その23-1 プランB

サヤマ邸二階、来賓の間――



「リタルダンド地方の治安はいかがです?」


 訳:タヌキジジー、ちゃんと仕事やってる? さぼってないわよね?

 


「ご安心召されよ女王。ヴァイオリンとは違って至って平和そのもの、たまにこそ泥が出る程度くらいです。まあ辺境の片田舎ですからな」


 訳:この女狐め、あんな辺境に飛ばしおって……人がいないのだから犯罪など起こるはずがなかろう。税収も賄賂もさっぱりだしな……



「まあご謙遜を。そのようにあの辺境が平和なのは、偏に卿による治安維持の賜物でしょう?」


 訳:あなたの悪政のせいでどんどん人口が減ってるって最近聞くのよね。そろそろ本当に引導渡してやろうかしら


 

「ハッハッハ、それはかいかぶりすぎです。私など一線を退いた老い先短い爺ですよ」


 訳:今に見ておれ女狐、貴様の天下もあと僅かよ。必ず復帰してみせるからな



「いいえ、老いて益々盛んとはまさしく卿に相応しい言葉ですわ」


 訳:強欲だし百まで生きるんじゃない? さっさとくたばっちゃえばいいのになー。

 


「フフフ……」


 訳:フフフ


 

「ホホホ……」

 

 訳:ホホホ 



 というような、字幕が二人の頭上に見えそうなほど、何とも白々しくも実のない会話が飛び交ってはや五十分――『女狐』と『タヌキジジー』のうわべだけのお世辞合戦はまだまだ終わりが見えない。


 サワダ達はその間も直立不動で姿勢を崩さず、油断なくずらりと居並ぶ兵達を牽制していた。

 だが、この一触即発な張り詰めた雰囲気に、サワダ達はともかく兵達は限界が近づいてきたようだ。

 先刻から異様な程の殺気が彼等からわきだち始めている。

 

 遅い――

 顔は相変わらずのすまし顔のまま、マーヤは内心焦りつつあった。

 理由はもちろん、王、エミちゃん、ナミカワ君を探しに出ている別動隊カッシーたちから何も連絡がないことにだ。


 もしかして何かあったのだろうか。

 いや、だとしたらサヤマ達の態度ももう少し変化があってもいいはずだ。

 恐らく探すのに手間取っている。そう考えるのが妥当だが。


 話を伸ばすことはいくらでも可能だ。

 だが流石に普段交流もなく、ましてや目の敵としている自分が、これ以上不自然に長話を続ければ、サヤマも怪しみ出すだろう。

 だが依然として連絡合図はない。

 小さく息をつき、マーヤは憂うように目を細めた。


 だがその刹那。

 

 視線を感じて彼女はしまったと思いつつも、しかしゆっくりと顔を上げた。

 視線の先では長い長いテーブルを挟み、こちらの様子をぎょろりと伺っている老獪な男の顔が見え。

 そして女王と目が合うと、彼はなんともいえぬ勝ち誇ったような笑みを口元に一つ浮かべたのだった。

 

(これは、ばれたかな……)


 ウフフ、とサヤマのその笑みに笑い返し、だがマーヤは不覚であったと、一瞬ではあるが表情を崩したことを後悔する。

 はたして――

 


 

(女狐め……やはり何かを待っているようだが、一体――)


 サヤマは一瞬ではあるがマーヤが見せた表情の変化に何か裏があると確信する。

 いや、実際にはもう少し前からこの老人は気付きつつあったのだ。


 それは女王が時折僅かに醸し出す、不自然な雰囲気――

 本当に僅かであるが、時間と共に増える『焦り』といおうか。そんな様子が女王の仕草から感じられたからである。

 

 きっかけは些細なマーヤの一挙動だった。

 当たり障りのない会話をしながらも、たった一度だけ、時間を気にするように部屋にある置時計へ走った女王の視線に気づき、サヤマは疑念を抱き始めた。

 全てを疑ってかかる用心深いこの老人でなければ気づかなかったであろう。

 まさに年の功ともいえる。

 事実マーヤの素振りはごく自然であった。

 この部屋でそのような疑念を抱き、女王の挙動に違和感を感じ取ったのはサヤマ一人だけである。


 もしや兵を近くに待機させ、呼応の機を窺っているのだろうか?

 いや、それならば女王自らここに来る必要がないだろう。

 と、なるとやはり昨夜の王と娘の件か。

 はたまたあの奴隷か。

 女狐め、何が目的だ?

 だが。

 手の内がまだ読めぬうちは、慎重に動くに限る――

 ただただ時間を稼ごうとするように見えるマーヤの行為に、サヤマはふむと顎を撫でると、傍らに待機していた執事を呼ぶ。

 そして顔を近づけてきた彼の耳元で、老人は囁くようにこう言った。


「あの奴隷を今のうちに隠せ。庭の離れにある小屋でよい……」

「仰せのままに」

「それと屋敷の警備を強化しろ。何人か連れて行って構わん」


 老人の命を受け、執事は小さく会釈すると、数人の兵達を連れてサヤマの背後にあったもう一つの入り口から姿を消していった。

 

「卿、いかがされました?」


 このタヌキジジー、何するつもり?――そそくさと部屋を出て行った執事を見て焦りを強くしつつも、だがマーヤはそしらぬ口調で尋ねた。

 サヤマはそんなマーヤに対して、肘をつき顎の下で手を組むと、上目遣いになりながらその三白眼をぎょろりと彼女に向ける。

 

「いえなに、大したことではありません。少々思い出したことがあったので、代理を頼んだだけです」

「まあ、そうですか……」

「ククク、まったく年を取ると忘れやすくなっていけません。ところで女王――」

 

 あとはこの女狐だが、どうしたものか――

 この場で女王を亡き者にすることも考えていたが、伏兵の線も消えたわけではなし。

 それにまだ時間はある。相手の意図が読めないうちは慎重に行くべきだ。

 兵達の緊張ももはや限界だ。このままでは恐らく自分が指示するより前に、暴発的に乱戦になりかねないだろう。

 ならば、手中の玉を逃すことになるが、ここは事を荒げずに引き取ってもらうに限る。


 なんでしょう?と、小さく首を傾げたマーヤに。

 しばしの間の後、老獪なこの男は頭の中でそう結論を導き出すと、こう続きを口にした。


「――名残惜しゅうございますが、そろそろ私は公務に戻らなければならないのです」

「……まあ、それは……残念だわ」


 焦りのせいか乾いた喉を誤魔化すために口に運んでいたティーカップをコトリと置き。

 幾分トーンの下がった声色でそう答えつつ、マーヤはその口元と眉に浮かび出ようとする焦慮の色を必死に抑えていた。

 

「地方視察の報告書を今日中に作成せねばなりません。どうかお許しくだされ、これも女王より命ぜられた大事な任務故」

「なるほど……それでは致し方ありませんね……」


 どうやらこちらの狙いに感づかれた。十中八九そう思っていいだろう。

 もう少し時間を稼ぐ自信があったマーヤは、表情を隠す様に俯きじっとテーブルを見つめる。


 年の功か、はたまた腐っても元宰相を務めた才能だけは紛い物ではなかったか。

 権謀術数、裏を読むのは貴族の十八番だったようだ。

 このままではまずい。

 先ほど出て行った執事と兵士達に加え、この場にいる兵士達まで戻ってしまったら作戦失敗どころかカッシー達の命が危ない。


 サヤマはもう席を立とうとしている。

 どうする? なんとかしなきゃ――

 決して表情を崩さず老人へ笑顔を送りながら、しかしマーヤはテーブルの下に隠れた膝の上で、ぎゅっと拳を握りしめた。

 サワダ達も雲行きの怪しくなってきた展開に、心配そうにマーヤの後姿を見守っている。



 と――



 やにわに、女王の胸のあたりがもぞもぞと動き出し、その場にいた全員がその奇妙な現象に目を凝らした。

 なんだ?

 浮かべていた含み笑いを引っ込め、サヤマは動きを止める。


 次の瞬間、小さな鳴き声と共にマーヤの胸元からひょっこりと小動物が顔を覗かせた。


「……オオハシ君?」


 合図を待つため、彼をドレスの胸元に隠していたマーヤは。

 やや寄り目になりながら愛くるしいリスザルを見下ろし、彼の名を呼ぶ。

 

 何だこのサルは?――

 一同の疑問を余所に、大きな目をぱちくりさせると、リスザルオオハシくんはぴょんと飛び出しテーブルの上に着地した。

 そして何かを捜す様にきょろきょろと周囲を見回す。


 はずみで緊張の限界に達していた数名の兵士が抜刀しようと剣に手をかけ、それにつられて室内にはいくつもの鍔鳴りが木霊した。

 だがサヤマがそれを制するように手を上げたのに気づき、あわやの所で彼等は動きを止める。

 反射的に剣を握りしめていたサワダはほっと安堵の表情を浮かべた。

 

 そんな一同に目もくれず、マーヤはテーブルに乗り出して手をつくと、覗き込むようにしてオオハシ君に顔を近づける。

 このタイミングで飛び出した彼に淡い期待を抱きながら。

 

「オオハシ君聞こえたの? もしかしてカッシー達から?」


 なおも頻りに周囲をキョロキョロとしているオオハシ君に囁くように尋ね、蒼き女王は静かにその返答を待った。

 しかし彼はマーヤを向き直ると、フルフルと首を振る。

 期待を胸に返答を待っていたマーヤは、彼のその反応を見て途端に失望の色を顔に浮かべた。


「……聞こえた……わけじゃないの?」


 紛らわしいことしないでよ。

 だめだ、完全に手詰まり――

 溜息と共にマーヤはオオハシ君を抱きしめる様にして、テーブルにコツンと額を乗せる。


 だが。

 

 リスザルは小さく再び鳴き声をあげると、マーヤの顔を覗き込むようにして頻りにコクコクと頷いていたのだ。

 二、三度瞬きすると、マーヤは顔を上げ、目の前のリスザルの顔を見つめる。


「笛の音……聞こえた?」


 コクコク――

 

「カッシー達……よね?」


 フルフル――

 

 

 どういうこと?

 笛の音は聞こえた。

 けれど、カッシー達じゃない…ってこと?

 

 じゃあ一体誰が――

 と、そこまで考えてから。

 マーヤは目を見開いた。



 もう一人の笛の持ち主の事を思い出して。


 

「まったく……本当に心配したんだから」


 ニカっと歯茎を見せて笑ったオオハシ君の頭を一撫ですると、マーヤは震える声でそう呟いた。

 頬に一筋の涙の跡を作りながら。


 いつだってそうだ。頼んでもないのに命をはって。

 今回だってそう。私のためってわかってる。

 いい加減子ども扱いはもうやめてほしい。

 でも――

 生きていてくれた。


 

 突如現れたリスザルにひそひそと話しかけていたマーヤを訝し気に眺めていた一同は、嬉しそうに笑う彼女の頬を伝ったその涙に、どよめきの声をあげる。

 

「……女王、いかがなされましたか?」


 と、しわがれた声が聞こえて来て。

 途端、オオハシ君は身体ごとマーヤからサヤマへと向き直り、毛を逆立てながら大声で威嚇する。

 ビクリと身体を震わせ、老人は思わず仰け反った。

 

 マーヤはその隙にテーブルから身体を起こすと涙の跡を拭い、軽く鼻を啜る。

 兄は生きている。そしてこの近くにいる。彼が無事ならきっとエミちゃんも無事のはず。

 兄ならきっと彼女を護りぬいている、必ずだ。


 なんだかやる気がわいてきた。

 私が諦めてどうする。

 カッシー達だって必死に探しているのだ。


 皆を護るのが女王の務め。

 私ができることは。

 私がすべき役割とは――

 

「女王……大丈夫ですか?」

「……女王じゃなくてマーヤ」

「……余計な気遣いだったようで」


 目と鼻を少し赤くした女王が、強気な笑みを浮かべながら振り返るのを見届け、青年騎士は杞憂であったかと溜息をついた。


「みんなごめん。プランBに変更……頼りにしてるから」


 マーヤは、決意を秘めた眼差しでサワダ達三人を一瞥するとそう言って頷いてみせる。

 未だ戦意を失っていない女王の瞳に気づき、若き三銃士達は三者三様嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。

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