真実5







******





 ウェスイフール王国のスレイの屋敷で暮らしはじめて、苦労はとくになかった。スピカの部屋は、スレイの隣だった。スピカの荷物は執事が運び、鳥籠はスピカが運ぶ。メイドたちに以前案内してもらっていなかった場所を案内してもらい、荷物を運び終わった部屋へと入る。

 その部屋は作りや揃えられているものはスレイやスレイの両親、メイド達の部屋と変わりはない。ベッドもクローゼットもあり、本棚もある。メイドに手伝ってもらい、荷物を仕舞っていく。ポポは日当たりの良い窓で、鳥籠から出て眠っていた。

 荷物も全て仕舞い、落ち着いたときスレイはスピカの部屋をノックした。メイドたちの紹介をしたかったのだ。夕食の時間でもあったため、食堂で紹介することにした。

 人数が多いため、顔と名前はすぐに覚えられないだろうと思っていたのだが、スピカはすぐに覚えてしまった。ただ、スピカは1人のメイドのことがとても気になってしまっていた。それは、ジェラ・シーア。彼女はスピカを睨みつけるようにして見ていたのだ。スピカでなくても、睨みつけられていたら気になるだろう。

 それは、屋敷に住むようになってからずっと変わることはなかった。そして、屋敷に住むようになって分かったことがあった。シーアが以前屋敷に来たときもいたこと。そして、スレイが好きだということ。スピカもスレイが好きで、結婚して夫婦になったのだから気がつくことが出来たのだ。

 しかし、シーアの好意は一方的だった。別に浮気をしているわけではないと見ていて分かることではあった。それにメイドや執事がいつもの事だから気にしなくても良いと言っていたのだ。だから、気にすることはなかった。あの言葉を聞くまでは。

「ずっと言わないつもりですか?」

 いったい何のことか。書斎から読みたい本を一冊持って、部屋に戻ろうとしていたところに聞こえてきたシーアの声。彼女の声色から、話し相手はスレイだということが分かる。メイドや執事と話している声とも違う。

 嬉しそうに弾む声。シーアはスピカと話すときは、まるで見下すようにして話す。実際シーアの方が身長が高いため、見下ろしてくるのだ。しかも、睨みながら低い声なのだ。だからスピカは、シーアが自分のことを嫌いだと分かった。

 それもそうだろう。自分の好きな人をとった者なのだから。その人が好きな人の妻となり、一緒に暮らすなんてシーアは認められないのだろう。それは、半年近くたった今でも変わらないようだ。

「何のことだ?」

「えー、あれのことですよー」

 2人から見えない曲がり角で本を両手で抱きしめながら、息を殺して話しを聞く。あれとはいったい何のことか分からないスピカだったが、どうやらスレイは何のことか分かったようだ。

「ああ、あれのことか。言うつもりはないよ。だって、約束を破っているとバレてしまうじゃないか」

「もしかして、今日の夜も行くんですか?」

 話しをしながら遠ざかる声。いったい何のことなのか、スピカは分かってしまった。だが、証拠がない。一度小さく咳をする。すると、一度だけと思っていたら止まらず三度咳が出てしまう。

 屋敷に来た翌日に、疲労により一週間寝込んでしまったことを、右手で口を押さえながらスピカは思い出した。近くに誰もいないことは分かっているのだが、咳をしたらメイドや執事が心配するのでなるべく聞かせたくないのだ。だから、出来るだけ咳を押えようとする。

 屋敷に来てすぐに迷惑をかけてしまっていることもある。だが、それだけではない。実は、数日前からあまり体調が良くないのだ。それがバレてしまうのが嫌だったのだ。

 屋敷に来てからスピカは、家事を何もしていない。城にいた頃も、メイドや執事がやっていたのでやらせてもらえなかった。それだけではなく、体調を崩すという理由もあり、家事をやらせてもらえなかったのだ。

 それはここでも同じ。料理をすることも出来ない。結婚したのに、スレイは仕事でいないこともあり、妻として何かをしているわけでもない。それでも、付き合っていた頃より一緒にいることが長くなった。スレイはそれだけでも良いと言うが、スピカは妻として何かをしたかったのだ。

 だが、それが出来ない。夜、寝る前に何度もどうすれば良いのかを悩んだが良い案が浮かぶことはなかった。メイドや執事に頼んでも、スレイに怒られるからと断られてしまうのだ。それは仕方のないこと。この屋敷の主人はスレイで、スピカではない。スレイの言いつけは絶対でもある。もしもメイドや執事たちが家事を手伝わせて、スピカが熱でも出してしまったら大変だ。

 そうならないようにしたくても、スピカの意思ではどうすることも出来ないのだ。そして、ある日の夜。偶然スピカは夜中に目を覚ました。

 そして、水を飲もうと廊下へ出たときにスレイの声を聞いたのだ。出かけていたスレイが帰って来たと知り、出迎えようと階段を下りる。声の大きさからすでに玄関にいたようなので、もしかすると階段で鉢合わせするかもしれないと考えていたのだが、そんなことはなかった。

 それどころか、玄関にはスレイの姿がなかった。その代わりに執事長とメイド長がそこにはいたのだ。スピカの姿に驚く2人に、スレイのことを尋ねるが、まだ帰宅していないと答えられてしまう。

 そんなことが、その日だけではなく他の日にも何度かあった。それどころか、昼間でさえスレイの事を見失うことが何度もあったのだ。考えてみれば、見失うのはいつも玄関の近く。外に行ったのかと考えたこともあるが、玄関の扉が開かれた音がしなかったのでそれはないだろう。ならば、何処に消えたのか。それは分からなかった。

 もう一度咳をすると、スピカはスレイとシーアがいないことを確認して部屋へと向かう。本を読もうと考えていたが、部屋に入ると机に向かい本を置いて、ポポの足につけている筒用の紙を引き出しから取り出した。その紙を見たからなのか、ポポはスピカの元へと飛んできて、肩に乗った。それを気にすることなく、スピカは文字を書いていく。

『まだ本当かは分からない。次の手紙を書くときには、本当かどうか分かっているはず。いったい何のことなのか。ポポに運ばせる手紙と、郵便配達員が運ぶ二種類の手紙を書く。内容は同じ』

 最後に手紙を送る日付も書いて、机に下りたポポの足につけている筒の中へ紙を丸めて入れる。そうして、窓を開くとポポは飛んで行く。向かうのはアレースの元だ。スピカはスレイの元に嫁いでからは、アレースと手紙のやり取りをしていた。手紙のやりとりと言っても、ポポを飛ばすので、スピカが手紙を書かなければやり取りはない。アレースはスピカから手紙がくるとすぐに返事を書くのだ。

 ポポが戻ってくるまでスピカは書斎から持ってきた本を読んでいた。読むといっても、頭には入ってこないためページを捲るスピードはとても遅い。

 先程書いた手紙の意味は通じただろうか。走り書きだったため、文字を読むことは出来ただろうか。そのことばかり考えてしまう。ポポをアレースの元へ飛ばして数時間。ずっとそのことばかり考えていたが、窓をノックされて顔を上げた。窓を見ると、そこにはポポがいた。

 イスから立ち上がり、窓を開くと、ポポはスピカの肩に乗った。窓を閉めて机へと向かい、イスに座るとポポは肩から下りてスピカを見上げた。

「お疲れ様、ポポ」

 そう言って頭を撫でてあげると、夕方で冷えてきている所為かポポの頭はとても冷たかった。筒から手紙を取り出し開くと、そこには先程のスピカの文字とは全く違う綺麗な文字が並んでいた。

『何が言いたいのか、なんとなく分かった。だが、無茶だけはしないでくれ。スピカに何かあったら、皆が悲しむ。次の手紙を待つ』

「分かってるよ」

 そう書かれていた手紙に、届くはずもない返事をする。分かってはいるのだが、本当にそうなのかをたしかめるには、少しでも無茶をしなくてはいけないのだ。だから、スピカはその日から行動した。

 スレイが夜に出かける日は起きて待っていた。夜に出かけると、必ずといっても良い程日付が過ぎてから帰ってくるのだ。だから帰ってきたときに確認しようとしたのだ。他に誰かがスレイと一緒にいないかと。

 しかし、スピカの考えが分かっているのか、スレイはいつも1人で帰ってきた。出かけるときも1人なのだから、当たり前だといえば当たり前ではある。

 それならばと、昼間にスレイを監視することにした。だが、スレイが何かを話したのか、監視しようとしたらメイドや執事に話しかけられるのだ。話しかけられるのはいつも、スレイのあとを隠れて追っているときだ。スレイ本人がつけられていることに気がつかなくても、メイドや執事に気がつかれるのだ。本当にスレイが気がついていないのかは分からない。

もしかすると、メイドと執事たちはスピカを心配して声をかけるのかもしれない。いつもと様子の違うスピカに、体調が悪いと思ってのことかもしれない。もしも本当にスピカの体調が悪ければ、医者を呼びに行くか病院に行かなくてはいけないのだから。だから、話しかけてくるのは仕方がないのかもしれなかった。

 それでも、邪魔をされているように感じるのは、自分が秘密を暴こうとしているからなのだろう。そんなことをしなければ、話しかけられても邪魔をされていると感じることはないのだから。スピカは小さく息を吐いた。

 次の手紙を書く日は明日なのだ。アレースに手紙を書いてから一週間がたっていたが、まだ証拠を掴んでいなかった。どうしようかと考えていたとき、視界にある人物が見えて、思わず見られないようにと隠れてしまった。

 思わず隠れてしまったが、料理を乗せたお盆を持って歩く3人のコックを見たらそうして良かったのではないかと思えた。彼らに気づかれないようにあとを追う。このとき、何故かメイドや執事に会うことも声をかけられることもなかった。

 1人のコックが一つの壁を押す。すると、その壁がへこみ横へとスライドして開いた。どうやら隠し扉になっていたようだ。何度もそこを通っていたが、扉はあることに気がつくことはなかった。

 その壁の先は階段があるようで、右へ向かって下りていく姿が見えた。そして、僅かではあるがそこから声が聞こえてきた。その声は小さかったが、女性のもので助けを求めるものだった。

 助けたかったが、スピカ1人ではどうすることも出来ない。だから、アレースに手伝ってもらおうと考えた。スピカはもしかしたらと考えていたが、本当に奴隷がいるとは思っていなかったのだ。スレイは違うと思っていた。この国の人たちのように、家に奴隷がいるとはまったく考えもしなかったのだ。

 3人が出てきて、扉を閉めて立ち去る。その手には何も持っていなかった。スピカは3人がいなくなるまで、息を殺していた。そして、3人が食堂の近くにいることを確認して階段を上り、急いで自室へと戻った。

 すぐに手紙を書きたかったが、すでに夕方になっており郵便の受付も今日は終わっている。ポポにアレースの元へ飛んでもらうにしても、これから暗くなるため危険で頼むことは出来ない。

 もしかすると、誰かに見られるかもしれないので手紙は明日書くことにして、今は本を読もうとイスに座った。明日、誰かに言って手紙を出しに行こうかと考えたが、代わりに出すと言われるだろうことは分かる。

 けれど、それは自分で出さなくてはいけない。出したことを、この目でたしかめたかったのだ。それに、無いとは思うが手紙の内容を確認される可能性もある。だから、自分で出しに行きたいのだ。

 暫くすると、扉がノックされ夕食の準備ができたことを告げられる。返事をして本に栞をはさみ、閉じてイスから立ち上がると扉へと向かった。扉を開くと、そこにいたのはシーアだった。今まで一度もシーアが呼びに来たことなんてなかったためスピカは驚いた。もしかしたら、奴隷がいることに気がついたから何かを言いに来たのかと思ったが、本当に夕食の準備が出来たため呼びに来ただけのようだった。

 食堂まで2人は何も話しはしなかった。だが、何故かシーアは嬉しそうに、笑顔を浮かべていた。それが、とても不気味で仕方がなかった。スピカはシーアのここまでの笑顔を一度も見たことがなかったからそう感じたのだろう。

 シーアが食堂の扉を開くと、すでにスレイは座ってスピカを待っていた。メイドや執事は2人が食べ終わったあとに交代で食事をとるため、何かあったときに対応出来るようにと近くに立っていた。

 スピカの食事が用意されている席の近くに立っていた執事長が、歩いてくるスピカが座れるようにとイスを引く。お礼を言ってイスに座り、スピカが両手を合わせて夕食を食べようとしたとき、スレイが口を開いた。

「明日は朝から仕事で屋敷を留守にする。帰ってこれるのは翌日のお昼頃になる」

「そう……。最近は忙しそうね。無理しないでね?」

「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。さあ、料理が冷めてしまう前に食べてしまおうか」

 そう言って2人は料理を食べはじめた。スピカは料理を食べながら、ずっと読んでいた医学の本を読み終えたことを話した。その本は、はじめてこの屋敷に来たときに読みたいと思っていたものだった。分厚い本でもあり、体調も悪くなり読めない日もあったため、読み終わるまで半年近くかかってしまった。

 専門用語もあり、調べながら読んでいたため時間がかかったというのもあった。もう一冊読みたい本を見つけたので、今はその本を読んでいること。

 別のことを考えていて、頭に入ってこないことは言わなかった。言ってしまえば、何を考えていたのかと問われるからだ。そうなってしまえば、思わず奴隷のことを口走ってしまうかもしれない。それは、言ってはいけないのだ。言ってしまえば、どうなるのかは分からない。

 スレイも奴隷のことを話さずにずっと黙っているのだから、バレたくないのだろう。もしもスピカが知ってしまえば、たとえスレイでも何をするか分からない。食事中スレイは自分のことは何も話さなかった。スピカが一方的にずっと話しをしていたからだ。

 食事を終えると、スピカは先に自室へと戻って行った。少し体調が良くなかったのだ。だが、それは言わなかった。言ってしまうと、必ず誰かが近くにいるからだ。それでは、明日手紙を出しに行くことも出来なくなってしまう。だから、黙って気づかれないようにと早々に部屋へと戻ったのだ。

 食器を片づけるメイドと執事を見ながら、スレイは口元に笑みを浮かべた。先程までスピカが座っていたイスにシーアが何も言わずに座る。それを待っていたかのように、スレイは口を開いた。

「どうでした?」

 その口には笑みが浮かんでいた。しかし、スピカに向けるような笑みではなく、何かを企んでいるような笑みだった。メイドや執事たちは何も言わずに、自分たちの食事の準備をしていく。

 今のような笑みを浮かべるスレイに、メイドと執事たちは関わりたくないのだ。スレイがそのような笑みを浮かべている場合、良からぬことが起こる可能性が高いのだ。それを知っているから、シーア以外は聞いていないふりをする。

「私がはじめて呼びに来たから、とても驚いていましたよ。それに……知っちゃったみたいだよ。あっははは」

 驚いた顔のスピカを思い出して、シーアは笑いを堪えていたが、スレイが隠していたことを知られたと言って笑った。奴隷がいると知ったから、夕食の準備が出来たと知らせに来たシーアを見て何かを言いに来たと思っていたスピカ。

 だが、本当はスレイが最近スピカの様子がおかしいから、夕食に呼びに行って心を読んでほしいとシーアに頼んだのだ。シーアは心を読むことが出来る。だから、スレイはシーアをメイドにしたとも言える。何かあったときに役に立つかもしれないからと。

 しかし、それを知っているのはスレイしかいない。心を読まれることを良しとしない者も多い。それに、シーアはスレイが言ったときだけ心を読むのだから言う必要もないのだ。いつでも誰の心でも読んでいるわけでもないのだから、教える必要はないと考えたのだ。シーアをメイドにした理由が、他にもあったとしても言う必要なはい。

「それにね、明日アレース国王に手紙を書いて出すんだって。自分で出しに行くのと、あの鳥が届ける手紙の二つ」

「へえー……」

 スレイの静かな声に、食堂にいた全員の動きが止まる。温度が下がったように感じるのは、スレイが顔から表情を消したからだろう。どうやらシーアの言葉から、スピカが明日何をするのかを知り機嫌が悪くなったようだ。

 条件は破っていない。だが、アレースたちはこの屋敷に奴隷がいることを知らないのだ。知ってしまったら、条件を破っていなくても良い顔はしないだろう。たとえ結婚をしてからは、奴隷を買っていないとしてもだ。

「……シーアは銃の腕が良かったよな」

「うん。私を護衛にってそばに置くつもりだった理由がそれでしょ?」

 スレイがシーアを屋敷に連れて来た理由は護衛のためだったのだ。銃であればどのようなものでも使用できるシーアが護衛であれば安心できると思っていた。だが、シーアはスレイ中心に考える。そのため、女性に近づけば睨みつけるような護衛は邪魔だった。それに、シーアをそばに置くようになって気がついた。護衛が必要になる程、危険な目に遭うことはなかったのだ。

 だから、メイドとして屋敷に置くようになった。この世界では数少ない武器である銃を使える存在は大変貴重ではあった。銃を見たことがある者も少ない程に、銃という武器は数が無いのだ。だが護衛の必要がないのならば、そばに置く必要はない。だが、何かあったときのために置いておきたかった。たとえ役に立たなくともだ。

「シーア、銃を使っても良いからな」

「え?それって……」

「信じているよ。シーア」

 シーアの耳元で囁くように言った。それだけでシーアはとても幸せだった。たとえスレイが結婚していようとも、今は自分を必要としてくれているから。

 その言葉の意味が、良くないものであろうともシーアが気にすることはない。嬉しそうに微笑むシーアの頭を撫でて、スレイは静かに立ち上がった。

 自分たちの夕食の準備をしているメイドと執事に挨拶をして食堂を出て行くスレイ。2人の会話を聞いていた者は誰もいなかった。聞きたくとも、声が小さくて聞こえなかったとも言える。たとえ、聞こえていたとしても聞こえないふりをしていただろう。それだけ、誰も今のスレイに関わりたくなかったのだ。

 そして、メイドと執事たちは交代で夕食をとった。スレイは明日の準備をして早々に就寝した。ただ、シーア宛ての手紙を書いて明日出かける前に渡そうとだけ考えて。

 スピカはこれ以上体調が悪くならないようにと、ベッドに横になっていた。だが眠れるはずもなかった。太陽が沈んでいるとは言っても、まだ寝るには早いのだ。何も考えずに、枕元で体を膨らませて眠るポポを撫でる。

 今日は風が冷たい所為か、屋敷の内も冷えている。もしかすると、それが原因で体調が悪いのかもしれない。

 ――明日、雨でも降るのかな?

 雨が降ると、気温が下がってしまうため体調はさらに悪化してしまう。朝起きて雨が降っていなければ良いと思い、布団をかけて目を閉じた。

 次に目を開くと、すでに朝になっていた。ベッドの上に起き上がり、窓の外を見ると雨は降っていなかったが曇っていた。今にも降りだしそうというわけではないが、少し気温が低いようだ。枕元にいたポポがいつの間にか布団に潜っていたようで、スピカが起き上がったことにより目を覚ましたようだった。

「おはよう、ポポ」

「ポポッポ……」

 どうやら寝ぼけているらしいポポを撫でながら挨拶をする。嬉しそうに目を細めるポポに微笑むとスピカは床に足を下ろして、着替えるためにクローゼットへと向かった。

 昨日は着替えずに眠ってしまったため、服に皺のあとが残ってしまっている。今日は手紙を出しに行くので、動きやすい格好をしようと、クローゼットの中から数少ないズボンを取り出した。

 それに着替えて、部屋から出ようとするとノックの音が聞こえたので返事をすると扉が開かれた。そこにいたのはメイド長だった。メイド長を見て、スピカは丁度良いと思い食事は部屋でとることを告げた。

 体調が悪いのかと聞かれたが、本が読みたいだけだと答えた。とくに怪しまれることもなく、スピカの言葉にメイド長は頷いた。ときどきスピカは本を読むことに集中するために部屋で食事をとることがあるのだ。そのため、持ってきた食事は部屋の前に置かれたままになっていることが多い。

 だから、持ってきた食事に手をつけていないことに怪しまれないように食事を持ってきてもらうことにしたのだ。たとえ夕食までに帰宅が間に合わなくても部屋を覗く者もいない。

 早朝にスレイが出かけたことをスピカに告げると、メイド長は頭を下げて扉を閉めた。遠ざかっていく足音を聞いて、スピカは引き出しを開けた。今日出す手紙を書かなくてはいけないのだ。ポポの足についている筒にも同じ内容のものを入れるため、短い文章にまとめなくてはいけない。

 便箋を取り出して、引き出しを閉めるとイスに座った。手紙を書いて出しに行かなければいけない。誰が何処で見ているかも分からないのだ。近くに本を置いて手紙の内容を考えはじめた。

 漸く手紙を書き終え、ポポの足についている筒用の紙を手にしたとき、窓の外を見た。そこでかなり時間がたっていることに気がついた。

 起床したのは午前9時前ではあったが、今は太陽の位置からお昼をすぎている。短い文章を考えるにも、体調不良のせいか頭が回らなかった。気晴らしにと本を読んでいたので、その所為で時間がかかってしまったようだ。

 イスから立ち上がり扉を開くと、いつの間にか皿に乗ったサンドウィッチが置いてあった。自分では気がつかなかったが、置いていったときにノックをして声をかけていたはずだ。皿を手に取り、扉を閉めてイスに座る。机に皿を置いて、手紙を書くことを後回しにしてサンドウィッチを食べはじめる。

 ポポも自分の鳥籠に戻り、昼食を食べている。それを見ながら全てを食べ終えると、皿を廊下に置くために立ち上がった。扉を開いて廊下を見ると、そこには誰もいなかった。いつもなら掃除をしているメイドがいるのだが、その姿はなかった。たとえお昼どきであっても誰もいないということは今までなかった。そのことが気になったが、偶然だろうと思い扉を閉めた。

 そして机に戻ると、ポポに持たせる手紙を書きはじめた。書く内容は同じなので、時間はかからない。書き終わる頃にはすでにポポも昼食を食べ終わったようで、スピカはペンを置いて手紙を丸めて筒に入れた。

 ゆっくりとイスから立ち上がると、窓を開いた。机の上にいるポポとスピカの目が合う。

「ポポ、それをアレースに届けて」

「ポッポポ」

 翼を羽ばたかせながら鳴くと、ポポは窓の外へ向かって飛び立った。そんなポポに向かって、他には聞こえないように声をかけた。

「気をつけてね」

「ポポッ」

 スピカの声に返事をして、ポポがヴェルリオ王国方面へと飛んで行った。姿が見えなくなるまで見送ると、静かに窓を閉めた。これ以上窓を開けていれば、誰かに見られるかもしれない。それにスピカも手紙を出しに行かなくてはいけないのだ。

 誰にも気がつかれないようにしなくてはいけない。もしも見られたら、その人が手紙を出しに行くと言うかもしれないから。

 机の上に置いてある便箋を二つに折り、封筒の中に入れるとそれを手に扉へと向かった。廊下に気配がないことを確認して扉を開いた。本当に誰もいないかを顔を出して目視する。メイドも執事も歩いていない廊下に出ると、静かに扉を閉めて階段へと向かった。

 下りる前に下を覗くが、やはり誰も歩いていない。食事時間はメイドと執事の半数が交代で食事をとるため、屋敷内で働く人数は減る。だから誰もいないのだろうと考えて、足音をたてないように階段を下りる。やはり誰もいない。

 いないのなら、見られる心配はない。そう思いそのまま外へと続く扉に手をかけて開いた。音もなく開いた扉を、極力体を入れることが出来る程度開いて外へと出た。そして静かに扉を閉めた。

 扉に背をつけて庭を見渡す。庭の手入れをしている庭師の姿もなかった。少し安心して息を吐く。だが、まだ見つかる可能性もある。安心は出来ない。見つかる前にスピカは庭を走り抜けた。

 だが、ただ1人庭を走るスピカを見つめる人物がいた。その口元には笑みが浮かんでいたが、スピカが気がつくことはなかった。その人物の近くには誰もいなかったため、スピカが外出したことを知っているのはその人物だけだ。

 屋敷から少し離れてスピカは歩き出した。2階の窓からも見えないであろう場所まで来て安心したのだ。たとえ周りに奴隷を連れて歩いている人がいたとしても、屋敷の誰にも気づかれなかったことに安心して息を吐いた。

 奴隷を連れて歩いている人はいても、歩いている人が少ない。元々誘拐も普通にある国だ。1人で歩いている人はいないし、護衛もなしに歩こうなんて考えはしない。多くの人は、馬車での移動がほとんどなのだ。

 久しぶりに1人で屋敷の外に出たスピカは一度立ち止まると深呼吸をした。突然立ち止まっても、誰かに迷惑をかけることもない。

「待てー!」

 少し離れた場所から男性の声が聞こえた。自分が言われたわけではないだろうと思ったが、スピカは振り返った。その声は後方から聞こえたからだ。

 しかし、男の姿は見えない。やはり自分に言ったのではないと分かり、歩きだそうとしたときだった。銃声が聞こえた。それと同時に後方からの衝撃。焼けるような熱さと痛みに、倒れそうになる体を足に力を入れてとどまり首だけを向けることが出来るだけ後ろを向いた。

 自分はいったい何処の誰に撃たれたのかと、あたりに視線を向けた。距離は関係ない。遠くへも視線を向けると、1キロ程離れた建物の上に見知った人物がいた。

 ――どうして……。

 そう思いながら、スピカは前に向かって倒れた。受け身を取ることも出来ない。右手に持っていた手紙を握るが、すでに手に力が入らなくなっていた。

 先程見えたのは、シーアだった。その手には小銃が握られていた。スピカの目はたとえ遠くにあるものでも、はっきりと見ることが出来る。そのため、シーアが口元に笑みを浮かべているのもはっきりと見えたのだ。

 徐々に冷たくなる体がスピカ自身にも分かっていた。きっと目をつけられていたのだろうと理解した。シーアが動くのは、スレイが何かを言ったときだけだと分かっている。好きな人が言ったことは、出来るだけ叶えてあげたいという気持ちはスピカにはあるのだ。それはきっと、シーアも同じなのだろう。

 願いを叶えれば、スレイは自分を見てくれるとシーアは考えただろうとスピカは思った。スピカを消せば、スレイは自分のもの。それが、あの浮かべていた笑みの理由なのだろう。

「やっぱり……知って、たんだ……スレ、イ……」

「知らないはずがないでしょう」

 倒れているスピカに近づく1人の男。それは、仕事に出かけているはずのスレイだった。体から溢れ出る赤い液体が広がるのを黙って見つめている。

「私がここにいることに気がついているとは、正直驚きましたよ」

 本当に驚いているようには見えないし、スレイの言葉をはっきりと聞きとることが出来なかった。スピカはもうはっきりと何かを見ることも、聞くことも出来なくなっていた。霞む視界に、スレイの靴が映る。

 それだけではなく、前かがみになったのか右手が映り込んだ。何をするのか理解したが、抵抗する力もなかった。

 スピカの右手から手紙が抜き取られる。今出来る限りの力で握っていたが、それは簡単に取られてしまった。

「これが、彼の手に渡ったら困るんですよ」

 そう言って細かく破いていく。そして、破かれた手紙は風にのって飛んでいく。その光景を見てスピカは涙を流した。

「あれ? まだ生きてるの?」

「シーア。……銃は仕舞いなさい」

「はーい」

 返事をすると、シーアは手に持っていた小銃を消した。小銃は消えたが、シーアの右手人差し指に指輪があることに気がついた。いつもは指輪をしていないが、今日はスレイに許可をもらったのでつけているのだろう。流石にウェスイフール王国でも小銃を持っては歩けないので、魔法アイテムである指輪に収納していたのだろう。左手の薬指ではないが、スピカにはそれが結婚指環のように見えた。

 破かれた手紙が全て飛んで行ってしまい、ポポが無事届けてくれればスレイの屋敷に奴隷がいることをアレースに知ってもらえる。たとえ自分がここで死んでしまうとしても、手紙が届けば良いと思った。

「ああ……そういえば、ポポのことですけど」

「ポ……ポ」

 どうして今、ポポの名前が出てくるのか。疑問に思いながらも、もう何も映らない目をスレイがいるであろう場所へと向けた。

「あの鳥は、偶然逃げた番犬に木の上で休憩しているところを見つけられて、捕まり遊ばれて落下してしまいましたよ」

「偶然奴隷が逃げて、撃たれた貴方と同じだね」

 スレイの右手に、ポポの足の筒とそれに入れていた手紙が握られているのはもうスピカには見えなかった。だが、休憩していたポポが犬に殺されてしまったことを知り、涙が止まらなくなった。愛鳥を失った悲しみと、手紙が届かない悲しみ両方に涙する。

「さて、私はそろそろ仕事に行くよ。シーアは、このことを誰にも言ってはいけないよ」

「奴隷と番犬を焚きつけたことは誰にも言わないよ」

 そう言ったシーアにスレイは眉を顰めた。だが、何も言うこともなく2人は別々の方向へと歩き出した。シーアは屋敷に戻るため、スレイは次の仕事へ向かうために。

「知らないままだったら、死なずにすんだんですがね」

 そう呟いたスレイの言葉はもう、スピカに届いていなかった。人通りが少ないため、スピカは夜遅くになるまで見つかることはなかった。夕方に降りはじめた雨にポポと同じくうたれていたのだ。

 ポポとスピカを見つけたのは執事長だった。夜、部屋から音が聞こえないことを不信に思ったメイドが部屋にスピカとポポがいないと気がつき、屋敷にいたメイドと執事全員で屋敷を飛び出して探したのだ。

 執事長は、高台に行けば見える場所にいるかもしれないと考えたのだ。しかし、そこにいたのは冷たくなったポポだった。これが人間であれば、触れることはしない。だが執事長は、冷たくなったポポを抱き上げた。もう動くことのないポポを雨に濡れないようにコートで覆い、メイドと執事たちが行っていない場所へと向かった。執事長はポポが好きだった。ときどき、鳥籠から飛び出して屋敷の中や周りを飛んでいた。そのときに、よく相手をしていたのだ。頭を撫でてあげたり、おやつをあげたり。そんなポポが動かなくなってしまったことに、執事長は誰にも気づかれないように涙を流した。たとえ、誰かに見られたとしても雨の所為だと誤魔化すことが出来る。だから、スピカを探しながら静かに涙を流していた。

 そして、執事長は見つけたのだ。倒れているスピカを。近くにいたメイドに自警団を呼んでもらい、1人黙って立ち尽くしていた。集まるメイドと執事たちには何も言わず、やってきて自警団に1人で対応していた。泣き崩れるメイドや執事がいたが、気遣う者は誰もいなかった。全員が、どうしてこんなことになったのかと涙を流していた。

 翌日早朝に帰ってきたスレイに、スピカとポポのことを告げたのも彼だった。スレイは自分でも笑ってしまう程、取り乱す演技が上手くいったと思った。

 妻の突然死に、取り乱さなくてはおかしいからそうしたのだ。スピカが死んだことにより、ヴェルリオ王国との交流が少なくなるのは残念ではあったが、スピカのおかげで交流が増えたのだから、彼女がいなくなれば交流が少なくなるのも仕方がない。

 それに、条件にもあったのだ。スピカに何かがあったら許さないと。だから仕方がないのだ。それを守れなかったのだから、もう関わりたくはないと思うだろう。

 スピカとポポの亡骸はヴェルリオ王国の家族の元へ引き取られたが、その際アレースに睨みつけられもしたのだが、スレイは頭を下げて無言のまま謝った。どうしてこんなことになったのか分からないとでも言うように。

 奴隷が逃げ、それに怒った男が撃った弾に当たってしまったとはすでにスレイも、アレースたちも告げられてはいた。だが、何故そこにスピカがいたのか。何故黙って外出したのかが、分からなかったのだ。

 アレースは、日付からして自分の元に手紙を出そうとしていたのだろうと考えたが何も言わなかった。一番怪しいのは、スレイだが彼は仕事でその日の早朝に出かけていたという。

 犯人だという証拠がないため、何も言えなかったのだ。音が鳴るのではないかと思う程歯を噛み締めながら、スピカの手紙には何が書かれていたのだろうかと思った。

 その手紙の内容が理由でスピカはスレイに殺されたのだとアレースは疑わなかった。だが、手紙の内容を知るすべはないのだ。

 スピカは何も知らなければ今も生きていただろう。それに、もしも奴隷がいることに気がついたとしても、アレースに教えようとしなければ生きていただろう。だが、スピカはアレースに教えようとした。スレイもウェスイフール王国に住んでいる他の者たちと同じだと。それは、スレイにとっては決して知られてはいけないことだったのだ。何故なら、奴隷がいると知られてしまえば、今交流のある者たちが離れていってしまうからだ。奴隷を所持している者とは関わりたくもなければ、一緒に仕事もしたくないのだから。奴隷がいるというだけで、信頼してもらえない。そんな世の中なのだ。だから、自分を裏切るような人物に知られてしまえば、それが好きになった人であろうと、結婚した人であろうと、スレイは殺すことを躊躇わないのだ。












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