ミックスベリーとメイプルシロップ

はるまち

ミックスベリーとメイプルシロップ

 並んで駅のホームに立つ君は、どこかを見ているようで見ていない、無心の表情をしていた。虚空を見つめる、というやつだ。それがここ数分間ずっと続いていた。だけど僕は知っている。こういう時の君は、何かについてとても真剣に考えているか、或いは全く何も考えていないかの二択なのだ。


「……どうしたの」

 5分ほど経った頃、そろそろ良いだろうと思って声をかけた。彼女は分かりやすく「はっ」と声をあげて、僕の方を振り向いた。

「あのね、考えてたの」

 どうやらさっきの無心の表情は、何かを真剣に考えていたパターンだったらしい。うん、と言って僕は話を促す。

「これから行くパンケーキ屋さんでね、新作のミックスベリーのやつ、やっぱり売り切れてたほうが嬉しいなぁって」

 彼女の言葉はとても意外なものだった。何がって、彼女はここ数日間、隣街のパンケーキ屋さんで新しく出たミックスベリーのやつが食べたい食べたいと、うるさくて仕方なかったのだ。そんな彼女の望みを叶えてあげるために用意された今日だったのに、彼女は突然そんなことを言い出す。売り切れを避けるために朝の9時からこうして電車を待っているのだから、その主張を簡単に聞き流すことはできない。納得のいく説明をしてもらいたいところだ。

「えぇと、あんなに食べたがってたのに……?」

「うん、食べたいは食べたいんだけどね?」

 彼女はなぜかそこで一瞬のタメを挟んだ。

「私ね、今日パンケーキ屋さんに行くことが決まってから、もしミックスベリーのやつが売り切れてたら何を食べようかなって考えてたの。でね、メイプルシロップのやつにしよう!って思ったところまでは良かったんだけど、考えれば考えるほど、何故だかメイプルシロップのやつの方が食べたくなってきちゃって」

 なるほど、よくありそうな話だ。ミックスベリー以外の可能性について考えているうちに、メイプルシロップに心移りしてしまったのだろう。それは僕にも少なからず共感できる感情だった。ただそれでも、彼女の話にはまだ理解できない部分がある。

「それなら、素直にメイプルシロップのを食べたらいいじゃない」

 当然の疑問である。メイプルシロップを食べたいのならそうすれば良いのであって、ミックスベリーの売り切れを願う必要はないはずだ。すると彼女は、よくぞ聞いてくれましたとばかりにこちらに顔を向けた。

「ほら、そう思うでしょ?でもそれじゃ駄目なの!あのね、私は今日、ミックスベリーを食べたくてパンケーキ屋さんに行くんだよ?それなのに、メイプルシロップを食べるのはルール違反、そうでしょ?」

 突然同意を求められた僕は、一瞬たじろいだ。彼女の話を折らないために、取りあえず頷く。

「でも、もしもミックスベリーが売り切れていたなら話は別。代わりに他の何かを頼むしかないもの。だから私は、そこで初めてメイプルシロップを頼むことができるの」

「ふぅん、なるほどね」

 どうやら、彼女には彼女なりの論理があるらしい。僕は少し考えた末に、こう言った。

「だったら、僕がメイプルシロップのを頼むよ」

 そうすれば彼女はどちらの味も食べられるし、彼女の理論とも矛盾しないはずだ。そう思って何気なく発した言葉に、彼女は目を輝かせた。

「え……、ほんと?なに、もしかして女神??」

 彼女があまりに輝いた瞳でこちらを見てくるので、僕が「もっと言って」と鼻を鳴らすと、「わたし女神って言ったんだけど」と呆れられた。


 そんなことを話しているうちに、電車がホームに入って来た。二人で乗り込んだところで、さっきの彼女の無心の表情を思い出す。

(あの顔で、真剣に考えてたのはパンケーキのことか……)

 隣にも聞こえる大きさで思わずふふっと笑ってしまった。彼女がその理由を聞いてくるのは当然の権利だけど、僕は決して教えてあげない。彼女からの厳しい追及に耐えながら、電車は今、隣町へと向かっている。

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ミックスベリーとメイプルシロップ はるまち @harumachi_88

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