その25-1 観念なさい
サヤマ邸二階、来賓の間――
膠着状態を破るように、痺れを切らした兵の一人が手にした槍を構え、女王目がけて突進する。油断なく構えていたサワダはその気配に気づき、意志強き瞳を兵へと向けた。
「ふっ!」
青年騎士の構えた剣は、正面から襲い掛かって来た兵の槍を優雅にいなし、そして舞うようにしてその切っ先を跳ね上げた。
バランスを崩した兵のその隙を狙ってサワダは素早く剣を引き戻すと一閃、弐閃、兵の着る鎧の隙間を狙い正確な突きを繰り出していく。
肩の付け根に刃を受け、悲鳴をあげて兵はその場に蹲った。
「うおおおおおお!」
刹那、勇ましい雄たけびと共に、スギハラが手に持つ大剣を横なぎに繰りだす。
正面から正々堂々挑みかかろうとした二名の兵は、迫ってきた大剣の腹による、鈍器のような一撃を食らい、文字通り『吹っ飛んで』来賓の間の壁に激突した。
だが大剣を振りきり、一歩前に踏みでたスギハラに生じたその隙を狙い、彼の真横から新手の兵が剣を構えて突撃を開始する。
自分の脇腹目がけて迫って来たその兵を視界の端で捉え、スギハラは忌々し気に舌打ちした。
だが、そうはさせまじと身を捻らせ、黒いコートを翻しながら、フジモリの繰り出した一対のナイフが襲い掛かったその兵の剣を絡み取る。
仰天する兵士に不敵に笑みを浮かべると、フジモリは彼の手の甲を切り付け、あっという間に武器を叩き落とした。
そして手を抑えてうずくまりかけた兵の兜ごと、その顎目がけて思いっきり蹴りを放つ。
宙に舞う数本の歯と共に、その兵はもんどりうって紅い絨毯に倒れた。
「貸し1、な」
「余計なことをっ!」
ぺろりと舌を出し、勝ち誇ったように自分を見てそう言ったフジモリを、ちらりと見下ろし、スギハラは悔しそうに呟く。
だが二人はすぐに油断なく兵達へ視線を戻し、ギロリと彼等を睨み付けた。
三人は再びマーヤが座る椅子の周りに身を寄せ、女王を護るように武器を構える。
見事な連携。これが若き『三銃士』か――
城下町で一度は耳にしたことがある、噂の三人を目の当たりにし、兵達は彼等の放つ威圧に耐える様に拳を握りながら、ごくりと喉を鳴らしていた。
ありえんことだ。
飛び交う剣戟の音色と、戦の咆哮…その中で。
老人の枯れた皺だらけの頬をなんとも嫌な汗が伝って落ちる。
戦力差は歴然だったはずだ。
こちらは二十は下らない兵を用意した。万全の武装も分け与えた。
対して相手は僅か三人、たった三人だ。
しかも女王を護りながらの防戦。
にもかかわらず――
次々と倒れていくのは我が手駒である兵ばかり。
手勢は既に十を割ろうとしている。
「バカな……」
背筋に冷たいものが流れるのを感じながら、サヤマは思わず呟いた。
しかしふと自分に向けられた一つの視線に気づき、彼は狼狽しつつもその視線を睨み返す。
長い長い来客用テーブルを挟み、微動だにせず椅子に座していた蒼き騎士国の女王は。
周囲で繰り広げられる剣戟を振り返りもせず、威厳に満ちた顔つきで老人を見据えていた。
おのれ女狐!
「ええい、何をしておる。矢だ! 射とめよ!」
ぎりっと悔しそうに奥歯を噛み締め、サヤマは傍らにいた兵を向き直って口角泡を飛ばしながら指示を下す。
兵は慌てて腰のショートボウガンを構えると、マーヤへ照準を合わせ引き金を引いた。弦の弾ける低い音と共に矢は勢いよく放たれ、一直線に女王へと飛んでいく。
だが彼女は動かない。視線すら逸らさない。
命は既に預けている――
微動だにせず、矢などまるでないように、蒼き騎士の国の女王は、依然として醜く慌てる老人を見据え続けていた。
『ふっ!』
刹那。
三銃士は振り返ると気合一閃、マーヤの前で各々の武器を交差させる。
進路に現れた蒼の騎士剣、緑銀の大剣、そして黒曜の短剣により矢は女王に届くことなく、甲高い金属音と共に宙へ舞った。
「なっ!?」
背中に目でもついているのかあやつらは――
一糸乱れぬ動きで矢から女王を護ったサワダ達をまじまじと一瞥し、サヤマは思わず言葉を詰まらせる。
女王には触れさせぬ――
と、決意も新たにサワダ達は凄まじい形相でサヤマと矢を放った兵を一睨みし。
その威圧に思わずたじろぎ、短い悲鳴をあげた兵を見届けると、三人は交差させた各々の武器を、歌う様に高々と頭上に掲げた。
その掲げられた武器の奥から、再び現れた女王の双眸は、先程と変わらず反骨の相を浮かべる老人を真っ直ぐに見据えている。
「もう一度言うわ、観念なさい卿」
シャン――
女王の言葉と共に、刃と刃が滑り合う涼しい音色を生み出しながら、三銃士は再びマーヤの背後を護るように振り返ると、残る兵達を一瞥した。
「おのれ……おのれおのれおのれえぇぇ!」
額に血管を浮かべ、サヤマは悔しそうに唸り声をあげる。
手勢でなんとかなると判断したのが甘かった。
やはり召集をかけておくべきだったのだ。
敗因はもちろん、愉悦と慢心。
慎重にして猜疑心の塊のようなこの老人とは、無縁のような言葉だった。
だが短い期間で一気に訪れた宿敵に対する好機と、勝利。
長きに渡る雌伏の時に耐えてきた彼には何とも甘い汁に感じられたのだ。
それが油断を生み出した。
しかし後悔してももう遅い。
かくなる上は――
サヤマの頭脳はそう長くない未来に起こるであろうこの部屋の顛末を思い浮かべ、途端本能が彼の足を一歩後ろへと誘っていた。
老人のその挙動に、ピクリとマーヤは形の良い眉を吊り上げる。
「サ、サヤマ様?」
女王と同じく、傍らにいた兵がサヤマのその動きに気づき、訝し気に尋ねる。
だが老人はその問いかけに対し、鬱陶しそうに小さく舌打ちしたのみで、徐に踵を返すとそそくさと背後の入口へと駆けだしたのだ。
「サヤマ様どちらへ?!」
「私は援軍を呼んでくる。お前たちはそれまで女王食い止めるのだ」
「なっ!?」
「いいから行け! 命に懸けてこの部屋から出すな!」
真っ赤な嘘だ。白々しい嘘だ。
お前ひとり逃げる気だろう?
敵味方問わず、誰もがその言葉に対し異口同音そう思いながら、信じられぬと一斉に老人の背中を凝視する。
だが唖然とする兵達を余所目に、サヤマは乱暴に扉を開けると、兵達を振り返りもせず部屋を出て行った。
なんて男だ。部下を捨て石に――
当惑する兵達を油断なく見据えつつも、サワダ達は彼等に同情を禁じ得ず、新たな怒りを不忠の老害に向けて滾らせる。
と――
サヤマのその行為に、毛の逆立つほどの怒りを覚え、美しいその顔を険しいものへと変えながらその光景を見ていたマーヤは。
「待ちなさいっ!」
そう叫ぶや否や、ガタッと席を立ちテーブルに足をかける。
次の瞬間、彼女はテーブルの上を全力で走り抜け、あっという間に反対側まで到達していた。
そして華麗に床に着地したかと思うと、あまりの事に呆然としている兵達の脇をすり抜け、サヤマが出て行った扉に飛び込むように手をかける。
「女王、どこへ行く気です?!」
兵達と同じく、あまりに突拍子もない彼女のその行動に呆気に取られていたサワダは、ようやく我に返るとやっとのことでそれだけ言い放った。
マーヤは青年騎士のその言葉に対し、動きを止めて振り返る。
明朗快活で、強気な笑みをその口元に浮かべながら。
「サワダ君、後をお願い。部下を見捨てるなんてあのタヌキジジー許せない!」
あと、女王じゃなくてマーヤ!――
そう付け加えると、マーヤはくるりと踵を返し、サヤマの後を追って部屋を飛び出していってしまった。
テーブルの上を走るとはなんとはしたない。
イシダ宰相が見ていたら卒倒しかねない行儀の悪さだ。
サワダはやれやれと眉間を抑えながらため息をついた。
それにしても、驚くべきはなんという身のこなし。
決断するや否やテーブルを駆け抜け、あっという間に入口まで到達していたその速さと行動力――サワダだけでなく、スギハラとフジモリは感服するように思わず苦笑してしまっていた。
だが。
あのようなお方だからこそ我等は忠を尽くせるのだ――
三人はそう思い直し、意を決したように手にした武器を構える。
そしてお互いの背中を庇う様に立つと、再び兵達を睨みつけた。
後は任せる――と言った、女王の命を全うするために。
「よく聞けお前たち。女王の御前故、無駄な殺生は避けるべく命までは取らずにいたが……これ以上やるというのなら容赦しない」
「お主達の主は逃げたぞ、それでもまだやるのか?」
「なら今度は手加減なしだぜ?」
あれでまだ加減していたというのか?
もはや戦意は皆無に等しかった。
兵達はやむなく武器を構えたが、三銃士の放つ気迫にじりじりと後ずさりする。
反骨の相を持つ、かの老人が予想した通り。
来賓の間で起こったこの戦闘に決着がつくまでに、そう長く時間はかからなかった。
♪♪♪♪
サヤマ邸、二階廊下―
右か左か……あのタヌキジジー、どっちに逃げた?――
来賓の間から踊るように飛び出すと、マーヤは逃げ出したサヤマの姿を追って廊下を見回した。
と、丁度向かって左側の廊下の角を、渦中の老人がまさに曲がっていく姿がちらりと見え、マーヤは眉を吊り上げ大きく息を吸う。
「待ちなさいタヌキジジー!!」
ぎくり。そんな擬音がぴったりくるような、体の震わせ方をして。
丁度角を曲がろうとしていたサヤマは、マーヤの声に恐る恐る振り返った。
そして案の定見えた女王の姿に、一瞬目を見開くと彼は慌てて走り出す。
「あれが上に立つ者のすること?! 逃げるなー! 止まりなさいよ!」
逃がさない! 絶対許せない!――
一目散に逃げ始めたサヤマをきっと睨み、マーヤは追跡を開始した。
女王になってはや八年、だが元々彼女はコーダ山脈の大自然の中で育った所謂「山育ち」。駆けっこなら負けはしない。
対して老人は日頃の贅沢に不摂生、おまけに寄る年波の三重苦だ。
差は歴然だった。
「ええい、くるな! くるなああ!」
なんという速さだ。本当に女王か?!――
みるみるうちに差を詰め、迫ってくるマーヤをちらりと振り返り、サヤマは恥も外聞も捨てて必死の形相で怒鳴る。
このままでは捕まるのは目に見えていた。
はたして、T字路に差し掛かったその時、射程距離内に捉えたマーヤは、逃げる老人の襟首をがっしりと掴み床へと突き飛ばす。
「おうふ!」
サヤマはもんどりうってゴロゴロと床に転倒し、ぜーはーと荒い息を吐いた。
慌てて立ち上がり、彼はなおも逃げようとする。だがそうはさせまじとその前方に立ち塞がり、マーヤは怒りの形相で老人を見下ろした。
「観念なさい! 兄とエミちゃんはどこ?」
「…も…う遅い。あの二人は今頃穴の底でくたばっておるわ……」
息も絶え絶えで、しかしサヤマはにやりと小気味よさげに笑みを浮かべ、マーヤの問いに答えた。
「どういうこと!?」
そんなはずはない。だってオオハシ君は――
僅かに眉を動かし、女王はその返答に息を呑む。
と――
やにわにそのリスザルの嘶き声が耳元で聞こえ、マーヤは肩の上の
オオハシ君はピクリと耳を動かすと、ぴょこんとマーヤの肩から飛び降り紅い絨毯の上へ着地する。
「オオハシ君?」
しきりに周囲をきょろきょろと見回し始めたリスザルの名前を呼び、マーヤは彼を見下ろした。
オオハシ君は返事をするように一度マーヤを見上げ、そしてまた鳴き声をあげる。
「……もしかして、また笛の音が聞こえたの?」
コクコク――
「どっち? カッシー達?」
フルフル――
じゃあ兄さんだ。ほら見なさい。兄は生きている――
ほっと安堵の表情を浮かべ、マーヤは顔を上げて廊下を見渡した。
しかしそれらしき人の姿はこの見渡しの良い廊下にいないようだ。
と、オオハシ君はまた小さく鳴き声をあげると、やにわにT字路を左に曲がり跳ねるようにして走り出す。
「ちょっと、どこ行く気?」
突然走りだしたその王の親友を目を見開いて見つめながら、マーヤは困ったように眉根を寄せる。
女王のその問いに、オオハシ君は歩みを止めて振り返ると、今度は長めの鳴き声をあげてぴょこんと一度跳ねてみせた。
ついてこいよマーヤ――まるでそう言いたげに。
そして彼は再び踵を返すと廊下の奥へ走っていく。
走っていくリスザルの後ろ姿を見つめ、選択を迫られたマーヤは困ったように俯いた。
そこに一瞬の隙ができたことを、目ざとい老人は見逃さない。
意を決してサヤマは飛び起きると、当惑する女王の横をすり抜け再び走り出した。
「あっ、待ちなさい!」
「誰が待つか、覚えておれこの女狐!」
はっ、とマーヤは振り返るが、サヤマは必死の形相で一目散に廊下を逃げていく最中だった。
マーヤは戸惑ったが、老人を追うことを断念する。
代わりに彼女はなおも後ろ髪引かれるように、オオハシ君が進んでいった廊下の先をじっと見つめた。
そうこうしているうちにサヤマは息を切らせつつ、よろよろと角を曲がりその姿を完全に女王の視界から消した。
逃した。だが彼女に後悔はない。
自分が求めているものはなんだろう。
そんなのわかりきっていることだ。
私が求めるものは、きっと
マーヤは静かに息をつくと、王の親友を追いかけて廊下を駆けていった。
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