ACT106 無理難題

 私は、正座をしている。

 正座を強いられているわけではない。

 ヤスヒロの部屋に入るのは難しくなかった。

 鍵もかかっておらず、MIKAがノブを捻ると簡単に扉は開いた。

 ぎょっとした顔のヤスヒロの顔が飛び込んでくる。


 きっと家族は気を遣って勝手にドアを開けたりしなかったのだろう。

 だが私たちは違う。正確に言えばMIKAは違う。

 さすがに私も、人の部屋に勝手に入るような真似はしない。

 それにしてもMIKAの部屋に入る動作は流れるようだった。


 ノック。

 声掛け。

 突入。

 この三段階。


 目標の作曲家ことヤスヒロは抵抗する間もなく部外者二人の侵入を許した。

 もちろんヤスヒロは抵抗する意思を見せた。


「なに勝手に入ってきてるんだよ!」


 強めの語気に、つい謝りそうになる私。

 そんな私を尻目にMIKAはこれまた強めの語気で言う。


「うるさい。ワガママばかり言わないの!」


 何処か窘めるような口調は、自然と口をついて出てきたものだったようだ。

 染みついた習慣と言ったところだろうか。

 何はともあれ、MIKAの一喝(?)により戦意を喪失したヤスヒロは椅子に腰かけ、背を向ける。

 イヤホンを装着。完全に現実世界から逃避するつもりだった。

 そこでまたMIKAがズカズカと部屋を突き進み、ヤスヒロの耳からイヤホンを引き抜いた。


 大音量の音楽が部屋に鳴り響く。

 流れる音楽より大きな声でMIKAが叫ぶ。


「ちゃんと人の目を見て話しなさい。逃げるな!」


 最早、ヤスヒロの中でMIKAは恐怖の対象となっていた。

 話などできる筈もない。


 そして今に至る。


 三人ともが言葉を発さない。

 部屋には大音量の音楽が流れ続けている。

 無言の圧力。空気はピリついている。

 その緊張感からか、私は自然と背筋を伸ばし、正座をしていた。

 前には脳立ちのMIKA。

 MIKAを挟んで、椅子の上で足を抱えて小さくなったヤスヒロが見える。


「じゃあ……」


 音楽にかき消されそうな細い声でヤスヒロが喋り出す。


「ん?」


 尊大な態度でMIKAが聞き耳を立てる。


(そんな威圧しなくても……)


 口に出したら殺されそうな気がした。

 気がしただけだと思いたいものだ……


「お前たちが――」


 すかさずMIKAの訂正が入る。


「お前たち?」


 顔は見えない。

 だが、背中越しでも分かる。ヤスヒロは震えている。

 少なくとも声は震えていた。


「ふ、二人が俺を納得させてくれればいいよ」


 まだ碌に作曲の以来の話はしていない。

 それでもヤスヒロは大体の目星をつけているようだった。

 自分とMIKA、そして私――新田結衣との関係性を。


 作曲の依頼に来たという事は理解しているようだ。

 こちらとしても説明する手間が省けて大助かりなのだが、問題は了承してくれていないところにある。


「納得ってなに?」


 そう、納得させろと言う事はこちらに作曲の対価を求めていると言う事。

 出来る事なら構わないけど……無理なものは無理だよ。


「……簡単なことだよ。教えてほしい。俺が作曲することのメリットを」


 メリット? お金が入って来るけど……


「私たちの曲は話題性もある。売れるわ。ミリオン――いや、ダブルミリオンも射程圏内! その作曲よ。印税だけでいくらになるか分かる?」


 やはりMIKAも私と同じ発想だ。

 芸能人とはそういうものだ。

 金で動く商品。言い方は悪いがそれが現実であり真実なのだ。


「金は要らない。そんなものの為に曲は作らない」


 決して大きな声ではなかったけれど、流れる音楽にかき消されることなくヤスヒロの声は耳に届いた。

 この意志ある言葉はどんなに説得したところで曲げられない。

 これにはMIKAも諦めた様子で、


「分かったわ」


 そう一言告げると、足早に部屋を出て行った。

 急いで追い掛けよとした私はそこで気付く。

 今までずっと正座をしていたことに。


(ヤバイ……足痺れた)


 立つことが出来ずにターミネーターポーズをとっていると、すでに私たちが部屋を出て行ったと思ったヤスヒロと目が合う。


 すっごく気まずかった。

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