その11-1 あのバカ王……
ヴァイオリン城下町
西の大通り、はずれ―
「ここだよな?」
サクライから預かったメモに目を落とし、カッシーは傍らにいた少女――日笠さんに尋ねた。
日笠さんは周囲を不安そうに一瞥した後、無言で少年に頷いてみせる。
泊まっていた宿から歩いて約十五分程、今二人が立っているのは、西の大通りの外れにある石造りの酒場の前だ。
夜でも多くの人で賑わう北の大通りと異なり、周囲は人気もなく外灯代わりの松明が寂しげに炎を揺らめかしているのみである。
念のためにもメモをもう一度、間違いであってほしいという願いを籠めつつ少年はなめる様に確認したが、やはり場所はここで合っているようだ。
「あまり治安はよくなさそうだね……」
「あまり、どころじゃないっつーの」
ここに来る途中、路上に屯していた明らかに柄の悪そうな男達といい。
既にこの時間から管を巻いて絡んできた酔っ払い(速攻逃げたが)といい。
そしてこの人気のなさ、外灯の少なさ。
どう見ても某『○○の歩き方』系観光ブックで、『近寄ってはいけない場所』として紹介されていそうな雰囲気だ。
こうなってくると目の前の酒場も怪しい。
「『普通の酒場』がこんなとこにあるかっつーの、あのバカ王……」
騙された――
悔しそうに舌打ちするとカッシーは八重歯を見せながら口をへの字に曲げる。
「どうするカッシー? やめとく?」
「……いや、入ろう」
長い唸り声と思案の後、カッシーは意を決したように日笠さんの問いに答えた。
経緯はどうあれ、お世話になってるマーヤの危機でもある。
大丈夫、見てくるだけでいいから――そう言っていたサクライの言葉をここは信じることとし、少年は任務続行を提案した。
日笠さんは幾分青ざめた顔色で少年の返答を窺っていたが、やがて彼女も覚悟を決めたように小さく頷いて手を握りしめる。
二人は気合を入れると両開きの扉に手をかけて酒場に入っていった。
♪♪♪♪
三十分前
北の大通り宿屋一階食堂―
「見て来てくれって……それ本気で言ってるのか?」
「僕は至って真面目だよ?」
空になったジョッキをテーブルに置き、サクライは穏やかな笑みを浮かべながらカッシーの問いに答えた。
勝手なこと言いやがってこのバカ王――
カッシーはむすっとしながらサクライを睨みつける。
彼だけではない。他の五人も露骨に嫌そうに顰め面で王を見ていた。
「なんで私達なの? 別にサワダさんやあなたの部下でもいいでしょ?」
と、なっちゃんがテーブルに肘をつき、こめかみのあたりを支える様に手で抑えながら、抑揚のない口調で尋ねる。
目の前の男がはなから自分達をあてにして来ていたことが分かってから、少女の機嫌は目に見えて悪くなっていた。
サクライは浮かべていた笑みを引っ込めると、途端に真顔になり思案を始めた。
だがややもって首を振りながらなっちゃんを見る。
「やっぱりサワダには話せない」
「どうして?」
「この件は城の関係者に知られたくないんだ。なるべくマーヤを巻き込みたくない。話すとしてもそれは証拠を掴んだ後だ」
城の者に頼めば遅かれ早かれこの事はマーヤの耳に入るだろう。
彼女には余計なことに気をつかわず施政に集中してもらいたい。
サクライはそう考えていたからこそ、一人でこの件を探ってきていた。
意外と妹想いな所あるんだな、と妹大好きなカッシーは僅かに警戒心を解く。
しかし、微笑みの美少女(今は怒れる美少女であるが)は彼の発言を受け、さらに不快そうに形の良い眉を歪めていた。
「私達なら巻き込んでいい、そういうこと?」
「なっちゃん……」
心配そうに名を呼んだ日笠さんに無言で首を振ってから、なっちゃんは返答を求めるようにサクライに視線を向ける。
サクライは彼女のその問いに対してもゆっくりと首を振って否定してみせた。
「そういうわけではないさ。けれど、僕には城の関係者以外で知り合いがいなくてね」
そこに成り行きではあるが、たまたま知り合った『ヴァイオリンに来たばかり』で『あまり顔も知られていない』少年少女達。
彼等に頼むしかない。謁見の間で再び出会った東山さんを見て、サクライはそう思ったのだ。
「この国をまたあの頃には戻したくないんだ」
俯きながら小さな声でサクライは呟く。
隣に座っていたなっちゃんは聞こえて来たその切なる想いが籠められた言葉に、歪めていた表情を僅かに和らげた。
やにわにサクライは畏まったように座りなおし、ゆっくりと少年少女達に向けて頭を下げる。
かのーと食べ物の奪い合いをしていたリスザルもそれに気づくと、バナナを放し追うようにしてぺこりと頭を下げた。
「無理を承知で頼みたい。どうか一肌脱いでもらえないか?」
「……王様が簡単に頭下げないでよ」
ややもってなっちゃんは諦めたように『不快』という感情を引っ込めると、プイとそっぽを向く。
彼女もマーヤには恩があるし、手を貸すのはやぶさかではないのだ。マーヤの立場が危うくなれば自分達の部員探しにも影響が出てくるであろうことを、聡いこの少女はよくわかっている。
ただ身内を危険に晒したくない、だから関係ない彼等なら捲き込んでもいいだろう――サクライがそう考えているように感じて不快感を露わにしていたのである。
だが先刻までの飄々とした雰囲気はまるで感じられない、ヴァイオリン王としての気品ある一礼に、なっちゃんは珍しく身じろいでしまった。
「なっちゃん?」
「はぁ……まゆみに任せる」
と、バツが悪そうに毒舌美少女に委任され、日笠さんはやれやれとお決まりの苦笑いを浮かべる。
そして残りの一同を見渡して首を傾げる。
みんなどうする?――と。
「マーヤには恩があるしな」
「んー、なんとかなんじゃね?」
「なんかオゴレヨバカオー(ドヤ顔でバナナをむさぼりながら)」
カッシー、こーへい、かのーの三名は各々仕方ないといった表情を浮かべながらも承諾した。
そもそもこの件、放置しておけばマーヤの危機にも繋がることだ。
そうなれば部員探しにも影響が出てくる可能性もある。自分達のためでもあるのだ。
さて、残りは一名。彼女が一番の問題だが――
日笠さんはそう思いながら、剛腕無双の風紀委員長を向き直った。
案の定、東山さんは眉間のシワを深く刻み、なんとも複雑な表情で思い悩んでいたが、日笠さんがこちらを見ていることに気が付くと、意を決したように首を縦に振る。
「い、言っときますけど貴方のためじゃないですから! マーヤ女王のために協力するんですからね?」
恵美、それじゃまるでツンデレ娘よ――
不承不承ながらもそう言って、フンと鼻息を一つ吐いた東山さんを見ながら、日笠さんは顔に縦線を描く。
だが彼女はチェロ村の時と同じように、どことなく嬉しそうに口元を緩ませながら、頭を下げ続けていたサクライへと向き直った。
「本当に見てくるだけでいいんですよね?」
「ああ、どんな人物か顔と特徴さえわかればいい」
「わかりました、協力します」
「……ありがとうみんな」
日笠さんの言葉を聞いてサクライはようやく顔を上げ、心底嬉しそうに笑った。
「でもさー? その酒場って、サヤマって奴の手下が経営してるとこなんだろ? やばくねー?」
「そうだけど、至って普通の酒場だったから、いきなり客に乱暴を働くような事はしないと思う」
「あー、そうじゃなくて、だったら俺と委員長とかのーは顔ばれてんじゃねーかな、ってさ?」
彼と東山さん、そしてかのーは昨日サクライを追いかけた時、サヤマの手下に顔を見られている。
昨日の今日であるし、下手をすると鉢合わせする可能性があるのではないだろうか――
こーへいはふと頭に沸いた疑問をサクライに尋ねる。
サクライは顎に手を当てて考えていたが、やがてうんと頷きながら東山さん達を一瞥した。
「……確かに、もしもの事を考えると君達三人が行くのはやめた方がいいかもしれないね」
「えー、ツマンナーイ? 俺やる気マンマンだったヨー?」
『いや、元々おまえ(あなた)を行かせるつもりないから』
頭の後ろで手を組んでまったく残念そうに見えないケタケタ笑いをあげたかのーに対し、残る五名は声を揃えて即答した。
何かとトラブルを起こすわ、落ちつきがないわの、このバカ少年を連れていったらどんな事になるかわからない。
「となると、行くのは私達三人のうちから、ってことになるかな?」
誰がいこう?――ーと日笠さんはカッシーとなっちゃんに目で尋ねる。
と、しばらく腕を組んでうーんと唸り声をあげていた我儘少年が顔をあげた。
「じゃあ俺が行くよ」
「え、カッシーが? 大丈夫?」
「大丈夫? ってどういうことだっつーの……ただ酒場に行って様子を見るだけだろ?」
こんなの子供のお使いより簡単だ。
日笠さんに心配そうに念押しされて、カッシーは少しむっとしながら返答した。
「そうだけどカッシー意外と融通利かないから」
「それに短気だし無鉄砲だし」
「あのなお前ら……」
そもそも女の子を行かせるのは危険だろうからと、少年は気を利かせて名乗りでていたのだ。
なのに、日笠さんもなっちゃんも不安そうな顔で自分を見ている。
なんだか釈然としない気持ちになってカッシーは不満気に口をへの字に曲げた。
だがそんな少年の気配りとは裏腹に、どうしようかと迷っていた日笠さんは、ややもって意を決したように頷きながら皆を見る。
「……やっぱり私も行くわ」
「ちょっと待て、俺一人じゃそんなに不安か?!」
「そういうわけじゃないけど……」
「まゆみ、正直に言っていいのよ? 『とっても不安だ』って」
気を遣って言葉を濁した日笠さんを代弁するように、なっちゃんはニコリと微笑みながら歯に衣着せない発言を少年へと放っていた。
「まゆみもいくなら、安心ね」
「んーそだなー。日笠さん頼んだぜ?」
「バッフゥー、バカッシーすぐキレルシネー」
「クッ、おまえらまで……覚えてろよ」
と、見送り組の東山さん達にまで安堵の表情を浮かべられて、カッシーは悔しそうに歯噛みする。
「もういいっつの! なら日笠さん一人で行けばいいじゃんか」
「不貞腐れない。何かあった時は守ってね?」
もしもの時は期待してるから――
日笠さんはまるで駄々っ子をあやすように困った笑顔を浮かべながら、カッシーだけに聞こえるようにそう付け加えた。
と、いう訳で。
「二人共すまないけど、よろしく頼んだよ」
そう言ってサクライは懐から紙切れを取り出してカッシーに手渡した。
「これは?」
「酒場までの地図。西の大通りのはずれにある石造りの酒場だ。周りに酒場は一件しかないから近くに行けばすぐわかると思う」
「わかりました。じゃあ行ってきます」
「二人とも、気を付けてね」
「お土産よろしくディース」
日笠さんは腕時計に目を落とし時刻を確認する。
時間的にあまり余裕はないようだ。早速向かわなければ――
お互いを見て頷き合うと、カッシーと日笠さんは席を立ちあがったのだった。
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