イカダ漂流記
@Ztemari
第1話(読み切り)
イカダ漂流記
「ねえジャガー」とコツメカワウソは、横で寝ているジャガーに声をかけた。ジャガーは少し顔をしかめると目を開けてコツメカワウソを見た。暗闇に猫科特有の瞳が光っていた。
「なーに?」
「ここ、どこだろうね」
「全然わからん」
二人の乗ったいかだは、限りない水の上にぽつんと浮かんでいた。雲は厚く、月明りさえも遮っていた。二人の世界には波しかなかった。
「パークからどのくらい離れちゃったかな」
「さあ…でももう見えないかもねえ」
「ふふ、冒険だぞ」 とコツメカワウソははしゃいでいった。彼女が身を起こした拍子にいかだが揺れ、寝転がっていたジャガーの顔に海水がかかった。川の水とは全く違う味がした。
ジャガーは複雑な気持ちになった。
「冒険」
「そうだよ! どんな遊びができるかな。あれジャガー、楽しくないの?」
「楽しいというか……何の準備もしてないしなあ……」
「行き当たりばったりも面白いよ!」
「それはそうかもだけど…なんかごめんね」
「どうしちゃったのさ、ジャガー」
完全に事故だったのだ。コツメカワウソを乗せてパーク内の川を泳いでいたら突然に雨が降ってきて、増水したのだった。どこに逃げる間もなく下流まで押し流されて、流れが収まったころにはパークからずいぶん離れた外洋に流されてしまっていた。これから先どうすればいいのか、ジャガーにはまったく分からなかった。考えてもどうしようもなかった。自分の操船の不手際に、よりによってコツメカワウソを巻き込んでしまったことが、ひっきりなしにジャガーを責め立てていた。ジャガーも身を起こすと、体育座りして顔を埋めた。
「もう帰れないかもしれないから、そこはごめんね」
「?」
「私自身、ここがどこでちほーがどっちだったのか、全然分からないんだよね。だからもうちほーに帰れないかもしれないし、ジャパリマンだってもう食べられないかもしれない」
言いながらジャガーの声は湿っていった。
「だからごめんよ。ほんとに苦しくなってもどうしようもできないから、好きなだけ私を恨んでいいからね。ほんとに」
自分だけが流されただけならさみしいだけで済むものの、コツメカワウソを巻き込んでしまったことが辛くて仕方なかった。ジャガーにとってコツメカワウソはいわば大切な友人であり、自分の不手際に巻き込むことは自分で許せなかった。
ジャガーはコツメカワウソの顔が見られなかった。コツメカワウソがジャガーに寄ってきて、何を言われるかと身を固くした。
コツメカワウソは、ジャガーの後ろから首に手をまわして寄りかかった。コツメカワウソの頭が髪にかかり、胸が背中に当たるのを感じた。ジャガーはびっくりして心臓が跳ね上がり体温が上がった。それはコツメカワウソに気付かれたかもしれなかった。
「大丈夫だよ。私今困ってないし、ジャガーに怒ってもいないよ」
波の音だけが静かに響いていた。コツメカワウソの声は、ジャガーの耳のそばで優しく砕けた。ジャガーは泣きそうになってコツメカワウソの手を掴んだ。
「どうして? 普通帰れなくなったら、困ったり怒ったりするじゃない」
「そうだなあ、確かにじゃぱりまんとか、ちょっと困るかもしれないけど、それはジャガーのせいじゃないし。それよりジャガーと知らないところにいくのが私楽しいんだ」
「……全然わからん」
ジャガーが静かに泣き出すと、コツメカワウソはジャガーに抱き着いたまま力を抜いた。今や、お互いの体のぬくもりはかけがえのないものだった。二人は、何も言わずに気持ちが揃うのを感じた。
「ジャガーは、私と一緒に遊ぶのは楽しくない?」
ジャガーはコツメカワウソの手を握ったまま首を振った。
「こっち向いてよ、ジャガー」と言ってコツメカワウソはジャガーが向きを変われるように少し身を離した。ジャガーが振り向くと、コツメカワウソは正面からジャガーにとび着いた。ジャガーはそれを何の抵抗もなく受け入れた。今ならコツメカワウソに自分のエゴを押し付けても受け入れられそうな気がした。
「もっと遊ぼうよ、ジャガー。いつまでもジャガーと一緒に遊んでたいな」
「うん。ずっと一緒にいるから」
「ジャガーちょっと元気になった?」
「いや、コツメカワウソがこんなに優しいとは思わなくて」
コツメカワウソは少し照れたようだった。
「そ、それは、まあ元気づけようとして」
「ありがとう」 とジャガーはだいぶ元気に戻って言った。しかしそれはただ自分のミスを責めるのをやめたのではなく、コツメカワウソに優しさに酔ってのことであった。
さっきまでの辛い気分の反動で、ジャガーは知らぬうちに大胆になっていた。抱き合ったまま、ジャガーはコツメカワウソの髪をなでた。コツメカワウソもすんなりそれを受け入れた。
「くすぐったいよ、ジャガー」コツメカワウソは甘えと恥ずかしさの混じった声で言った。
コツメカワウソもジャガーの髪を触った。頭をなでられるととても落ち着いた。
「ずっと一緒にいられるかな」とコツメカワウソが言った。
「よろしくね」とジャガーは言ったが、恥ずかしくって声が小さくなった。
雲が切れて、月が二人を青く照らした。コツメカワウソが愛おしそうな、泣きそうな表情で微笑んでいるのが見えた。ジャガーはコツメカワウソを抱きしめた。
「もう寝ようか」とジャガーが言うと、コツメカワウソは腕の中で頷いた。二人はそのまま横に寝転がって眠った。月はゆっくりと周り、湾曲した水平線まで続く海が二人の乗るいかだを優しく揺らしていた。
やがて朝が来た。コツメカワウソの隣で寝ていたジャガーは、何者かが泳いでいる音で目を覚ました。ジャガーがたちまち起き上がり服を着て周囲を見渡すと、いかだから少し離れたところで波が泡立って、一人のフレンズが海面から顔を出した。そのフレンズが無害そうなのを見て取ると、ジャガーは肩の力を抜いた。
「なにしてるのー?」
「ジャガー、誰の声…?」 とコツメカワウソが半分眠りながら言った。
「わからん、だけどフレンズ…海のフレンズ? わからん」
「そっちいってもいいー?」
「いーよー」
ジャガーはコツメカワウソを起こした。その海のフレンズはジャガーたちのそばまで泳いでくると、いかだに手をかけた。
「私、マイルカのマルカ」
「ジャガーだ」
「わたし、コツメカワウソ」
「なにしてるの? 陸地のフレンズがここまでくるなんて珍しいね」
「昨日の雨で流されちゃってさ」
「冒険なんだぞ!」
「冒険もいいんだけど、一度ジャパリマンとか取りに帰りたくてね。だけどここがどこなのか全然わからん」
「んー、この辺の陸地だときょうしゅうちほーが一番近いから、こっちじゃないかな」
マイルカは太陽とは反対の方向を指さした。
「こっちって、どっち……?」
「近くまで案内しようか?」
「本当? 助かる」
「いいよ。だけどその乗り物、どうやって動かすの?」
「ああ、それは私が動かすよ」と言ってジャガーは海の中に入った。水がしょっぱく生臭いのでジャガーは大変びっくりした。全身がこわばって沈みそうになる。
「ジャガー!?」
「大丈夫!?」
咄嗟にいかだをつかんで体勢を整える。
「平気平気。川と勝手が違っただけだから」
ジャガーは海に体を慣らすと、いかだを操縦するときのいつもの位置についた。
「いつでもいけるよ」
「じゃあ案内するね。そんなに離れてないからきっとすぐだよ」
ジャガーはマイルカに従って泳ぎだした。
「ねえジャガー」とコツメカワウソがジャガーに呼び掛けた。
「なーに?」
「またジャガーと冒険したいな、今度はもっと」とコツメカワウソが言った。
「そうだねー、もっと準備してね」とジャガーが言った。
水平線の向こうに陸地が見えてきた。
了
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