ACT9 準備

 その日はいつもに増して忙しかった。


 試写会から数週間。私は普通の女子高生になるため、準備を始めた。


 まずは転入手続きだ。


 終始、眉間に皺を寄せて苦い顔をしていたお母さんも協力してくれている。


「だって、根を詰めてあなたが倒れでもしたら大変だもの」と自分に言い聞かせていた。


「それにしても高校って簡単に編入できるものなのね」


 松崎さんは他人事のように話す。まあ、他人事なんだけど。


「松崎さん。今回は特例ですよ。と・く・れ・い。たまたま、校長先生が結衣のファンだったから入れたんですよ。だいたい結衣の学力で瑞樹ちゃんの通う高校には入れませんよ。」


「それもそうよね」


 しみじみと痛感している様子の松崎さん。


「高野さんも松崎さんもその辺で、ね」


 瑞樹の制止の声に促されて2人が私を見る。


「あ……ごめん」


 (謝らないでよッ! 好き放題言いやがってぇ)


 心とは裏腹に目から悲しみが溢れ出る。


 演技以外では久しぶりの涙だった。


「結衣。制服が届いてたよ」


 お父さんが私を呼ぶ。


「えっ、制服!」


 私は先ほどまでの悲しみなどなかったかのように嬉々として浮かれた。


 呆れた、という視線を受けながら制服を受け取りに行く。


 真新しい制服に袖を通す。


「ジャジャーン!!」


 早速、制服姿をお披露目する。


「似合う似合う」と、棒読みの賛辞を受ける。


 しかし、有頂天の私には棒読みの賛辞でさえ、拍手喝采のスタンディングオベーションと大差なかった。


「結衣。明日から瑞樹ちゃんと同じ学校に行けるからって羽目を外し過ぎちゃ駄目よ。正体がバレたら普通の学生生活も、女優としての地位も捨てることになるんだから」


「わかってるよ、お母さん」


 心配性なんだから、とおどけながらも私は緊張していた。


 主演映画以上に緊張するかも。


 瑞樹がそっと肩に手を置き、


「大丈夫だから。私がフォローしてあげる」


 心強い味方の存在は何物にも代えがたい。っていうか、瑞樹イケメン過ぎじゃない!? 私が男の子だったら絶対惚れてるわ。


「なに?」


「いや、瑞樹って女の子にしておくの勿体ないなと思って」


「どういう意味?」


「え?」


「私が男っぽいとでも?」


「いやいや、まあ確かに男らしいけど」


「なにぃ?」


 そんなやり取りをしていると、


 ピンポーン。


 玄関から来客を知らせるインターホンのチャイム音が聞こえる。


「来たわね」


 松崎さんが玄関へと来客を迎えに行く。


「誰?」


 私は辺りを見回す。


「さぁ?」


 高野さんが両手を広げて何も知らないことを示す。


 ついでに首もすくめて見せる。


「やほー」


 オーバーアクションでポーズを決めて部屋へと入ってきた人物は、話口調がとてつもなく棒読みの美少年(見た目)であった。


 その手にはゴテゴテした装飾が眩しい重厚なメイク道具箱メイクボックスが握られている。


「ウィッグも持ってきたから」と背負ったリュックを降ろす。


 リュックの中には大量に詰め込まれたウィッグたちが……気持ち悪ッ!?


「これは人毛だよー」と顔の前まで持ってきてウィッグを左右に揺する。


「やめてよコウちゃん。っていうか何でコウちゃんがいるの?」


「呼ばれたからー」


「私が呼んだのよ」


 松崎さんがコウちゃんの後に続いて部屋に入る。

 コウちゃんと呼んではいるものの一回り以上歳は離れている。


 ちなみに本名は、光一こういちというらしい。


 名字は知らない。


 教えてくれないのだ。


 松崎さんは知ってるみたいだけど。


「まったく面倒な事してくれるね。結衣は」


 面倒と言いながらもどこか楽しんでいる様子のコウちゃんはメイクボックスから化粧道具を手際よく取り出す。


「今日は撮影ないよ?」


「違うわよ。明日から女優、新田結衣だけじゃなくて一般人の新田結衣としても生活するんだから今のままの顔じゃダメでしょ」


 ああ、成程。そういう事ね。納得、納得。と手を叩く。


「じゃあコウちゃんよろしく~」


 私は大人しくコウちゃんの前に座った。


 ああ、それと……


 松崎さんが鞄から分厚い紙の束を取り出す。


(書類?)


「これに目を通しておきなさい」


 手渡された紙の束に一枚目には、


『女優、新田結衣とバレない為の人物像(設定集)』


 と記されていた。


 パラパラと数ページ捲る。



 目次


 容姿設定

 性格設定

 家族構成

 出身地域

 その他もろもろ……



 なにコレ?


「アナタには一般人、新田結衣を演じてもらうわ」


 疑問符が散乱する空間の中で松崎さんだけは落ち着いていた。


「アナタも女優なんだから出来るでしょ?」


 事情を知っている様子のコウちゃんは楽しげに髪を梳いていた。


「いや、ないわぁ~」


「えっ?」


「ないね」


「……」


「さすがにやり過ぎです」


「……」


「だから言ったのに。洋子もバカだよね」


 コウちゃんが笑う。


「ねぇ、結衣。確かにこの設定集はやり過ぎだけど今のまま学校に行ったらすぐにばれて大騒ぎになる。そしたら瑞樹にも迷惑がかかるぞ? いいのか?」


 私はブンブンと左右に首を振る。


「でしょ? だから変装だけじゃなくて話し方とか仕草とかにも気を使わないといけない。違う?」


「そうね。その通りだわ」


 私はもう一度設定集へと目を落とす。


「松崎さん。コレ参考にさせてもらいますね」


「え、えぇ。勿論いいわよ」


 松崎さん、少しは元気出たかな?


 それから30分。


「すごい……」


「ほんと、結衣じゃないみたい」


「さすがはプロの仕事ね」


 賛辞の言葉に照れくさそうに頭を掻きながら「まぁね」とコウちゃんは答える。


「もっとやれるよ」


「いや、もういいから」


 コウちゃんは調子に乗ると自己のアート(美)を追求し始めてとんでもないメイクを始める。その癖がなければ最高なのだが。


 メイクの間に役作りは終えてある。


 微妙に方言訛りのある標準語にところどころ顔を覗かせる方言。


 妙に自信なさげな仕草と高校デビューしたかのような板についていないリア充感(あくまでイメージ)。


 完璧。


「結衣ってほんとに女優だよね。別人じゃん」


「ありがと瑞樹」


「これなら大丈夫そうだね」


 親友のお墨付きをもらい、私は新生活に胸を踊らせる。


 ついに明日、私は普通になる!



《ついに、普通のJKに憧れた一人の女優の普通ではない二重生活が始まる。》

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