その10-1 クーデター?!

北の大通り

宿屋1階食堂―


「はーい、ビールおまたせ~」

「あ、こっちこっち」


 と、ヨーコがジョッキに並々と注がれたビールを持ってやってくると、リューイチローはにこりと微笑みながら彼女を手招いた。

 ドンとリューイチローの前にビールを置き、ヨーコは快活な笑みを浮かべ返すと、ちらりと周囲を見渡す。

 おりしも時刻は夕食時。宿泊客や一仕事終えてやってきた人々によって食堂は大盛況だ。

 これは今日も忙しくなりそうだなあ――ヨーコは気合を入れるようによし、と小さな息を吐いた。


「ありがとうお嬢さん」

「ごゆっくり。あ、カッシー達の夕飯はもうちょっと待ってね」


 宿の看板娘はそう言って踵を返し、肩までのおさげ髪をリズムよく左右に揺らしながら忙しなくキッチンホールへ戻っていく。

 

「安産型だな……」


 そんなヨーコの後姿をまじまじと眺めながら、リューイチローは真顔でぼそりと呟いた。


ドン!―


 だが途端に乱暴にテーブルが叩かれ、忌々しげな舌打ちが聞こえてきて、彼はおや?と正面を向き直す。

 そして眉間にシワを寄せまくって自分を睨んでいる東山さんに気づくと首を傾げた。


「君も飲む? 頼んでいいよ、今日は僕のおごりだ」

「いりません!」

「ああ、そう。じゃあ遠慮なく」


 ガタンと椅子を倒して早速食って掛かろうとした少女を、両隣に座っていたカッシーとこーへいが慌てて諫める。

 そんな彼等を余所目に、リューイチローはジョッキを手に取って、美味しそうにビールを飲み始めた。

 何しに来たんだこいつは――なんとか東山さんを着席させると、カッシーは冷ややかな視線を蒼き王に向ける。

 幾分早く宿へとやって来たリューイチローは、少年少女の醸し出す招かざる空気もなんのその。

 とりあえず何か食べながら話をしよう、とカッシー達を食事に誘ったのである。

 半日城下町を歩き回って腹ペコだった彼等は、まあいいかとなし崩し的に蒼き王と夕食を囲むことになっていた。


「うーん、うまい。やっぱり仕事の後はこれだよね」

「……こんなんが王様じゃなー、そりゃあ女王も苦労するよなぁ?」


 ビールの泡で白いヒゲを作りながら、しみじみと息を吐いたリューイチローを見て、こーへいは呆れたように眉尻を下げた。

 だがリューイチローはこーへいのその言葉に対して、口に指をあてながら小さく首を振ってみせる。

 

「ああ、ごめん。この場で王様と呼ぶのはなしにしてくれる?」

「へいへーい、んじゃ何て呼べばいいんだ?」

「そうだな………うん、サクライで」


 と、どーでもよさげに尋ねたこーへいに、リューイチローは少しの間考える素振りを見せると、やがて頷きながら答えた。

 サクライ――

 ついさっきも聞いたばかりの名前だった。

 となると、マーヤを助けて旅に出た少年『サクライ』とは、やはり目の前のこの王様のことだろう。

 物語では心優しい王子のようだったが、一体どこでどう食い違ったのか、はたまた十年の月日が彼をこのようなダメ王に変えてしまったのか。

 そういったわけで、リューイチロー改め、サクライの顔を。

 六人は各々『マーヤの大冒険』の話を頭の中で思い描きながら、まじまじと見つめていた。

 

「ん?どうしたの、みんなして?」

「別に……」

「ああそう、ところで君は……失礼、どこかで会ったことなかったかな?」

「え……私ですか? いえ……お城で会ったのが初対面ですけど」


 と、やにわに尋ねられ、日笠さんは目をぱちくりとさせる。だが当然ながら彼と出会ったのは今日が初めてだ。彼女はフルフルと首を振って見せた。

 サクライはそう、と頷いた後、それでも記憶を手繰るようにして、眉を顰めていたが。


「どこかで君の顔を見た気がするんだが……ううむ、どこだったか」

「もしかして、そうやっていつも口説いているんですか?」

「まさか、そんなことはしていないよ。強いて言えば君が初めてだ」

「はいはい。それよりこうやって王……コホン。サクライさんがさぼっているせいでマーヤ女王が大変だってこと、ご存知なんですよね?」


 日笠さんはテーブルの上のフォークをちょんちょんと弄びながら、軽蔑するような視線と共にサクライに尋ねる。

 痛いところを突かれたといいたそうに、サクライは頬杖をつくと僅かに視線を逸らして神妙な表情を浮かべてみせた。

 

「それはもちろん重々承知さ」

「重々承知の上で、さぼり続けるのはどうかと思いますけど」


 不快の色を隠すことなく顔に浮かべて、日笠さんは食い気味にサクライの言葉の後に続ける。


「もし女王が忙しくて部員を捜すのが遅れたら、どうなるか覚えておいてね」

「そうだな、マーヤが忙しいのはあんたのせいだしな」


 今度はなっちゃんとカッシーも会話に加わって、矢継ぎ早にサクライを責め立てた。

 と、テーブルの上でちょこんと丸まっていたリスザルまでもが、ひょこっと顔をあげて賛同するようにコクコクと可愛く頭を上下させる。


「君まで彼等の味方かい?」


 まさに四面楚歌。やれやれとサクライは椅子にもたれかかった。


「少しはこちらの弁解も聞いてくれないか」

「はーい、カッシー達おまちどうさま」


 と、苦笑いを浮かべたサクライの言葉と被るようにして、ヨーコがカッシー達の食事を運んでくる。

 六人は笑顔でヨーコに礼を述べると、各々目の前に置かれた夕食を口にしはじめた。


「確かに政務をさぼってはいるが、別に遊んでいるわけじゃないんだよ?」

「……」

「というか、民の暮らしを知ることも為政者の務めだと僕は思っている」

「あ、なっちゃん、塩とってくれる?」

「はい^^」

「それに、人には向き不向きがあるだろう?僕はどうも政治は苦手でさ」

「んー、この肉料理やばくねー?」

「そうね、レシピが知りたいわ…」

「あーその……みんな僕の話聞いてる?」

「あ、すいませんヨウコさーん。このハンバーグみたいなのお代わりくださーい」

「ムフ、俺もオカワリー!」


 だめだこりゃ――

 頬杖をついてサクライは唸り声をあげた。


 と――


「あなたの弁解なんてどうでもいいわ。そろそろ理由を聞かせてください」


 かちゃりとフォークを置き、丁度真向かいに座っていた東山さんは、サクライへを真っ直ぐに見据えながら口を開いた。

 あの時逃げ回っていた理由を聞かせてほしい――

 彼女のその問いかけに、答えると王は言ったのだ。

 

「女王のためだからこそ、この場では言えない――謁見の間でそう言ってましたよね? 答えて下さい、一体何をしていたんですか?」


 少女の問いに賛同するように、カッシー達もじっと蒼き王へと視線を向け返答を待っている。

 強く純粋な意志を感じる東山さんの視線を受け、それでもサクライはしばしの間迷うように沈黙していたが、やがて彼は口を開いた。

 

「城下町で不穏な動きがあってね、探りを入れていた」

「不穏な動き?」


 と、鸚鵡返しで尋ね返したカッシーに、サクライは至って真面目な顔つきで頷いてみせる。

 

「マーヤを女王の座から降ろそうと企んでいる輩がいる」

「女王様を?」

「ちょっと待って、それってまさか――」

「つまり『クーデター』ってことさ」


 サクライは身を乗り出し小さな声でそう答えた。



『クッ、クーデターッ?!』



 しばしの間の後、少年少女は思考の整理を終えると一斉に驚きの声をあげる。

 何事かと周りにいた客がカッシー達を振り返るのを見て、サクライは呆れる様に溜息をつくと、口に指を立て少年少女を諫めた。


「声が大きい」

「あ、ご、ごめんなさい……」

「んーでもよ? マジかよそれ?」

「一体誰がそんなことを?」


 半ば信じられない話だ。

 そもそもマーヤは善政を敷いているようだし、反対する者などいそうにないが。

 一体どこのどいつがそんなことを?――カッシー達は訝しげにサクライに詰め寄よると小さな声で口々に尋ねた。


「彼女の出自は知っているかい?」

「ああ、ぺぺ爺さんやサワダさんから聞いてる」

「なら話がはやい。まあそういう経緯もあって、民衆の視点に立った施政を敷く彼女は皆からの支持も厚い」


 彼女の政治は公平無私、信賞必罰。

 マーヤが女王の座についてから、この国は確実に良い方向へ発展してきている。

 もちろん城の内外問わず彼女の評判はすこぶる良い。


「ならクーデターなんて――」

「一方でそんな彼女を快く思っていない連中もいる」


 やや苦い表情を浮かべ、サクライはビールを口に運んで喉を湿らせると話を続ける。


「前王に仕えていた貴族達だ。彼等はマーヤを恨んでいる」

「貴族ねえ……」

「あの、その貴族達とマーヤ女王って何かあったんですか?」

「まあ色々とね」


 サクライはマーヤと貴族達の間に起きた出来事について話始めた。

 マーヤが女王に就任する前、つまり十八年に渡って弦管二国が大小の争いを続けていた時代まで話は遡る。

 当時の弦国の政治は、貴族達が主体となって執り行われていた。

 しかも官位は世襲制であったため、たとえ現職の貴族が引退しても、その息子や血縁者が跡を継ぎ、政治を取り仕切っていたのだ。

 そのため、時々の為政者の能力によって施政に大きく差が生じ、時代によっては必ずしも善政が敷かれていたわけではなかった。

 それどころか権力を笠に私服を肥やしたり、実権を握り好き放題やるような輩も出てきていたのである。

 

 どこの国も政治の世界は似たようなもんだな――

 サクライの話を聞いて、カッシーは元いた世界でも毎日のようにニュースで取り上げられていた、汚職や不祥事の話題を思い出し、思わず相槌を打つ。


「弦管両国が戦争を続けていた時代は、そんな不安定な政治に対しても民衆は不満を漏らさなかった。皆戦争でそれどころではなかったからね」


 しかし十年前、マーヤ達の活躍により両国の戦争が終結すると状況は一変する――


「戦争が終わって生活にゆとりができてくると、民衆は政治の実態に目を向けるようになった」

「どうなったんです?」

「貴族達による、杜撰な政治内容を知って当然民衆は怒った。皆が戦争で焼けた街や村を一生懸命復興している時に、一握りの権力を持った貴族達は民衆から集めた金を使って豪遊したりしていたから」


 そこまで話してからサクライは空になったジョッキに気づき、ヨーコを呼んでビールをお代わりする。

 

「だが、民衆は世襲制度に逆らう事はできない。どんなに悪政が続こうともそれに介入することは不可能だった。戦争終結後も貴族達は世襲制という『切り札』をいいことに、これみよがしに横暴を続けたんだよ。当時のヴァイオリン王、その……僕の叔父にあたるんだけど、彼はそんな事情を知ることもなく貴族達の傀儡いいなりだった」


 貴族達は自分達の私服を肥やした悪政の現状を巧みに隠蔽し、前王の耳には入らないようにしていたのだ。

 前王に責任がないか、と問われれば『ない』とは言い切れない。

 だが、彼もある意味被害者ではないか――サクライは思っている。

 そんな腐敗した政治が続く中、戦争終結から二年が経過し、民衆の不満はピークに達していた。

 城下町では頻繁に暴動が起こり、中には貴族の家を襲うものまで出始めたのだ。

 

「マーヤと僕が王位についたのは丁度そんな時期だった」


 八年前。ようやく貴族達の横暴を知った前王が、責任を感じ引退を宣言した事を機会に、サクライは跡取りがいなかった前王の後任者としてマーヤ『姫』を次期弦国当主として推挙したのである。

 戦争を締結させた英雄として、民衆からも王家からも名実ともに認められつつあったマーヤは、世論にも支持される形で、前王の後を継ぎ女王の座に就任した。


 ただし、サクライも王に就任すること――という条件付きで。

 

 自分が王の座に就くことなんて毛頭考えていなかったサクライは、彼女が提示したその条件を丁重に断っていたが、頑として聞き入れないマーヤに折れるような形で、結局自分もヴァイオリン王に就任することになった。


 自分だけ楽しようとするつもりでしょ?そうはいかないからね兄さん――


 そう言って頬を膨らませ、顔と顔がくっつくくらいに身を乗り出してきた妹を思い出し、サクライは思わずクスリと笑う。

 

「就任早々、マーヤはこの国の『癌』となっていた官位の世襲制を撤廃した。戦争で疲弊した国を立て直すためには、優れた人材を新たに登用する必要があったし、 なにより貴族達が自分本意の政治しかやってこなかったことを彼女はよく知っていたからね」

「女王様、結構思いきった事やったのね」

「マーヤはああ見えて結構厳しいからなぁ」

「テメーも少しはみならえバカオー」

「あー…その話はちょっと置いといてもらえるかな?」


 また話が戻るから――

 サクライは苦笑すると、藪蛇だったと頬を掻く。

 

「次にマーヤは身分や年齢問わず、才能のある者はどんどん抜擢していった。イシダ宰相もその一人だ」

「イシダ宰相も?」

「彼は元々オラトリオ大学の経済学助教授だったんだけど、エリコ――いやトランペットの王女から紹介を受けて、六年前にマーヤが宰相に抜擢した」


 イシダ宰相は若干十九歳で助教授になった秀才の呼び声高い逸材だった。

 しかも生まれはトランペットで管国の出身であるにもかかわらず、マーヤは宰相という重要なポストに彼を招聘したのだ。


「あの人結構若く見えたけど?」

「実際若いよ、まだ二十五、六じゃなかったかな」

「へぇ……」


 政治の世界はあまりわからないが、そんな若い人物を宰相として抜擢するなんて、かなり大胆な人事ではないだろうか。

 なっちゃんは話を聞きながら、ますますマーヤの政治的辣腕に感心してしまっていた。

 結果としてマーヤのこの人事は成功した。

 才能があれば身分も出自も問わず――

 イシダ宰相の異例な抜擢が噂になり、ヴァイオリンには多くの者が自分を才能を買ってほしい、と士官を求めてやってくるようになった。

 裏を返せば、それだけ有能なものが在野に燻っていたという証拠でもあるが。

 新たに就任した者達も公平無私な女王を慕い、自分を抜擢してくれた恩に報いようと懸命に働いた。

 おかげでこの五年間で弦国の国力は戦前とは比較にならないほど豊かになっている。

 しかし、彼女の行ったこの人事改革で、またもや貴族達は辛酸を舐めさせられる事態に陥った。

 当然だが、それまで横暴の限りを尽くしていた貴族達は官位を返上させられ、政治の世界から追い出される羽目になったのだ。

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