かなめヒルクライム!

だいふく

プロローグ

 初めてそれを目にしたとき、心が震えた。

 街中で偶然目にしただけのそれに、わたしは虜になってしまった。

 白を基調にピンクを織り交ぜた美しい流線形の車体が、まるで風のようにわたしの横を後ろから走り抜けていく。それは一瞬の出来事で、その自転車は車にも負けないくらいの速度で駆け抜けていき、わたしが見とれている間に見えなくなってしまった。

 乗っていたのは、私と同い年くらいの女の子だった。ヘルメットを被っていたから髪形は分からないし、後ろから走ってきたから顔も分からない。肌に張り付くぴっちりとした水着みたいなのを着ていた。

 彼女の乗っていた一風変わった形の自転車――ロードバイクは最近流行りらしく、いろいろな歳のおじさんたちが乗っているのを大きな道でよく見る。わたしの乗っている一万円ちょっとのシティサイクルとは違って何万円もするものだから、中学生や高校生が乗るようなものだとは思ってもいなかった。

 でも、あの女の子は乗っていた。それでいて、わたしがいままで見たことのある誰よりも速く走っていた。


「すごい……」


 知らず知らずのうちに、わたしはそう呟いていた。ほんの一瞬彼女の走りを見てしまっただけで、わたしの心はすっかりロードバイクという乗り物にとらわれてしまった。

 わたしもああいう風に走ってみたい。あれだけ速く走れたらきっと世界が違って見えるはずだ。風も気持ちいいに違いない。

 これだけ胸がどきどきするのは初めての経験だ。好きな男の子に指先が触れたときよりも、高校の合格発表を見たときよりも、わたしの心臓は高鳴っていた。

 いままでのわたしは何でも中途半端だった。

 小さい頃に友達に誘われて始めたピアノは一年で辞めてしまったし、小学校高学年で入っていた地域のバスケットボールクラブも、中学生になると同時に辞めた。中学では部活動は吹奏楽部に入ったけど、これも半年もたなかった。それ以外にもいろいろなことに取り組んでみたけど、やっぱりだめ。

 始めた瞬間はすごく楽しかった。でも続けていくにつれて、どんどん熱が冷めていく。わたしはその感覚がとても嫌いだった。お父さんもお母さんも好きにやらせてくれるタイプだったから、どれもこれも長く続けなかった。

 それでもわたしは新しいことを始めるのを辞めなかった。

 悔しかったのだ。

 他の子は部活動に一生懸命取り組んだりしているのに、どうしてわたしには熱中できることがなにもないのだろう。時間が経つにつれて、どんどんそれがコンプレックスになっていった。

 みんなはどんどん先へ進んでいくのに、わたし一人だけが途中で立ち止まってしまう。道の途中に置いてけぼりにされるような子供のような惨めで悲しい気持ち。それが嫌だった。

 だけど、ロードバイクに乗った彼女を目にした瞬間に、わたしの中にいままでなかった感情が芽生えた。

 あれに……ロードバイクに乗れば、わたしもみんなと同じくらい速く走れるだろうか。

 わたしを、変えてくれるだろうか。

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