わたし死生学

愛川きむら

わたし死生学

 わたしたちは毎日はじまりとおわりを迎えている。

 朝、それははじまり。顔を洗って水を飲んで、一日のはじまりに備える。

 夜、それはおわり。服を脱いで髪をほどいて、一日のおわりに向けて準備をする。

 それなのにわたしたちはおわりを求める。絶命を求める。


 何もない朝、霧の濃い外をカーテンで隠してベッドに横になる。

 どうしてわたしたちは、必要以上におわりを求めてしまうんだろう。

 普通に生活している間はそんなこと考えることもない。だから、いや、むしろそれだからわたしたちは無意識に求めているものが本物なんだと思う。

 わたしたちははじまりを覚えていない。だからおわりを欲しがるんだ。

 結局、出た答えはこうだった。

 産まれた瞬間のことを、わたしたち生き物は覚えていない。そのときどういう気持ちになるのかもわからない。そのときはまだ物心などないから、心に感じるものなどないのかもしれないし。

 わたしたちがおわりを見たとき感じたとき、わたしたちはどう思うのだろう。考えるには材料が足りなすぎた。わたしはたくさんの本を読んだ。死を題材にした小説を読んで、後悔するひと、悲しむひと、安心するひとがいることがわかった。それでもわたしは、当の本人であるわたしは、わたしが死んだらわたしはどんな気持ちになるのかだけはまだ理解できずにいる。


 しかしわたしは、死への好奇心だと言い訳して目の前のベランダから飛び降りたい。

 死にたい、死にたい、死にたい。

「死にたい……死にたい……死にたい……」

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