ACT49 本物のキス

 少年男子100メートル決勝。

 会場は異様な熱気に包まれていた。

 黄色い声援から野太い声援まで多岐にわたる声援の数々に混ざり、「もう終わってるよ」「無理だろ」「今更だよな」と好意的ではない声もちらほら聞こえてくる。


 スタートラインに選手が並ぶ。

 準決勝のタイム順で言えば赤崎くんは4番目。ブランクがあるのだろうか、タイムは本来の出来からすればかなり悪いとのこと。


「「応援しないの?」」

 二人して私で遊んでいやがる!?

 選手が紹介されていく。

 赤崎くんの順番になると一際歓声が大きく鳴った。

 それと同時に野次が飛び交う。


 性質が悪い事に、野次を飛ばす人間は総じて厳つい(怖い)。

 だから注意する人もいない。

 さっきまでの歓声が嘘のようにサーっと引いていく。


「みんなにわかファンだからね」

「にわか?」

「そうそう。むしろさっきから野次飛ばしてる人たちが昔からのファン。想いが強ければ強い程、そのベクトルが反対方向を向いた時の反動って凄いよね」

 瑞樹は笑っているけど、張本人は笑っていられないだろうな。

 大丈夫かな赤崎くん……。


「がんばってー! 赤崎くーん!!」


 偶然にも野次と野次との間に滑り込んだ声は見事に会場に響いた。

 言ってから急に恥ずかしくなり顔を伏せる。

 瑞樹と高野さんが左右の手を一人ずつ持ち、上にあげて振っているのが判る。

 きっと赤崎くんも私の姿を確認しているはず。

 こっちを見て、手を振ってくれているのだろうか?

 その間にも選手紹介は続いている。


 歓声から一転、静まり返る会場。

 ――パン

 号砲とともに選手たちは一斉にスタートを切る。

 横一線の状態でスタートしたはずなのに2、3歩目ですでに優劣がついていた。

 瞬きした間に展開が大きく変わっていた。

 一人が独走。それに何とか赤崎くんが食らいついているという展開だ。

 少しずつ差を縮める。

 迫って迫った末にゴールラインを同時に駆け抜けた。

 ゴール直後足がもつれて倒れ込む赤崎くんは苦悶の表情に満ちていた。


 電光掲示板に全員の視線が集まる。


 1位 赤崎綾人

 2位 山岸卓


 …………

 ……

 …


 優勝? ほんとに……やったー。

 私たち女三人組は抱き合い喜びを爆発させた。


 折角だからと高野さんに手を引かれトラックの中へと入っていく。

 ここって選手以外は入っちゃダメなんじゃないかしら?

 不安になり訊ねてみると、「問題ないわよ」とだけ返ってくる。

 だってと高野さんは続ける。

「選手以外もたくさんいるでしょ?」

 たくさんいるって……報道陣の事を言ってるの? 

「どちらにしても関係者じゃない!」

「貴女も関係者でしょ? あの子の」

 高野さんの指さす先には赤崎くんが居た。


 報道陣に囲まれて取材を受けているその姿はまさにスターだった。

 あれが私の彼氏。鼻高々である。

 見惚れている間に報道陣の中心へと放り込まれていた。

 えっ? えっ?

 視線を巡らせ高野さんを探す。

 居た!! 報道陣の輪から少し離れた場所から、言いようのない輝く笑み――さながら恍惚、と言った輝きを笑みに浮かべながら佇んでいた。

 胸の前にしっかりと組んだ両腕を解くと、親指を立てて笑う。

 楽しそうだな、おい!


 報道陣も私の正体に気付き始めたらしい。

 パシャパシャと連続するフラッシュが眩しい。

 私をカメラから隠すように立つ彼の背中は逞しく、汗で貼り付いたユニホームによって露わになった身体のラインを視線でなぞる。

 それはもう嘗め回す様に何度も繰り返し堪能した――ああ、眼福眼福。手を合わせて拝みたいくらいである。


 案の定質問の嵐が到来する。

「新田結衣さんですよね? 赤崎選手とはどのようなご関係なんですか?」

「お二人のご関係は?」

「一言お願いしまーす」

「目線お願いします!」


 皆さん張り切っていらっしゃる。

 スクープのチャンスですもんね。そりゃ躍起にもなりますよね。お仕事ご苦労様です。

 それにしてもどうやってこの状況を乗り切るか……。無い頭を振り絞っても何も出てこない。


 急に身体を引き寄せられた。

 腰に当てられた手は大きく、そこから伸びる腕は力強く、それはもう惚れ惚れと……じゃなかった。

「おい」

 上から注がれる声に自然と顔が上へと向く。

 空いているもう片方の手で顎をぉおおお!! これが顎クイ!? 顎クイなのか!?

 今にも飛び上がりそうになる衝動を抑える。はぁはぁ――

「俺だって嫉妬するんだぞ」

 ボソッと呟く。

「わ、私も知らなかったの!」

 最早報道陣の方々は置いてけぼり。私たちは自分たちの世界へと入っていた。周りなど見えていない。


「あれは本物のキスじゃない。愛も思いやりもない」

 そう言うと彼は私の唇を奪った。

 唇が離れる瞬間、離したくなくて思わず唇を噛んでしまう。

「そんな顔しなくてもいいのに」

 そこまで物欲しそうな顔をしていたのだろうか?

 何だか急に恥ずかしくなる。顔が熱い。髪で目を隠す。とても目を合わせられる心境じゃない。


 逸らした視線の先に待ち受けていたのは、今までに見たことも無いフラッシュの嵐だった。

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