第5話 リビングウィル

「イズ……ミ…さ……イ……ズ…」

声がする。懐かしく、そして優しい声。

「ねぇ…さん…」

意識がはっきりしない状態で、泉はそう呟いた。

「泉さん、泉さん、起きてください」

女性の声だ。体に力が入り、五感が正常に働いている。泉はそれを確認するように目を開く。何かが、彼の顔を覗き込んでいる。

「ん?」

目に映ったのは…骸骨だ。しかも明らかに人間の骨じゃない。

「あぁぁぁぁぁーーーーーーーー」

「きゃぁぁぁぁーーーーーーーー」

すぐさま距離をとろうと体を起こしたときに、勢いあまってその骸骨に頭突きしてしまった。

「いってぇぇーー」

「もーやめてくださいよー。ホントにびっくりしました」

(骸骨がしゃべってやがる。待て、冷静に状況を判断しろ)

そう自分に言い聞かせ、泉は骸骨に視線を移す。

骸骨は、正確には骸骨じゃなかった。ヘルメットのような髑髏を、すっぽりと頭に被っている何かだった。口元だけしか顔が見えておらず、服装は黒マントを赤い紐で首元に結びつけ、マントの中は、白と紺色のブラウスを着ていた。

「あの、コスプレですか?」

「いえ、正装です」

「そんな正装、見たことないんですが」

「意外と冷静なんですね。私を見た人はしばらく口をきいてくれないのに」

「ネガティブに関する理解力と判断力は、素晴らしいと褒められたことがあります」

「私、ネガティブ要因なんですね」

骸骨は悔しそうに頭を抱えた。その仕草に、妙に子供っぽさを感じた。

「えっと…どちら様ですか?」

「死神ですよ」

そう骸骨がはっきりと答えた。

突然、あの胸を刺される感覚とともに、昨日の記憶が蘇ってきた。周囲を見渡す限りでは、何も変わらない朝の学校風景が広がっているのに、そこには…

「泉さん、あなたは亡くなったんです。昨日の五時半ごろ……胸を刺されて」

死神が残念そうに泉に告げる。少し死神の口元が辛そうにみえた。

「そっか」

大きく息を吸って、感嘆無く彼は答えた。このとき彼の頭に浮かんできたのは、水月が無事逃げられたかどうかだった。

「みなじゃ無くて、俺がかばった女の子はどうなったか知ってますか?」

「無事、先生と合流して、あなたのために救急車を呼んでましたよ。ホント一生懸命に」

「そうですか。なら…いいんです」

泉はほっとした。水月は生きている。

「泉さん。あなた、自分がこれからどうなるか不安に感じないんですか?そもそも、死んだことがショックじゃないんですか?」

死神が不思議そうに聞いてきた。

「あーそうだった。俺は今からどうなるんですか。えっと…」

「あっ、私の名前はリスティ・クランベリー。リスティと呼んでください」

「ああ、俺の名前は」

「室戸泉さんですよね。誕生日は三月九日。医者の両親を持ち妹と二人暮らし。最近は妹の料理のため学校を三回休み、おかげで先生に呼び出しくらったとか」

「何で…知ってるんだよ」

「何言ってるんですか?私、死神ですよ。知ってて当然じゃないですか」

「そう…か」

答えにはなっていなかったが、泉にはそれで十分だった。死神とはそういう存在なんだろう。生きる者の魂を奪い、そして黄泉へと誘う案内人。先ほど言われたときはいまいちピンとこなかったが、リスティの振る舞いを見て実感した。ああこいつは死神なんだと。

「それじゃどこに俺を連れて行くんだ。天国…それとも地獄か?」

「泉さん、あなた何か勘違いしていませんか?」

「?」

「貴方には、まだ選ぶ資格がある。それも最高の選択肢です。どうです私が少し天使に見えてきませんか」

リスティはそう言って両手で輪を作り、頭上に掲げてみせる。その格好は宴会で出す一発芸よりも質の低いクオリティで、死神というイメージが早くも決壊した瞬間だった。

「……」

「泉さん何か言ってくれませんか。死神って怖がられるから、無理してキャラ作ってるこの私に」

「すこし…痛い奴かも」

「おしいっ」

彼女はわなわなと震える人差し指を泉に向けると、仕切りなおすように再び言葉を発した。

「死神なのにっ!とか言って欲しかったんですが、まあ掴みはこんなもんでしょう」

「お前…どっかの芸人みたいだな」

「芸人ではありませんけど、初対面って大切なんです。死神ってイメージ悪いですし」

死神も色々大変だな。そう泉は思っていた。

「まあ話しを戻しますと、泉さんには選択権があるんです。一つはこのままこの世界を無意味にさまよい続けるか」

「もう一つは」

「生き返る道を進むかです」

「生き返れるのか」

「はい、貴方にはその資格があります」

「資格?」

「四十歳以下で、自爆霊(じばくれい)、そしてイケメン」

「最後のはお前の願望だろ。後、漢字間違ってるぞ」

「いえ、これであってます。あなたは自爆霊です。死神用語ではこう呼びます」

「そうなのか?」

「すみません、嘘です。間違えました」

「やっぱそうか」

「よく見るとそうでもないですねー。イケメンは撤回します」

「お前…マジ腹立つな」

リスティはしげしげと泉の顔を査定するようにみて、なにやらメモ帳に書き込んでいた。

リスティが「失礼」と言い閑話休題。

「生き返るための資格は他にもあるんですが、あなたに当てはまるのはこれですね」

「なあ、自爆霊の定義は何なんだよ?」

「誰かを守って死ぬ霊のことです。これは他にも様々な認定基準があるんですが、面倒なんで省略します」

「それじゃあ二つの道は?具体的にはどんな道なんだ」

「前者に話したのは言葉通りです。この世界、地球で百年間漂ってもらいます」

「百年?」

「あなた本当に冷静ですね。百年漂った霊は転生するんです。記憶も経験も…体も失って、新たな生を受ける。つまり生まれ変わるんです。水が、いずれ海に流れ、そして雨となってまた大地に降り注ぐように、人の魂も…同じなんです」

さっきのふざけた雰囲気が微塵も感じられない口調で、そうはきはきとリスティが答えた。

「輪廻転生って、本当にあったんだ」

素直に感想が泉の口から漏れる。死後の世界がこんなシステムだったとは、泉は考えもしなかった。

「話が早くて助かります。ここらで大概の人が信用しないんですが、あなたは優秀ですね。後者に話した生き返る道は、死神用語で生返(せいへん)といわれます。生返ではある試験を受けてもらいます。まだ試験の内容は秘匿事項で教えられないんですが、合格すればあなたは五体満足で生き返れます。記憶、経験もそのままです。例えこの世界のことでも」

「いいのか?死後の世界のこと、秘密とかじゃなくて」

「そんなこと地球で話したら不審者扱いされますよ、泉さん」

(もうされてる。理不尽だが)

「じゃあ失格したらどうなる?」

「それは……分かりません。不確定要素が多くて、受験者の裁量で決定されます。しかもその判断基準は、私達死神もよく分かってないんですよ」

「…不確定要素…か」

どことなく、不安を連想させる言葉である。はっきりしない、まるでどちらにも傾くシーソーのような、そんな不安定感を連想させる。


「ゼロイチ」


唐突にリスティが、そう言葉を発した。それが、何の意味かは泉にはさっぱりだった。

「今のあなたの状況は、死神用語でそう呼ばれます。転生(ゼロ)からやり直すか…生返(イチ)からやり直すかを選ぶ存在。生き返れるかはまだ分かりませんが、あなたはその選択権を持つゼロイチユーザー、生の選択者です」

「…ゼロイチ」

「どうします、泉さん。あなたの選択によって私がとる行動が変わるんですが?」

「それは…」

どうなるか分からない、生返の道を選ぶか…

ただ漫然と漂う、この空虚な世界に身を委ねるか…

二つに…一つ

ゼロと…イチ…か…

「…なぁ、普通この状況に陥った奴はどっちを選択するんだ?」

「生返一択です。だから、それで悩む泉さんがかなり変人に見えます」

「…そうか」

言い返す気にはなれ無かった。

「そんなに悩むなら保留でもいいですよ。まだ時間もありますし、確かにこれは重要な決定ではありますしね」

「悪い…そうしてくれると…助かる…」

そう返事をしたとき、リスティの口元が少しゆがんだ。

「わかりました。では今日の午後十時に返事を聞きます。本当はすぐに決めて欲しいのですが、この調子だと時間かかりそうですし。泉さんは少しこの辺をぶらぶらしてきたらどうですか?」

「ああ…」

「それでは必ず午後十時にはここにいてくださいね。探しにいくの面倒ですから」

「わかった」

「それじゃあ十時に」

そういい残すと、リスティはどこかにふわふわと飛んで行ってしまった。どうやら彼女には他の仕事があるようだ。

「これから…どうするかな」

その場に残った泉はもう一度周りを見渡す。すると、何も変わらない朝の学校風景に、今度は一つだけ昨日とは違う部分を発見した。

「花…か…」

希望坂。泉が胸を刺された場所に沢山の花束が供えられていた。

   *

 泉は学校に行ってみることにした。自分の遺体がどこにあるのかわからなかった以上、学校が少しどうなっているかも気になっていた。

希望坂を登り、泉は学校の下駄箱を通過して自分の教室へと足を進める。といっても、あまり重力に引かれてる感覚は無く、上手くいえないが何かにぶつかったら飛ばされて、どこかに消えてしまいそうな、そんな空虚でふわふわした不思議な感覚だった。

このように歩いてクラスに向かう途中、泉がふと思ったのは姉のことだった。

姉さんも自爆霊霊認定は受けているはずだ。命を救い、年齢だって四十歳を越えていなかった。じゃあ姉さんはどうしたんだろう。生き返る道を選んだのだろうか。それともこの世界のどこかを…漂っているのだろうか。

「聞いた?室戸って死んだらしいよ」

「あー知ってる。あの室戸でしょー。なんか笑えるよねー」

いつの間にか泉は、自分の教室塔まで歩いていた。高校の休み時間。廊下で、他クラスの女子二人が泉の話をしていた。

「それわかるー。不審者が不審者に殺されるってちょっと笑える」

「でもなんで水月に突っ込んだんだろー。アイツそういうことするタイプに見えないんだけど」

「水月の胸触りたかったんじゃない。ほら水月って美人で巨乳じゃん。ていうかそれしか理由思い浮かばねー」

そう言って、二人の女子が楽しそうにゲラゲラ笑っている。

「まあ…そうだよな…仕方ないよな…」

そう諦念しようとする泉の顔は、酷くぎこちないものだった。諦めと相反する期待の感情は脆く崩れ、その反動で、彼は上手く表情を取り繕えなかった。

そうさ…もともと女子から好かれてる方ではなかったし、不審者という噂も流れてたんだ。そういう風に見られていてもおかしくない。仕方ない。仕方ないんだよ。


パン


突然、乾いた音が鳴り響いた。

先ほどまで騒がしかった渡り廊下が一瞬で静まり返り、周りの生徒は一箇所に視線を集めていた。

学年一優等生の水月が、平手で女子をぶっていた。

「何で…そういう風にしか考えられないの。どうして…そんなことがい言えるの」

震えた声で水月が告げる。

「室戸君は…刺された後だって…ずっと私のことを考えてくれてた。動けなかった私に…嘘までついて……私を…先生と合流させた。本当は痛くて…辛くて…なのに…なのにっ」

「ちょっと…み、水月さん」

引き気味に片方の女子が聞き返すが、溢れ出す感情の勢いは止まらず、水月は二人の女子の胸倉を掴み、美しいその瞳を怒りで歪ませた。

「あなた達に…あなた達なんかに…室戸君をバカになんてさせないっ」

「ちょっと葵、やめなって」

昨日の朝、明と呼ばれていた少女が、今にも殴りかかろうとする水月を止めに入っていた。続いて周りにいた柏田、水谷もその場に到着し、順に止めに入っていく。

「落ち着け水月。お前がそうする事は…お前を助けた泉の本意じゃない」(柏田)

「そうだよ。イズミンはいつも笑って欲しいと思ってる。そういう奴なんだからさぁ」(水谷)

「止めないで…こいつらにもう一発入れないと…私は…私は気がおさまらないっ」

「こいつらに何言っても室戸の良さはわかんないよ。だから行こっ…葵。私だって結構…辛いんだよ」(明)

激昂し強引に掴みかかろうとする水月を、柏田が止め明がなだめる。しかしいつまでも止まる気配の無い水月を、柏田が腕を掴んで無理やり引き止める。

「やめろ水月…お前の気持ちは痛いほど分かる…だが…この行為にはなんの意味もないっ」

「柏田君…お願い。止めないでよっ…柏田くんっ」

「葵っ」(明)

瞬間、力強く叫ぶ水月に、『バッ』っと正面から明が抱きついていた。

「…明」

「聞こえる葵…私の…心臓の音…」

「え?」

「知ってる…葵…人の心臓って鼓動する回数が決まってるんだよ…だからね葵…やめようよ…こんなところでバカみたいに興奮してさ…室戸が守った命…縮めること無いよ…」

少し震えた声で、優しく、落ち着かせるように明が肩越しで囁きかける。その言葉を聞いた瞬間、水月は地べたに座り込み、瞳から大粒の涙をぽろぽろと流し始めた。

「私の……私のせいなんだよ……室戸君…ゴメンね…ゴメンね…」

水月は胸に秘めていた罪悪感を全て吐露するように、何度も何度もその言葉を繰り返し続けた。

彼女は、一生背負い込むつもりである。彼の死、彼の無念。そして、彼を死なせしまった自分の贖罪を、一生消えない十字架として心の中で背負うのだ。

止めに入ったは三人は俯き、しばらく何も言わずに水月を見ていた。

彼女は顔を真っ赤にして、いつまでもその場を動こうとはしなかった。そんな水月の姿を目の当たりにした柏田と明は、泣き止まない彼女を介抱するように立ち上がらせ、そのまま保健室に連れて行った。

「お前らっ」

残った水谷が、熱のこもった声で渦中の女子二人に言う。

「次…僕達の親友をけなしてみろっ…一生、後悔させてやる」

そう重々しく言い終えた後、水谷は柏田達を追って保健室へ走っていった。


そうして、この十分間だけの喧騒は収まり、野次馬達は蜘蛛の子を散らすように各々の教室へと戻っていった。騒ぎの原因となった二人も、ばつが悪そうに足早と戻っていく。そして、授業開始のチャイムが鳴り響き、何事も無かったように各教室で授業が始まった。

「何で…いまさら…何で………」

誰もいなくなった閑散とした廊下で、泉はたち呆けていた。

…こんな風になって良かったと思ってた。姉さんみたいに、俺も…誰かを守れて、ほっとしてた。いい奴とまでいかなくても。それなりのヒーロー感覚で自分の人生綺麗に終えられたなって満足してたのに。だけど…何で…

「何で…こんなに戻りたいって思うんだ」

戒めにも似た感情が、泉の中でふつふつと湧き上がった。

「本当は分かってた…俺は戻りたいんだ。クラスメイトに嫌われても、誕生日を迎えるたびに妹に気を使わせても、唯一の親友に辛い顔させたって、こんな理不尽で思いどうりにいかない世界に…俺は…戻りたいんだ」

涙混じりに呟いた自分の声を聞いて、泉は泣いていることに初めて気がついた。

「…こんなの…出るなよ…」

頬を流れる彼の一筋の涙は、首もとに達することなく地面へと落下していく。しかし、その涙は地面を湿らせることなく、空中ではかなく散って消えた。

泉はその場に座りこみ、しばらく色々なことを考えていた。海のことや、水谷の僕達の親友と言う言葉、水月が怒った理由、明が言った自分の良さ、柏田のあの辛い表情の意味。考えれば考えるほど上手く理解できず、彼はどうしようもなく嬉しくなった。

人の感情には理屈や言葉じゃ説明できない気持ちがあるのだと、その時の泉は思った。泉のそれは、彼の家族、親友たちになった。

「あっ」

と、その時、ある少女の顔を思い出した。

今まで一緒にいるのが当然で、泉にとって大切な人物、無性に気になった。それは、親友なら持って当然の、表裏の無い素直な感情。

「あいつ」

泉の中である衝動が激しく湧き起こる。

自分のクラスに入り、教室を見渡す。教室には空席が六つあり、保健室に行った四人はまだ戻っていなかった。残り二つの空席の一つには、綺麗な花が供えてあった。

「あーもう、探すのめんどくさいんだよ。やっぱりアイツはズル休みかよ。予想だと、海と一緒にいるなアイツ。どこまで単純な奴なんだよ。丸解りだよ」

そう言って泉はまだ赤い目を擦り、嬉しそうに学校の外へ走りだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る