魔力4
*
ルイットへと来た時と同じ道をたどり帰路へとつく。ウェイバーは馬車に戻った時にはすでに帰ってしまっていたようで、姿が見えなかった。長時間待たせたことが原因で帰ったわけではなく、彼にも用事があったようでクロイズ王国に帰ったとのことだった。やはりウェイバーは、クロイズ王国の人間だったようだ。
アレースは何を話していたのかは教えてくれなかったが、代わりに龍が魔法を使えることを話した。エリスは龍を異世界から呼んだので、本当は魔法を使うことはできないと思っていたようだった。
黒麒達はどう思っていたかはわからないが、サトリの言葉を聞いて安心していたようだった。エリスから魔法を使えると聞いて、アレースは「よかったな」と床に座っている龍の頭を撫でた。何故、頭を撫でるかはわからないが、龍はその手を振り払うことはしなかった。
――人間の体のままこっちに来てたら、魔法は使えなかったのかもしれないな。
今の体は元々『黒龍』の体だ。だから魔法が使えるのだと思ったのだ。しかし、龍のように異世界から来た人間はいない。だからもしかすると、魔法が使えるかもしれないが、それを確かめる方法がないのだ。
「そういえば昨日、龍と別れたあとにある場所に行ったんだ」
龍の頭の上に手を置いたまま、少し声を低くして言うアレースに全員が黙って視線を向けた。あのあと、アレースはいったいどこに行ったのか。もしかすると、スカジのことでも調べに行ったのだろうか。
アレースは魔法が使えると判明して全員が喜んでいるのに、少し声を低くして話すことに申し訳ないと言いたそうな顔をしている。ルイットへ向かっている時に話さなかったのは、雰囲気を暗くしたくなかったからかもしれない。
昨日アレースはスカジを追いかけるようにして、どこかへと向かって行った。もしかしたら、スカジを追って何かを見つけたのかもしれないと耳を傾ける。
「実は、あのあとに馬を貸してくれる人のところに行ったんだ」
「馬をレンタルしてくれる場所って、東のほうじゃない」
東。中心にあるエリス達の住む街からはそれほど遠くはないが、歩いて行くには時間がかかる。もしかしたら、この馬や馬車は昨日から頼んでいたのかもしれない。
どうしてそこへ行ったのかと尋ねるエリスに、アレースは一度小さく息を吐いた。言いたくないことでも知ってしまったような様子だったが、どうやら違ったようだった。
「どうやって帰って来たかわからないから、スカジが馬を貸りに来たかを聞いたんだが……」
「貸りていなかったのね」
「ああ。まあ、わかってはいたけどな」
馬を貸りていないと元々わかっていたのだろう。どこかで、貸りていて欲しいと思っていたから少々残念に思っているのかもしれない。
貸りていないとなれば、召喚術を使い戻ってきたのか。それとも、他に戻ってくる方法でもあるのか。もしくは、本当は戻ってきていなかった可能性もある。
エリス達が情報を聞いている時には、スカジを見たという人物は1人もいなかった。偶然だったのか、それとも本当はスカジを見た人はいなかったのかもしれない。
リシャーナに言われた通り、もう一度尋ねるとスカジを見た人はいた。だがもしかすると、スカジや他の誰かが記憶を書き換えたのかもしれない。しかし、それは禁術。使える人もいないはずのものだ。だが禁術が載った本は図書館にある。それを読むことができる人は限られており、読むことができる人物が禁術を使う方法を覚えれば使うことも可能かもしれない。
禁術のため、使用した者は罰せられる。他人の記憶を書き換えてはいけないのだ。書き換えることによって、都合の悪いことを消されてしまったり、やってもいないことをやったと思わせたりすることができてしまうからだ。
「昔、スカジは禁書を読んでいたわ。それに、ノートに書き写してもいたわ」
「なんだって!? そんな話聞いてないぞ!」
「言うわけないじゃないの。図書館に出入りできるようになったばかりの人間の言うことなんか信じないでしょう?」
無言の肯定。国王に認められたといっても、認められたばかりの人間の言葉を信じる者は少ないだろう。しかも、長年国王に仕えている者はとくに信じはしないだろう。目立ちたいから嘘をついているだろうと思われるかもしれない。そう思われると、今後の立場が危うくなる可能性もあるのだ。たとえ、真実を話しているとしてもだ。
それなら見なかったことにしたほうがいいだろう。たとえ、それが本当であったとしても。自分の立場が悪くなるようなことは、真実でも黙っているのが正解だろう。
「でも貴方が言ったら、国王は信じたかもしれないわ」
「それってどういうことだ?」
笑みを含みながら言うユキに龍は意味がわからなかったようだ。エリスは国王に信頼されているようだったが、それは昔からなのだろうか。
たとえ今聞いても、誰も教えてはくれないだろう。ユキの言葉が聞こえていなかったように話しているのだから。実際、ただの人間であるアレースには動物であるユキの言葉はわからなかったのだ。
「昨日、龍と別れてすぐにスカジを追いかけたんだが」
「追いつけなかったんですか?」
「人も多くてな。気がついたら見失ってしまっていたよ」
龍と別れたあと、やはりスカジを追って行ったようだ。探しても見つからず、諦めてそのあとに馬を貸りに来たのか尋ねに行ったのだろう。
しかし、人が多いからと見失ってしまうだろうか。スカジは目立つのだ。黒いローブを着ており、周りの人間はたとえ国王専属召喚士であっても不吉な存在として見ているのだから。
スカジが向かってくると人は避けて歩く。すなわち、スカジのための道を作ってしまうのだ。それなのに見失ってしまったということは、追われていたことに気がついていたのかもしれない。
「何か魔法を使われた可能性は?」
「周りの人間の様子からすると、使っていたのかもしれないな」
誰も避けることなく歩いていたのだ。何か魔法を使って姿を消していたのかもしれない。アレースに姿が見えていたのは、少し前に話をしたことが影響しているのかもしれなかった。
魔法は数が多い。攻撃や回復以外にも防御魔法や特殊魔法がある。特殊魔法は数が多く、禁術である記憶を書き換える魔法も特殊魔法の一つだ。姿を消す魔法が特殊魔法にあってもおかしくはない。魔法は数が多いため、全てが把握できていないところがあるのだ。
犯人がしぼれてきているが、決定的な証拠がない。アレースは溜息を吐いた。そんなアレースを、心配そうにエリスが見ている。何かを言おうとエリスは口を開いた。
その時だった。突然馬車が止まったのだ。急に止まったため、女性達は前のめりになる。アレースと黒麒は背中を馬車に打ちつけ、龍はバランスを崩したユキを左手で抱きしめて、右手を床についてバランスをとった。
「な、なに!?」
「どうした!?」
驚く白美と、窓越しに馭者に問いかけるアレース。馭者が止めたのか、馬が突然止まったのか。どちらかはわからないが、外では何か騒ぎが起こっているようだ。
いくら待っても進まない馬車。騒ぎもおさまる様子はない。馭者も何が起こっているのかわかっていないようで、進むこともできないようだ。馬車の前には何十人という人間がいるのだ。
そこを進むことは不可能だろう。たとえ進んだとしても、大惨事になるだろうことは見てわかる。集まっている人達は誰1人として、馬車が目に入っていないのだから。どうすることもできず、待っていても様子を伺う人が増えてくるだけで何も変わらない。
「……様子を見てくる」
「待って!」
扉を開けて様子を見に行こうとするアレースを、エリスは止めた。何が起こっているのかわからないのだ。1人で行くのは危険だと思ったのだろう。
エリスは一度馬車の中を見渡す。そして、龍を見た。意味がわかったのか、龍は頷くと大太刀を握りしめて立ち上がった。
「何があったのかわからないから、龍を連れて行って。少しは役に立つと思うわ」
「そうだな。この間も助けてもらったから、こいつの腕はわかってる」
何かあれば守ってくれるだろうと頷き、アレースは馬車から下りる。龍もユキに足をぶつけないように扉へと向かい、先に下りたアレースの背中にぶつからないように下りると、エリスを見てもう一度小さく頷いてから扉を閉めた。
馭者に様子を見てくると告げて、2人は人の間を縫うように進んだ。思っていたより多くの人が集まっている。集まっている人達は、何が起こっているのかわからず、それが知りたくて集まっているようだ。
集まっている人達は、何があったのか気になって仕方ないのだろう。前の人を押したりして、どうにかして確認しようとしている。龍が近づいても誰も道を開けることはない。それどころか、龍の存在に気がついていないようだった。
漸く一番前へたどり着けたがそこは立ち入り禁止テープが貼られていた。だが、その先には1人の人間が倒れている。周りは血の海となっており、一目見て死亡していることがうかがえる。
だが、倒れている人間の服装を見てどこかで見たと2人は思ったようだ。服装に見覚えがあるのだから、昨日今日に出会っているのだろう。2人は顔を見合わせることもなく、それぞれに考え始める。
顎に手を当てて考えるアレースだったが、龍はそれが誰だったのかをすぐに思い出したようだ。名前は知らないが、本屋から出てきたアレースとぶつかった男性と同じ服装だったのだ。
今いる場所から顔を見ることはできないため、本当にあの時にぶつかった男性かはわからない。偶然同じ服を着てるだけで、別人かもしれないのだ。その可能性は低いとしても、ないとは言えない。
「なあ、龍。倒れてるのって、……昨日俺にぶつかった男だと思わないか?」
「顔が見えないけど、多分そうだと思う」
どうやらアレースも思い出したようで、男性から視線を逸らさずに尋ねてくる。そんなアレースから見えているとは思えないが、龍は頷いて答えた。
龍は昨日男性が手紙を拾った時、開かれたままの紙を見て、目を見開いたように見えたため覚えていたのだ。何故あの時紙を見て目を見開いたのか。あの紙には名前と、名前の人物達の少しの情報が書かれていただけだったはずだ。
――まさ、か……。
ある答えに行きつく。もしかしたら、書かれていた名前の中に男性の名前があったのではないかという答えに。だから目を見開いたのではないだろうか。もしくは、彼の知り合いの名前が書かれていたかだ。あれを見たから、彼はなにか事件に巻き込まれたのではないか。倒れているのがあの時の人物であったら、その可能性はあるだろう。
立ち入り禁止テープのそばには2人の自警団が立っている。その奥では数人が何かをしている。現場検証をしているのだろう。
黙ってその様子を見ていたアレースだったが、振り返った現場検証をしているだろう1人を見て小さく声を漏らした。そして、軽く右手を上げてその人物に声をかけた。
相手は驚いていたが、左横にいた龍も驚いた。まさか声をかけるとは思っていなかったのだろう。どうやら知り合いだったようで、声をかけられた男性は近づいてきた。まさか、自警団に知り合いがいるとは思っていなかった龍は驚くしかなかった。その自警団は、昨日の人物とは違う人だった。
「こ、これはこれは……アレースさん。こんにちは。いかがなされましたか?」
隣にいる龍を気にしながら、声をかけられた男性はアレースに尋ねた。こんなところにアレースがいるとは思っていなかったとでも言いたげな顔をしている。
しかも、隣に魔物がいることにも驚いているようだ。アレースは魔物嫌いだ。それをこの男性も知っているのだとしたら、驚くのは当たり前だろう。
「その男の顔が見たいんだ」
「それは……」
本来なら現場を荒らされる可能性があるのだから、関係のない人間を立ち入らせはしないだろう。だが、アレースの言葉に考える素振りを見せた男性は、一度現場を振り返った。
「少々お待ちください」
そう言うと男性は現場へと戻って行った。現場検証をしている1人に話しかけ、一度アレースを見た。入れてもいいかと尋ねているのだろうが、どうやらアレースと話をしていた自警団のほうが立場が上のようで、現場検証をしている人物は怖々と話をしている。もしかすると、彼は新人で何かを言われると思ったのかもしれない。
暫く黙って待っていると、話が終わったのか男性は戻ってきた。そして、アレースが入れるようにと立ち入り禁止テープを軽く持ち上げた。
「どうぞ」
「わるいな」
立ち入り禁止テープを持ち上げてもらったまま、アレースは現場へと入って行った。すぐにテープは下ろされてしまったが、龍は元々入るつもりもなかったので気にはならなかった。
だが、アレースは違ったようだ。1人ではなく、龍と一緒に現場へ入るつもりだったようで振り返って男性に言った。
「そいつも一緒だ」
「え……この魔物もですか?」
「ああ。昨日、俺とこいつはあの男を見ているかもしれないんだ。入れてやってくれ」
彼は魔物が嫌いというわけではないのだろうが、龍が一緒に現場に入るということは言っていなかったのだろう。渋々テープを持ち上げるので、龍は頭を下げてくぐる。角や翼が引っかからないように気をつける。テープを持ち上げていてくれた彼に、軽く頭を下げて龍は礼を言った。
待っていたアレースは、大太刀を持つ龍の右手を掴んだ。他の者にも何かを言われる可能性があるため、離れて行動しないようにとのことだろう。
2人が倒れている男性に近づくと、現場検証をしていた者達は手を止めて龍を見た。誰もがアレースと一緒に魔物である龍がいることに驚いているようだ。しかも、右手を掴んでいるのだから驚くのは当たり前だ。
現場を荒らさないように気をつけながら、男性の顔を確認する。薄く開かれた目。口からは乾いた血が溢れていた。その顔には見覚えがあった。
「昨日の男だな」
「そうみたいだな。なあ、アレース」
「どうした? 死体を見て具合いが悪くなったか?」
心配をして顔色を伺うアレースに、龍は首を横に振った。龍はどうしてだか、はじめて死体を見るというのに何も感じないようだった。現実離れしすぎていて、脳が現実について行っていないのかもしれない。
「昨日、紙を拾った時にこの男は目を見開いていた。もしかしたら、あの紙に名前があったのかもしれないぞ」
「なんだと!?」
何かを確認しようとして、死体に手を掛けようとしたが止まる。勝手に触れてはいけないのだ。もしかしたら、触れたことにより疑われるかもしれない。だからアレースは周りを見回した。
先ほど、話していた男性にアレースは声をかけた。こちらの様子を見ながら現場検証していた男性は、すぐにやってきた。龍がアレースに何かをしないように見ていたのか、現場の物に触らないように見ていたのかはわからない。
「この男が誰かはわかったか?」
「はい。所持していた身分証明書によると、名前はルーズ・カスネロアという男性のようです。銃使いで、小太刀も所持しておりました。身分証明書によりますと、どうやら魔法、召喚術も使用できたようで……って、如何なさいました!?」
「いや。なんでもない」
右手で顔を覆い、天を仰いでいるアレースに何か言ってはいけないことでもあったのかと、慌てて見ていた紙を見返している。
調べることのできなかった情報をここで知ったのだ。ルーズ・カスネロアは残った3人のうちの1人だった。
どうやら、魔法だけではなく召喚術も使えたようだった。昨日会った時の声からして、国境戦争での声の主ではないことはわかる。もしかしたら、火炎弾使用者だった可能性はあるが。
では何故、ルーズはここで血を流して倒れているのか。服装が昨日のままということは、アレースと龍に会ったあとに何か事件に巻き込まれたのかもしれない。それにここは、昨日2人と会った場所とはかなり離れているのだ。
「死因はわかったのか?」
「詳しくは検死をしないとわかりませんが、心臓を一突きにされ即死したと思われます」
一突きにするほどの腕を持つ者に殺されたのだろうか。それとも、知り合いだったために油断をしていたのか。知りたくても刺された本人はもう話ができないのだ。検死で何かがわかればいいのだが。
アレースと龍がルーズから離れると、ルーズにブルーシートかけられる。騒ぎを聞きつけて集まってきている人達に見られないためだろう。
路地へと続く道のそばで倒れているルーズは、何故そこにいたのか。昨日はどうして急いでいたのか。気になることは多いが、知る由もない。
「昨日俺達はこの男……ルーズと会っているんだけど、重要参考人として連行されるのか?」
「いいえ。アレースさんは連行されません。ただ、そちらの方は刀を所持しているようですので、検死の結果次第では連行させていただきます」
今すぐではなく、検死結果次第。ということは、死因となった凶器は刃物なのだろう。龍は大太刀、太刀、小太刀と三本の刃物を所持している。疑われても仕方ないだろ。たとえ、どこにいたと話してもそれを証明できるのはエリス達だけだ。家族の証言は証拠にはならないだろう。
現場検証にはまだ時間がかかるようで、この道の近くを通って帰ることはできないようだ。住所も名前も聞かれることなく、2人はその場所を離れた。立ち去る前にアレースが男性に何かを告げたが、それは龍に聞こえないほどの小声だった。
この道の近くを通れば早く帰ることはできたのだが、少々暗い道のため人はあまり通らない。それでも、近道となるためたまに人や馬車が通るのだ。だが、ここを通る多くは馬車に乗っている。暗い道のため、歩いて通る人が少ないのだ。何が起こるかわからないほど暗い。犯罪が起こってもおかしくはない。今回のように。
2人が戻ると馬車は少し離れた場所に止まっていた。扉を開けようとした龍だったが、未だにアレースに掴まれていた右手を引っ張られた。
「? どうした?」
「俺は、魔物は嫌いだが……お前達のことは信じているからな」
真剣な眼差しをして言うアレース。どうやら疑われているため、アレースも疑っていると思われているのかもしれないと考えたようだ。そんなことは一度も考えつかなかった様子の龍は、思わず笑ってしまう。
「何笑ってるんだ?」
「いやいや。そんなこと考えてもいなかったなと思って」
笑ったまま扉を開けた龍に、エリス達は不思議そうな顔をしている。右手から手を離すと、先にアレースが馬車に乗った。
扉の前で何を話していたのか尋ねるエリスに、アレースは答えなかった。馬車に乗り扉を閉めると、先ほどと同じ場所に座った。
来た時とは別の道を通るようにアレースが窓から馭者に告げると、まもなく馬車は動き出した。大勢の人がいない道を進む。
「それで、何の騒ぎだったの?」
「ああ。……ルーズ・カスネロアが何者かに殺されたようだ」
エリスもその名前には覚えがあったようだ。それもそうだろう。何度も名前が書かれている紙を見ていたのだから、覚えてもいる。大きく目を見開いてから目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。
静かに紙を取り出すと名前を消した。残るはスカジとビトレイだけとなった。この2人のどちらかが裏切り者なのだろうか。
どちらかというより、2人と言ったほうがいいのだろう。あの時の声はスカジのものではなかった。それなら、ビトレイの声だった可能性が高い。
ビトレイはどのような声なのか知らないのだから。ただ、絶対にスカジの声ではないと言い切れる声ではあった。城でスカジと会話をしていたのを龍は覚えている。しかし、あれがビトレイの声だったともいえない。紙には書いていない誰かの声だった可能性もないとは言えないのだ。
重い空気の中、馬車は進む。龍は扉の窓から黙って外を見ていた。そして、何故か道の端にある花壇の花に目が止まった。重い空気に耐えられなかったともいえる。
「なあ、エリス。あの花ってなんだ?」
「どれ?」
「あの、まだ花は咲いていない蕾の……」
龍の上から外を覗くエリスに、指をさして教える。そこにはまだ蕾の白と黄色の花があった。同じ種類だが、交互に並べられているその花を見てエリスは小さく呟いた。
「咲いたら教えてあげる」
微笑んで言うエリスは元の場所に座ってしまう。花の種類がわからなかったのか、それとも咲いたら本当に教えてくれるのか。
だが、龍が蕾のことを聞いたからなのか、馬車内の空気が変わった。花に興味を持った龍に驚く黒麒だったり、微笑んでいる悠鳥。
アレースも一緒に蕾を見ていたが、彼にはその花の種類がわからなかったようで首を傾げていた。花に興味のある男性は、女性より少ないため仕方がない。
馬車は進む。騒ぎから離れて、静かになった街の中を。エリスの自宅があるヴェルオウルまでもう少し。
その馬車を陰から覗き見ている人物がいたことに、誰も気づくことはなかった。陰から見ていた人物は、口元に笑みを浮かべていた。馬車が見えなくなると、そこから離れて静かに歩き出したのだった。
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