第一章 黒き深淵への序章

その1-1 早くなんとかして!

 未明。

 管国北西部 ホルン村付近――

 

 目が眩むほどの稲光が眼前を過ぎったかと思うと、間髪入れずに轟いた雷鳴が耳朶を震わせる。

 瀧のように降り注ぐ大粒の雨が容赦なく身体を打ち付ける中、我儘少年は思わずその音に身を竦ませた。


「おーい、近くね今の?」

「ムフン、オヘソ取られちゃうヨー」

「ボケッ、そんな事いってる場合かっつの」


 背後から相も変わらぬクマ少年のお気楽極楽なのほほん声と、なーんにも考えていなさそうなバカ少年の能天気な相槌がそれぞれ聞こえてきて、カッシーは律儀にツッコミを入れた。

 そして眼前に迫ってきている『それ』に向けて、ブロードソードを正眼に構える。

 できれば見間違いであって欲しかった。

 だが『それ』は灰色の暗雲に覆われ、雨煙る視界故の幻視でもなんでもなく――

 見紛うこと無く周囲に一面に広がる墓標の下から確実に一体、また一体と這いだし、少年少女達を追い詰めていたのだ。


 再度の落雷、そして轟く雷鳴。


 雷光が露にした『それ』は、彼等が通いなれた高校の生物学室に置いてある、とあるものに酷似していた。

 目の部分はぽっかりと窪んで黒い空洞になっていた。

 いや、眼の部分だけではない。鼻の部分も口の部分もそうだ。おまけに髪もはえてない全員丸坊主。

 胴も足も腕も、随分とまあスマートで、腰周りなどスタイル抜群の我等がまとめ役の少女より細い。

 ただ余分な肉がまったくないその身体は、とてもではないがセクシーとは言い難いが。

 そう、もとい骨だけ。

 というか骨だけ。


 突如、まるで雨中の蚯蚓みみずのように土の中から現れた骸骨スケルトンの集団は、生ある者が放つ命の光に群がるが如くカッシー達に迫りつつあった。

 

「カカカカカッシー、ななななんでかな? ここここ骨格標本が動いてない? ねえ、ああああれどうやってうごいてるのかな!? ねえ!?」


 お化けの類が大の苦手である日笠さんは、カッシーに隠れるようにしがみ付きながら、骨の集団を凝視しつつ顔面蒼白で尋ねる。

 こりゃダメだ、完全にテンパってる――すっかり気が動転している少女を向き直り、カッシーは口をへの字に曲げた。


「落ち着けって日笠さん、あと頼むからちょっと離れてくれ! 剣が振るえない」

「ごごごごごめんなさい、すいません! すいません!」 

「まったく、骨が動くなんて、常識の範疇を越えてるわね」

「あら、恵美がそれいうの?」

「なっちゃん……」

「冗談よ」


 馬車の窓から顔を覗かせクスリと微笑んだなっちゃんをちらりと見つつ、音高無双の少女は心外そうに小さな溜息を吐く。だが彼女はすぐに眉間のシワをより深いものにしてスケルトンを睨みつけると、ヌンチャクを構え迎撃態勢を取った。


「うわーめんどい。よりによってこんな雨の中出てこなくてもよくない?」


 一方でようやくもって馬車の中から出てきたお騒がせ王女様のご機嫌は大そうに悪そうだ。お気に入りの旅用のドレスの裾がどんどん濡れていくのをちらりと眺め、辟易したように呟くと、エリコは手に持っていた鞭を解いて構える。

 だが愚痴をこぼしつつも雨除けのため目深に被った外套の奥で光るその紅い瞳は、群がる骸骨達を油断なく見据えていた。

 

「まあ、なんとなく予想はしてたっスけどね」


 と、雷鳴で怯えぬよう、馬の鬣を優しく撫でて制しながらチョクが答える。

 到着したのはつい数分前。

 噂に聞いていたアンデッド出没の報、そしてこの曇天の下見えてきた墓標の数々に突如振りだした豪雨――むしろ出てこないと考える方が不自然だ。


「俺は馬車を護るッス、姫とカッシー達は迎撃をお願いできますか?」

「オッケー、カッシー達準備はいい?」

「……わかった」


 ざっと見えるだけでも十数体。土から這いだしたそばから、こちらに向かってのっそりと歩んできている。

 手に持つ武器は槍、剣、こん棒と様々だ。彼等が生前持っていた物なのか、はたまた噂の『あいつ』が用意したものか――

 迫りくる白骨集団の背後に不気味に聳え立つ古城をちらりと見上げ、カッシーは意を決したようにエリコの声に応答した。

 

「あああああの逃げません? ねえ無視して逃げません? できれば相手したくないです!」

「逃げるのは賛成、でも囲みを解かないと無理でしょ?」

「デ、デスヨネー……ヤッパリヤルンデスヨネ……はぁ」

「そういうこと。一点突破で道を作るわ。チョクも隙があったら馬車を出してよ?」

「わかったっス」

「まゆみ、無理しないで馬車の中に入ってたら?」


 魔曲の効果なら馬車の中からでも援護はできるだろう。無理すると彼女は別の意味で色々まずいことになりそうだ――

 彼女のお化け嫌いは、文化祭で起こったとある悲劇からよーく知っている。

 楽器が濡れるのを避けるために馬車の中でチェロをスタンバイしていた微笑みの少女は、そう言って日笠さんを手招いた。

 だがしかし――


「あ、じゃあお言葉に甘――」 

「二人とも、お喋りはそこまでっ!」

「へっ!? えっ、えっ!?」

「きたっ!」


 凛とした風紀委員長の声が会話を遮るように響き、呼応するように我儘少年が腹の底から声を出す。

 目をぱちくりさせながら振り返った日笠さんの視界に映ったのは、カラカラと音を立てながら手に持つ武器を振り上げ、こちらへ襲い掛かろうとしていた骸骨兵スケルトンの集団であった。

 

「ひっ!?」

 

 眼窩の中にないはずの光る瞳が見えた気がした。

 予想外の速さだ――それまでの緩慢な動きが嘘のように、一足飛びに間合いを詰めてきた先駆けの一体と目が合って、日笠さんは思わず締め上げられたような悲鳴をあげる。

 だが彼女を庇うように一歩踏み込んだ我儘少年が、骸骨兵スケルトンの振り下ろしたその剣を受け止めた。

 剣戟の音色が豪雨の中に響きわたる。

 

「ぐぎぎぎ……」

「カッシー!」


 安堵と共に放たれた日笠さんの呼び声に、少年が返答できる余裕はなかった。

 骨だけのくせに大した力だ。一体どういう仕組みなんだっつの――

 何とか受け止めたその凶刃が眉間に向かって徐々に迫るのを、カッシーは豪雨でぬかるむ地を踏みしめて押し返す。


「おーい、やばくね?」

「そう思うなら、見てないで助けろっつの!」

「へいへーい」


 呑気な返事と共にこーへいは腰の投げ斧トマホークに手をかける。

 だが彼が握りしめたその投げ斧トマホークは、残念ながら我儘少年の援護へ向けられることはなく――

 刹那、女神様彼の勘が告げた前方からの襲撃に備え、クマ少年はそれを額の上に構えた。間髪入れずに鈍い木の音が木霊する。

 あぶねーあぶねーありがとよ女神様?――

 構えた投げ斧の刃で受け止めたこん棒を、眉尻を下げながら眺めつつこーへいは猫口を浮かべた。

 

「わりーカッシー、新手だ。そっちは自分で何とか頼むぜ?」

「はあ!?」


 言葉の内容と正反対のまったくもって緊迫感のないこーへいの声色に、カッシーは素っ頓狂な声をあげる。ちらりと見えた視界の端でクマ少年が骸骨兵のこん棒をいなし、投げの体勢に持ち込むのが見えた。

 仕方ない、こっちはこっちで自力でやるしかなさそうだ――意を決して我儘少年はギリリと奥歯を噛み締める。

 だがそんな非常事態にも拘わらず――

 

―ケケケ、どうした小僧。また苦戦してんのか?―


 何とも嬉しそうな軽口が聞こえてきて、少年は苛立ちのあまり額に青筋を生み出すこととなった。

 この声の主が誰であるかなど確認せずともわかっている。


「うるせー、黙ってろこのナマクラ」


 必死に骸骨兵の剣を押し返しながら、カッシーは喉の奥でうざったそうに唸り声をあげた。


―必要なら力貸してやるぜ。遠慮なく言えよ?―

「絶対にごめんだ! 二度とお前には身体を貸さないからな!」


 途端に彼の腰に差された『喋る刀』から舌打ちが聞こえてきた。

 冗談じゃない。数日前にようやくもって本調子に戻ったばかりなのだ。

 あの地獄の苦しみは二度と味わいたくない――

 パーカスで体験した極悪な筋肉痛を思い出し、カッシーは顔に縦線を描く。


―この強情張りめ。まあいい、機を逸して死ぬなよ?―

「言われなくてもわかってる!」

―ケケケ、ならしっかりやれ。ほれ、新手が来てるぜ?―


 ちょっと待て!――と、楽しそうに告げた妖刀のその言葉を聞いて少年が面喰った時だった。

 はたして、時任の言葉通り、少年のすぐ近くの土が盛り上がったかと思うと、白骨化した白い手が地表へと姿を現す。

 一つどころじゃない。右前方、左後方、右真横にも――

 次々と泥濘ぬかるみを突き破って姿を現した骸骨兵スケルトン達を見て、カッシー口の端を引き攣らせた。

 

「おーい、マジか?」

「ふざけんなっ! そこかしこに埋まってるのかよ!?」


 雨後の筍かこいつらは。まだ豪雨は止んでないぞ。

 とにかくのんびりやってる暇はなさそうだ。これじゃ、時間が経てば経つほどこちらが不利になる――

 少年は歯噛みしながら地から這い出る骸骨兵新手を見据える。

 

 刹那。

 

「ひっ!? やだ放して!」


 覚えのある声だった。 

 聞こえてきたのは切羽詰まった少女の悲鳴。途端に二人の少年は意を決すると同時に動き出した。

 

「てえりゃあっ!」

「あーらよっとぉ!」

 

 額に迫る凶刃を力を籠めて押し返し、カッシーは返す刃で骸骨兵の背骨を横一文字に胴薙ぎする。中心となる骨を達磨落としのように吹き飛ばされ、上半身と下半身を分離された『動く骨格標本』はその場に崩れ去った。

 ほぼ同時に、その横でもう一体の骸骨兵が大地に叩きつけられ、派手に泥濘をまき散らしながらバラバラになって吹き飛ぶ。

 こーへいが放っていた見事な一本背負いによってだ。

 行動を阻害していたそれぞれの敵を撃退すると、カッシーとこーへいは急ぎ馬車を振り返った。

 

「日笠さんっ?!」

「おーい大丈夫か?」


 と、視界の先で土から上半身を蘇らせた骸骨兵によって足を掴まれ必死に逃げようとする日笠さんの姿を捉え、二人の少年は息を呑む。


「いやあああああーっ! たたた助けてカッシー!」


 一体どこから出ているのか解らないほどの金切り声。普段の彼女からは考えられない取り乱しっぷりだった。

 だが涙目でじたばたもがく日笠さんの行動は、彼女の右足首をしっかりと掴む骸骨兵が土から這い出るのを助長してしまっていた。

 このままじゃまずい――二人は急ぎ日笠さんに向かって足を踏み出す。

 

 だがしかし――

 

 その背後で再び放たれ始めた殺気と気配を感じ取り、彼等はおそるおそる振り返った。

 そこに見えたのは、先程二人が倒したはずの骸骨兵が徐々に接合して再生する驚愕の光景。


「おーい、そりゃないぜ」

「ボケッ! ズルだろ!?」


 アンデッド。『不死の者』と書いてアンデッド……それはわかってはいたが。

 だがちょっと待て、そんなのありかよ!――

 さしものこーへいも、辟易したように眉尻を下げる傍らでカッシーは悔しそうにそんな事を考えつつ歯噛みする。

 

 と――


 やにわに二人の背後から蛇のように唸る皮の鞭が飛び出したかと思うと、復活しようとしていた骸骨兵の頭部に絡みつき、そして熟れた林檎をもぎ取るようにしてその頭骨を胴体から切り離した。

 呆気にとられる二人の間を鞭は音をあげて舞い戻り、手繰り寄せた頭骨を泥飛沫をあげながらその主の眼下へと献上する。

 数秒後。

 カタカタと無念そうに顎を開閉させた頭骨は、哀れ鞭の主の踏み出したヒールによって陶器のような音を立て、砕かれることとなった。

 ほぼ同時に二人の少年の背後で頭部を失った骸骨兵の胴体がバラバラになってその場に崩れ落ちる。

 

「狙うなら頭か、全部粉々にするかどっちかよ。こいつら、そうしない限り何度でも復活するから」


 だからこいつら不死者アンデッドの相手は厄介なのだ――

 鞭を器用にまとめながら二人の背後に歩み寄ったエリコは、口早にそう言うと復活しかけていたもう一体の骸骨兵の頭を思いっきり蹴り飛ばした。

 サッカーボールの如く宙を舞ったその頭骨は、近くの墓標に勢いよく命中すると派手に砕け散る。

 やにわに頭部を飛ばされたもう一体の骸骨兵ももがき苦しむように手をバタバタとさせると、やがて活動を停止した。

 

 なるほど頭か。

 納得したように頷きながら二人はエリコを振り返る。

 

「けどちょっとエグイ……」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。やらなきゃこっちがやられるわよ?」


 口をへの字に曲げてそう言った我儘少年に向けて端正な眉をピクリと吊り上げ、エリコはフードの奥の紅い瞳を輝かせた。

 刹那、背後で途端に響き渡るケタケタ笑い。三人は呆れた様子で振り返る。

 姿が見えないと思ったらやっぱり隠れていたか――と。

 

「ソレハ良いコト聞いチャッター!」


 はたして、叫ぶが早いが避難していた馬車の屋根から飛び降りたツンツン髪の少年は、手に持っていた棒を逆手に構え日笠さんの傍らに落下する。

 刹那、少年の全体重を乗せた棒の先端は、少女の足を掴み這い出ようとしていた骸骨兵の頭部に突き立てられ、それを粉々に砕いた。

 やはり薄い陶器が割れたような音を響かせながら骸骨兵は活動を停止する。

 奇襲成功♪――着地したかのーは立ち上がるとご満悦でぷくりと鼻の穴を膨らませた。

 

 だが――

 

「ひゃああっ!? ちょっ、きゃあああっ!」


 時を同じくしてまたもや響いた少女の悲鳴、そしてしばしの間の後聞こえてきた泥を跳ね上げる飛沫音。

 足を掴んでいたその白骨の手が急速に力を失ったことにより、必死に逃れようとしていた日笠さんは勢い余って派手に転倒する。

 べちょ――と、聞こえたその音を振り返り、かのーは鼻息を一つ吐くと前のめりに泥濘に突っ込んでいた少女を向き直った。


「ドゥッフ……ひよっチ、泥パックはビヨーにいいラシイヨー? 」

「そんなのいらないわよ! うえぇぇん、もうやだこんな所!」


 覗き込むように顔を近づけてきたかのーを恨めしそうに見上げ、服も顔も泥だらけになった日笠さんは半泣きで恨み節を言い放つ。

 

「日笠さん大丈夫か?」

「大丈夫じゃないっ! 早くなんとかして!」

「……んー、まあ平気じゃね?」

「……そうだな」

 

 まああっちは何とか大丈夫そうだろう――泥まみれで泣き言を口にした日笠さんを眺めて、安堵の吐息を漏らすとカッシーは前方を向き直った。

 倒せたのはまだほんの数体だ。

 何とかしてこの囲みを切り崩さないと逃げることもままならない。

 

「エリコ王女、援護頼む!」


 未だ止む気配のない豪雨の下、またもや轟いた雷鳴を皮切りに、少年は骸骨兵へ突撃を開始した。

 


♪♪♪♪



 グスン……。

 前略。

 皆様お変わりないでしょうか? ひ、日笠まゆみです。

 恥ずかしいところをお見せしております。お察しの通り私、お化け超苦手でして――

 ホラー映画とか、お化け屋敷とか絶対無理で誘われても遠慮ばっかしてたんですが、それがまさか本物に出会うことになるとは。いや話には聞いていたのですが、聞くのと見るのとではやはり大違い。

 迫力全然違うんだもん。ああ、早く終わってくれないかな……。


 ええと、話が逸れましたすいません。

 カナコさん達の協力もあってパーカスでの一大作戦を見事成功させ部員達とも合流できた私達は、新しい馬車に乗って当初の予定通りホルン村へと旅だったのであります。

 

 その後の旅は順調でした。エリコ王女にも絶対に運転させませんでしたしね。

 そしてパーカスを発って二日後、私達はようやく目的地であるホルン村へと到着することができたのです。


 え? それが何故あんな化け物の集団と戦っているのか――って?

 それに今どこにいるのかですか?

 えっとその……現在私達は菅国北西にあるホルン村からさらに馬車でまる一日東へ向かった、『コルネット古城』という廃城に向かおうとしています。

 というかもう古城はすぐ目の前なのに、ご覧の通り骸骨兵スケルトンに囲まれて大ピンチなんですけどね……とほほ。

 

 そもそもどうして私達がその『コルネット古城』に向かう事になったのか。 

 それを説明するには少し話を遡らねばなりません。

 

 

 事の発端は二日前、ホルン村に到着した私達が聞いた村長の一言からでした――

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