冴えないやつらの〜心霊譚〜
さんすくろ
第1話 きっかけ
籠の中は快適な筈だ。
外敵の心配もなく、絶えない水に餌。
冷暖房は適宜入れ、良い時期に交配相手も一緒にする。
何かもかもが満ちたりた、完璧に管理された楽園だ。
でも、
ハムスターはそれでも逃げる。
下手すれば一日だって生きていけない外を目指して、しつこい位に脱走する。
あまりにしつこいから何時だか母に何で逃げるか聞いたんだ。
“ハムスターじゃなきゃ分からないでしょ?“
そりゃそうだよね。
それで僕は、
その時初めてハムスターになってみたいと思ったんだ。
…
「佐藤君さぁ~、いい加減に慣れてよ。入社して2年目でしょ?いつまでも新人気分じゃ、こ、ま、る、ん、だ、よ、ねぇ~」
ねちねちと耳の奥にネトつくようないつもの声だった。
今日は入社2年目の9月。
残暑かき消えほんの少し肌寒さの感じられる月末だったか…
俺は今年数百回目になるであろう、ねちっこい中年上司の精神口撃にただ、首を竦めて耐えていた。
「ねぇ佐藤君、君にこうやって説教かますのもいい加減、時間の無駄なんだよねぇ~本当。」
今回の口撃理由は
"相手先に渡した名刺が汚かったから"
だっただろうか?
心底どうでもいい。
少なくともどこが汚かったのか等、指摘に具体性が欠けているあたり、拝聴に値しない。
実際、さっきからネチネチ口撃を飛ばしてくる目の前の中年も具体的な名刺の保管方法なんだりでなくて仕事に対する姿勢がどうたら、日頃のプレゼンの展開がどうたら、話の内容がズレていっているあたり、
はじめの建前なんぞどうでもよいのだろう。
何時ものように、当たり散らす肉のサンドバッグが欲しいだけなのだ。
そう、何時ものことなのだ。
俺はだまって中年の口撃に殴り続けられる。
一時間でも二時間でも、飽くまで。
中年は満足したら「本当~、気を付けてよ~」
と、ねちっこく言葉を結んではい、お仕舞い。
本当毎度毎度、醜悪な当てつけをぶら下げて恥じらうでも飽きるでもなくこの中年は、したり顔で俺を言葉で殴りにきやがるのである。
一重に、この残虐非道な心に対するジェノサイドが1年以上、延々とまかり通ってきたのは他でもない。
巡り合わせが悪かったのだ。
上司である中年と部下である俺の、職務上の立場関係はもとより、人前では基本低姿勢になる俺と、離婚調停中によりストレスもりもりの中年…こうした"おあつらえ向き"の巡り合わせに依るところが大きい。
そんでもって当人同士の折り合い無視で、
"先輩"と"後輩"でペアを組ませ日頃の業務を任せるクソ会社が舞台を用意すれば、心を踏みにじる残酷演劇は完成だ。
しかしながら、このアドリブだらけの演劇を演ずるは人間。
いくら何十回、何百回繰り返し成功させてきた十八番だろうと、失敗する時は失敗するのである…
「それじゃあ、仕事辞めます」
ボツり、と筋書に沿わない台詞が飛び出す。
寒風吹きすさぶ本日未明、いつものお芝居が予兆なく崩壊した。
台無しにしたのはもちろん俺。
もう見慣れた筈の油ギッシュにエネルギッシュな中年のドヤ顔に何故か、我慢できなくなってしまったのだ。
ビクン、、と、このイレギュラーに身を震わせたのは、俺ではない。
中年のほうだ。
「お…お前、こんな中途半端なところで仕事投げ出すのかよ!」
そうですよね、組んでいた"後輩"が退職したら、貴方の評価にも響きますもんね…
ざまぁない。
年甲斐もなく俺は、このイレギュラーにわくわくしていた。
(おいおいちょっと動揺したら、いい歳こいて人をお前呼ばわりかよこの薄らハゲ豚…面白いじゃねえか!)
なんて、感じだ。
今まで苛つくドヤ顔ばかり見てたから、焦燥に歪む顔が面白くてしょうがない。
…
中年の、見たことのない反応に興奮した。胸がすいた。快感を覚えた。
もっと見たい、聞きたい、感じたい…
って勢いで何だかんだ数十時間後、俺はめでたく会社を自己都合退職することになりました。
「あぁ~、佐藤さんね。
有給消化の都合もありますんで、明日から来なくて良いですよ。お疲れさま。書類は後から郵送しますんで」
同じ会社に勤めていながらに、顔も知らなかった人事の方がテキパキと、印鑑と保険証を持って行ったその日のうち社畜ライフに終焉を告げる。
「終わったなぁ~」
何の気なし、なんの感慨も湧かない。
ため息まじりに呟いてお別れに見上げた灰色のビルディングは、曇り空によく映える。
…
最初は、ウキウキした。
終焉を告げられたその日は、退職祝いに寿司を食って酒を飲み。
次の日は酔いに任せて一日中寝て過ごし。
その次の日は、昼に起きて銭湯でひとっ風呂。風呂上がりはキンキンに冷えたビール。
その後は、部屋に籠ってゲームをして、映画を観て、読書して、ネットして、眠くなったら寝る。
散々、残業もしてたから贅沢しなけりゃ一年は、この調子で暮らせるんだと計算しながら高を括っていた。
しかしながら、そんな調子で一週間後。
俺は言い知れぬ不安に苛まれていた。
頭では大丈夫だと分かっている筈なのに、目減りする貯金が心配で心配でしょうがないのが不安の原因だと気が付いたのは、
昼寝のさなかに見た残高0、預金通帳の夢が切っ掛けだ。
結局、会社を辞めておよそ10日ほど過ぎた今日。
俺はだらだらと溢れる焦燥に嫌々ながら、スマホで求人情報を漁っている。が…
「つまんね…」
まぁ、正直やる気になれない。
なんというか、こう…"これは!"というようなわくわく要素が目の前のそれらからは見いだせないからだ。
金を稼ぐのに楽しいもクソも有るかという話だが、俺はいささか10日にわたるプチニート生活で心が素直に、贅沢になっている。
気乗りしないものは気乗りしないのだ。
うんまぁ、急ぐこともあるまいて…
「街かど!情報局のお時間です!
本日ご紹介しますのは△△県□□市~駅から徒歩数分、アーケードの中にあるステキな大人気洋菓子屋さん!"りふぅ菓子店"さんです!」
BGMのかわりをしていたテレビがガヤガヤいい始める。
「甘いもの、食いてえなぁ…」
俺の意識はもはや、テレビに映し出される色とりどりの洋菓子にもってかれていた。
さすがかつて神器と称されし家電は一角、
もう画面に夢中だぜ…
結局、バイト探しは何処へやら、次に俺が決意したのは、目の前のテレビで紹介されている菓子屋に甘味を買いに行くことであった。
…
「おいおい…平日だよな…」
店はわりかし近かった。電車を一駅乗って~駅から徒歩数分、寂れたアーケードをくぐり徒歩数十秒、閑古鳥の鳴く商店街に不釣り合いな長蛇の列が目の前に現れる。
"りふぅ菓子店"はすぐに見つかった。
もっとも、店内に入るまで数時間掛かったが…
人混みにもみにもまれ、ようよう買えたのはショートケーキにモンブラン、芋羊羮である。
洋菓子店に芋羊羮?とは思ったが、売れ残ってる菓子の種類はあまりに少く、選択のしようがなかったのだ。案外、旨いかもしれんし。
店を出る頃には夕暮れ時、寂れたアーケード前のこれまた寂れたベンチで、缶コーヒーを啜る。
「あ~仕事どうしよ…」
口から溢れるのはぼやきと溜め息ばかりだ。
菓子に夢中ですっかり頭から抜け落ちていたミッションが、不意に思い出される。
明日にしようか、とは少し店を出たあたりから思っていたのかもしれない。しかし何となく、綺麗な夕焼けに終わり始めた今日が勿体なく感じて、無駄だと思いつつ視線を巡らす。
俺は往生際が悪いのだ。
何かないか…何か…
…アーケード入り口、うず高い支柱の根元、温かくも薄ら寒い夕日に掲示板が照らされていた。
もしかしたら求人情報もあるだろうか?
迷い犬の捜索願い、引ったくりへの注意喚起、等々。
画鋲に反射するオレンジ色の眩しさの中、目を凝らしごく数秒…怪しげなそれはあった。
(人員募集!アイカ&サム興信所
一攫千金も夢じゃない!?
公的機関からの依頼解決を補助してもらう完全成果給制のお仕事です。
解決できれば高給金♪
例)1案件解決で1,000,000円Get!など
・勤務地
依頼内容に合わせて全国あっちこっち。
※もちろん交通費は会社が全負担※
・時間
依頼内容に合わせて。
・資格
要 普通自動車免許、度胸 …)
暇を持てましまくってる俺にはこのちぐはぐで不明瞭な、ブラック感満載の求人広告がロマン溢れるものに見えた。
どうせ本当にやばいようなら逃げればいいのだ。
興信所は来るとき使った~駅前にあるらしい、募集期限は明日まで。
時計を見る。
ギリギリまだ営業時間…
俺は立ち上がる。
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