5minutes

@Kunstkammer

第1話 5minutes

 5分。300秒。1日の中のほんのちょっとの時間。長い人生の中では一瞬の時間。

 でもそのたった「5分」が鋭く尖って、僕の心の中に突き刺さって抜けないでいる。

 これは僕の後悔の話。


 彼が我が家に来たのはもう十数年前の話だ。今はもうなくなってしまったペットショップに長い間売れ残っていて、体も大きく猫としてはかなり値下がりしていた。僕たちをにらみつけるその顔は、お世辞にもかわいいとは言えなかった。僕の父は「売れ残っていてかわいそうだから買ってあげるんだ」とそれらしい理由を宣っていたが、実のところ以前から彼に目をつけていて、最初から飼う気満々だったのだ。家族会議という名の建前を経て、彼は我が家の一員となった。僕は猫を飼うのは初めての経験だったので、期待半分、不安半分だった。しかし彼が来てからは戸惑いの連続。ただ歩いているだけで引っかいてくるし、一切なつくそぶりを見せない。日中は学校にいない僕と違って基本家にいて世話をしてくれる母親には割とすぐなついたのだが、それでも最初の頃彼と人間との闘争の日々であった。


 彼は元々筋肉質な種族であり、身体能力の高さをいかんなく発揮して僕たちを悩ませたものだった。しかしいつからだったろうか、次第に食べるエサの量が増加し、丸々と太っていった。その体格に似合わない素早さはあったものの、問題はエサを昼夜を問わずに要求するようになったことだ。夜遅くだったり朝早くだったり、とにかく鳴き声をあげて睡眠妨害に勤しんでいた。エサを与えていたのは基本的に両親だったので、僕はそこまで被害を被ることはなかったのだが。


 僕が大学を進学するころには彼はもう人間で言えば老人になっていたが、元気は有り余っているし、なにより長い間一緒に生活していたはずなのに僕との関係は膠着状態のままだった。僕は上京し長期休暇の時にしか帰省しなくなったので、彼と顔を合わせる時間はかなり少なくなっていった。いくらなついていなても、やはりいないと寂しく感じる。でもまた再開すると、かわいげのない奴だと、互いに反目し合うのだった。


 事態は僕の大学生活の終盤にさしかかろうという時に急変した。彼に癌が見つかったのだ。帰省した僕が目にしたのは、あの規格外に膨らんだ腹も萎んで、かつての姿は跡形もなく痩せこけた彼の見るも無残な姿だった。彼の死期が近いことは家族皆感じとっていた。病魔に蝕まれながらも、その食欲は全盛期と変わらず、むしろ今まで食べてこなかったものまで食べるまでになっていた。もうすぐ死を迎えようとする猫とはとても思えなかった。


 僕はといえば就職活動があまりうまくいかず、結局大学に残ることにしたが、ほとんど大学に行かなくていいので自宅に戻った。1日の大半を自宅で過ごすので、彼と人生で一番長く1日を共に過ごす生活が始まった。餌やりなど世話もかなりしたと思うのだが、はたしてなつくはずもなかった。だが食欲は全盛期と変わらなくても、もう僕と戦うような元気はなくなっていた。


 そして春のある日、彼は突然倒れた。それまで元気だった彼の容体は急変し、僕はうろたえるばかりだった。まだ呼吸はしていたが、父は恐らく今夜が峠だと言った。覚悟はしていたはずなのに、ガツンと後頭部を殴られたようだった。両親は泣いていたが、僕は格好つけて涙をこらえ気丈に振る舞って見せた。母親は朝まで付きっきりで看病すると言い、平日というのもあり父は仕事に備えるために床に就いた。僕は朝になったらもう別れの時が来てしまっていると思いつつ眠った。


 そして次の日の朝、僕を一生縛り続けるであろう「失敗」をやらかした。朝の8時に起床。そして階段を降りていくと、彼はもうすでに旅立っていた。7時55分、僕が二度寝から起きる5分前である。たった5分の差で、彼の最期を看取ることが出来なかった。悔しくて、悲しくて、今にも泣き出しそうになったが、母親の手前、なんとかこらえることが出来た。しかし彼を埋葬する時になって、ついに決壊し大声をあげて泣いた。彼がいなくなったことも悲しかったが、何よりも5分遅く起きたせいで彼を見送ることが出来なかったことが非常に僕の心を押しつぶした。その日は夕方になるまで部屋にこもって泣いた。結局彼は一生を通して僕になつくことはなかった。自らの矜持を捨てぬままこの世を去ったのだった。


 もうかなり日が経つのにあの「5分」が度々思い出され、僕の心を暗くする。つきまとい続ける「呪い」を生み出したのは、たった「5分」の差。

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