蒼焔異聞 ~城鉦山奇談~

タチバナナツメ

壱ノ話

 ほう ほう 蛍こい 山道こい

 昼間は 草葉の露の影

 夜は ぽんぽん高提灯

 天竺上がり したれば

 つんばくろに 攫われべ


 ほう ほう 蛍こい

 あっちの水は 苦いぞ

 ほう ほう 蛍こい

 こっちの水は 甘いぞ



 今宵の首尾はすこぶる上々だ。

 はたと放歌をませた八雲やくもは、にんまりと頬を緩ませていた。


 大人の言うことほど、当てにならないこともないとつくづく思う。

 大人たちはきっと、この世に幾そと存在する愉しみというものを独占せんがため、知りたがり屋のゆかし心を逸らさんがため、何も知らない自分たちに、数知れぬ嘘をつき通してきているに違いない。

 常日頃から八雲は、そうした大人たちの姑息な底企そこだくみに一矢報いる術はないものかと、画策し続けていた。

 ここ城鉦山しろかねやまは、そんな八雲の“砦”とも言える場所である。

 ときには数多の盟友を伴い、ときには供の忠犬を伴い、やがて訪れる下克上の時のために、八雲は日がなこうして山篭り、力を蓄えているのだ――――生憎今日に限っては、“砦”の主ただ一人の登城であったりはするのだが。

 それにしても、今宵の首尾は頗る上々だ。

 いつものように“物見”と称し、私庭たる山のあちらこちらを駆け巡っていた八雲は、平時ならばあまり立ち寄ることのない笹薮の一画から、何やらとても美しい光の塊が無数に飛び交っているのを見つけた。

 伸ばした両手で易々と覆い隠せてしまうほどの小さな灯火の群集は、夏の初め、町の河川敷で見かけた蛍の群れに、驚くほどよく似ていた。

 蛍二十日に蝉三日。蛍の命とは、草葉の露の如く、とても短く儚いものだと教えられていた。

 しかしながら、これはどうしたことだろう――夏の盛りを過ぎた今も、彼らは果てることなくしかとこうして生き続けているではないか。

 今日という日の今という刻、この地に足を運ぶことがなければ、またも危うく、姑息な大人の隠し立てに誤魔化されるところであった。敵手はおそらく、自分たち子供をさておき、この心深いものたちを、まんまと独占せしめんとしていたに違いない。

 くして、鬼の首領を討ち取った気になっていた八雲は、刻の過ぎゆくことも忘れ、期せずして手に入れた戦利品たちと、無我夢中で戯れ合っていたのだった。


 ――星躔せいてん(※1)の如き光の群れを追いかけ、如何ばかりの時が経っただろうか。

 すっかり埃まみれになってしまった露草色の小袖の下から、がなり立てるような音をたて、腹の虫が大騒ぎを始めたことで、八雲はようやく我に返っていた。

 思えば、蛍の群れを見つけたその時から、茜の夕陽はすっかり鳴りを潜めていたように思う。

 だとすれば、今や日没からはどれほどの刻が過ぎていることだろうか。

 腹が減ってはいくさは――などと悠長なことを言っている場合ではない。

 このまま行けば、空腹を満たす以前に、目尻を吊り上げた家人からさんざ雷鳴かんなりを落とされた挙句、そのままかび臭い納戸の中に放り込まれて朝を迎えるのが落ちかもしれない。

 唐突に背筋の寒くなる心地を覚えた八雲は、この笹薮に踏み入って以来初めて、ぐるりと四囲に目を配っていた。

 刹那のこと。

 いやに気障りな熱風いきれかぜがするりと吹き抜け、八雲ははたと動きを止める。

 元来た道は分かっている。いっときでも早く我が家へ辿り着くためには、唯一自身が胸を張って誇れるその俊足を、十二分に発揮せねばならぬことも。

 けれど、この感覚は何だろう――胸の奥が、ざわざわと葉擦れの音を零しているようなのである。

 この焦燥にも似た感覚は、ただ単純に、後々家人から食わされるであろう剣突を恐ろしげに思う気持ちとだけでは、どうにも片付けることが出来ないような心地がする。

 果たして今、己が懐裏かいりに巣食うものは、好奇に躍るうらか、真を探し求めんとする心か。

 何れにせよ八雲は、もはやその水巴すいはの如く湧き出す衝動に、抗う術を失くしていた。

 蓬々と生い茂る笹薮を掻き分け、八雲は吸い寄せられるように“そこ”を目指して突き進む。

 胸のざわめきが指し示すものの在処が“そこ”であるということは、さして熟思せずとも理解ができていた。

 笹薮の向こうからは、あとからあとから、柔らかな蛍火が溢れ返り、薄闇の虚空を所狭しと乱れ舞っている。それはさながら、群生する鼓草(※2)が大風に煽られ、一斉に綿毛を飛ばしているかのようであった。

 ところが、先ほどまであれほどただ珍しく、美しくあったものが、何ゆえか今、とてもそうであるとは思えなくなっていた。それどころか、酷く胸を煽られるような、禍々しい気這けわいさえする。

「誰か、そこに居るのか?」

 蟲の這い擦るような気味の悪い感触を刻みながら、生温なまぬくとい汗が、じわじわとこめかみをすり抜けていく。

 随分と久方振りに搾り出したもののように感じられたその声は、自分でも耳を疑うほど、酷く掠れていた。

 大方予想はしていたが、待てど暮らせど“そこ”から声が返って来る様子はない。

 震える手で笹薮の最後のひとつかみを掻き分けると、“そこ”には確かに、次々と乱れ舞う蛍火の源泉たる“もの”が横たわっていた。

 螺旋に渦を巻いた熱風が、差し込むような痛みと共に、その身を喉の奥へとねじ込んでくるのが分かった。喉笛がひゅっと鋭い音を立て、途端に激しく呼気が乱れ始める。

 削げ落ちたように痩けた頬。

 くっきりと浮きだったあばらの下からは、異常なほどぽっこりと膨れた腹が覗いている。

 八雲の足元に横たわっていたものは、見るも無残に骨と皮だけの姿に成り果てた、餓鬼を思わせる無残な男の亡骸であった。

 死に際、男は地獄のような飢えと乾きに耐え切れず、気が触れてしまったのであろうか――亡骸の周囲には、突き立てた爪で掻き毟ったような跡が幾たりと遺され、その口許は泥土に穢れていた。

 けれど、“それだけ”ならば、まだましな方だったかもしれない。

 時には名も知れぬ橋の下のあばら屋で、時にはこの城鉦の山で。子供ながらに八雲は、これまでも何度か、行き倒れや餓死者の類は目にしたことがあった。

 しかし、これに限っては、それまで目にしてきたどんな餓死者の亡骸とも、大きく違うところがあったのだ。

 仰向けになった男の葡萄染色えびぞめいろの着物の袖口から、投げ出されたようにだらりとはみ出した細い腕。

 その腕には、手首から肘にかけてのちょうど半ばほどのあたりに、腕の節とは明らかに違った、こぶのような出っ張りが出来ていた。

 しかしながら、件の瘤の異様さは、赤子の頭ほどもあるその大きさだけに限った事ではない。瘤の表面には、それこそ生まれたての赤子のような造作をした、人の顔のような“もの”が付いていたのである。だらしなく開け放しにされた瘤の口許からは、今の今まで八雲が戯れていた蛍火が、とめどなく溢れ続けていた。

 刹那、強烈な悪寒が背筋を走り抜け、八雲は吃驚のあまり、思わず腰を抜かしそうになっていた。

 餓死者の男と同じくして、それまでぴくりとも動きを見せなかった瘤が、腫れぼったい瞼の下から黄ばんだ眼球を覗かせ、ぎろりとこちらを睨んだのである。

 またも喉元が金切り声をあげ、只の今さえ喘ぐようであった呼吸が、輪をかけて苦しさを増してくる。

 胸の中心を締め上げられているかのような痛みに耐えながら、八雲は慌てて背負い刀に手をかけていた。

 落ち着け。

 大丈夫だ、落ち着け。

 この城鉦山が、ほんの僅か以前まで、この世のものならざる“あやかし”の巣窟と噂されていたことは知っている。

 本物に出くわしたことなど一度たりとてなかったが、いつかこうして妖と対峙する日が来るであろうことは、何とはなしに予測が付いていた――そのための備えが、この朱塗りの刀なのだ。

 鍔を持たぬその刀は、見場で言えば、こしらえのされていない白鞘に似た形状であるが、端から端までを、夜闇の中でもはっきりと見てとれるほどの極彩色に染めたそれを“白”鞘と称するのは、少々大掴みが過ぎるような気がしていた。

『それは“アペハラム”って名前の、由緒正しい霊刀で――ええと、この国の言葉で言うと、確か“火蜥蜴”って意味だったかな。俺が故郷を出るときに持ち出してきたもんだが、新しい刀を手に入れたんで、要らなくなっちまったんだ。お前、侍になりたいんだろ? だったら、この刀をくれてやるよ』

 そう言って、僅か数日前にこの物珍しい刀を譲り渡してくれたのは、八雲と同じ、燃えるような紅の髪を持つ異国の剣士であった。

 出逢ったばかりの数日ほど前、路銀をすっかり使い果たしてしまっていた剣士は、それこそまさに今、八雲の前に横たわっているこの哀れな亡骸のように、行き倒れの末路を辿りかけていた。

 それを憐れに思った八雲が、後のち城鉦の砦でありつくつもりだった握り飯を与え、加えて第二の砦――“生家”とも言うが――の軒を貸してやったところ、律儀にも“世話になった礼に”と、この刀を譲り渡してくれたのである。

 それ以来ずっと八雲は、この“火蜥蜴アペハラム”なる霊刀の力を、存分に振るうことの出来る場所を探し求めていた。

 これは危機などではない。好機だ。

 四肢を駆け巡る戦慄が、知らぬ間にそれとは全く別ものの、武者震いへと変じてゆくのが分かる。それと同時に、恐怖に強張った表情が、不敵な笑みに塗り替えられてゆくのが分かった。

 そんな八雲の心の内を見透かしたつもりなのか、人面の瘤はへらりと口許を歪め、かたかたとわらっていた。

 嗤っていられるのも今のうちだ――

 柄を握る手に力を込めた八雲は、意気揚々とその霊刀を抜き放っていた――と、そこまでは良かったのだが。

「た――竹光?」

 抜き放った“火蜥蜴”の刀身には、刃がない。

 否、それどころか、朱塗りの鞘が隠していたものは、鈍色の刀身などではなく、刀身を模して削られた、ただの白木だったのである。

「何が霊刀だ――火天あぐにの奴、僕をたばかったな!」

 歯痒さに唇を噛んだ八雲が、刀とは名ばかりの紛い物を地に叩き付けた瞬間、人面の瘤は、獣のようにぎらぎらと輝く眼球を左右で互い違いにぎょろぎょろと動かし、鬼女の如き甲声を響かせて、げらげらと嗤い始める。

 途端に身魂が総毛立つような感覚に襲われた八雲は、矢も盾もたまらず逃げ出していた。


 

 

※1 星躔=星空。

※2 鼓草=タンポポの古い呼称。

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