第2話 甘えてちゃだめなのに。


「美味しい……」


琥珀に連れてこられたのはレトロな雰囲気の洋食屋さんだった。見た目は昔ながらの喫茶店に近く、店内にはクラシックの曲が流れていて、ウェイター姿のお爺さんとウェイトレス姿のお婆さんが店を切り盛りしている。


私と琥珀はハンバーグとスープとサラダのランチセットを頼んだ。


「確かに美味しいね。デミグラスソースにちょっとワインが入ってるのかな? 大人な味」

「優愛が気に入ってくれて良かった」

「あのさ、琥珀。一つ、気になってた事聞いても良い? 」

「ん? 」

「昨日、何で一人で居酒屋にいたの? 」


この子の性格からして一人で居酒屋にいるのは意外だった。


「昨日、だったから」

「昨日? 」

「お父さんとお母さんがいなくなった日」

「えっ……」

「飲んだら、辛くなるの和らぐかなって毎年飲むんだ、いつもより。でも、毎年命日には辛くなる。お酒は効かない」

「思い出しちゃうよね、やっぱり」

「うん。だから、気付いたら優愛に声をかけていた。一人でいたくなかっただけなのかもしれない」


この子は繊細だ、きっと、私よりもずっと。


「今は大丈夫? 」

「うん。優愛の隣で寝たから安心できた」

「ほ、本当は良くないよ? それ。知らない男子が隣に寝てたら女の子は恐怖だから! 」

「優愛、怖かった? 」

「かなりびっくりしたかな」

「じゃあ、今日は一緒に寝られないんだ….…」

「ね、寝るつもりだったの!? 」

「だめ? 」

「それはだーめ! 」

「残念……」


甘えん坊だ、本当に。


「ねぇ、琥珀は好きな子いないの? 」

「いた事ない。ずっと絵の事ばっか考えてたから」

「今時の若者らしくないよね、君は」

「告白はたくさんされた」

「じ、自慢!? 」

「でも、描きたいと思えるほどじゃないから」

「描きたいと思えるほどじゃないって? 」

「俺が描きたいって思える人が俺の好きな人なんだと思う」

「そっか。琥珀の恋愛観ってまさに芸術家って感じだね。でも、琥珀って人物も描くんだ? 」

「描けるは描ける。風景や動物を描く方が好きだけど」

「そっか! 美大の授業って楽しそうだよね。琥珀って憧れの画家とかやっぱいるの? 」

「うん、ゴッホだよ。彼の描いた絵を見ていると、自分がそこにいるみたいな感覚になるから好きで」

「私も美術の教科書で見たことある。私も1番好きだなって思った」

「小さな頃にお父さんがくれたゴッホの画集、お気に入りでいつも画集を枕元に置いて寝てた。寝る前にいつも見てたから」

「あはは、可愛いね」

「クラスの奴からは変な奴呼ばわりされたけど。ゲームとかしないでずっと絵描くか画集見るかしかしない小学生だったから」


小さな頃からこんな感じなんだ、この子。


「でも、ずっと好きで続けている事があるって素敵だと思うよ。私には無いからさ! 好きな事を仕事にする人なんて一握りだし」

「そういうもんなんだ」


私は特別続けている事とか無いからね。


「優愛、明日もお休み? 」

「うん、そうだよ。月曜日から会社」

「じゃあ、一緒に大学行こ? 」

「ま、待って! そんな自由に出入りして良いわけ? 」

「バレないよ。学生数多いし、優愛見た目若いから」

「なんか複雑だな、それ」

「描きたいもの、見つかったから! お手伝いして欲しくて」

「う、うん」


何だろう? 描きたいものって。


「久々にたくさん食べた」

「琥珀、ちゃんと食べなきゃだめだよ? 」

「忘れてなければ食べるよ」

「あ、琥珀。さっきのご飯代! やっぱり悪いから私、出すよ」

「だめ。こういうのは男が出すって言う」

「でも、琥珀はまだ学生だし……」

「子供扱いだめ」


琥珀は拗ねた表情で私の頰を引っ張る。


「こ、琥珀!? 」

「俺、20歳だよ? 子供じゃない」

「私からしたら君は弟みたいに可愛いよ」

「優愛のバカ……」

「拗ねない、拗ねない」

「なぁ、優愛はいつ自分が大人だなって思うようになった? 」

「えっ? 」


唐突な質問に私は戸惑う。


「そうだなぁ。人前で泣かなくなったりした時かな。ほら、大人になると人前で泣くのは恥ずかしく感じちゃうというか。慕っていた先輩が会社辞める時とか、上司にきつい事言われた時とか。我慢、するしかないんだよね」

「そんなの辛いだけじゃん」

「でも、そうしないと生きていけないの。社会人ってそういうもん。だから、彼氏の事もね、情けなくて……友達に泣きつくんじゃなくて、一人でやけ酒を選んじゃった。まあ、結局….…琥珀が来たわけだけど」

「俺には甘えて良いから」

「琥珀? 」

「俺は優愛の周りにいる大人達とは違う。優愛が辛い時は絶対に我慢させない。だから、今はかっこつけなくて良いよ」


琥珀はどうして、こんなに優しいんだろう。私は一人になりたくなくて琥珀を利用しているんだよ?


「そうだ、美術館寄るんだった。 美術書注文したのが届いてるはず」

「そっか、じゃあ……私はスーパー寄ろうかな? 琥珀の家の冷蔵庫、なーんにも無いからさ」

「一人で? 」

「逃げないから! 大丈夫」

「じゃあ、スペアキーあるから渡しておく」

「あ、ありがとう。琥珀、夕飯は何が良い? 」

「夏野菜たっぷりのカレーが良い……」

「了解! 夜は私が作るからね。世話になってるお礼も兼ねて」

「ありがとう、優愛」

「ふふっ。どういたしまして! じゃあ、後でね」


私は琥珀の頭をひと撫ですると、地図アプリで近隣のスーパーを探し、スーパーに向かって歩く。


「あっ! 梨々香、忘れてた」


私は梨々香にもう一度電話をする。


「優愛! 何時くらいに来れそう? 」

「ごめん、梨々香。家が決まるまで、従姉妹の家にお世話になる事にした」

「従姉妹? 優愛の従姉妹って大学生の男……

「えっと、北海道にも従姉妹がいて! 疎遠だったから梨々香に話した事無かったけど。最近、転勤でこっち来て。その子の家からのが会社近いから……」

「なら、良いけど。見知らぬ大学生の家に世話になりっぱなしになるんじゃないかってひやひやしたよ。ほら、最近物騒な事件多いし」

「心配かけてごめんね」

「優愛、健介くん……あたしに電話して来たよ」

「へ? 」

「優愛と連絡つかないから何処にいるか教えろって。知らないって上手く誤魔化したけど」

「ありがとう……」

「優愛さ、ちゃんと話した方が良いよ? 悪いのは健介くんだけどさ、健介くん……すごく反省してた」

「うん……」

「まあ、いつでも相談しなね? あと、あたしの知り合いで不動産屋勤務の人がいるから近々紹介するよ」

「ありがとう! じゃあ、また」

「またね」


梨々香に初めて嘘をついてしまった。


「言ったらめっちゃキレるの目に見えてるし」


でも、健介……梨々香にまで連絡するなんて。


「だったら、何であんな事したの」


会ったら私はどうなるんだろうか。健介を許してまた元通りになれるのかな?


「カレー、カレー……あっ! 琥珀に辛さ聞くの忘れてた」


私はスーパーに着くと、食材をどんどんカゴに入れていくも、カレーのルーだけ辛さを確認する必要がある事に気がついた。


「えっと、成瀬琥珀……」


私は琥珀に電話をする。


「もしもし? 優愛? 」

「あっ、琥珀! 今、カレー売場にいるんだけど、辛さ聞くの忘れてたから」

「そうだった。俺は辛口だけど、優愛大丈夫? 」

「うん、私もカレーは辛口だから。他に何か欲しい物ある? 」

「ビター系のチョコレートとカロリーフレンド」

「カロリーフレンドはだめ。どうせ大学での昼食、カロリーフレンドで済ませる気でしょ? 」

「バレたか……」

「ビター系のチョコレートは買ってあげる」

「優愛」

「ん? 」

「良かった、やっぱりちゃんと帰って来てくれるんだ」

「どんだけ信用されてないんだ、私」

「誰かと一緒に暮らすの久しぶりだから嬉しい」


琥珀は純粋で素直な男の子だ。寂しくて見ず知らずの琥珀にさえ甘える私なんかといちゃいけないんだ、本当は。


もし、彼が私を好きになっても私は気持ちに応えられないわけだし。だけど、会ったばかりなわけだし、それは無いよね?


「ただいま」

「優愛、おかえり! 」

「こ、こ、琥珀!? 」


琥珀は私が帰るなり、私に抱きつく。


「ずっと、待ってた」

「だ、大丈夫だから! ね? 」

「チョコレートはー? 」

「あるよ! ビター系の板チョコ」


私はスーパーの袋から板チョコを取り出す。


「やった! これ、1番好きなやつ」

「良かったね」

「うん! 」


こういう部分は子供らしくて可愛いな、この子。


「そうだ、DVD借りて来たんだった。優愛、一緒に観よう」

「どんなDVD? 」

「モーツァルトの半生を描いた映画。友達が面白いって言ってたから」

「私、観たこと無いなぁ」


さすが美大生。チョイスが独特だ。


琥珀がDVDをDVDプレイヤーにセットすると、私の携帯電話が鳴る。


「琥珀、ちょっと待っててね」

「うん」


母親からの電話だった。


「もしもし、お母さん? 」

「優愛、もう! 最近、全然連絡寄越さないんだから」

「ごめん、ごめん。ちょっとバタバタしてて」

「スイカ、富里のおばあちゃんから送られて来たからまた今年も送っといたわよ。健介くんと二人で食べなさい」

「あ、ありがとう……」


バッドタイミングだよ、お母さん。


「ねぇ、貴方達……結婚はいつするの? あちらの両親とももう会ったんでしょう? もう20代後半なわけだし、そろそろ結婚しちゃいなさいよ」

「でも、今は健介……バタバタしてるし」

「籍入れるくらいなら出来るでしょう? 式は落ち着いてからでも良いんじゃ無い? こないだテレビでハワイ挙式の特集していたんだけど……」

「私達の事に口出ししないでよっ! 色々あるの、私達にだって! 」

「優愛? 何かあったの? 」

「もう、切るから」


母に八つ当たりをしてしまった、最悪な娘だ。


電話を切ると、心配した表情で琥珀が私の元へやって来た。


「ごめん、大声出して。母があまりにも結婚を急かしてくるから苛立って……」


琥珀は黙って私を抱き寄せる。


「琥珀……? 」

「大丈夫、俺は分かってあげられるから。優愛の辛さ」

「ごめん……今だけ、5分だけ、泣いて良い? 」

「うん」


私は声を上げて泣いた。ずっと我慢していたものを放出するかのように。


「ごめん、映画……観よう? 琥珀」

「うん」


この子は不思議な子だ。初めて会ったのに、全然素顔の私でいられる。


「やっぱりモーツァルトの曲、好きだな」

「琥珀、クラシックも好きなんだ? 」

「うん。だから、さっきの洋食屋落ち着くんだ。モーツァルト、ショパンをよく流していて」

「そっか。確かにあの店の雰囲気、私も好きだよ」

「また行こう」

「う、うん……」


私、いつまで琥珀の家にいるんだろう。早く、新しい家見つけなきゃだよね。もし、ここを出たら私達はまた赤の他人同士になるのかもしれない。


また行こうって琥珀は言ってくれたけど……。


「面白かったね、映画。モーツァルトも女好きだったとは……」


私は映画を観終えると、琥珀に映画の感想を言う。


「芸術家は女好きが多い。ゴッホも女癖が悪いって言われているし」

「えっ! そうなの? 」

「ん。恋愛をしている時が一番インスピレーション湧くんだって大学の教授も話していた」

「そっか、確かに恋人を描く人とかいるよね」

「俺はどうなるんだろう……」

「琥珀? 」

「そうだ、美術史の講義のレポートあるんだった。最後の仕上げやらないと……」

「じゃあ、私は夕飯の支度するね」

「ありがとう、楽しみにしてる」


健介とちゃんと話しなきゃだよね。話をするのが怖いけど、このままってわけにもいかない。浮気されても、好きなら別れないべきなんだろうな。


「美味い……ナスたくさん入ってて嬉しい」

「お代わりもあるからね」


夕飯が出来ると、琥珀は満足そうにカレーを食べる。


「優愛」

「ん? 」

「いつまでいられる……? 」

「なるべく早く、家は決めるよ。梨々香……友達が良い不動産屋さん紹介してくれるってさっき電話で言ってたから」

「そうか……」


琥珀に甘えてばかりじゃだめだ、もう良い大人なんだから。


「ふぅ。お風呂、先に頂きました」

「優愛、ベッドで寝て良い。俺は布団で寝る」

「だめだよ! 琥珀の家なんだし」

「大丈夫、俺はどこでも寝られる」

「ていうか、布団あったんだ? 」

「さっき買った」

「担いで帰ったの!? 」

「優愛、添い寝やだって言うから……」

「だからってわざわざ……布団なら私が使うから! 」

「ベッド、ちゃんとシュッシュしたから男臭くないはず。ベッド使って、優愛。ね? 」

「わ、分かった。ありがとう、琥珀」

「俺も風呂行く」


私、すぐ出て行くのに悪い事しちゃった。


「優しいな、琥珀は」


こんなに誰かに優しくされたの久しぶりな気がする。


「知らない人がいっぱい……」


大学一年の春、私は怯えた表情でゴルフサークルの見学へ。理由は勧誘していた男の先輩に強引に連れて来られたから。


まだ、学科内に仲良い人いないし……人見知りには辛いよ、サークル見学とか。


皆がお菓子を食べながら盛り上がってる中、私は隅っこでジュースを飲みながら、いつ帰ろうかとタイミングを伺っていた。


「あれ? 君、同じ学科の……」

「へ? 」


私に話しかけてきたのは健介だった。今、黒くて短い髪は当時、長い茶髪でパーマをかけ、大分印象が違った。


「オリエンで席近かったから。君も見学来てたんだ? 」

「せ、先輩に強引に連れられて……」

「あはは、俺も。強引だよな、ここの先輩達。ゴルフは? 興味あるの? 」

「あまり……」

「だよな、俺も。じゃあさ、一緒に抜けよう」

「へ? よ、良いのかな? 」

「でも、このままだと入部って流れになりそうだし。違うサークルも見学したいなって。いくつか見学したいサークルあるんだけど、一緒に行かない? 友達にバイトだからって断られちゃって」

「う、うん! 」

「逃げるなら一人より二人だよな、やっぱ。行こっ」


健介は人見知りな私でも話しやすい男子だった。


「宮瀬には見学したサークルの中でどのサークルが一番気になった? 」


あらゆるサークルを見学すると、彼が聞いてきた。


「えっと、旅行サークルかな? 私、あちこち旅行してみたくて」

「お、奇遇だな。俺も! じゃあ、入部しよっか。旅行サークル! 」

「うん! 良かった、同じ学科の子がいてくれて心強いよ、私」

「俺も。そうだ、入部届出したら、時間ある? 」

「う、うん。あるけど……」

「実はさ、どの講義受けようか悩んでて。宮瀬が同じ講義だったら分からなくなっても聞けそうだなって」

「へ? 」

「宮瀬、いかにも頭良さげだから。同じ講義、受けたい」

「そんな理由ー? 」


同じ学科、同じサークル、同じ講義を受けている、何かと接点があった私達はすぐに仲良くなった。


「優愛、合コン行かない? 」

「ご、合コン!? 私、行ったこと無いなぁ……リスキーじゃない? 」

「優愛可愛いし、すぐ相手見つかるって! お願い、人数足りないの! 」

「もう、ミカー! 」

「だめだぞ、優愛! 」

「へ? 健介? 」

「今日はサークルの打ち合わせ」

「あれ? そうだっけ」

「マジかー! 残念」


あれは、大学二年の夏だった。


「健介、打ち合わせなんてあった? 部長からメールとか来てないけど」

「や、あの……あれだ、嘘ついた」

「えーっ!? ミカ、困ってたのに……」

「ミカには悪いけど、俺が嫌だったから」

「嫌って? 」

「優愛に彼氏、出来たら」

「な、何それ……」

「好きなんだ、俺。優愛の事が! 付き合って欲しい」

「け、健介……」

「初めて会った時からずっと好き」

「あ、あの! わ、私で良ければ……」

「本当か? やった……やったー! 」

「ちょっと! 大学内で抱きつくなぁ! 」


それからはたまにケンカはあったけれど、順調に交際が続いて行った。健介じゃなきゃだめだって思えるくらい大好きで。


だけど、最近は健介が忙しくて夜中に帰る事が多くなっていた。それでも、健介に美味しい物を食べて欲しくてちょっとしたおつまみを作って、彼が帰るのを待っていた。


「ただいま……」

「おかえり、健介! おつまみとお酒あるよ! 」

「悪い、優愛。さっきまで上司と飲んでたから」

「仕事で遅くなったんじゃないの? 」

「付き合いがあんだよ! 優愛みたいに17時定時終了の誰でもできるような仕事ばっかする会社とはちげぇんだよ」

「ごめん……」

「つーか、俺が帰るまで起きてなくて良いから。お前が寝る時間まで夜中になるって思うと、プレッシャーになる。寝てて良いし、食べ物も作らなくて良いから。な? 」

「私は……喜んで欲しくて……」

「疲れてるから寝るわ。話ならまた時間ある時に」

「それっていつよ……」


夢を見ていたらしい。健介と出会った頃と現在の私達の夢。目覚めると、頰に涙が流れていた。


「優愛、大丈夫……? 」

「琥珀……お風呂、上がったんだ」

「うん。そろそろ寝ようかなって。ねぇ、優愛」

「ん? 」

「手、握っても良い? 添い寝はしないから」

「う、うん。良いけど……」

「大丈夫、手握ったら嫌な夢、見ないから」

「琥珀….…」

「今日は幸せな1日だった。いつもより油絵が良い感じに描けて、優愛と食べたハンバーグがいつも以上に美味しくて、モーツァルトの映画がかなり面白くて、優愛の作ったカレーにたくさんナスが入ってて嬉しくて。明日はもっともーっと楽しい日にする」

「私も楽しかったよ、琥珀」

「優愛、突然いなくなったりしないよね? 」

「大丈夫、ちゃんとお別れを言ってから出るよ」

「うん……」


この子と話している時だけは辛い気持ちも和らいでいく。不思議な子だな、琥珀は。


「おやすみ、琥珀」

「おやすみ、優愛」


琥珀が手を握ってくれていたからか、これ以上健介の夢を見る事は無かった。



「すごい……大学入ってすぐにたくさんの彫刻作品が」

「何十年か前の卒業制作らしい」

「美大って感じだね」

「優愛、こっち」


翌日、私は琥珀と一緒に琥珀の大学へ。関係者じゃないのに入って良いのかな……?


「わっ! キャンバスがたくさんある! 図工室みたいな匂い」

「油絵学科が使ってる教室だよ。今日は日曜だから俺くらいしか使わないみたいだけど」

「ねぇ、手伝って欲しい事って何? 琥珀」

「優愛に絵のモデルを……して欲しい」

「えーっ!? わ、私? 」

「うん、優愛が良い」


待って? 昨日、琥珀確か……


ーー俺が描きたいって思える人が俺の好きな人なんだと思う


「あの、琥珀……」

「座って、そこのまん丸な椅子に」

「あ、うん。ま、待って! 脱いだ方が良いの? だったら、私……」

「そういう絵を描くつもりはないから大丈夫。俺を見て。疲れちゃうかもしれないけど、ごめん」


そう言うと、琥珀は髪を一つに結い、道具を出す。


「話は出来るんだよね? 」

「うん、つまらなくなったら悪いから。話しながらでも描ける」

「そ、そう……もっとちゃんとした格好していけば良かったかな」

「優愛はいつでも魅力的だから大丈夫」

「あ、ありがとう……」


琥珀は天才的な子だし、昨日もたまたま見かけた猫を描くって話してたし、気分で描きたくなっただけだよね? 私を好きかどうかなんて……。


「俺、授業以外では基本的に人物は描かないんだ」

「あ、そっか。動物とか風景専門だっけ」

「俺が絵を描くのってさ、自分が見たものを焼き付けておきたいから。昨日の猫もそう。忘れないでいたい物を絵に残すんだ」

「忘れないでいたい物……」

「だから、今……優愛を描いてる」


動揺している私がいる。早く出て行かなきゃって思っていたのを見透かされてたみたい。


私はまだ健介と別れていないし、まだ気持ちは彼にあるはず。だけど、どうしてこんなに気持ちが揺らぐんだろう。


絵を描く為とは言え、いつも以上に琥珀の視線を感じ、落ち着かない。


「ど、どのくらいかかる? 」

「ざっと2時間くらいかな」

「本格的! 授業やコンクールに出すとか? 」

「いや、俺が好きで描いてるだけ」

「そ、そう……」


明日、会社が終わったら、健介と話そうと思っていた。あんな夢を見てしまったし、このままじゃ良くないから。


で、家の事をどうするかは健介と話した後に決める。別れたいってなったら、私は梨々香の紹介で新しい家を見つけるつもりだ。


この子にいつまでも甘えられないし。もし、この子が私を好きだったら、尚更一緒にいちゃいけない。


だって、私はまだ健介の事でもやもやしているわけで。


「出来た」

「お疲れ様、琥珀」

「ごめん、2時間も」


2時間かけて絵は完成された。絵の中の私は笑っている。


「だ、大丈夫。わっ! すごい色彩豊かだね。 なんか照れるなぁ、描かれると」

「超大作、琥珀さん的にナンバーワン作品」

「何それ。でも、嬉しいな。こんな綺麗に描いて貰えて。しかも、天才画家様に」

「お腹空いた……」

「さっきまで巨匠の顔だったのに、今はいつものゆるゆる琥珀だね」

「ご飯行こ? 優愛」

「はいはい」


やっぱり、無いよね? 琥珀からしたら私は飼い主かお姉さんな気がする。甘えん坊だし。


「あれ、琥珀じゃん」

「あ、マジだ」


作業場を出ると、琥珀の同級生らしきグループが話しかけてきた。


女の子二人と男の子三人、琥珀に比べたら派手な雰囲気だった。


「綺麗なお姉さん、連れてるー。珍しく女連れかよ」

「この人は彫刻科の四年生の先輩。美術史IIで知り合った」


さらりと嘘ついたよ、琥珀さん!


「えっと、宮瀬優愛です….…」

「なかなか合コン来ないなって思ったら、そういうわけね。琥珀、やるじゃん」


合コンか。確かに琥珀、行かなさそう。


「この人は……そういうのじゃない」

「マジ? 怪しいな。ね、瑠美ちゃん」

「琥珀は真面目だから合コンなんか行かないの! そんな暇あったら、絵描いてるってタイプなだけ! 彼女いたら話すよね? 琥珀」


瑠美ちゃんと呼ばれた少女はむっとした表情で言う。


この子、琥珀が好きなんだろうな。


「うん、話すよ。皆は友達、だから」

「マジかぁ。だったら、お姉さん! 俺と仲良くしてみません? 彫刻科の授業どんなか知りたくって。LINE教えてください! 」


琥珀の友達なのにチャラいのいる!


「だめ」


琥珀はLINE交換をせがむ友達から私を隠す。


「ちょっ! 琥珀! 何だよ! 」

「この人と仲良くして良いのは俺だけ」


こ、琥珀!?


「行こ、優愛」

「えっ! 琥珀、良いの!? お友達……」


琥珀は私の手を引き、速歩きで歩き出す。


「細田はチャラいから危険」

「だ、大丈夫だよ! 私からしたら彼らは子供だし。迫られても流す事くらい簡単に……何? 琥珀、もしかしてヤキモチ? 」

「悪い? 」


琥珀は私を睨み、言う。かなり不機嫌だ、琥珀さん!


「大丈夫。あの中なら一番琥珀が可愛いよ」

「俺は……俺の事は子供扱いしないで」

「琥珀? 」

「優愛のバカ……」

「何で拗ねてるの!? 琥珀! あっ、美味しいもん食べに行こう。ね? 」

「食べる……」


もしかして、琥珀……いやいや、無いよ! だって、私だよ!? だめなとこばっかり琥珀に晒してるし……。


もし、そうなら私は琥珀とはもう一緒に暮らせないし、もう会えない……。


そう思ったら、胸がずきりと痛んだ。


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