第2話 スクールライフ
県立星川(せいせい)高校の希望坂。
若人を導くと言われるこの坂は、一般生徒からは地獄坂と呼ばれている。傾斜三十度の上り坂が三百メートル続き、学校までの道がこの一本しかない。この坂を毎朝登校する生徒にとっては、それは確かに地獄であった。
在校生である泉もしげしげとこの希望坂を登っていた。妹との刺激、いや死劇的(しげきてき)なコミュニケーションの代償、激しい腹痛を抱えながら。
「今日は早いね」
後ろから、親友の皆川(みなかわ)神子(みこ)が自転車を押しながら話しかけてきた。
無表情の顔に半開きに開いている目が印象的で、ショートカットに切りそろえられた黒髪をなびかせて、そこが自分の居場所であるかのように泉の隣に並行する。
「ああ、今日は妹が」
「シスコン?」
「まだ妹しか言ってねーだろうが」
「違うの」
「いや、まあ…そうなんだけど(デヘヘ)」
ピロリロリン
「おい、いい加減にしろよ」
皆川が、携帯のカメラレンズを泉に向けていた。
「いやこの気持ち悪い顔が、これからもブログで高い評価得るだろうから。ゴメン」
「晒すな」
「冗談だよ。今日も元気だね、泉は」(カチカチカチカチ)
「その携帯動かす指を止めろ」
皆川は、かなりの頻度で泉の顔を激写する。それは、自分の名前をネットで検索するのが怖いぐらいに。
「それで、妹さんがどうしたの?」
「ああ、朝から味見役で起こされたんだよ。もうすぐ姉さんの命日だからって…」
(…しまった)
泉がそう思った瞬間、
「そう」
皆川の顔がみるみるうちに陰っていった。
「………」
「………」
沈黙が辛い。今まで皆川には姉の話題は避けて来たが、ここにきて何たる凡ミス。
「今度、線香でもあげに来いよ」
沈黙に耐え切れず、泉は下手糞ながらも彼なりに気を使って話しかける。
「そうする」
何かを振り切ったように、笑顔でそう皆川が答えた。やはり、皆川はまだ姉のことを引きずっているようだ。その笑顔が痛々しかった。
「イズミぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
いきなり、鼓膜を突き破るような奇声が希望坂に響き渡る。
前方二十メートル先の希望坂の頂上から、クラスメイトが声を張り上げている。ああ…遠目から見たってわかる。あれはキレている。
「アンタ、今日風紀委員の服装指導の当番でしょーが。何で時間どうりに来ないのよ」
泉の周りは女子で一杯になる。怒り心頭の女子で。
三週間前に決めていた服装指導。泉は完全に忘れていた。
校則の厳しい星高では、風紀委員の仕事は自然と重要度が増してくる。だからこそ毎朝の服装指導は重要な役割を担っており、遅刻することは許されないのだ。
ちなみに風紀親委員は泉以外全員女子だ。断っておくが、ハーレムなんかじゃない。桃源郷の代わりに見たものは、女尊男卑(にょそんなんぴ)の地獄である。
「皆川…何とかしてくれ」
「私、強い方の味方だから」
そうばっさりと切り捨てると、そそくさと皆川は歩いていく。
「バカなの。ねぇ、バカなの」
女子の罵倒が続く。
「こいつ何で風紀委員にいるわけー。女子ばっかだからってやましい気持ちでこられても迷惑なんですけどー」
「女子は朝時間かかるのに、何で男子はたっぷり時間のある朝に遅刻するかねー」
「このゴミクズが」
「とにかくペナルティは必要よね」
「ねぇ皆川さん。もうコイツに近づくの止めたほうがいいって」
「うん、そのつもり」
「おいっ…ちょっと待て…」
女子の罵倒の中、昔から聞きなれた声を泉は聞きのがさない。
「皆川、テメェなんでちゃっかり敵側にいるんだよ。後ゴミクズって言ったのもお前だろ」
先ほどの陰鬱とした表情は消えうせ、皆川はいつものポーカーフェイスに戻っていた。
「まあまあ、みんなその辺で止めてあげたら」
ここでクラス委員長、水月(みなつき)葵(あおい)が止めに入る。起伏に富んだスタイルを持ち、純粋無垢な顔立ちの、星川高校一の優等生。それが、水月であり、それが美少女であり、それが泉のクラスの中心的人物である。異論は認めない。
「室戸君も今回が初めての遅刻だし、事前に連絡してなかった私達も悪いんじゃない。だから今回は許してあげたら。ほらっ、代わりに今日の放課後の掃除当番代わってもらえばいいじゃない」
「うーん。葵が言うならそうしよっか」
「じゃあ誰と代わってもらう?明(あかり)と葵でしょ。掃除当番」
「私は遠慮するから明、代わってもらったら?」
「えっ、なんか悪いなー。ありがと葵。今日バイト入れてて、断りのメール入れるか迷ってたんだよねー。でもこんな奴と二人っきりになっていいの。葵?」(明)
「大丈夫よ。室戸君はそんな人じゃないわ」
「やっさしー葵。室戸も感謝したら」(明)
「何を?」
ドスッ、ボカッ、グサッ、ドカッ
女子が一斉に泉を殴った。いや一人は手に持ってたボールペンで刺した。
「あっ、ありがとうございます。水月さん」(ビシッ)
「…いえ」
そんな感じで泉に向けられた女子の怒りは霧散し、軽く罵倒された後に風紀委員の仕事に皆戻っていく。
(こ、この程度で済んで助かった。水月に礼言わないと)
そんなことを泉が考えていると、当の水月が別れ際に彼の耳元で囁いた。
「なっ、何かしたら、チ○コもぎ取るから」
(ヒィィィッ)
あれほど絢爛に説明した水月からでさえも、最近、泉はこんな仕打ちを受けていた。
(俺が…何をしたって言うんだ…)
水月は、泉に対してだけ本性を現す。それも結構な確率で度の過ぎるものばかりである。
最初にこんな彼女を見たのは、昨年の十二月二十五日に教室で行われた、クラスでのクリスマス会のときだった。
「ねぇ室戸君。こっちで一緒に食べよっ」と水月に言われたので、(こっ、このシチュエーションは)と期待した彼は何の疑念も無く彼女の隣に座ったのだが、
ぬちゃ
彼の座った椅子にはイナゴの佃煮が置いてあった。
「あれーなんでこんなところにイナゴの佃煮があるのかな」と、そうわざとらしく水月が言って、勿体無いからと無理やりイナゴを食わされそうにもなった。クラスメイトは、それを一発芸か何かと勘違いし『いずみーやれやれ』『男を見せろー』とか言ってくる上に、「この空気じゃ、食べるしかないね。室戸君っ」と水月が意気揚々と迫ってきた。結局、彼は食べた。十匹も。しっかり噛み砕いて。甘酸っぱい青春の沈没と、ユダのキリストへの裏切りに思いをはせながら、
ごっくん
彼は犠牲になったのだった。
「ううっ…皆川」
食後、瞳を涙に滲ませて、その時は親友に慰めの言葉を求めたが、
「イナゴが可哀相」
そう一言呟かれた。
そんな苦い苦い思い出である。
泉は服装指導に戻った水月に、もう一度視線を移す。
一生懸命に生徒の服装をチェックしていく彼女の姿は、真面目で優しい純朴な印象を周囲に与える。それは、先ほどの発言を吐いた人物かどうかを疑わしくなるぐらいの表情で、心から楽しそうに仕事をてきぱきとこなしている。
(何んで…こうなったんだろう)
とりわけ、水月に嫌われるような事は何もしてはいなかった。寧ろ、入学当時はよく会話を交わしていた間柄だ。そりゃかわいい女の子相手だ。下心が無かったとはいえない。だけど、だけどこれはあんまりだ。そもそも、なぜ女子からこんな扱いを受けるのか、皆目見当もつかない。
「はぁ」
深いため息が泉の口から漏れた。そんなこと思案してると学校生活が不安で一杯になる。
華やかで、黄色い声が飛び交う高校生活が待っていると、入学当初は考えていた。だがそれは間違いだった。そんな生活は一部のイケメンにしか許されないのだ。女子と仲良くなって、あわよくばひと夏のアバンチュール的なものだって、経験してる男子は沢山いるはずなのだが、そんな経験は平凡男子の手に届かないものなのだ。
「……ん、まてよ。そんな俺いけてないっけ」
携帯をカメラモードにして、画面をくるっと回す。カメラのレンズを顔に向けて、まじまじと自分の顔を観察してみる。
くっきりした目に、そこそこ高い鼻。顔の形だって悪くないし、自画自賛だけどこれは悪くないんじゃないだろうか。いやこれは完全にイケメンだろ。カッコイイ。カッコイイよ俺!自信持っていいよ。今考えたらあの姉の弟なんだ。そんなにひどいはずが無い。
(じゃあどうしてこんな状況に?)
泉はふと周りの服装指導している女子を見渡してみる。するとそこには、笑顔で服装指導している、普段とは別の生き物をしたクラスメイト達の姿が見えた。
「はは…類は類を呼ぶんだったな」
素直に感じたことが言葉になって、泉の口から漏れていた。
結論。男子うんぬんじゃなく、クラスの女子がおかしい。それも皆、手をつけられないレベルだ。
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