魔物討伐専門組織『ロデオ』5








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 ルイットへ向かったときと同じように、エリスたちは龍の背中に乗ってヴェルオウルまで戻って来ていた。しかも、下りた場所は行くときに使わせてもらった城の庭だった。それはエリスの指示だったのだが、庭や城内にいた執事とメイドたちは驚いていた。行きは誰もいなかったので、勝手に使わせてもらっていたのだ。

 彼らは人型の龍を見たことはあるが、獣型の龍を見たのは数回だけだ。城の庭で特訓する龍の姿を見たときだけだ。城の全員が白龍がいなくなったことを知っているが、まさかエリスたちが『黒龍』に乗って城へやってくるとは思っていなかったに違いない。

「エリスさん、こんにちは。アレースに用事ですか?」

「こんにちは、エード。今会えるかしら」

 龍の背中から下りると偶然近くを通りかかったのだろう、紙の束を持ったエードが近づいてきた。笑顔を崩さず、彼ははじめて見るだろう『黒龍』を見上げてからエリスの言葉に頷いた。

 持っている紙の束はアレースに渡しに行く途中だったのだろう。全員が下りたことを確認して人型に戻った龍を見てエードは城内へと促した。流石に龍が『黒龍』のままであれば、案内したくてもサイズ的に城内に入ることは出来ないから待っていたのだ。

 驚いていた執事とメイドたちは、人型に戻った龍を見て自分たちの仕事へと戻って行く。あまり見ることのできない『黒龍』に、何故か全員満足げだった。『黒龍』の姿を見せてと言っても、簡単には見せてはくれないからだろう。

 アレースの部屋に向かう途中、メイド長のイザベラに会うとエードはエリスたちの飲み物を用意するように告げた。イザベラは嫌な顔することなく頷いて、エリスたちに挨拶をして離れていく。準備をするためにキッチンにでも行くのだろう。イザベラの後ろ姿を見ながら、階段を上る。

 不思議なことに、城内を歩いていても誰も声をかけてはこなかった。ただ頭を下げるだけ。普段であれば、エリスと一緒であっても必ず声をかけられる。

 いつも龍1人がアレースに会うときにも、必ず声をかけられていた。もしかして事情を知っているから声をかけてこないのかもしれない。いつも声をかけるのは、自分が不審者に見えるから声をかけるというわけではないと願いたいと龍は思った。そうでなければ、エリスと一緒にいても声をかけられる理由が分からない。そう思って歩いていると、アレースの部屋へたどり着いた。

 空を飛び戻ってきて、長い階段を上ったからだろうか、龍は少し息を切らせていた。息を切らす龍の背中を黒麒がさする。まさか、息を切らすとは思っていなかったようで黒麒は少し驚いているようだった。

「アレース、エリスさんたちが来ましたよ」

 ノックをして返事を待つと、アレースの入室を促す声が聞こえた。扉を開き、エードは「先に入ってください」と扉が閉じないように手で押さえて言った。龍は軽く背中を黒麒に押されながら入室すると、アレースは顔を上げることなく真剣に仕事をしていた。

 真剣に仕事をするアレースの姿はあまり見ることが出来ない。もしかすると何かをしていないと城を飛び出し、白龍を探しに行こうとするのだろう。そんな衝動を抑えるために仕事をしているのかもしれない。それも、量から考えるとエードでも出来るような仕事もしているように見える。今まで龍が訪れたときには見たことのない書類の束の山が並んでいた。

 黙々と仕事をするアレースのそばには湯気の立つカップがあり、近くではラパンがアレースが終えた仕事の書類を仕分けしていた。サインを終えた書類を、アレースは分けることもなく同じ場所に置いてしまうためだ。一緒にしてはいけない書類もあるから、ラパンが確認して分けているのだろう。

 エリスたちは立っていても仕方がないと考えてソファに座ると、アレースが手を止めるまで待つことにした。顔を上げようともしないアレースの様子から、いつ手を止めるのかは分からなかったが。

 仕事をしているときに話すことではないと判断したため待つことにしたのだ。仕事をしているときに話すと、聞き逃してしまうかもしれないからだ。誰も何も言わずに、アレースが手を止めるのを待つ。

 紙の束を持ってきたエードは、アレースの邪魔にならず、手の届く場所に束を置いた。新しい紙の束に気がついていないのか、アレースは黙ったままだ。

 エードは退出するつもりはないようで、邪魔にならないようにと扉の横へ移動すると、そこで黙ってアレースの様子を見ていた。呼ばれればすぐに動けるようにと考えてそこにいるのだろう。

 暫くして、イザベラが飲み物を持って来ても顔を上げなかった。声をかけられれば返事をするのだが、どうやら話しを聞いていないようで生返事しか返ってこない。そんなアレースに、イザベラは溜息を吐いた。

「客人を待たせるなんて失礼なお人ですね。白龍ちゃんのことで来たんでしょうに」

 呆れを含みながら言った言葉にアレースは反応して手を止めた。しかし、テーブルにカップとクッキーの乗った皿を置いて部屋から出て行こうとしていたイザベラは気がつかなかった。静かに扉を閉めて退室してしまう。

 アレースは集中していたため、誰が来たのかも分かっていなかったようだ。イザベラの言葉を聞いて漸く顔を上げて扉の横にいるエードを見た。

 黙ってアレースを見ていたエードと目が合う。そして、アレースはイスに座りコーヒーを飲むエリスたちを見て、客人がエリスたちだと知る。何かを言っていた気がするが、集中するあまり言われたことを覚えていなかったのだ。客人が来ていたことにすら気がつかなかったアレースは、持っていたペンを置くと背もたれに寄りかかり、両手を天へと上げて伸びをした。それだけ、仕事に集中していたということなのだろう。

 両肩を数回回し、イスから立ち上がると、コーヒーを飲むエリスたちの元へ歩いて行く。置かれていた皿からクッキーを一枚掴むと口に放り込む。

「甘いな」

 糖分が欲しかったから丁度良いと思いながら、黙って見上げているエリスに目を合わせる。何も言わずともアレースには言いたいことが分かっていた。先程イザベラが言っていたことなど耳に入っていないアレースは、端のイスに座っていた龍の右膝に座った。座る場所がなかったということもあるのだが、わざわざ遠くに座るのも面倒だということもあり近くにいた龍の膝に座ったのだ。

 文句を言ってもエリスの話しを聞こうと集中している今のアレースには聞こえないだろうと黙っている龍だったが、イスに浅く座っているためバランスを崩さないようにと足に力を入れた。アレースは遠慮なく全体重をかけてくるので、バランスをとるのが少々大変であった。

「今からだと暗くなるから、明日ウェスイフール王国に行ってくるわ」

「そこに白龍が?」

「ええ。きっと闇オークションよ」

「……あの国に連れて行かれるなら、それしか考えられないだろうな」

 もう一枚クッキーを口に放り込みながら、眉間に皺を寄せる。それは白龍のことを考えて刻まれたものだろう。ウェスイフール王国にいる白龍が心配なのだ。恐い目にあっているかもしれない。それも、トラウマになるような。

 アレースもどういう国なのか理解しているのだ。もしかすると、この兄妹はウェスイフール王国がどんな国なのかを誰よりも分かっているかもしれない。アレースにとっては妹、エリスにとっては姉であるスピカが嫁いだのがウェスイフール王国なのだから。まったく知らないということはないだろう。

「そこにはいないかもしれないぞ」

「分かっているわ。それに、……思い当たる人物がいるの」

「思い当たる人物?」

 口元に笑みを浮かべるだけで、エリスは何も言わなかった。問いかけても答えが返ってこないと分かっているのか、アレースは溜息を吐いた。思い当たる人物が、アレースにも分かるような気はしていたが、確信がないために何も言わない。

 正直言うと、アレースも白龍を助けに一緒にウェスイフール王国に行きたいのだ。しかし、仕事がある。それにアレースは国王だ。私情で国を離れて良い立場の人間ではないのだ。たとえ、良く城から出てエリスに会いに行っているとしても、国内と国外ではまったく違う。

「見る者によっては、お前たちが誰なのか分かってしまうぞ。どうするつもりだ?」

「大丈夫よ」

 そう言ったのはエリスではなく、龍の隣に座っていたリシャーナだった。膝に乗せていたバッグから青い小物入れを取り出し、テーブルに乗せる。それはサトリに渡された薬が入っている青い小物入れだ。

 テーブルに乗せたそれを手にとり、開くアレースにエリスは「それがあれば大丈夫」と呟いた。何故大丈夫なのか分からないアレースは首を傾げた。

「それを飲めば異性になれるの。薄いピンク色をしているのはユキ用。あの子が飲むかは分からないけれど、動物が人になれるものよ」

 コーヒーを飲みながら話すエリスだったが、後遺症のことは話さなかった。もしも話してしまえば、たとえ白龍を助けるためだとしてもここで取り上げられる可能性があるからだ。エリスが飲まないとしても、龍たちに後遺症が残るかもしれないと知れば取り上げるだろう。それだけ、今のアレースはエリスだけではなく龍たちも大切なのだ。

 もしもアレースに薬を取り上げられてしまえば、薬を飲まずにウェスイフール王国に行かなければいけない。正体がバレずに入国出来るか出来ないかでは、バレずに入国できるのが一番だ。周りへの注意を必要以上にしなくても良いのだから。そして白龍へ自分たちが近づいていると知られずにいれば、危害が加えられる心配もあまりないのだ。だから、取り上げられるかもしれないことは言わなかった。

「全員行くのか?」

「妾は行かぬ」

「……そうか」

 何故行かないのかを尋ねないアレースはきっと理解したのだろう。悠鳥が薬を飲んだとしても目立つことに代わりはないと。アレースは青い小物入れの蓋を閉めると、リシャーナに手渡した。受け取り、バックに入れるのを見届けるとアレースは立ち上がり、自分の仕事机へと向かった。

 さり気無く龍が足を伸ばしたのリシャーナだけが見ていた。アレースが座っていたのでバランスをとるために力をいれていたため、少々痺れてしまったのだ。

 机に戻ったアレースは、一番上の引き出しを開いた。そこからあるものを取り出した。それは、アレースがずっと渡そうと考えていた物だ。

 それは、一つの指輪。クリスタルのような装飾が一つついたそれを手に持ち、引き出しを閉めて戻ってくると、何も言わずに龍の右手を取り、手のひらの上に置いた。驚いて言葉が出ない龍だったが、代わりに白美が反応した。

「え?」

「なになに、もしかして求婚!?」

「白美……」

 渡された物に驚く龍と、何故か僅かに頬を赤らめて騒ぐ白美。そんな白美に冷たい眼差しの悠鳥。白美の名前を呟いた悠鳥の声は、何故かいつもより低い。しかし、そのことに気がついた者は誰もいなかった。

 他の者たちは黙っているが、書類を仕分けしていたラパンは手を止めて頬を赤らめている。指輪のことを知っていたのか、エードはとくに反応しなかった。ただ、小さく溜息を吐いたようだった。

「武器を持って行くのは目立つ。だから、それを身につけろ」

 言われても、龍は理解することが出来なかった。武器とこの指輪にいったいどんな関係があるのか。この指輪には、何らかの仕掛けがしてあるとでも言うのだろうかと首を傾げた。

 身につければ指輪が武器にでもなるというのだろうかと考えて右手人差し指と親指で指輪を持ち、太陽にかざしてみるがとくに変わった様子はなかった。

「今はただの指輪だ。だが、帰ったらクリスタルの部分を大太刀に触れさせれば、武器がそこに収まるから手に持たずに持ち運べるようになる」

「それは、どんな厳重な場所へもその指輪をしていれば武器を持って行けるということか?」

「ああ。数が少ない魔法アイテムだから、バレる心配もないだろう」

 大太刀をよく忘れる龍にとっては、便利な魔法アイテムだといえた。宝石の中に納まることによって、武器を持っていても怪しまれないのは喜ばしいことだ。

 クリスタルに武器が触れれば、武器はクリスタルの中に収まる。手に持たなくても良いため、便利なアイテムといえた。数が少ない魔法アイテムだから、怪しまれることもないのだろう。だが、そのアイテムのことを知っている者も中にいるだろう。そのような人物にバレなければ良い。

 数が少ないのは、クリスタルがとれないからだ。この世界でとれる宝石の多くは、魔法アイテムに加工される。宝石には魔力がこもっており、それぞれ効果が違う。クリスタルは収納する魔力がある。

 リシャーナのバックの中にもクリスタルが入っているため、無限収納インベントリ出来るようになっているのだ。

「武器を使うときはどうするんだ? それに、戻すときとかどこかに忘れた場合はどうなる」

 どうせ自分のことだから、大太刀をどこかに置いて忘れてしまうと考えての質問でもあったが、聞いておかないと、どうなるのか分からないため心配だったのだ。

 そんな龍の言葉に「貴方なら絶対に忘れるわね」と、コーヒーを飲みながら冷静なエリスは微笑した。もしかすると、エリスはどうなるのかを知っているのかもしれない。

「使うときはクリスタルの上に手をかざせば出てくる。戻すときもかざせば良い。忘れた場合は一定の距離でクリスタルの中に戻るから心配しなくても良い」

 少し間をあけて「それと」、と言ってアレースはクッキーを手に取った。余程気に入ったのか、甘いものがほしかったのか。口に放り込み、飲み込んでから続けた。

「一度かざした武器以外は収めることは出来ない。クリスタルが割れてしまったら、武器は出てくるし、ただの宝石がついていない指輪になる」

 別のクリスタルがついた指輪には同じように収納が出来るので、また購入するという手もある。しかしクリスタルは希少なため売っていたとしても高価だ。

 では何故、アレースはそんな高い指輪を龍に渡すのか。それは、自分が持っていても意味がないからだ。それならば今後必要になるかもしれない龍に渡そうと以前から考えていたのだ。アレース自身は国王として出かけることが多いので、武器は見えるように腰に携えている。指輪として隠し持っていたら、信用してもらえない。だから、自分は使わないのだ。

 今まで渡すタイミングはあったのだが、渡すのを忘れていたり、渡す前に龍がいなくなっていたため今になってしまっただけだ。

 龍は右手で持っていた指輪を左手中指にはめる。装飾のクリスタルも大きいサイズではないので、男性がつけていても違和感はない。

「ありがとう。使わせてもらう」

「ああ、明日は武器は持って行ったら怪しまれるかもしれないから、是非使ってくれ」

 男性の姿では護衛と言えば良いかもしれないが、女性の姿では怪しまれる可能性がある。女性が武器を持たないわけではないのだが、持っていない方が良いこともある。

「漸く渡すことができて良かったですね」

「うるさい、うるさい」

 まるで今まで渡せずにいたとでも言うような会話。思い返してみれば、アレースに呼び止められたことが何度かあったような気もするが、全て気のせいだと思っていた龍は、もしかしてそのときに渡そうとしていたのかもしれないと思ったが、今渡されたのだから良いだろうと思うことにした。

「服とかはどうするんだ?」

「一応女性物の私服も、男性用の私服もあるから大丈夫よ」

 それを聞いて龍と黒麒は、スカートを履かなくてはいけないのかと項垂れた。思わずそれを履いている自分たちを想像しそうになり、頭を横に振り考えることをやめる。それに、履くとしても男性である自分たちではなく、女性となった自分たちだ。

 女性の私服といえばスカート。そんな考えからだろう。街を歩く女性の多くがスカートを履いているのだ。そう思うのも仕方がないだろう。

「そういえば、ここへ来る前に自警団の方から連絡がありました」

「自警団だと?」

「はい」

 庭の近くを通る前、エードが廊下を歩いていたときだ。街で何か事件があれば連絡が来る水晶玉。それに自警団から連絡がきたのだ。城内にいる執事やメイドたちでも、連絡がきたら触れて会話が出来る水晶玉。

 偶然エードがいたため、自警団から話しを聞いただけだ。普段であれば、メイドか執事の誰かが聞いて、内容をアレースもしくはエードに報告をするのだ。

「明日、自警団から1人を護衛として同行させるそうです。騎士服を着て、一本の剣を携えさせるとのことです」

「行くのがエリスたちだと知って、こっちに連絡したのか。どうせ連絡してきたのはガヴィランだろ」

 頷くエードに、「連絡してくるのはあいつしかいない」とアレースは呟いた。

 ガヴィラン・ジーテドー。それは自警団のリーダーであり、ルーズが殺害されたときに遅れてメモリアの元に来た人物でもある。彼は、アレースとエリスが兄弟だと昔から知っている。

 たとえエリスがアレースの元を訪れなくても、連絡を入れるだろうと判断したのだろう。それに、エリスの元へ連絡する方法はないのだから仕方がない。アレースの場合は、直接本人が家へ行くことが多い。それ以外だと、アレースは鷹に手紙を運ばせる。鳥籠などで飼育しているわけではないので、多くは城にいない鷹。だから、手紙を運ぶことは少ない。しかし、アレースが呼べば帰ってくる賢い鷹なのだ。

 ウォーヴァーがスインテ、グスティマ、ルスディミスの3人を自警団へ連れて行ったため、ガヴィランはウェスイフール王国に行くと知って連絡したのだ。

 一応一般人でもあるエリスたちだけでは危険と判断しての護衛だろう。護衛がいるというのは、武器を持ち歩かない状況なら少しは安心できる。

 誰が、どんな人が来るのかと思いながら、明日のためにエリスたちは帰路につく。たとえ護衛が一緒であってもアレースにとっては心配であることには変わりないのだろう。

 何か言いたそうにしていたが、一言「気をつけろよ」と言っただけだった。最後に部屋から出ようとした龍だったが、一度立ち止まりアレースの元に近づいた。龍の行動に首を傾げるアレースだったが、少し背伸びをして耳に口を寄せてきたので頭を少し傾けた。

 そして、耳打ちされたことにアレースは少し悩んだが「少し時間がかかるかもしれないが、大丈夫だ」と答えた。龍は「よろしく」と頭を下げて、今度こそ部屋を出た。ついて来ていなかった龍を黒麒は扉の前で待っており、エリスたちも階段を下りずに待っていた。そんなエリスたちに謝り、全員揃って階段を下りて行った。

 龍に何か耳打ちをされていたアレースは、エードに何を言われたのかを聞かれていた。別に秘密にするようなことでもないので、アレースは微笑んで答えた。








******








 今日は少し、騒がしい気がする。朝早くから男が現れたことも不思議ではあった。そしてもっと不思議なのは、今男が右手に鞭を持って私と白龍のいる牢屋の前に立っているということだ。

 イライラしているようで、空気がピリピリとする。耳が無意識にピクリと動き、尻尾は軽く一度床を叩いた。

 男の様子にこれは良くないと思った私は、白龍を抱きしめた。これは私に対する苛立ちではなく、白龍に対するものだと分かったから。白龍を守れるのは私だけ。たとえ、苛立ちを向けられているのが白龍であっても、怪我はさせたくない。

 鍵を開き牢屋の中へ入ってくる男の足取りはとてもゆっくりだった。笑みさえ浮かべる口元だが、目は笑っていない。

 ベッドの上で、彼に背を向けて白龍を強く抱きしめる。もしも鞭で打たれても、体だけではなく顔や腕などには当たらないように。

 私は鞭で打たれ、怪我をしても構わない。けれど、白龍はダメ。この子には帰る場所もあるし、待っている人もいるのだから。私とは違う。

 もしも白龍が怪我をしてしまったら、さらに心配をかけてしまうことになる。だから私がこの子を守る。今の私が出来るのは、それだけ。震えるこの子の代わりに、私が怪我をするのは構わない。

「ツェルンアイ。そいつを離すんだ。躾なきゃいけないだろう? 私のツェルンアイを笑わすなんていけない子だよ。まだ私だって笑わせていないのに、主人の私より先に笑わせるなんて……君もいけない子だと思うだろう? さあ、良い子だからその手を離しなさい」

「嫌よ! 白龍は私の友達。友達を傷つけなんかさせない!!」

「……私の名前は呼んでくれないのに、その子の名前は呼ぶんだ」

 床を鞭で打ちつける音が地下に響いた。打ちつけた音を聞いた他の牢屋にいる者の悲鳴が響く。この音が怖いのだろう。恐怖を植えつけられているのだ。

 けれど、私はこの音に恐怖を感じはしない。何故なら、一度も鞭に打たれたことがないからだ。鞭の怖さが分からないのだ。

 それに今は守りたい子が一緒にいる。だから恐怖を感じている暇なんてない。今後も鞭に恐怖なんかしないだろう。

 私は男を強く睨みつけた。すると、どうやらそれが気に食わなかったらしい。

 舌打ちをして、もう一度床へ打ちつけると腕を振り上げた。

 くるであろう衝撃に、白龍を強く抱きしめて目を閉じる。打ちつける音と同時に背中へ走る痛み。けれど声は出さなかった。

 大丈夫。この子さえ無事なら、痛みなんか気にならない。

 男は満足するまで私の背中を鞭で打ちつけていた。それは、長い時間には感じなかった。嫌な音や悲鳴に耳を塞いでいるときのほうが長く感じられた程だ。

 息が少し上がっている男は腕を下ろして牢屋の外へと出て行った。どうやら満足したようだ。鍵を閉める音を聞いて振り返ると目が合った。

「次は別の友達を連れてくるよ。もっと良い子で、しっかりと躾てから一緒に入れてあげる」

 微笑んで言う男が怖い。私と白龍を引き離そうとしているのだろう。きっと今度連れて来るのは、この子のような良い子ではないだろうと思う。

 足音を立てて地上へ戻っていく男。もしかすると、これから新しい子でも探しに行くのだろうか。引き離されるのは嫌だ。

 私は白龍が助けられるまで守ってみせる。たとえ、私を救ってくれる人が現れなくても、この子だけは。

 心配して私の腕の中で顔を見上げる白龍に微笑んだ。大丈夫。今の私には白龍がいる。この子を守るという役目があるのだから。自分をここから救ってくれる存在を諦めてしまっても良いと思った。

 引き離されそうになっても、抵抗しよう。そう考えながら、暫く白龍を抱きしめたままでいた。











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『今まで渡すタイミングはあったのだが、渡すのを忘れていた』忘れてたのは作者です。


左手中指にアレースから貰った指輪をする龍は人間関係に悩んでいるのかもしれない。

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