情報屋と情報6





 走って家へと戻ってきたエリスは、扉の前で立ち止まり息を整えている。体力がないわけではないようだが、話しかけられない限り足を止めなかったため疲たようだ。息も切れており、そのまま家の中へ入るのは躊躇われたように見えた。

 暫くして、息が整うと扉を開けて中へ入った。リビングからは声が聞こえてくる。別に喧嘩をしているようには聞こえない。それでも、今までのアレースからすると楽しく話しているようには思えない。

 リビングの扉を開けると、隣り合って座る龍とアレースの姿が見えた。振り返った龍とエリスの目が合ったが、すぐに後ろへと視線が向けられた。

 後ろには白美がいる。しかし、姿はいつもの見慣れたものではない。別に一緒に住んでいるのだから、見られても構わないだろう。アレースに見られたとしても、彼は白美に惚れることはない。そんな確信がエリスにはあったようだ。

「……悠鳥のほうが綺麗だよな」

 その言葉に驚いている黒麒と龍の様子を見ながら、ユキがリビングに入るのを見てエリスは扉を閉めた。リシャーナはまだ来ないとわかっていたようで、来るまで開けている必要もない。エリスはアレースの言葉に驚くこともなく、ソファーへと向かった。

 黒麒が立ち上がり、キッチンへ向かう代わりにエリスがソファーへと座る。ついて来たユキがテーブルの下に潜る。白美は黒麒へとついて行き、彼女はコーヒーを淹れている彼に何かを言っているようだった。

 いつもより身長が高いため、2人は話しやすそうだ。黒麒はかがむ必要もなく話しやすそうにしている。コーヒーとは別にアイスレモンティーを作っているが、それは白美のために作っているのだろう。彼女は冷たいものが好きなのだ。

「で、あの人は誰なんだ? 白美はどうした?」

「ああ、あの子は……」

 龍の問いかけにエリスが教える前にキッチンから2人が戻ってきた。黒麒は手に持っていたコーヒーカップをエリスの前に置き、その隣にアイスレモンティーを置いた。空になっているカップを見て、アレースが無言で渡すので、おかわりを持ってくるために黒麒はキッチンへと戻ってしまった。

 エリスの横に座った白美がテーブルに本を置くと、アイスレモンティーの入ったカップを右手で取り一口飲む。

「冷たくて美味しい!」

 そう言ったのは幼い姿となった白美だった。左手を頬に当てて言う白美は、幸せと言いたげな顔をしている。突然ソファーに座っていた女性が白美になったことに、声もなく驚く龍とアレース。2人は黙って白美を見つめている。

 カップをテーブルに置いて小さく息を吐いた白美だったが、2人に見られていることに気がついて黙ってしまった。アレースと目が合うと、怯えてできるだけエリスの陰に隠れる。

「睨まないであげてよ」

「仕方ないだろ。龍と違って、そいつのほうが長くエリスと一緒にいるんだ。無意識に睨みつけるんだよ」

 悪びれる様子もなく言うアレースから白美は目を逸らすことはない。だがアレースの言い方からすると、睨みつけたいというわけではなかったようだ。

 龍を名前で呼ぶようになったのなら、白美のことも名前で呼べばもう少し怖がられることもなくなるのではないかとコーヒーを飲みながらエリスは思ったようだが、この光景も徐々に変わってくるのかもしれないと様子を見ることにしたようだ。

 口を挟んだとしても、すぐに変わることはないのだ。それなら、様子を見ることにして変わるか変わらないかは2人に任せることにしたのだ。

「今のも化けてたのか?」

「違うよ。化けてるのは、今のこの姿。あの姿はあたしの本当の姿だよ。と言っても、本当の姿はどちらかと言うと獣型なんだけどね」

 ソファーに座っていると、床に足がつかないのでぶらぶらさせて白美は答えた。黒麒は知っていたので驚くこともなく、アレースの前にコーヒーカップを置いた。

 黒麒が先ほどまで座っていた場所にはエリスが座っているので、アレースの横へと座る。飲んでいたコーヒーカップを前に置いて、黒麒は驚いている2人へと視線を向けた。

「睨まれたくないなら、あの姿でいればいいと思わないか?」

「アレースさんは、美人には睨みつけないんですか?」

「……どうだろうな?」

 アレースの口から考えて出た言葉がそれだった。魔物である存在であれば、美人であろうが関係ないのだろう。エリスを助けたのは龍だけではない。使い魔4人が少しであれど、エリスを助けているのだ。感謝はしているのだろう。しかし、アレースは魔物嫌いだ。それはどうすることもできない事実なのだ。

 普通に話しているようであっても、龍とは未だに距離がある。黒麒のように自然には話せてはいない。だが、時間がたてば自然に話せるようにはなるだろう。

「で、アレースは何しに来たの? リシャーナに家に向かっていくのを見たって聞いて急いで戻って来たのよ」

「リシャーナだと!?」

 嫌そうな顔をするアレース。聞いたことのない名前に龍は首を傾げる。2人が知る人物なのはわかるが、アレースの顔からすると関わりたくない人のようだ。余程嫌な人なのか。それとも、苦手なのか。龍は知らない人物なので、わかるはずもない。

 アレースは右手で顔を覆って黙ってしまう。小さく何度か息を吐くと、一度大きく息を吐いてここに来た理由を話しだす。

「明日、護衛をしてもらいたいんだ」

 護衛。何故アレースに護衛が必要なのか。一般人に護衛が必要な場合は、余程危険な場所へ行く時だけだ。だから明日、危険で護衛が必要な場所へ行くのだろうと龍は考えたようだ。

 しかし、何故エリスに頼むのか。護衛を受けてくれそうな人は、街にもいるだろう。魔物討伐を専門にしている人がいるのだ。護衛を専門にしている人もいるだろう。

「別に危険な場所に行くわけでもないが、用心に越したことはないだろ?」

 危険な場所には行かない。もしかすると、アレースは命を狙われるような仕事をしているのかもしれない。だから、そのようなことを言うのではないのか。

 アレースが何をしているのか、龍は知らないのだ。言わないのなら、聞くこともないと考えたようだ。

 たとえ、危険な場所に行かなくても命は狙われる。街中で突然知らない人に刺されるかもしれないのだ。それは、どんな人にも有り得ることだ。

「強い者を護衛にと考えたが、中には依頼主を殺すやからもいる。それなら、信頼できるエリスとこの間の戦いでエリスを守ってくれた使い魔達に頼もうと考えたんだ」

 笑みを浮かべて「お前達なら俺のことも守ってくれるだろう」と言って、アレースは微笑んだ。その顔を見たエリスが龍を見た。いや、龍ではなく着ている服を見たようだ。

 服に何かついているのかと龍は確認したが、何もついていなかった。視線をエリスへ戻す。するとエリスは、アレースへと視線を戻して口を開くところだった。

「龍を気に入ったのね。昔着ていた甚兵衛羽織の背中を切って、翼が出るようにしてあげるくらいに」

「え?」

「ちょ、まっ! な、何を言ってる……お、俺は、べ、別に」

 動揺し、目が泳いでいるアレース。龍は自分が着ている甚兵衛羽織へ視線を向けた。丁度いいサイズのそれがアレースのものだとは知らなかったようだ。たとえ、誰かの物だと考えていたとしても、アレースの物だとは考えもつかないだろう。

 いつ着ていたものなのか、龍より身長が高いアレースが着ていたものなので、数年前のものだろう。龍はそれを着ていて、サイズが少々大きいことから、魔物用の服ではないことに気がついていた。アレースは甚兵衛羽織を大切にしていたのか、ボロボロにはなっていない。

 それを切ってまで龍が着れるようにしたのは何故なのか。エリスが言うように、気に入ったからなのだろうか。彼の動揺からして図星なのかもしれないが、もし本当なら龍を気に入った理由がわからない。

 魔物嫌いの彼は、龍に対して態度が変わったと言っても、黒麒以外の魔物は嫌いなままだ。すぐに魔物嫌いを直せと言っても、無理だろう。

 妹であるエリスの使い魔で、彼女を助けた。彼にとってはそれだけの理由でいいのかもしれない。それだけで信用でき、心を許せるのだろう。だがそれだけではないような気が龍はしていたようだ。

「ま、俺が昔着てた寝巻きだ。今は着れないから、お前に着せてやっただけだ。翼が邪魔で着せるのが大変だったぞ」

 服を提供してくれただけではなく、意識がなかった龍に服を着せてくれたのもアレースだったようだ。怪我をしていた黒麒や女性であるエリス達が着替えさせるわけはないだろう。

 それならば、他の人物が着替えさせてくれたとしか考えられない。いつここへ来たのかわからないが、着替えさせてくれたのはアレースしか考えられなかった。

「それと着ていた服が駄目になったらしいな」

「妾がアレースに着れなくなった服を渡したのじゃ」

「同じ素材で、同じ服を10着作ったから安心してくれ」

 そう言って右手で指を鳴らす。すると、アレースの膝の上に紙袋が現れた。それはアレースが使う魔法の一つ。龍が袋の中を覗くとそこには服があった。

 アレースは隣に座っている龍の膝の上にそれを置いた。思ったより重量があったそれに、龍は僅かに目を見開いた。袋の中に入っているのが、言っていた服。同じ素材で作ったと言っていたが、たった2日で10着もどうやって作ったのだろうかと龍は首を傾げる。

 1人で作ったのか。しかし、1人では2日という時間で作れる量ではない。

 それとも、以前黒麒が言っていた魔物用に専門の人が作ったのだろうか。時間から考えると、そうなのだろう。だが、専門の人が作ったのならばお金がかかる。それにこれは、オーダーメイドだ。普通に買うより値段が高いだろう。

「値段は1着162000スピルトだ」

「やっぱり魔物用の服は高いわね。お金は払わないからね。アレースが勝手に頼んで作ってもらったんだもの」

 そう言うエリスに「あれは払わなくていい」と答えた。どうやらこの服は、エリスを守ったお礼だったようだ。それにしても高いお礼なのだろう。この世界の通貨のことを龍はよくわからないが、エリスが高いと言うのだから高いのだろうと思ったようだ。

 龍はどうせなら以前と違う服を作ってくれてもよかったのではと思ったようだが、口に出すことはしなかった。その代わり、お礼を言う。

「で、さり気なくいるけれど……。悠鳥、その背負っている大きい包みは何?」

「これは昔、友から貰ったものじゃ。その友がいるであろう場所に行ったのじゃが、友はおらんかった。まあ、考えればわかることじゃったがな」

 少し悲しそうな顔をする悠鳥。彼女はエリス達が出かけたあとに、用事があると言って出かけていた。どこに行ったのかは誰もわからないが、友人に会いに行っていたようだ。

 だが、会えなかったから悲しいという顔ではない。もしそうだとしたら、龍を見て黙ってしまうことはないだろう。今にも泣いてしまうのではないかと思ってしまうほど悲しい顔をしている。しかも龍を見たまま。

「龍がここにおるということは、あやつは世代交代をしたということじゃ。転生せずに、お主を『黒龍』にしたんじゃ……。あの男には会っとらんか?」

「……老人になら会った」

 それを聞いて悠鳥は目を見開いた。小さく「もうそんな年齢になっておったのか」と、呟く。それはどういう意味なのか。だが、悠鳥が以前会った時は老人ではなかったということなのだろう。

 悠鳥が『黒龍』だったあの老人と知り合いだったことに龍は驚いたようだが、未だに泣きそうな彼女に何も言わない。アレースは黙って悠鳥を見つめている。他の人達も黙ったままだ。

 誰も口を開かない静かな時間が数分たった。先に口を開いたのは悠鳥だった。背負っていた包みをテーブルの上に置く。それには長いものが入っているようだ。

「昔、友がもう使えないから貰ってくれと言っての。妾は使うことができなかったが、大切に持っておった」

 包みを取ると、そこから出てきたのは三本の刀だった。一本は大太刀。残りの二本は太刀と小太刀だ。三本全てが黒い。

「これを其方に」

 テーブルに置いた三本に触れながら龍に言う。友人からもらった刀を何故龍に渡すのかと誰もが思ったようだ。

 会いに行った友人が、龍ではない『黒龍』で、その人から貰ったものを簡単に手放していいのか。悠鳥が貰ったものだから、彼女が他人にあげようが構わない。しかし、友人から貰ったものを大切にしていたのだ。それなのに、簡単に手放していいのだろうかと誰もが思ったようだ。

「あの『黒龍』の爺さんが、昔使っていた刀じゃ。大太刀は手に持っておったが、いつも三本持ち歩いておった。年だからなのか、人型にあまりならなくなったから貰ったのじゃが……龍が持っておるほうが刀も喜ぶじゃろう」

 微笑みながら「この刀は歴代の『黒龍』達が使っていたという刀じゃ」と、続ける悠鳥に龍は右手で三本の刀に触れた。すると、それぞれの刀が鼓動を打ったように感じられた龍は、刀から熱も感じて手を離して悠鳥を見た。何も言わず笑っている彼女の手は刀に触れている。もしかすると、龍が感じたものを彼女も感じたのだろうか。

「刀も喜んでおる。其方は武器を持っておらぬ。魔法が使えるかはわからぬが、武器を持っておるのがいいじゃろう」

「ああ。ありがとう」

「礼はいらぬ。妾は貰ったものを返したようなものじゃ」

「俺が持ってきた服を着て、刀も装備したところを是非見せてくれないか?」

 横にいたアレースが微笑んで言った。それに全員が賛同したが、龍は刀の差し方を知らない。

 困っている龍に、察した黒麒は自分が手伝うとソファーから立ち上がる。ソファーの後ろを通り、龍の膝に置かれていた紙袋を手に取った。階段脇の部屋の扉へと手をかけた黒麒に、龍はテーブルに乗っているコーヒーカップにぶつけて落とさないように刀を抱えた。

 扉を開けて待っていた黒麒の横を通る。その部屋は衣装部屋だった。階段を下りてすぐの場所にある扉の向こうが何の部屋なのか気になっていた龍は、そこが衣裳部屋だったことに驚いた。多くはエリスの服なのだろう。しかし数着男物の服もあるので、黒麒達の服も置いてあるようだ。

 入口の近くにはスタンドミラーがあり、テーブルと椅子も置いてある。椅子は2脚あり、ここで着替えることもあるのだろう。

 扉が閉まる音を聞きながら、龍は持っていた三本の刀のテーブルに置いた。

「翼が前より大きくなっていますが、着るのに問題はないでしょう」

 紙袋をテーブルに置き、服を取り出しながら言う黒麒に龍は自分の翼を見た。あの国境戦争の戦いから、龍は人型を保てるようになっていたが、それだけではなく翼も大きくなったままだ。

 翼が大きくなったことは嬉しいだろう。しかし、服を着脱するには不便にみえる。

 魔物用の服は伸びるので、翼が大きくなっても着にくくなる程度で問題はないだろう。ただ、魔物用の服ではない甚兵衛羽織を脱ぐのには苦労するのだろう。龍は少し手間取っている。

――今後のために翼を小さくする方法を探さないといけないかもな。

 黒麒に手伝ってもらいながら、龍は甚兵衛羽織を脱ぎ始めた。手伝ってもらわなければ、1人で脱ぐのは大変なようだ。

――黒麒が一緒にいてよかった。

 龍は甚兵衛羽織を脱ぐと、黒麒に手伝ってもらいながら着替えを始めた。












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