その27-1 諦めてないのディスヨー!


サヤマ邸、二階廊下―


 ロシア軍の大勝利を称える、フィナーレ間近の『1812年』の壮大な盛り上がりに、無理矢理意識を引き戻され。

 未だ大爆音でキンキンする耳を叩きながらカッシーは顔を上げる。

 意識が飛びかけたようだが、何とか無事だったようだ。


「日笠さん、無事か?」


 傍らに伏せていた少女の名を呼びながら、カッシーがその肩を揺り動かすと、彼女は小さな呻き声をあげながらもゆっくりと目を開けた。


「カッシー……?」


 朦朧とする意識の中、日笠さんは上半身を起こす。

 だが、少女の目に映ったのは、何とも渋い表情を浮かべ眼前を凝視する我儘少年の顔だった。

 何故彼はこんな表情をしているのか。

 その理由を知るために、日笠さんは少年の視線を追いかけ、同じく正面の廊下へと目を向ける。

 そして彼女は視界に広がる光景に、目をぱちくりさせながら一気に意識を鮮明にしたのだった。 


 廊下は『1812年』の暴走により、見るも無残な廃墟と化しつつあった。

 まるで散弾銃の如く飛び散った『光の砲弾』は、天井、床、壁に無数の穴を作り出し、そして爆発により飛び散った炎が周囲に引火し、所々で火の手が上がっているようだ。

 

「こりゃまずい……」

 

 呆然とその光景を眺めていた日笠さんの真横で、カッシーは口をへの字に曲げながら呟く。

 そして、新たな砲弾がまた周囲に生まれ始めたのに気づくと、少年は慌てて立ち上がり、光の奏者の人混みを掻き分けて、バリバリに『独裁演奏』を続ける浪川に駆け寄った。

 

「浪川ストップだ! ストップ!」


 強引に弓を操る右手を掴み、そしてその耳元で大声で叫びながらカッシーは浪川の肩を揺する。

 カッシーの介入によってヴァイオリンの音が止むと、連動するようにして演奏を続けていた光の奏者達も次々と姿を消していった。

 最後になっちゃんが、弓の動きを止め演奏を打ち切ると、楽器の音色に遠慮するようになりを潜めていた周囲の喧騒が舞い戻ってくる。

 

 火の燃える音、何かが倒壊する音、そして人々の悲鳴に騒ぎ声。

 生々しい現実の音が一気に耳に入ってくるようになり、カッシーはほっと安堵の表情を浮かべた。


 そんなカッシーの傍らで、自動演奏状態シンクロから解放された浪川は、大きな息を一つ吐くとがっくりと膝をつく。

 玉のような汗が少年の額から一気に吹き出し、彼は真っ青な顔のまま荒い呼吸を繰り返しつき続けていた。

 

「浪川君……あなた……覚えてなさい? その睫毛……あとで全部引っこ抜いてやるから……」


 と、チェロに寄り掛かるようにして、ぜーはーと息をついていたなっちゃんが、恨めしそうに浪川を睨みながら呟く。

 自動演奏状態シンクロにはならなかったものの、やはり曲の演奏は精神力を蝕むようで、彼女も生気のない真っ白な顔になっていた。

 

 睫毛の貴公子はそんななっちゃんの毒舌にも表情一つ変えず、彼女をちらりと視界の端で見ただけで、俯いたままだった。

 どうやら喋るのもきついようである。


「たくよー? ひでーめにあったぜー?」


 と、光の奏者に囲まれていたこーへいも、よっこらせっと立ち上がり、やっと解放されたと首を鳴らしながら愚痴をこぼす。


「こーへい、怪我はない?」

「大丈夫だー、まだ耳がキンキンすっけどな?」


 心配そうに尋ねてきた日笠さんに対して、クマ少年はにんまりと猫口を浮かべながら答えた。

 どうやら光の奏者に囲まれていたおかげで、光の砲弾の爆風や爆発の被害には遭わなかったようである。

 だが光の奏者に巻き込まれていたもう一人、ツンツン髪のバカ少年のほうは、無残にもトロンボーンのスライド菅の連打を浴びて、顔をボッコボコに腫らしつつ床に伸びていた。

 まあでも、かのーならそのうちすぐ復活するだろうと、誰も気にしなかったが。


「そういえばサヤマ達は……」

「ん……」


 と、そこで自分達を囲んでいた私兵達に気が付き、日笠さんはドキッとしながら周囲を見渡した。

 だがカッシーが顎をしゃくって差した廊下の様子に気が付き、少女はほっと安堵の表情を浮かべる。

 

 廊下のいたるところで、自分達を囲んでいた私兵は気を失って床に倒れていた。

 爆発に巻き込まれたか、或いは爆音で意識を失ったのか。

 とにかく全員動く気配はない。


 だが。

 サヤマとかいうあの爺さんはどこにいったのだろう――

 肝心の白髪の老人がいなくなっていることに気づき、日笠さんは周囲を見渡した。

 カッシーも同じことを考えていたようで、口をへの字に曲げながらきょろきょろと老人の姿を捜している。

 

「逃げたのかな?」

「……かもな」


 悔しそうに口の中で唸り声をあげつつ、少年は日笠さんの問いに答えた。

 まあそれはとにかく、ほぼ全員がヘロヘロふらふらの満身創痍だが、何とか絶体絶命の窮地を脱することはできたようだ。

 ほんと奇跡に近いけど――

 日笠さんは服の裾を払いながら立ち上がり、皆を振り返る。

 

 しかしまだまだ楽観はできないようだ。

 刹那、音を立てて崩れだした廊下の一部を振り返り、一同は思わず息を呑んだ。


「まったく、どうしてこうなるのかしら」

「いうな日笠さん……俺だって思ってる」


 火の手はいよいよ勢いを増し、屋敷の至る所を浸蝕しつつある。

 これ以上の屋敷の探索はもう無理だろう。

 あの場を切り抜けるための不可抗力だったとはいえ、自業自得感は否めない。

 やれやれ、とすっかり板についた苦労人の溜息をつき、少女はがっくりと肩を落とす。


「まだ恵美と王様を見つけてないのに……」

「探すとしたらあのホールだ」


 いろいろドタバタしてしまい、まだあの穴を調べていなかった。

 いずれにせよ、ここに長居するのは危険だ。

 カッシーは皆を一瞥すると、動けるか?と首を傾げた。

 

 ようやく息が整ってきた浪川となっちゃんは、力を振り絞るようにして立ち上がる。

 まだやれる――

 少年の問いかけを受け、二人の目はそう答えていた。


「ムフ、まだまだミケン下僕作戦は諦めてないのディスヨー!」

「おまえは本当に回復早いな……」


 と、まだ顔の腫れは取れていないが、ケタケタと笑いながら起き上がったかのーを見て、カッシーは顔を引きつらせた。

 そうこうしているうちにも火は巻き上がるようにして廊下全体を覆いつくしつつある。

 

「行こうみんな、こっちだ」


 火の手の上がっていない右の廊下を選び、カッシーはホール目指して駆けだした。

 少年少女達は各々気力を振り絞り、我儘少年の後を追って廊下を走りだしす。

 



♪♪♪♪



サヤマ邸、正門前――

 

 大爆発、そして大炎上。

 すっかり侮っていた奴隷なみかわが巻き起こした『大惨事』から、部下も家もそして自尊心プライドも、なにもかも捨てて命からがら逃げだしていた老人は、よろよろと正門までやってくると、その場にへたり込む。

 そして狂ったように残り少ない髪の毛をがっしりと両手で掴み、地に蹲まった。


「くそっ、くそっくそっ! おのれ女狐め! おのれ暗愚な王め! そしてあのガキどもめ!」


 どうしてこうなった!何故だ!

 練りに練った計画が!我等貴族復権の野望が!すべてが奴らのせいで水泡に帰して燃えていく――

 荒い息を繰り返しつきながら、轟々と燃え盛る自分の屋敷を振り返り、サヤマは三白眼を血走らせながら吠える様に絶叫した。

 だがややもって老人はピタリと絶叫を止めると、口元に不敵な笑みを浮かべ、今度はさも小気味よさげに甲高い笑い声をあげる。

 その瞳にどす黒い野心を再燃させながら。


 だがあの炎の中では逃げられまい。王は死んだ、そして女王もあのガキどもも火に巻かれてもうすぐ死ぬだろう。

 今回は失敗に終わったが、これで邪魔者は消えたのだ。

 そうだ、ほとぼりが冷めるまでどこかに潜伏し、焦らずゆっくりやればよい――

 濁った瞳で天を仰ぎ、サヤマは大きな笑い声を木霊させながら、勝利を噛み締める様に両手を握りしめた。

 

「ざまあみろ女狐! 数年後には我等貴族の時代が再びやってくるのだ。儂は諦めぬ! 決して諦めぬぞ!」

「それはどうですかな――」


 と――

 ありえるはずのない返答が、物静かな青年の声色で返ってきて、サヤマは三白眼を見開き笑いを止める。

 そして引きつらせた笑みを浮かべたそのままの表情で、老人は恐る恐る背後を振り返った。


 彼の濁った三白眼に映ったもの。それは――

 

 青と白を基調とした『王家の剣』ヴァイオリン騎士団と。

 深緑とオレンジを基調とした『王家の盾』ヴァイオリン警備隊を後ろに従え。


 腰の後ろで手を組み、老人を見下ろす若き宰相の姿だった。


「お久しぶりですリタルダンド卿」


 あまりの光景に言葉を失うサヤマに対し、あいも変わらぬ冷静な口調でそう挨拶を述べるとイシダ宰相は軽く一礼する。

 しかしその目は一瞬たりとも老人から逸らさない。

 

「何故……おまえがここに」

「さて、野暮用で近くに寄りまして、私の先輩は息災かなと思い足を運んだ次第…とでもいえば満足ですかな?」


 と、彼には珍しく冗談を口にして、しかしその顔は変わらぬ生真面目な表情を浮かべながら、若き宰相は懐から一枚の羊皮紙を取り出して老人へと見せた。

 イシダ宰相が取り出したその羊皮紙を見ると、サヤマの顔はみるみるうちに血の気を失い、そしてあんぐりと口を開く。


「貴方にヴァイオリン女王並びに王、そして一般市民の誘拐・監禁の容疑がかかっております。御同行願えますかな?」

「貴様……」

「観念されよ。あなたの謀反は失敗に終わりました」


 すっと右手をあげ、イシダ宰相は背後に待機していた警備隊に合図を出した。

 後ろに控えていた警備隊が一様に敬礼をし、ゆっくりとサヤマを囲んでいく。

 だが老人は、ギロリとイシダ宰相を睨み付け、忙しなく立ち上がると、懐に隠してあった短剣を抜いてそれを構えた。

 醜い足掻きを――

 僅かに眉を吊り上げ、若き宰相は不快そうに必死の形相を浮かべる老人を一瞥する。


「儂はまだ終わってないっ! 逃げてやる! 逃げてやるぞっ!」

「見苦しい……」

「だまれっ! だまれだまれっ! 我々貴族こそっ! 真の支配者なのだっ! 貴様のような下賎な者が上の世界にあってはならぬのだ!」


 薄くなった髪を振り乱し、歯をむき出しにして狂犬の如く吠えながら、サヤマは手にした短剣を乱暴に振り回した。

 警備隊士達は、やむなく抜刀の構えを見せる。


 だがそんな彼等の間に割って入り、のっしのっしと無人の野を行くようにサヤマに近づく人物が一人。

 彼を見て驚きを浮かべた隊士達に、その初老の男は静かに手を挙げる。

 私に任せろ――と。

 警備隊士達は彼の背中に向けて一斉に敬礼をすると、構えを解き直立不動となった。

 

 一心不乱に短剣を振り回していたサヤマは、藪から棒に遠慮なく自分に近づいてくるその男に気が付くと、怯えたように悲鳴をあげて思わず短剣を突き出した。

 だが老人が繰り出した蚊の鳴くような刃など、いとも簡単に払い飛ばし。

 初老の男――トウチ隊長は振りかぶった豪快な鉄拳を、問答無用でサヤマの顔面に向けて繰り出したのだった。


「……ぶべっ!!」


 哀れな程弱々しい悲鳴をあげながら、老人の身体は宙を舞い、もんどりうって地べたに倒れる。

 その後もゴロゴロと地を転がり、やっとのことでふらふらと身を起こすと、サヤマは恨めし気にトウチ隊長を見上げていた。

 

「ぐ……トウチ! この裏切り者めぇ!」

「情けない……貴様も貴族の端くれならば最後くらい誇り高き精神を見せてみろ」


 吐き捨てるようにそれだけ言い放つと、トウチ隊長は部下に合図をだした。

 がっくりと肩を落とし、地に手を付く『元』同僚を憐憫の眼差しと共に見下ろし嘆息すると、彼は踵を返して歩き出す。


「恥ずかしい所をお見せした宰相」

「いえ、心中お察し致しますトウチ殿……」


 彼も代々城に忠を尽くしてきた名家の出身。

 腐敗した政治を続けて来た貴族のその汚名を雪ぐために、今も前線で尽力する人物の一人なのだ。

 深々と頭を下げたトウチ隊長に静かにそう告げて、イシダ宰相は警備隊に連行されていくサヤマの後ろ姿を目を細めて眺めていた。


 後は女王と王だが――


 ややもって彼は気持ちを切り替えるように小さく息を吸い、炎上するサヤマ邸を真っすぐに見据えながら僅かに眉を顰める。

 火の手はかなり広がっている。

 大きな松明のように煌々と燃え盛るあの豪邸の中に、二人がいるとすれば――

 

「急いだ方がよさそうだ……」

「ええ。全軍、急ぎ消化作業と周辺の住民の避難誘導に取り掛かるように」


 同じく憂慮を表情に浮かべ、燃える屋敷を見つめながらそう言ったトウチ隊長に一度頷くと。

 若き宰相は振り返り、背後に立つ女王の剣と盾に指示を出した。

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