救出4








******






 エリスは思ってもいなかった人物の登場に驚いていた。彼は自警団のリーダーの1人なのだ。現場に来るとは思ってもいなかったのだ。リーダーたちは仕事で、ヴェルリオ王国から出ることは今まで一度もなかった。

 自分の部下であるラアットを護衛として寄越したので、何かあるだろうとエリスは考えていた。スレイの言葉から、どうにかして自警団がこちらへ来たことは分かっていた。しかし、彼が来るという考えは全くなかったのだ。

「はじめまして。私はガヴィラン・ジーテドー。ヴェルリオ王国ヴェルオウルの自警団のリーダーの1人です。今回は、貴方を逮捕しに来ました」

「逮捕? はははっ! 国が違うのにそんなことが出来るはずがないでしょう。私は商人ですよ。そのようなことは知っているんです。それでも私を逮捕するのでしたら、捕まるのは貴方になる!」

 黒麒に押さえつけられていながらも、スレイは強気だった。彼は商人として様々な国へ赴くため、他の一般人よりも知っていることが多いのだ。

 住んでいる国が違う者を、逮捕することは出来ないことも知っているのだ。別の国で起こった事件の犯人が隣国のに住んでいる場合は、その国の国王に話しを通さなくてはいけない。

 そして、住んでいる街の自警団に話しを通し、その者たちに捕まえてもらうのだ。捕まえるとすぐに引き渡してもらう。普通であればそのような流れだ。

 しかし、ウェスイフール王国に現在、国王はいないのだ。だから、自警団に話しを通すことも出来ない。たとえ国王に話しを通さず、自警団に話しを通せたとしても、この国の今の自警団が動いてくれるとは誰も思わない。

 国王がいないのだから、話しを通すことも出来ない。この国の者は逮捕されないと、スレイは考えているのかもしれない。だがガヴィランは、話しを通すこともなく特別に逮捕することが出来るものを持っている。

 それを用意したのはアレースだが、協力したのはクロイズ王国の国王であるウェイバー・オーシャン。そして、何処から話しを聞いたのかは不明ではあるが、海の向こうの国アクアセルシス王国の国王であるアイル・セルシスの2人だ。

 ガヴィランは懐から丸められたものを取り出した。それを縛る紐を解くと、それは一枚の紙だった。丸まった紙を上下に開くと、ガヴィランは口を開いた。

「スレイ・ヴィオーリオ・チャントーマ。これは逮捕状です。これを持っている私は、貴方は逮捕することが出来ます。罪状は、誘拐。それに、人身売買に殺人ですかね」

「そんなものの意味がないと言っているのが分からないのですか? この国の王も、自警団も動いていない。それに、誘拐? 人身売買? 殺人? 何のことか分からないですね」

 解放されると思っているのだろう。スレイは強気な態度だ。しかしガヴィランは溜息を吐いて、スレイの前まで行くと、その場にしゃがみ逮捕状を見やすいように突きつけた。

 さらに、ガヴィランは逮捕状の3人の国王の名前が書かれている部分を指差した。スレイに至っては、それがどうしたと言いたげにガヴィランを睨みつけている。

 そんな態度のスレイに、ガヴィランはわざと大きく溜息を吐いた。そして、名前を指さしていたそれを僅かに下へとずらした。そこには何か文字が書かれており、それを見たスレイは目を見開いた。

「国王がいない国や、罪状によっては国王2名以上の名前が記載されていれば逮捕出来るなんて……知らない」

「そりゃそうでしょう。これは、ウェスイフール王国の国王がいなくなってから話し合いで決まったんだから。そして、今回うちの国の国王がクロイズ王国の国王に連絡して名前を書いても良いって許可をもらったんだよ。何故か、アクアセルシス王国の国王からは昨日手紙が来て、書いても良いと書いてあったらしい。どうやって知ったのかも分からないけど、どうしてそんなこと書いてあったんだか……」

 名前を書くということも、逮捕状を書いていることも何故知っていたのか。アクアセルシス王国とは一度も連絡をとったこともなければ、仲が良いわけでも悪いわけでもない。

 ただ、海の向こうの国ということもあって、交流が少ないのだ。それなのに、相手側から連絡をしてきた。逮捕状を書いたアレースは、何かあるかもしれないと思いながらも、有り難く名前を使わせてもらったのだ。国王の名前は多ければそれだけで良い。

 本来逮捕状は、自警団のボスかリーダーが書くのだ。しかし、今回のような場合は国王が書くのだ。国王の名前も、許可させてもらえば本人が書かなくても良い。他国の国王の名前を記載するため、国王が書くということは話し合いで決まったのだ。

 ガヴィランは立ち上がり、逮捕状を丸めると紐で縛り懐に仕舞った。スレイは血が出る程、唇を噛んでいた。そんなスレイを見て、ガヴィランはスレイに向けて言った。

「あんたはアレースを怒らせたんだ。直接ではないにしろ、スピカさんも殺しているようだし……。白龍誘拐ってだけでも怒っているのに、これを聞かせたら大変なことになるだろうな」

 そう言ってポケットから取り出したのは、黄緑色のビー玉だった。それは、ラアットが持っていたものだ。ガヴィランが2階に上がる前に、ラアットが渡したものだった。

「これは、魔力を送り込んでいる間だけ録音出来るって魔法玉なんだ。実は、私の部下が貴方の昔話しを録音していたんです」

 それを聞いて、スレイは青ざめた。それには、自分が話したこと全てが録音されているということだから。白龍を誘拐した証拠があるからエリスたちが来たのだと、スレイは分かっていた。

 しかし、人身売買をしていた証拠はないだろうと思ったと同時に、さらに青ざめる。何故なら人身売買の証拠である地下には、白龍がいるのだ。そして、その対である龍の姿がここにはない。もう見つけられていると考えて良いだろう。たとえ、録音をしていなくとも、地下には様々な証拠がそろっているのだ。白龍を見つけるということは、それら全てが見つかってしまうということになる。

 スレイは体から力を抜いて、小さく「くそっ」と呟いた。白龍を閉じ込める場所を変えれば良かった。もしくは、さっさとオークションで売ってしまえば良かったと考えても遅い。スレイは、どうやら逃げることは諦めたようで大人しくなった。

「リーダー」

 突然、廊下からガヴィランを呼ぶ声が聞こえた。扉が開いていたからなのか、自警団の男性が疑うこともなく部屋へと入ってきた。もしかすると、気配でこの部屋にいると分かったのかもしれない。

 振り返ったガヴィランは、男性を見ると右手を上げた。ガヴィランに1階にいたメイドや執事たちを片づけたことを告げる男性の顔色は少々悪い。

 それもそうだろう。たとえ生きてはいない者たちだとしても、しっかりと人間の形をしていたのだから。自らの手で頭に刃物を突き立てるか、首をはねなくてはいけないのだ。顔色も悪くなるのだろう。

「お疲れ。こっちも終わったから、スレイを連行する人を集めてくれ」

「はい。分かりました」

 そう言って男性は駆け足で1階へと下りて行った。足音から階段を落ちるのではないかと心配になるが、落ち音はしなかったので大丈夫だろう。

 足音を聞きながら、ガヴィラン懐から先程とは違う丸められた紙を取り出した。それを縛る紐は青かった。先程と同じように、スレイに見えるようにしてから口を開く。

「これは、捜索差押許可状。家宅捜査しても良いですよっていうもの。あんたはヴェルオウルに連行されるから、先に見せとくね。あ、立ち会いは出来ないから」

 そう言って丸めて縛ると、先程の男性が5人を連れて戻ってきた。懐に紙を仕舞うと、5人がスレイの元へ行けるようにとガヴィランは道を開いた。すると5人は、スレイが逃げないように肩や腕を押えた。それを確認して、黒麒はゆっくりとスレイから手を離して立ち上がった。

 5人は1人が取り出した縄でスレイの両腕を後ろで縛ると、立ち上がらせた。それを見たガヴィランは、青いビー玉を取り出して少しだけ魔力を送り込んで床に置いた。

 すると、僅かに光っていた青いビー玉が、突然さらに輝きだした。それを見てガヴィランは一度頷いた。

「では、先に戻ります」

「ああ、頼んだ」

「はい。分かりました」

 そう言うと5人は、スレイを連れて青いビー玉へと向かって歩き出した。すると、彼らはビー玉に吸い込まれてしまった。

「へえ。そうやって移動するの」

「そ。強く握れば、これを持ったまま移動も出来る」

 床に置いたビー玉を拾い上げてポケットに仕舞うと、ガヴィランは廊下へと向かって行く。エリスたちも、ここではもうすることもないので黙ってガヴィランの後ろについて行く。

 階段を下りるガヴィランは、1階にいる自警団たちを見て一度小さく頷いた。2階からガヴィランが下りてきたことに気がついた彼らは、姿勢を正して黙ってガヴィランを待った。

 ガヴィランは階段を下りて、全員の顔を見る。そこには、ラアットもいる。彼は白龍と話すこともなく黙っている。下りてきたエリスたちを見て駆け寄る白美にも何も言わなかった。

「スレイは捕らえて、自警団本部に連行した。ここには数人だけ残って、明日から家宅捜査に入る」

「何人残るんですか?」

「そうだな……6人くらいで大丈夫だろう。それで白龍ちゃんは見つかったのか?」

「ああ、見つかったよ」

 ガヴィランの言葉に返したのは、白龍を抱きかかえて地下から現れた龍だった。その後ろには、龍の服を右手で強く掴むツェルンアイがいた。その目は、地下から地上に出た途端に眩しさから細められた。

 今は夜で、月明かりのみで屋敷を照らしているといっても、彼女はずっと地下ですごしていたのだ。月明かりであっても、眩しく感じてしまうのだ。

 その後ろにはリシャーナがいるが、それ以外は誰もいなかった。リシャーナの顔は、少々顔色が悪いようにも見える。

「そうか。見つかって良かった」

「牢屋に戻ったらまた泣きつかれてな。今は泣き疲れて寝てる」

 そう言って近づいてきたガヴィランに、白龍の寝顔を見せる。目の下を赤くして眠る白龍に微笑むと、龍の後ろにいるツェルンアイを見た。頭のてっぺんから、足の爪先までを見て目を合わせて一度に頷いた。

「彼女は白龍ちゃんと一緒にいたのかな?」

「ああ。良く分かったな」

「一緒についてきてるからな。それで……他は?」

「……行けば分かるわ。ただ、色々覚悟してね」

「分かった。行くぞ」

 振り返りそう言ったガヴィランはリシャーナに鍵を渡されたが、証拠品として受け取りポケットに仕舞うと地下へと下りて行く。その後ろに10人がついて行く。残った自警団は6人。その6人が屋敷に残るのだろう。そしてラアットは地下に下りる気もないようで、白美とまた話しをしている。ラアットはエリスたちの護衛としているため、残った6人とは違い残ることもしないのだろう。

 ラアットがここにいるのなら、龍は二つ疑問に思ったことを尋ねてみることにした。まだツェルンアイが手を離してくれないので、一緒にラアットの元に向かう。

「なんで自警団がこんなにいるんだ?」

「俺が持ってた青い魔法玉があっただろう」

 そう言ってラアットは説明をした。ずっとビー玉をいじっていた意味は特になく、移動アイテムであったのだと。庭に投げたのは、何人が来るのか分からなかったからだ。

 屋敷の中よりも庭の方が広いため、もしも大勢が来たときのことを考えてそこに投げたのだ。庭であれば、屋敷内よりも狭く感じることはないと考えたのだ。

「もう一つ。あの男は誰だ?」

「あの男ってガヴィランのこと? メモリア先生と映ってたじゃない」

「え……」

 エリスの言葉に龍は固まってしまう。何故なら、ルーズの記憶である映像にメモリアと共に映っていたのは、ルーズの殺人現場にいた男だったからだ。

 しかし、あの映像の男と先程のガヴィランは別人に見えた。言葉遣いも違うし、雰囲気も別人だ。アレースが国王だということを隠していたように、彼も本当の自分を隠してたとでもいうのだろうか。それとも、龍を信じていなかったから態度が違ったのか。

 考えても分かるはずがない。龍が首を傾げながら、もしも聞く機会があれば今度ガヴィランに聞いてみようと思った。

「ところで、その人誰?」

 龍の後ろにいるツェルンアイを覗き込みながら、白美が尋ねる。見たことのない人よりの獣人が気になるのだろう。白美はツェルンアイの目を見て、何かに気がついたかのように目を見開いた。

 そして、にっこりと微笑んだ。そしてもう一度、ツェルンアイの髪を見て目を見てから頷いた。そんな白美を見て、ツェルンアイは自分が災いをもたらす存在だということを知っているのだと気がついた。

「あたしは白美。白い『九尾の狐』だよ。青い目だから不吉だって言われてるんだ。でね、その人は龍くん。この間まであたしと同じ不吉な存在だったんだよ」

「白美も不吉じゃなくなったんじゃないのか」

「え? あたしみたいな青い目の白い『九尾の狐』は何故か知らないけど、何処に行っても不吉なんだよ。それで、貴方は誰?」

 龍の言葉に背筋を伸ばして、目を見て答えた白美も何故不吉なのか知らないため首を傾げた。そしてもう一度、ツェルンアイを覗き込むようにして尋ねた。

 その言葉を聞いた龍は少し後ろを見た。服を掴まれているため、振り返ることは出来ないのだ。だが、龍とツェルンアイの目が合う。何かを言おうとしてツェルンアイは口を開いたが、すぐに俯いてしまう。

 龍の服を力強く握り、ゆっくりと息を吐いてから顔を上げた。黙ってツェルンアイを見ていた龍とまた目が合う。そして、ゆっくりと息を吸い込み口を開いた。

「私はツェルンアイ・ガリン・ゲンファー。これでも、ハイイロオオカミの獣人です」

「ハイイロオオカミなのか。俺は龍。『黒龍』だ。この子は白龍。名前の通り『白龍』だ」

「やっぱり、ただの人間じゃなかったのね。貴方も白龍と同じで神みたいなものだったのね」

 眠る白龍を見つめて言うツェルンアイを、エリスは黙って見つめていた。スレイが執着していたのだ。何かあるのかと思いずっと見ているのだが、髪が赤くオッドアイという以外特に変わりはない。

 右目が金色で、左目が青色をしているため綺麗だとエリスは思ったが、それだけで執着するとは思えなかった。しかし、スレイ本人ではないのだから考えても分からないとエリスは首を横に振った。

 靴音が聞こえ、ガヴィランが1人で地下から戻ってきた。その顔色は先程とは違い、良いとは言えなかった。一度視線をツェルンアイへ向けたが、5歩ゆっくりと歩き息を吐いた。

「うん。……思っていた以上だった」

「だから、覚悟してって言ったでしょ」

「……まともに話せそうなのは、白龍ちゃんと、そこの彼女くらいかな」

 そう言ってしっかりとツェルンアイを見て、ガヴィランはツェルンアイに近づいた。龍とリシャーナは、自分の目で見たので地下の奥がどのようになっているのかを知っている。

 もしも、エリスや白美がこれから地下に下りると言ったら絶対に止めるだろう。空気もあまり良くない。それに、もしかすると白美は気がついているかもしれないが、地下に捕らえられている全員が生きているわけではないのだ。

「さて、俺たちは地下の人たちを保護する。帰る場所があるのなら、落ち着いたらそこへ届けることになるだろう。まあ、落ち着くことがあるのかも分からないがな」

「帰る場所がない方々はどうするのですか?」

「それは分からない。本人たちの希望するところへ送るし、ヴェルリオ王国で働きたいなら、手助けをする」

「それが出来るなら良いけど……」

 小さく呟いたリシャーナの言葉は全員に聞こえていた。しかし、そのことに誰も何も言わなかった。リシャーナのその言葉で、地下にいる人たちが、どのような状況なのかを少しだけだとしても分かってしまったのだから。

「それで、あんたなんだが……」

「ガヴィラン。彼女、暫く私の家で保護しても良いかしら」

「え?」

「白龍を守ってくれたお礼もしたいし、事情聴取だってまだ出来ないでしょ? 帰りたい場所があるなら、それが終わったら帰っても良いし。どうかしら」

「どうかしらって……俺は構わないが……」

 エリスの言葉に、ガヴィランはツェルンアイを見た。それを決めるのはガヴィランではなく、ツェルンアイなのだ。だから、エリスの提案はどうかという意味を込めてツェルンアイを見たのだ。

 しかし、ツェルンアイは数回瞬きをしただけだった。もしかすると、エリスの言葉に驚いているのかもしれない。だが、白龍を守ってくれていたことにお礼をしたいのはエリスだけではない。全員がお礼をしたいのだ。だから、エリスの提案に異を唱えることもなかったのだ。

 エリスたちの視線が、ツェルンアイに集中する。また数回瞬きをして、漸くツェルンアイは口を開いた。

「良いの?」

「ええ。部屋に空きがあるから大丈夫よ」

「それじゃあ……お世話になります」

 そう言ってツェルンアイは龍の背中にくっついた。何故背中にくっつくのかと疑問に思う龍だったが、他の人たちからは彼女の顔が見えていた。少々赤いその顔が。風邪を引いて顔が赤いのではないと、誰もが気がついていた。

「ん。じゃあ、とりあえず今日は帰って休め。何かあるなら頼まれてやるけど……何かあるか?」

「私たちの泊まっていたど宿なんだけど……」

「ああ、宿関係はすでに向かってる奴らがいる。エリスたちが泊まった宿にも向かってるはずだ。国王がいないから、他国の連中で暫くこの国を纏めようと動き出しているところなんだ」

 そう言うとガヴィランは軽く魔力を込めて、青いビー玉を自分の足元に置いた。それは、先程より少し時間がたってから輝きだした。

 深夜を回っているため、対である魔法玉を持っている人物も眠っているのかもしれない。いくら自警団であっても、眠ければ眠るだろう。それは生きているのだから仕方がないことだ。眠っていたとしても、反応するということは熟睡はしていないということなのだろう。

 反応が遅かったことにガヴィランは首を傾げたが、エリスたちは気にすることがなかった。護衛として一緒にいるラアットが、自宅までしっかりと護衛をしてくれるようで、先に歩いて光りの中へと消えてしまった。その後ろに、白美とリシャーナが続いた。

「宿の部屋に服が入った紙袋があるから、忘れずに回収をよろしくね」

 笑顔で言いながら手を振るエリスも、光りの中へと消えて行った。後ろに続く黒麒は、ガヴィランに一度頭を下げた。ユキはガヴィランを見上げ、残っている龍とその腕に抱かれている白龍、そしてツェルンアイを見つめてからゆっくりと光りの中へと進んで行った。

「ほら、龍も行け。もたもたしてると戻るのは俺たちと一緒になるぞ。聞きたいこともあるだろうが、また今度な。あんたも、暫くはゆっくりしていればいい。あ、それと、はじめて会ったときは冷たい態度で悪かった。じゃあ、おやすみ」

「ああ。おやすみ」

 頭を下げて言ったガヴィランに、だから別人のように感じたのかと納得した。龍はガヴィランに同じように言葉を返すと、頭を下げて光りへと向かって歩き出した。服を握っているツェルンアイも、離れることなく後ろについてくる。視界が白くなり、5歩前へ進んで足を止めた。何かにぶつかるかもしれないと考えたからだ。だが5歩進んだのは、後ろにいるツェルンアイがもしかするとウェスイフール王国に残されてしまうかもしれないと考えたからだ。

 数回瞬きをすると、白かった視界が色づいてくる。龍の足元にはユキが大人しく座っており、何も言わずに龍を見上げていた。そこにはじめからいたのか、それとも龍たちが来たため近づいてきたのかは分からない。もしも、はじめからそこにいたのなら、蹴飛ばさなくて良かったと龍は思った。

「白龍はどう?」

「落ち着いて眠ってる。心配はないよ」

「そう」

「あら、来たわね。馬車を用意してもらったわ。乗って帰りましょう」

 ユキと話していると、エリスが声をかけてきた。馬車を用意してもらったと言うエリスの言葉に龍は周りを見渡した。石造りの建物がそばに建っており、龍は広い庭に立っていた。どうやら、この石造りの建物が自警団本部のようだ。白美は良く来ているが、龍が来たのははじめてだった。この広い庭で、自警団は訓練をするのか。それとも、訓練場は別にあるのか。龍には分からなかった。

 ゆっくりと龍は歩き出したが、足元に置いてある青いビー玉をツェルンアイは左手で拾った。それは、もう光ってはいなかった。ツェルンアイはそれをどうすれば良いのかと思っていると、前方から馬車の音が聞こえてきたため、顔をあげてそちらを見た。まだ完全には止まらず僅かに動いている馬車の問いらを開いて中から、1人の男が姿を現した。男性は扉を閉めて、小さく欠伸をした。

 馬車には馭者としてラアットが乗っていたが、馬車を止めると下りてすぐに男性が閉めた扉を開いた。男は、開かれた扉のそばでもう一度小さな欠伸をしている。

 リシャーナが何も言わずに馬車に乗ると、その後ろに白美が続く。ユキ、エリス、黒麒の順番で乗ると、龍は服を掴んだままのツェルンアイに先に乗るように促した。龍の目を見て頷いたツェルンアイは、龍の服から手を離しゆっくりと馬車に近づいた。

 馬車に乗ることに、僅かながらに恐怖があるツェルンアイ。何故なら、馬車に乗りオークション会場へと連れて行かれたのだ。これに乗ることによって、また引き離されるのではないかと思ってしまうのだ。だが龍がいるのなら大丈夫だと自分に言い聞かせて、馬車に乗ろうとゆっくりと歩いた。そして、馬車に乗るために足を上げようとした。だが、その前にツェルンアイは声をかけられてしまう。声をかけてきたのは、扉のそばにいた男性だった。

「申し訳ないけど、それは渡してもらえるかい?」

「え? あ、はい」

 それと言って男が指差したのは、ツェルンアイの左手だった。そこには、先程拾った魔法玉が握られている。素直にツェルンアイが男性に手渡すと、男性は眠たそうな顔をしながら口を開いた。

「拾ってくれてありがとう」

「いいえ……」

 それだけを言うと、ツェルンアイは馬車に乗った。エリスたちが左のイスに座っていたので、開いている右のイスに座った。すると、龍もツェルンアイの横に座った。空いている場所がそこしかなかったということもある。

 床に座っていたユキは、龍の左側が空いているのを見て、躊躇うことなくイスに上がった。いつもであれば、そんなことはしないし、たとえ乗ったらエリスに怒られてしまう。家のソファに乗ることは怒られないが、馬車は多くの人たちが乗るから怒られるのだ。次に乗る人が、イスが汚れていたら良い気分ではないだろう。だから、ユキを馬車のイスにはあまり座らせないし、そう言い聞かせているのだ。たとえ言い聞かせていなくとも、ユキもエリスの言いたいことは理解しているため座ることはない。

 だが、ユキも白龍を心配していることを知っているために、今回はエリスも怒らない。エリスたちは白龍の顔を見ることが出来たが、ユキは下から見上げることしかしていないため、白龍の顔をまだ見ていなかったのだ。だから、ユキも白龍の顔を見たく、何度も龍を見上げていたのだ。自分から見たいとは言わず、態度で示していたのだが、龍がそれに気がつくことはなかったのだ。

 落ち着いて眠っている白龍を見たユキは、白龍を起こさないように自分の頭を白龍の顔にすり寄せた。そして、そのままイスに伏せて目を閉じた。

 それを見ていたラアットは出発することを告げて、白龍を起こさないように静かに扉を閉めた。すぐに馬車は動き出した。それに少し驚いたツェルンアイは、龍の右腕を掴んだが何も言われなかった。強く掴んでしまったのだが、龍は気にしていなかった。馬車に乗るときのツェルンアイを見て、馬車にあまり良い思い出がないということに気がついていたからだ。たとえ、腕を強く掴まれても、それで落ち着くなら強く掴まれても構わなかったのだ。

「帰ったらツェルンアイの怪我の治療してあげるね」

 正面に座る白美が、ツェルンアイに微笑んで言う。そんな白美に、ツェルンアイは一度頷いて窓の外を見た。久しぶりの外、そしてはじめて見る景色。はじめて馬車に乗ったときには見ることが出来なかった景色を黙って見つめる。

 黙って外を見つめるツェルンアイに気づかれないように、龍は彼女を見ていた。どこから来たのか、そして今後彼女はどうするのかと考えて欠伸を一つする。掴まれている腕に、先程よりも力が入っていないことに少し安心して、龍は正面を見た。

 いつの間にか目を閉じているエリスを見て、龍も目を閉じた。自宅には20分程でつくだろうと窓の外の景色を見て思ったが、今は少し眠りたいと思ったのだ。家についたら白龍をベッドに運ばなくてはいけない。このまま起きていても問題なく白龍を運ぶことは出来るのだが、少し休みたかったのだ。

 景色を見ていたツェルンアイは龍が目を閉じているのを見て、ゆっくりと龍の肩に凭れ掛かった。両手で腕を軽く掴み、目を閉じると安心することが出来た。それを見ていたのは、馬車内で唯一目を開いていた黒麒だけだった。








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