その11-2 すっげーややこしい話だな

 時間を戻し。

 西の大通りはずれ、酒場内―


 カッシーと日笠さんは中へと足を踏み入れると中を一望する。

 視界に映ったのは吹き抜けのビアホールで、客の数はまばらだった。

 約二十メートルほどの正方形の部屋に丸テーブルがいくつも並んでおり、構造的にはカッシー達の泊まっている宿屋の食堂とあまり変わりはない。

 典型的なビアホールである。

 だがその雰囲気は全く違っていた。


 なんだこの雰囲気は――

 カッシーはぴくりと眉を動かして口をへの字に曲げる。

 壁に架けられているランプは数が少なく、部屋は全体的に薄暗い。

 これはこれでムードがあるといえなくもないが、残念ながら座っている連中は誰もが皆、柄の悪そうな連中で女性の姿は皆目見えない。

 聞こえてくる喧騒も音も、さっきから品のない罵声や怒鳴り声ばかりだ。

 やはりどう贔屓目に表現しても、とてもじゃないが『普通の酒場』ではない。

 と、近くのテーブルで賭けトランプをやっていた頬に傷があるハゲ頭の男や、見るからにチンピラっぽい痩せた男が、まるで品定めするように自分達を眺めているのに気づき、日笠さんは不安そうに眉を顰めた。


「中々……趣味のいい酒場だね」

「ああ、泣けてくる」


 やっぱりカッシーが一緒で助かったかも――

 あのバカ王、戻ったら頭突きじゃ済まさねえ――

 

 二人はそれぞれそんな事を考えながらすっかり場の雰囲気に呑まれ、その場に立ち呆けていた。


「おい」


 だが、傍らにあったフロントから胴間声が聞こえて来て、二人は我に返ったようにビクリとしながら振り返る。

 見ると少々白髪の混じった髪とチョビ髭をはやした中年の男が、訝し気にこちらを眺めながらフロントテーブルに肘をついていた。

 着ている服装からして店員だとわかるが、なんて不愛想な接客だろうか。

 カッシーは少々むっとしながらも気を取り直し、フロントに歩み寄る。


「二名なんだけど、席空いてる?」

「ああ? おまえら飲むつもりかよ? ここはガキがくるところじゃねえぞ?」


 どうみてもこんな酒場に場違いな若い男女が入ってきたのだ。

 まあ当たり前といえば当たり前の反応だろう。

 だが、めんどくさそうにそう答えた男に対し、少年は額に青筋を浮かべながら睨み返す。


「ほっとけよ、別にいーだろ?」

「けっ、ちゃんと金持ってるんだろうな?」

「んだとっ!? それが客に対する態度かっつーの!」

「もう、カッシー!」


 早くも喧嘩腰で男に食ってかかったカッシーを慌てて諫めると、日笠さんは少年と男の間に割って入る。


「お金はちゃんと持ってます。席は空いてますか?」

「適当にその辺に座れよ」


 日笠さんの言葉に、男は鼻で笑いながらそう言返すと、だるそうに店の奥に消えていった。

 なんとかなった――

 と、ほっと胸を撫でおろした矢先、背後から憤った少年の鼻息が聞こえて来て、日笠さんはすっかり板についてしまった見事な溜息をつく。

 

「何だよあの態度、感じわりーなあ」

「カッシー、お願いだから大人しくしてて」

「けどさ日笠さん――」

「喧嘩しに来たわけじゃないでしょ? とにかく適当な席に座ろ」


 文句ありげに口を開きかけた短気な少年を問答無用で目で沈黙させ、日笠さんはホールへと歩きだした。

 悔しそうにぼりぼりと髪を掻くと、カッシーは仕方なく日笠さんの後に続く。

 日笠さんが選んだ席は、部屋の隅に近い小さなテーブルだった。

 全体を見渡せて、なおかつこちらがわかりにくい場所がいい、彼女はそう考えたのだ。

 テーブルを挟むように席に着いて早速二人は周囲を一瞥する。

 サクライから聞いているのは、やや小太りの縞柄の服を着た商人風の男、そしてそれなりの身なりをした貴族の男だった。

 だがそれらしき風貌をした人物は見当たらない。


「まだ来てないみたいだね」


 もしかしてもう帰ってしまった後だったらどうしようか。

 ふとそんな不安が頭をよぎったが、まだ時刻は十八時半を少し過ぎたくらいだ。流石に大丈夫だろう。

 さて、目的の人物が来るまでどう暇をつぶそうかな――

 日笠さんは頭の中でそんなことを考えていたが、先刻の店員らしき男が面倒くさそうにこちらに向かって歩いてくるのが見えてなんだろう、と彼へ顔を向ける。

 

「注文は?」


 やってきた男は、明らかに不機嫌そうに二人を見下ろすとおざなりにオーダーを尋ねた。

 

「じゃ、オレンジジュース」

「なめてんのか? ジュースが飲みたきゃそこら辺の店で飲めよ。ここは酒場だぞ坊主」


 バカにしたように鼻で笑いながら男がカッシーの顔を覗き込む。

 カチンときた。なんつー横柄な態度だこのオヤジ――

 バン!――とテーブルを叩き、カッシーはギロリと男の顔を覗き返した。


「さっきから聞いてりゃ態度わりーぞボケッ!」

「カッシー!」


 駄目だこりゃ。これは自分もついてきて正解だった――

 そう思いつつ、日笠さんは立ち上がろうとしたカッシーの裾をちょいちょいと引っ張って彼の行動を諌める。


「日笠さん、けどさっ――」

「カッシー、さっき私なんていったかな?」

「うっ……」


 納得いかないと反論しようとしたカッシーは某毒舌美少女のように、にっこりと怒りを含んだ笑顔を浮かべていた日笠さんに気づくと、思わず言葉を詰まらせた。


「わかったよ……くそっ!」


 と、不承不承ながら舌打ちして浮かせていた腰を降ろしたカッシーを見とどけると、日笠さんはテーブルに置いてあった小さなメニュー表を手に取って男を見上げる。


「ウイスキー二つください」

「量は?」

「シングルで、それにヒドリの手羽先を一つ」


 落ちついた口調でオーダーすると日笠さんは愛想の良い笑顔を男に浮かべてみせた。

 少女のその笑みを見て、卑しい口笛を一つ吹くと男はバーカウンターへと戻って行く。

 男が戻っていくのを見届けてから、日笠さんは冷ややかな視線と共にカッシーを向き直った。


「カッシー?」

「なんだよ?」

「この店に来た目的忘れてない?」

「だってさ……あいつ俺達なめてるとしか――」

「落ちついて周りを見て?」


 少年の反論を遮るようにして、日笠さんは目で合図を送る。

 カッシーは不満気に少女の視線の先を辿り周囲を見渡した。

 そして少年は不満気な表情を引っ込めると、納得したように、しかし悔しそうに口の中で唸り声をあげる。

 さっきの店員と同じ服装をしたガラの悪い男達が、ぽつぽつと客に混じって飲んでいるのが見えたからだ。


「あなたがさっきあの男と揉めたらどうなったと思う?」


 まず間違いなく、騒ぎを聞きつけたあの連中が加勢にやってきただろう。

 そうなってはまず勝ち目はない。日笠さんはそれがわかっていたから彼を止めたのだ。

 

「わかった? 我慢して、騒ぐのは得策じゃない」

「くっそ……」

「何度も言うけど目的を忘れないでね? 私達王様が言ってた『有力な人物』を確認しにきただけなんだから」

「……わかったよ」


 そういいつつも少年の表情は憤りと悔しさをはっきりと浮かべていた。

 納得していないのは一目でわかる顔だ。

 まったく、ほんと後先考えないんだから――

 日笠さんはまたもや、やれやれと額を抑えて溜息を吐く。


「大人しくしててよ、ほんとにもう……」


 そう言って日笠さんは椅子に寄りかかり、天を仰ぐようにして目を細めた。

 すっかり子ども扱いされ、カッシーは不貞腐れたように口を尖らせるとどっかと頬杖をつく。


 しかし相変わらず咄嗟の対応力はすげーな日笠さん。

 これじゃ俺足を引っ張っているだけだ。冗談抜きで彼女一人で来ればよかったんじゃないだろうか――

 落ち着いた佇まいでオーダーを待ちつつ、それとなく周囲を窺っている少女を見ながら、カッシーはバツが悪そうに鼻息をフンと吐いた。

 と、そんな少年の視線に気づいて、日笠さんは小さく首を傾げる。


「なに?」

「いや、よくそんな冷静でいられるなって――」

「そんな事ない、十分緊張してるよ?」

「そうは見えないけど?」

「カッシーが顔に出すぎなだけ」

「うぐっ……」

「下手におどおどしたり、カッとなって挑発に乗ったりしたら相手に付け入られるだけでしょ? さっきのだって、ほっときゃいいの」


 クスリと苦笑しつつそう答えた日笠さんを見て、やっぱりすげーなあとカッシーは感服してしまった。

 なんでこう、うちの女性陣は肝が座って、度胸がある子ばかりなんだろう。

 日笠さん然り、なっちゃん然り、東山さん然り。

 それに比べて男連中はちょっと情けない。『男は愛嬌、女は度胸』ってな感じだ。

 普通逆だろ。


「ほらよ」


 と、そんな事を考えていた少年の前に、やってきた男が不愛想な声と共に乱暴にウイスキーを置いた。

 このクソ店員! でも我慢だ、我慢我慢――


「ど、どうも」

「ふん、ごゆっくり」


 口の端を引きつらせるようにして笑みを浮かべ、カッシーは礼を述べた。

 しかし男は営業スマイルの一つも見せずに、面倒くさそうに口上を述べるとさっさと戻って行く。

 ビキビキっと音を立てて、少年の額に青筋が浮かび上がる。

 もちろんそれを見逃す日笠さんではない。

 

「……カッシー?」

「わかってるって、ちゃんと我慢しただろ?」


 怒りを抑えるようにして深呼吸をし、カッシーはウイスキーの入ったグラスを口に運ぶ。

 途端、焼けるような感触が食道を降りていくのを感じて、カッシーは顔を歪めた。


「ぐっ……きっついなこれ。 」


 チェロ村で飲んだワインなんて比ではない。

 若干咽ながら、慌てて少年は口直しのためにヒドリの手羽先を口に頬張る。


「無理して飲まなくても、ふりでいいでしょ?」

「だってもったいないじゃん」

「はいはい……」


 下手ないいわけだなあ、ほんと意地っ張り――

 それでもちびちびと舐めるようにウイスキーを飲み続けるカッシーを見て、日笠さんは呆れるように目を細めた。

 それからしばらくの間、二人は会話もなく、時折『有力な人物』が来ないか周囲を警戒しながら時が過ぎていく。

 時刻は十九時過ぎ。幾分客が増え、ホール内はやや賑やかになってきた。

 

「カッシー、そういえば思ったんだけど――」


 と、ウイスキーの入ったグラスを弄ぶように揺らしながら日笠さんが沈黙を破った。

 ウイスキーと格闘していたカッシーは何だろうと顔を上げる。

 

「夕方の話……舞ちゃんが描いた絵本のこと」


 この世界は『マーヤの大冒険』の世界である――

 夕刻カッシーの口から飛び出た発言に、日笠さん達は衝撃を受けた。

 だがチェロ村、ヴァイオリン、ぺぺ爺にマーヤにサクライ。

 時間軸は異なるようだが、絵本の内容と全く同じ地名と登場人物が実際に自分達の前に現れ、彼女も流石に信じざるを得ないという結論に至っていた。

 だが途中でサクライが訪ねて来たことにより、この話はなし崩し的に中断されていたのだ。

 日笠さんはあの時ふと思ったことがあった。

 少女はその話をカッシーへとし始める。


「マーヤ女王って、三神先生の娘さんがモデルじゃないかなって思ったの」

「三神先生って、国語の?」


 そう、カッシーの問いかけに日笠さんは頷いた。

 三神先生とはカッシー達が通う音高の教師である。

 日笠さんのクラスであるC組の担任で、教えている教科は『国語』。

 教師歴十八年。背が高くて眼鏡をかけており、誰に対しても敬語で分け隔てなく接する。

 皆からは『ホトケの三神』と呼ばれるほど怒った顔を誰も見た事がない、とても温厚で優しい先生である。


 うーんと、カッシーは虚空を見上げながら唸った。

 確かに昼間謁見の間で会った時、マーヤ女王はこう名乗っていた。

 『マーヤ=ミカミ=ヴァイオリン』と。

 だが――

 

「たまたまじゃないか?」

「でも三神先生の娘さんも『真綾』ちゃんっていうんだけど」

「……マジか?」


 『マーヤ=ミカミ=ヴァイオリン』、『三神真綾』――そのまんまじゃねーか。

 僅かに目を大きく見広げ、カッシーは身を乗り出して日笠さんに尋ねた。

 日笠さんはコクンと頷く。

 去年の文化祭で、彼女は娘さんと一緒に出店を回っていた三神先生とばったり出会っていた。

 その時、三神先生が紹介してくれた娘の名前も『真綾』ちゃんだったのだ。

 確か当時は四歳だったから今は五歳のはず。

 そういえばどことなく女王と似てなくもない――

 日笠さんは、元気よく挨拶してくれたクリクリ目の可愛い女の子の事を思い出す。


「それじゃあ、マーヤのお父さん……じゃない叔父さんだっけ。もしかして彼も――」

「その人も多分、三神先生がモデルじゃないかな」


 カッシーが言わんとしていることを察して、日笠さんは被せ気味に少年の問い答える。ヴィオラ村でマーヤと一緒に暮らしていた男性は確か『ミカミおとうさん』だったはず。実際には育ての親で叔父だったようだが。

 そして、彼が殺されたことでマーヤの大冒険は始まるのだ。


 マーヤが三神先生の娘である『真綾ちゃん』がモデルとなっているとすれば。

 やはり『ミカミおとうさん』とは、カッシー達のよく知っている『三神先生』がモデルと考えたほうがしっくりくる。

 そこまで考えてから、カッシーは妹から送られてきていたメールに書かれていたことをふと思い出した。

 

「そういえば、舞のやつ『幼稚園の友達をモデルにした』ってメールに書いてた」

「じゃあつまり……舞ちゃんと真綾ちゃんはお友達ってこと?」

「日笠さん、三神先生ってどこに住んでるんだっけ?」


 カッシーはD組なので流石に三神先生の自宅まではよく知らない。

 日笠さんは可愛い声でうーんと唸っていたがやや持って口を開く。

 

「確か徒恩市だったと思う」

「……」

「カッシー?」

「……うちの実家も徒恩市だ」


 こりゃ間違いなさそうだ。全然知らんかった。

 先生の娘さんとうちの妹、同じ幼稚園に通ってるのかもしれない――

 カッシーは合点が言ったように小さく頷きながら、日笠さんを見た。

 

「となると、『カナコ』や『エリコ』…って人物もモデルがいるかもね」

「ああ、あのバカ王もな」


 恐らく舞ちゃんの幼稚園の知り合いだろう。どんな子なのかは勿論知るよしもないが。

 そしてもう一つ、他にも気づいたことがある。

 三神先生が出てきたということは――

 日笠さんは肘をついて手を組むと、神妙な顔つきでカッシーを見つめる。


「ねえ、カッシー」

「ん?」

「もしかして……私達がモデルになった人もこの世界にはいたりしてね?」


 もしくは自分達も知っている身近な人物がモデルとなって『登場』してくる可能性がある。

 この『マーヤの大冒険』の劇中にだ――

 そこまで考えてからまさかね、と日笠さんは否定するように自嘲気味に首を振った。


「なんてね……やっぱ今のなし」 

「だとしたら――」

「ん?」

「すっげーややこしい話だな」


 正直な感想を漏らし、カッシーは口をへの字に曲げた。

 自分とそっくりな人物が、もし目の前に現れたらどんな気分だろうか。

 頭の中で考え、だがやはり想像もつかないその『仮定』に、やがてカッシーは面倒くさそうに声をあげて椅子に寄り掛かった。

 

「ま、そうだとしても、うちらの目的にはあまり影響ない話だろ?」

「……そうだね」


 この世界には、実在する人物をモデルとした人物がいる。

 マーヤに、その父のミカミおとうさん、エリコにカナコにサクライ。もしかするとぺぺ爺もヨーヘイもだ。けれどそれがわかったとしても、カッシー達の『目的』に影響はないし、有利になることもなさそうだ。

 だが興味深い話ではあった。

 カッシーは感心したように日笠さんに向かって、にへらと笑う。


 と――

 

 日笠さんはそんな少年の結論に同意するように頷いてから、ふと酒場の入口で目を止め形の良い眉毛をピクリと動かした。

 

「カッシー」


 幾分緊迫した声色で少女に呼ばれ、カッシーも日笠さんの視線を追って入口を振り返る。

 入口に見えたのは、縦縞の商人風の服を着た小太りな男と、初老に差し掛かった年齢に見える立派な服装の男の姿。

 間違いない。サクライから聞いていた風貌と合致する二人だ。

 来た――

 カッシーと日笠さんはお互いを見合うと目で合図を飛ばす。

 二人はもう一度さりげなく入口に注目しながら様子を窺った。

 商人風の男と貴族らしき初老の男は入口で笑みを浮かべながら、手ぶりを含め何かを交渉しているようだ。

 商人風の男の後ろには、全身をすっぽりと隠すようなフード付きの外套を羽織った人物が立っていた。

 背は結構高く、商人より頭一つ分は抜きんでている。そしてその手には白い布で覆われた、幅一メートル程の箱らしき物体が握られていた。

 対して初老の貴族の後ろには彼の部下らしき男が三名程並んで立っていた。

 三人共身体中包帯だらけで、中には目の周りに大きな痣を作っている者も見える。

 もしかして彼等が昨日王様や恵美がボッコボコにしたと言っていた男達だろうか――

 仏頂面で痛々しい姿のまま直立している男達を見ながら、日笠さんはそんなことを考えていた。

 まあそれは置いておいて。 


「カッシーあの外套を来た人、怪しいと思わない?」

「ああ、どう見てもあいつだろ」


 二人は視線を戻すとひそひそと話し合う。

 状況から見るに、全身を外套で隠したあの長身の人物が、サクライが言っていた『有力な人物』だと思われるが、はたして――

 やがて商人風の男と初老の貴族は店の男に案内されてホールの一番奥、それも目立たない位置にあったテーブルに腰かけた。

 そして再び何やら話を始めだした。

 

「何話してるのかな?」

「さあ……」


 ここからでは遠すぎて当然、話の内容までは聞こえてこない。

 と、首を傾げたカッシーとそれは同時だった。

 初老の貴族が外套を羽織った人物を指差したのだ。

 やにわに、商人風の男は愛想笑いを浮かべながら頷くと、傍らに座っていた外套を羽織った人物のフードに手をかけた。

 いよいよだ。サクライが言っていたマーヤに対抗しうることができる『有力な人物』。

 その素性が明らかになる。

 カッシーと日笠さんは思わず身を乗り出しながら、その様子を固唾を呑んで見守っていた。


 ファサリ――

 

 と、遠く離れているにもかかわらず、二人の耳にはフードが降ろされた布擦れの音が聞こえた気がした。


 『有力な人物』――それは少年だった。


 俗にいう濃い顔と呼ばれる部類の、西洋人のように彫の深い顔立ちをした、貴公子のようなその少年は――

 大きな瞳を挟むようにして生えた、ラクダのように長く立派なまつげを二、三度瞬かせ――

 そして状況を理解していなさそうに、マイペースに大きな欠伸をする。

 初老の貴族とその手下である男達は、露になったその少年の顔を見て、驚愕したように目を見開いていた。

 

 いや、驚愕したのは彼等だけではない。


「嘘だろ……!?」

 

 露になったその『有力な人物』の正体を見て、カッシーと日笠さんはぽかんと口を開けたまま思わず固まってしまった。

 見覚えのある顔だった。三年間何度も何度も音楽室やら教室やらで顔合わせしていたから。というかあんな濃い顔立ちの、立派なまつ毛を持った少年を見間違えるわけがない。

 


「あれって――」

「あの子って――」


 我に返った二人はくっつくくらいに顔を寄せ合うと、興奮した笑みを浮かべ――




『浪川(君)!?』




 と、音瀬高校交響楽団1stヴァイオリン奏者である少年の名前を口にしたのだった。

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