その11 アポイントはございますか?


パーカス 南地区

商業街―


 パーカスは大きく分けて五つの区域に分けられている。

 北地区、南地区、東地区、西地区、そして中央地区だ。

 その中の一つ、南地区は、商人達の事務所や会社が多く立ち並ぶ所謂オフィス街である。

 観光客や異国人を相手にした対外的な店が並ぶ、煌びやかな中央地区と比べ、ここ南地区に並び立つ建物は機能性を重視した物が多く、道を行き交う人々もこの街を拠点とする商人達がほとんどであった。

 そんな南地区の一角に建てられた一際大きなレンガ造りの建物の前で、エリコとチョク、そしてカッシー達は足を止める。

 

「チョク、ここで間違いないんでしょうね?」


 品定めするように目の前の建物を眺めながら、エリコはチョクへと尋ねた。

 先頭を歩いていたチョクはエリコを向き直ると、間違いないといいたげに一度頷いてみせる。

 

「仕事で何度かお邪魔してるので、間違いはないッスよ」

「しっかし大きな建物だな」

「カナコさんって一体何のお仕事されているんですか?」 

「貿易事業全般ッス。弦菅の特産品を諸外国と取引して、代わりに各国の産物を輸入しているッスよ」


 軽く音高うちの校舎くらいはありそうだ――建物をしげしげと見上げながら日笠さんが尋ねるとチョクは眼鏡を指で押し上げながら答えた。


「にしてもカナコの奴、いつの間にこんな会社を……」

「姫ぇ……管国うちも結構カナコの会社にはお世話になってるんッスけど知らないんッスか?」


 管国はその土地柄、鉱山を多く所有しており、鉱石資源の豊富な国だ。

 良質な鉄鉱や銅鉱を採掘できるため、それらをカナコの会社を経由し諸外国と取引していた。

 チョクが先日関税交渉のためこの街へやってきていたのも、それら鉱石資源の取引のためである。だがそんな青年の言葉に、エリコは文句ある?――と言いたげに口を尖らせながら彼を睨みつけていた。


「初耳よ。だってあいつ、そんな話全然しなかったしさ」

「まあ確かにカナコならしなそうッスね……」


 彼女がこの街の商人組合長をやっていることは知っていたが、どんな商売をやっているかは聞いたこともなかった。

 もっともエリコが彼女と会う時は大抵プライベートにおいてであったから、カナコの性格からして、知人が遊びに訪ねて来ているのに仕事の話をするのは野暮だ、と思っていたのかもしれない。

 そう考えなおし、まあいいか――と、エリコは一度小さく頷いた。

 

「とにかく入りましょ?」

「あ、あのエリコ王女」

「なにマユミちゃん?」

「本当にいいんですか? 流石にいきなり会社にまで押しかけるのはまずいんじゃ――」


 と、立派な黒檀の扉に手をかけたエリコに日笠さんは剣呑な表情を浮かべて尋ねた。


 時を遡ることおよそ三十分前のことだ。

 エリコの案内によって一行は、中央地区にあるカナコの家を訪ねていた。

 到着した家は想像通りというか……いや、想像以上のとんでもない豪邸だった。

 ヴァイオリンで潜入したサヤマ邸の倍はあるその敷地の奥に見えたのは、某国の某『白い家』と見紛う程の立派な屋敷だった。

 少年少女が目を皿のようにしてしきりに感嘆の声をあげるのを傍目に、エリコは門についていた紐を引きチャイムを鳴らす。


 ややもって広い中庭をいそいそとメイドらしき女性がやってくると、彼女は知己であるその来客に恭しく一礼をする。

 これはこれはエリコ王女――と。

 

 姫……一体何回お忍びで来てるんだ、近所の友達の家に遊びに行くのとは訳が違うだろ――と、大して驚いた様子もなく、すっかり慣れた様子で一国の王女の突然の来訪を出迎えるそのメイドを見てチョクは内心呆れていたが。

 

「やっほー♪ カナコいる?」


 そんな元お付きの青年のそんな心境など露知らず、エリコはにこやかな笑顔あっけらかんと尋ねる。

 だがメイドは困ったように眉尻を下げつつ笑みを浮かべ、再度一礼するとこういったのだ。

 

「申し訳ありませんが、カナコ様は只今仕事に出かけておりまして、家を留守にしております――」


 えー!?――と、途端にエリコは残念そうに、そして不機嫌そうに表情を曇らせた。会話だけ聞くと、小学生が友達の家に遊びに来て、その子のお母さんに友達の不在を告げられたような、なんとも軽いやり取りだ。

 

「よろしければカナコ様がお戻りになるまで中でお待ちください」


 そんなエリコに苦笑しながら、メイドは彼女らに中に入るよう勧めたのだが、主不在の家に厚かましくお邪魔するのは、流石のアポなし突撃王女も気が引けたようだ。

 なら直接訪ねてみるわ――と、メイドの勧めを丁重に断ると、お騒がせ王女はカナコの経営する会社に向かうことにしたのである。

 そして場所を知っているというチョクの案内の下、こうして南地区へと足を運んで来ていたわけだ。

 

 話を元に戻そう。

 

「例えば、どこかで時間を潰すとかして、それからカナコさんの家に出直した方がよかったんじゃ――」


 今更だけど、思いとどまっては?と、提案してみた日笠さんであったが――


「ふぅむ……まあそれも一理あるわね」

「そ、それなら――」

「でもここまで来たんだし、その意見は却下よ!」

「はぁ……ソウデスカ」


 やっぱり『今更』だった。

 苦労人な少女が、諦観の混じった溜息を吐くのを余所にエリコは勢いよく入口の扉を押し開けると中へと入っていってしまったのであった。


「マユミさん、ほんとすいません……うちの姫が」

「いえ……」


 チョクは申し訳なさそうにぺこりと日笠さんへ謝罪をすると、足早にエリコを追いかけて中に入っていく。

 こうなったらうちらも覚悟を決めるしかないだろう。

 よし、と気持ちを切り替え日笠さん、そしてカッシー達も建物中へと足を踏み入れる。

 

「わお、いかにもカナコって感じじゃん♪」


 肩で風を切りながら中へと入ったエリコは、ひんやりとした空気の漂うその空間を一望して思わず口笛を吹く。

 そこは三階まで吹き抜けになったロビー。質素な木造りの床と、白を基調としたレンガの壁で造られたその空間は、豪華さよりも機能を重視した、いかにも商人の根城らしいデザインだ。

 

 カツカツとハイヒールの音を鳴り響かせ、エリコは一直線にロビーの中央を横切ると、その先にあった受付ブースの前で足を止めた。

 そしてカウンターに半身を乗り出して、そこにいた受付嬢の顔を覗き込む。


 南地区には場違いともいえる、派手な旅用ドレスに身を包んだ女性の登場にやや面食らいながら、受付嬢は目をぱちくりさせた。


「あ、あの――」

「社長室ってどこかしら?」

「さ、三階ですが――」


 静かな気迫と言うべきか、はたまた王家の威厳と言うべきか、命令に近い言霊を感じ取り、受付嬢は言葉を詰まらせつつも即答してしまっていた。


「ありがとう」

「あ、あの……失礼ですがどういったご用件で――」


 しかし、思わず答えてしまってから、はっと我に返ると彼女は、笑顔で礼を述べて受付を去っていくエリコの背中へ問いかける。

 エリコは振り向きすらせず、手を肩越しに軽く手を振ってその問いに返したのみで、真っ直ぐにロビーの階段へと歩いて行ってしまった。


「ダメですってば姫! ちゃんと受付に面会の申請を!」

「おい、ちょっと待てってエリコ王女っ!」


 そこに入れ替わりで受付ブースに滑り込んできたチョクと少年少女達が、さっさと階段を登っていくエリコを見上げながら口々に彼女を呼び止める。


 まったく、礼儀ってモンを知らないのかあの王女様は?

 このままじゃ不審者扱いされてもおかしくない。また警備隊の厄介になるのはごめんだ――

 チョクとカッシーはやれやれと溜息をつくと、足早にお騒がせ王女を追いかけていった。


「あ、あの失礼ですが――」

「ほんとすいませんすいませんすいません」

「え?」

「直ぐに帰りますから^^」

「おじゃましま~す」

「あの、怪しい者じゃないですから!」

「え? え?」


 と、追いかけていくチョクとカッシーを呼び止めようとした受付嬢の脇を、ぺこぺこと頭を下げつつ通過する日笠さん達。


「エ、エリコ王女って聞こえたけど……まさかね」


 何だったんだ今のは――

 嵐のような集団がロビーを去った後、あまりの出来事にきょとんとしてしまっていた受付嬢はややもってぼそりと呟いたのであった。



♪♪♪♪



「姫! いくらなんでもあれは失礼ッスよ!」


 やっとエリコに追いついたチョクは、離されまいと階段を足早に上がりながら、彼女の背中に向かって苦言を呈した。

 そんな元教育係の諌言に、ちらりと後ろを振り向きながらエリコは機嫌悪そうに眉を吊り上げる。


「なんでよ?」

「カナコは今仕事中だって聞いているでしょう?」

「だから?」

「だから?――じゃないッスよ、きちんと正規の手順を踏まずに相手と会うのは無作法ッス」

「別にビジネスの話しに来たわけじゃないんだからいいじゃない。ちょっと親友に会うだけでしょ?」

「だとしても、今のはやりすぎっス。下手すれば警備員呼ばれてましたよ? あまり目立つ行動は控えて下さい。でないとまた新聞の一面に――」

「――新聞に私が今載ったらアンタもまずいもんねえ?」

 

 チョクの言葉に被せる様にして、エリコはにやりと意地悪い笑みをうかべつつ尋ねた。

 開いた口をパクパクとさせ、ややもってからチョクはやれやれと眼鏡を指で直す。そしてバツが悪そうに話を続けた。


「と、とにかく少し立場を弁えて下さいッス。ここはお城自分ちじゃないんっスよ?」

「はいはい、わかったわよ」


 と、エリコは前を向き直るとぺろりと舌を出しながらおざなりに返事する。

 勿論その顔に反省の色など皆無だったことは言うまでもない。

 やがて階段は終わり、紅い絨毯の敷かれた廊下が姿を現す。

 エリコは一歩その紅い絨毯委足を踏み出し、到着!と、息をつくと、その先に見えた『社長室』と記された小さなプレートが下げられた扉を見据えた。


 だが――

 

 彼女のその瞳は、同時に扉の前に佇んでいた人物をも捉え、誰だろうと疑問の色を浮かべる。

 急に歩みを止めたエリコに、彼女の背後にいたチョクはなんだろうと眉を顰めたが、しかし彼もすぐにその人物に気づき、あれは――と、僅かに目を見開く。


「どうしたんだよ二人とも、急に止まって……って?――」


 階段を登り終えたカッシーも、紅い絨毯の先でまるで自分達を待ち構える様にして佇んでいたその人物を見据え、怪訝そうに眉根を寄せた。


 はたして。

 彼等の前に立ちはだかるようにして佇むその人物とは――『和風美人』といった表現がぴったりな女性であった。


 背丈はなっちゃんと同じくらい。細い眉とこれまた細い、しかし切れ長で綺麗な一重の目に、小さな鼻と薄い唇。

 背中までの長い髪を無造作に束ねたその女性は落ち着いた佇まいで直立不動を維持し、こちらを見据えていたのだ。


 特筆すべきはその服装であった。

 女性が着ていた白いブラウスにダークグレーのパンツとジャケットは、自分達の世界の『ビジネススーツ』と酷似していた。

 こっちに来てから見たことなかったけれど、スーツってあったのか?――と、この世界で初めて見る、しかし元の世界ではよくよく見かけていた女性のその服装に、カッシーは思わずんん?と凝視してしまっていた。


「なによあの服、カナコの会社の正装?」

「最近国際的な商談の場で普及しだした正装ッス」

「へぇ……」


 初めて見るけど中々いいデザインじゃない――

 興味津々といった様子で呟いたエリコに対しチョクが答える。

 女性が着ていたその服装は、スタインウェイやツェンファといった国では、外交や商談の際に着用する、所謂プロトコル的な服装として普及しつつあるが、この大陸ではまだまだ普及率は低い。

 エリコが見たことがなかったのも当然といえよう。チョクだって知ったのは先日の関税交渉の際が初めてである。

 

 と――

 

「ようこそお越しくださいました、ブラス=ウッド連合帝国第一王女エリコ=ヒラノ=トランペット様、そしてミヤノ宰相補佐殿」


 やにわにぺこりとお辞儀をして、女性は表情一つ変えず一同へと歓迎の挨拶を投げかけた。

 それにつられて思わず頭を下げるいかにも『日本人』な少年少女達。

 対して、エリコは片眉を吊り上げ、訝し気に女性の様子を窺う。

 何故私を知っているのかと――


「アンタ誰? どちらさまですかねぇ?」


 そんなエリコのあからさまに不躾な態度に気づきつつも、女性は表情一つ変えず自己紹介を始めた。

 

「失礼致しました、私は社長付秘書を務めております、シズカと申します」

「社長秘書ぉ? カナコの?」

「さようでございます」


 シズカ――そう名乗った女性は、エリコの問いに肯定するように答えると慇懃に頭を下げる。


「カナコの奴いつの間に秘書なんて雇ったの? この前来た時はいなかったけど?」

「秘書室に異動となってまだ一年目の若輩者でございます故、以後お見知りおきを」


 道理で二年この前遊びに来た時は見なかった顔だわ――頭の中で計算しながら、エリコは片眉を吊り上げながら品定めするようにシズカを眺める。

 と、なにやら剣呑な雰囲気をエリコから感じ取ったチョクが、すっとエリコの前に出て、代わりにシズカに対し一礼する。


「ご無沙汰してるッス、オシズさん」

「半年振りですミヤノ宰相補佐殿。こちらに来ているとは伺っておりましたが、スタインウェイとの交渉、ご首尾はいかがでしたか?」

「え? あーいやあ……ぼちぼちッス、しかしよくご存じで……アハハ、流石耳が早いっスね……ハハ」


 まさか交渉は大失敗でした――とは流石に言えないチョクは誤魔化すように愛想笑いを浮かべるしかなかった。


「何よチョク、アンタ知り合いなの?」

「何度か仕事でカナコを訪ねているってさっき言ったでしょう? その際彼女には色々とお世話になってるッスよ」


 脇をツンツンと突ついて尋ねてきたエリコにチョクは小声で返答する。

 だが、ふーん、と興味なさげに生返事をして、エリコはなおも訝し気にシズカを見据えた。


「んでチョクはさておき、なんで私の事まで知ってるワケ? どこかで会ったことあった?」

「中央地区のホテルで中々派手なご到着をされたようですね。その際、馬車をお忘れになっておりませんか?」

「……なるほどね」


 納得したようにエリコは小さく頷く。

 馬車にはナンバープレートが付いている。所有する際に登録が義務付けられているナンバーだ。

 それを辿れば馬車の持ち主が分かる仕組みになっているのである。恐らく彼女はそれを調べたのであろう。

 

 まさしくエリコの予想通りであった。

 パーカスの警備隊は、商人達が出資し合って設立した私設の治安維持隊だ。

 そのため商人組合長を務めるカナコの下には警備隊からも報告が上がってくる。

 ホテル『テルツェット』前にて乱闘事件が発生。被疑者は未だ逃走中、なお被疑者が所有していたと思われる馬車を押収――

 カナコ付秘書であるシズカは代理として警備隊から事の顛末を聞き、気になってその馬車のナンバーを調べていたのである。

 照会の結果、馬車の所有者はなんとトランペット王家。

 そして今しがた突然現れた、旅装束なれど高貴な風采を身から漂わせる女性と管国の宰相補佐の姿ときたものだ。

 噂に聞く『お騒がせ王女』、これはもしや――と彼女はをかけてみたのである。

 そしてそれはまんまと的中したわけだ。


「さて、本日はどういったご用件でしょうか?」


 閑話休題。

 どやどやとおしかけてきた一行を改まって向き直り、シズカはその目的を尋ねた。


「あーその実は――」

「――カナコはいる?」


 何とかして事を穏便に進めようと、言葉を選びつつシズカの問いに答えようとした眼鏡の青年の努力を一瞬にして無駄にし、お騒がせ王女は単刀直入に尋ねる。その表情は露骨に不快の色を浮かべていた。


 何となく手玉に取られているような気がして面白くない――そんなエリコの様子に気づくと、シズカは僅かに浮かべていた笑みを消し去り、再び冷静な表情に戻ると口を開いた。

 

「社長はこの奥にて商談中でございますが――」

「そう、ありがとう。通してもらうわね」


 と、シズカの話が終わるよりも前にエリコはニッコリ微笑むと、先刻受付嬢を相手にした時と同様に、問答無用で彼女の脇を通過しようと足を踏み出す。

 ちょろいちょろい♪――

 慇懃な秘書を横目に、エリコは小気味良さげにほくそ笑みながら、ペロリと舌を出した。


 だがしかし――


 そんなお騒がせ王女の顔の前に、すっと手が伸びて彼女の進路を遮る。

 

「なによこの手は?」


 眼前に差し出されたその手を、寄り目になりながら見た後、強気な笑みを浮かべつつエリコはシズカを向き直った。

 そんなお騒がせ王女を臆することなく真っ直ぐに見据え、シズカは彼女に問いかける。


「失礼ですがアポイントはございますか?」

「んなもんあるワケないでしょう」

「それでは残念ながら、お通しするわけにはまいりません」

「あ゛?」


 途端に小さな青筋を額に浮かべながら、エリコは端正な眉毛を吊り上げシズカを睨みつけた。

 しかし、シズカは毅然とした態度を崩さす、爛々と光りだしたエリコの瞳を真っ向から受け止め、なおのことその手を下げようとはしなかった。

 姫のあの睨みを受けて動じないとは、なんとも大した胆力だ――表情一つ変えずに冷静に対応する彼女を見て、チョクは感心する。


「アポイントのない方は通すな――と社長から申しつけられておりますので」

「ちょっと親友に会いに来ただけよ。通してくれない?」

「なるほど、わかりました」

「わかってくれた?」

「はい、尚更お通しするわけにはいかないことが」

「……は?」

「商談にプライベートを持ちこまれては、社長の信用に関わりますので」


 どうかお引き取りを――

 そう言いたげに慇懃に一礼をすると、彼女は翳していた手を階段へと向ける。


 対して。


「……あーらそう? なら力づくで通してもらおうっかなー?」


 面白い、やるってことねこの女――

 エリコはシズカの挙動を見届けると大きく一度深呼吸をし、腕をぽきぽきと鳴らした。

 それでも秘書は動じない。


「また警備隊に追われるのをお望みでしょうか、?」


 切れ長の目をわずかに細め、僅かに声に感情を浮かびあがらせると、シズカは覗き込むようにして顔を近づけてきたエリコへ含みをもった警告を投げかける。


 それが戦いのゴングだった。


 上等だ――エリコはカッと目を見開き、彼女を睨みつけると、握りしめられた拳を思いっきり振り上げた。

 だがその拳は軌道の頂点で、彼女の傍らにいた眼鏡の青年によって掴まれ、動きを止める。

 顔面蒼白になりつつも素早く反応した元お付きの青年によって。


「ちょちょちょ! 待ってください姫ーっ!」

「放しなさいよチョクっ! この生意気な無表情オンナに、力の差ってものを見せつけてやるっ!」

「またかあんた! これで何度目だっつの!」


 学習能力というものがないのかこの王女様は!?――

 と、チョクに羽交い絞めされてもなお諦めずに暴れて吠えるエリコを見て、カッシー達はうんざりした表情を浮かべつつも、彼を手伝って一斉に仲裁に入る。


「おーい、やめろって!」

「落ち着きましょうエリコ王女? ね? ね? ケンカにしに来たわけじゃないでしょ!」

「嫌だっ! 一発殴らせなさいよこのノーメン女っ!」


 勘弁してくれよもう――

 チョクを合わせて五人。やっとのことでお騒がせ王女をシズカから引き離し終えると、彼等はがっくりと肩を落とす。


「……だやい」


 と、ぼそりと呟き――

 その様子を面倒くさそうに眺めていたシズカは、人知れずスーツの袖から覗かせていた仕込み刃をしまい、臨戦態勢を解いたのだった。

 

 

 刹那――。

 

 

 勢いよく社長室に通じる扉が開き、中から数人の人物が満面な笑みを浮かべながら部屋から出てくる。

 シズカは踵を返すと深々とお辞儀をしてその二人を出迎えた。


 一人は白い法衣とターバンのような帽子に身を包んだ初老の男性と数人の部下らしき男達。

 そしてもう一人はシズカと同じく正装に身を包んだ小柄な女性。


「タケウチ社長ガ理解ノアル方デー、本当ニ助カリマシター」

「アッハッハ! よしとくれよ、アンタ褒めたってなんにも出てきやしないよ!」

「ソレデハーマタ。コンゴトモ、ヨロシクオ願イシマース」

「おうまたね!」

 

 呆然とその様子を眺めているエリコ達を余所目に二人は朗らかな笑みを浮かべながら、上機嫌で握手を交わす。

 そして初老の男性は数人の男達と共に、固まっている少年少女達の脇を通って階段を降りていった。

 

「オシズ! 商談がまとまったよ。これで燃料の確保はなんとかなりそうだ」


 初老の男性の姿が見えなくなると、徐に小柄な女性は豪快に笑い飛ばしながらシズカを向き直る。


「それでは大陸鉄道の――」

「大幅なコストダウンが期待できそうだ。石炭管理のための倉庫を港に一個増設するように……ん? んんんー?」


 と、そこまで興奮気味にシズカに捲し立ててから、小柄な女性はようやくもって傍らでぽかんと固まっている一同に気付き、怪訝そうに目を細めた。

 そしてしばしの間の後、ぱあっと顔を明るくしながら、エリコ達の下へと足早に詰め寄る。

 

「なんだね、エリコにチョクじゃないか! 何してんだい、そんなとこで?」

「アハハ……その、半年ぶりッスカナコ」

「気づくのおっそいわよアンタ!」

「アッハッハ! 久しぶりだねえアンタ達、元気だったかい?」




 パーカス商人組合長、カナコ=タケウチは、またもや豪快に笑いながら懐かしそうにお騒がせ王女に尋ねたのであった。

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