしかない低い身長の彼女は、見上げるように僕に言った。

 

「きみの事はヒメちゃんから聞いてるよ。でもどうしてきみが、ここにいるんだい?」

 

 どうやら天原は姫乃に、僕のことを聞いていたらしい。僕がその問いに答えようとした時、先に姫乃が喋りだした。

 

「わたしが誘ったんだよ。彼方君はわたしの恋人だから」

「ええっ!?」

 

 それを聞いた天原は不自然に、驚いた顔をしていた。

 

「冗談はやめてくれ姫乃。あくまで僕たちの関係は創作のためで、本当の恋人じゃないだろう」

 

 僕が姫乃の言ったことを訂正すると、天原はニヤリと僕を見た。

 

「そんな事言って、ほんとは嬉しいんじゃないの~」

 

 天原は僕のことを人差し指で、ツンツンと触りながら言った。

 天原とはほとんど関わりはないはずなのに、やけに馴れ馴れしい。でも彼女は基本、こういう性格だというのを、同じクラスだから知ってはいる。

 そんな彼女にあきれつつ僕はため息をつく。

 

 天原初音は活発で明るく、少し変わっている。いや、ある意味では普通なのだが、普通すぎて普通じゃないのだ。

 性格自体は明るいだけで普通だけれど、問題は学校での成績だ。

 

 彼女は運動も勉強も、得意でも不得意でもない普通。しかも全て平均ぴったり。

 彼女の成績が、僕たちのクラスの平均点と言っても過言ではない。それは筆記テストの点数どころか、五十メートル走などの体力テストすらクラスの平均と全く同じ。

 逆に言えば、彼女がいてもいなくても僕たちのクラスの平均は変わらない。

 偶然が重なりすぎて不思議な少女なのである。

 

 すると彼女は僕に構うのをやめ、姫乃の方へ行き、そしてからまた僕の方を見る。

 

「ま、本当は違うってのは知ってるよ。ヒメちゃんとの約束だから、秘密にしといてあげる」

 

 舌を出しながら天原は言った。

 あの不自然さはやはりそう言うことだったのかと僕は理解した。

 天原はその後、ポケットから鍵らしきものを取り出す。

 

「なにそれ?」

「屋上の合鍵だよ」

「一体いつそんなものを手に入れたんだ」

「それは内緒。さ、きみも来なよ」

 

 天原はそう言って扉に近寄り、鍵を開ける。ガチャリ、という音がして扉が開いた。

 

 風が流れてくる。

 太陽の光が、僕たちに当たる。

 天原と姫乃が先に屋上へと出ていった。

 

「彼方君も来なよ。気持ちいいよ」

 

 姫乃が僕の方を向き言う。

 

「でも、危なくないか? 見つかったらきっと怒られる」

 

 僕が心配そうにいうと、天原がふてくされた顔をした。

 

「つれないなぁ~きみは。怒られるのが嫌で、規則を守るのかい? 規則なんて誰かが自分勝手に決めたものじゃないか。それにバレなければ問題ないんだよ」

「バレた後が問題だから言ってるんだけど」


 彼女の言うことに納得できることもあるが、リスクをおかしてまですることではない。高校一年生で問題児になりたくない。

 

「だいたい姫乃はいいの? 天原のわがままに付き合ってるだけじゃないのか?」

「むしろ逆。初音がわたしのわがままに付き合ってくれてるの」

 

 意外だった。姫乃は活発な天原に、無理矢理付き合わされてるものだと思っていた。

 

「どうしてこんな事を?」

 

 僕は尋ねる。

 

「わたし憧れてたの、学校の屋上に行く事にさ。ほら、よく漫画とかでは屋上に行けるでしょ? でも現実には行けない。そんな現実にありそうで、非現実的なものに憧れてたの」

「それで私が合鍵を作って屋上に行けるようにしたんだよ」

 

 姫乃の後に続くように、天原が胸を張って言った。

 確かに非現実的なことに憧れる、姫乃が好きそうなことではある。

 彼女は危険をおかしてまで、屋上に来たかったと言うことか。

 

「それに、大丈夫だよ。五月頃から晴れの日はいつもここで、お昼を食べてるけど一度もバレたことないから」

 

 信じて、と姫乃は言葉を続ける。

 僕は仕方ないなと思いながら言った。

 

「分かったよ。僕も罰を受けるときは一緒に受ける」

 

 姫乃の恋人(仮)として彼女の言うことを聞くことにした。もともと優等生ぶるつもりでもなかったし、その時はその時だ。

 

 僕は屋上の外へと一歩出る。

 言ってみればただ外に出ただけで、特に変わったことはないはずた。

 けど本来ここに来ることは出来ないわけで、その非現実的な感覚が僕を襲う。屋上からみた景色は不思議と、新鮮であった。

 

 外に出た僕にたいし姫乃はにっこりと笑い言った。

 

「ね、気に入ったでしょ」

 

 ◆◇◆◇

 

 それから僕たちは姫乃が持ってきたシートを敷き、そこに座って昼食を食べることにした。

 

 僕はコンビニで買ってきた弁当、姫乃は女の子らしい小さなお弁当を持ってきていた。

 一方天原はというと……。

 

「それ……いくらなんでも食べきれるのか?」

「ふぁいふぉーふはよ、ふぉいふぃーふぁわ」

 

 僕の問いに対し、日本語になっていない答えを天原は言った。おそらく「大丈夫だよ、美味しいから」と言っているのだろうが、どちらにしろ答えになってない。

 

 天原のまわりにはカツサンドなどのパン類、それに購買で買ったであろう弁当を複数置かれていた。全てあのビニール袋の中にあったものだ。

 

 とてもじゃないが、小柄な彼女が食べられる量ではないと思う。でも彼女はそんなこと気にしてないようで、口を大きく開け美味しそうに頬張る。

 

 それに対して姫乃は、お上品に食べている。別に天原がどれだけ食べようと構わないが女の子ならやはり、姫乃のようにあってほしい。

 

「あ、ヒメちゃんっ今日も卵焼きあるんだね! 食べていい?」

「うん、いいよ」

  

 姫乃の弁当を見た天原は突然そう言って、自分の箸で卵焼きを取って口に運ぶ。そんなに食べ物を買っておいて、まだ食べるのかと僕は呆れる。

 けど、卵焼きを食べている天原の顔はとても幸せそうだった。

 

「そう言えば彼方くんも小説を書いてるんだよね~今度見せてよ」

 

 天原はコーヒー牛乳を飲みながら僕に言った。

 

「……なんか天原には見せたくないな」

「ぶー、なんでよっ。ヒメちゃんには見せたくせに」

 

 天原は不満げな表情をしている。

 正直言って天原のような性格は僕は苦手だ。

 天原はギャルと言うわけではないが、軽い感じでチャラチャラしている。そんな彼女がクラスでも大人しい姫乃と、なぜ仲が良いのが分からなかった。

 

「二人はなんでそんなに仲が良いの?」

 

 気になった僕はこの事を聞いてみることにした。

 

「それは単純な話だよ。私はヒメちゃんの王子様だからさ」

「は?」

 

 天原は自信満々に言うが、僕には訳が分からなかった。

 

「だってヒメちゃんは名前を入れ替えると白雪姫だよ? お姫様なんだよ? だったら王子様が必要じゃないか」

「その理屈も理解できないし、なぜ天原が王子様になるのか全然分からないんだけど」

「王子様は眠った白雪姫をキスをして、目覚めさせたじゃないか。私も同じように、眠っていたヒメちゃんにキスをして目覚めさせたんだよ」


 全然話が噛み合わなくて理解できてない僕だが、そんな僕に姫乃が施すように説明をしてくれた。

 

 姫乃と天原が友達になったのは四月の半ば頃。

 姫乃は学校に毎朝早く来るのだが、ホームルームがはじまるまで机にうつ伏せになり寝ていることがあるらしい。

 その時偶然、早く学校に来た天原が眠っている姫乃の姿を見て額にキスをしたんだとか。

 

「いやなんでキスしたんだよ」

「ヒメちゃんが白雪姫だからって言ってるでしょ。それに私がキスをしたらヒメちゃんはちょうど目覚めたのさ。だから私はこう言った「ボクが王子だよ、白雪姫」ってね。それから私たちは仲良くなったんだよ」

 

 天原の話を姫乃はただ頷いていた。つまりこれは事実なのか。

 なんとも信じがたい話だけど。でも姫乃が興味を持つと言うことは、それくらい変わってる相手だからだろう。

 

 

「これ以上私がお邪魔するのも悪いね。私はここらへんで教室に戻るよ。あとはカップル二人で楽しんでねー」

 

 その後、天原は突然からかうように言いビニール袋を持って手を振り、去っていく。

 たくさんあった弁当やパンは、全部食べきってはいなかったが半分以上食べ尽くしていた。食べる早さといい、それに反して小柄なのといい、人間なのか疑いたくなる。

 

「まるで嵐が去ったかのようだな……」

 

 天原が去った屋上はさっきと比べてとても静かだった。

 

「でも面白いでしょ、初音って」

「確かにそうだけど……僕はあまり彼女のことは好きじゃないな」

「私もはじめの頃はびっくりしたけど、初音は一緒にいて楽しいよ。自分の事を王子様だとか神様だとか言うんだもの」

「幻想的だね……実際には王子様でも神様でもないじゃないか。彼女はただの女子高生だ」

「そうかもしれない。けど初音の言うことは結構当たるんだよ。天気予報で明日は晴れと言われてても、初音が雨って言ったらその日はほんとに雨になるの」

「そんなのただの偶然じゃないかな」

「ううん、それだけじゃないの。わたしのテスト点数を見せないのに、全部当てたりするし。もしかしたら初音はほんとに神様なのかもしれない……なんてね」

 

 姫乃は冗談混じりに微笑み言う。

 それが事実なら偶然にしては出来すぎてるけど、やはりただの偶然だろう。

 神様なんてこの世にいるはずがない。

 

「ところで姫乃。やっぱり昨日いってたことは本当か? 僕たちが、恋人みたくなるって言うのは」

「うん、本当だよ。もちろん、小説のネタのためにだけどね」

 

 天原に言ってたように、あれは嘘ではなかったようだ。嬉しいような残念なような気持ちだ。

 

「それじゃ僕たちは、恋人のように振る舞わなきゃならないんだね。でも学校でなにをすればいいんだろう」

「そうだね……」

 

 彼女はそれだけ言ってなにかを考えてるようで黙り込む。

 その後、彼女はなにかを思い付いたようで弁当を持ったまま僕に近づく。

 

「あーん」

「姫乃?」

  

 彼女は箸で卵焼きをつまみ僕の方に向けてきた。

 

「よくカップルでこういうことするでしょ? わたしこういうのやってみたかったの」

 

 よく恋愛もので見る光景だ。確かに恋人っぽいけどそれはさすがに恥ずかしい。

 

「やらなくちゃだめなの?」

「駄目。あとその時の心情を纏めておいてね。これは小説のためだから」

 

 僕に拒否権はないようだった。ただ食べるだけでなく、その時の心情を書けというのは無理がある。

 

 それにこれは姫乃が使ってる箸でつまり、間接キスになる。間接キスくらいでどうってことはないと思っていたけど、実際に彼女の唇を見てしまうと意識してしまう。

 顔が赤くなっていないだろうか?

 僕は恥ずかしい気持ちがありながらも決心をする。

 

 姫乃の卵焼きを口に運ぶ。

 卵焼きが僕の口の中に入る。

 卵焼きは少ししょっぱく、だけどとても美味しかった。

 じっと見つめる彼女に対して僕は言う。

 

「美味しいよ。これ姫乃が作ったの?」

「うん、料理は時々するからね。今度彼方君が好きな料理作ってあげる」

 

 姫乃はにこにこ笑みを溢していた。よっぽど嬉しいのだろうか。

 ただ、こんな会話をしていると、とても恋人っぽいなと僕は思った。

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