後ろから捕まえるように

別府崇史

後ろから捕まえるように

 大学時代からの友人である佑介は、赤坂にある映像制作会社に勤めている。

 現在はプロデューサーまで昇進したが、数年前までは現場でがむしゃらに身体を動かしていた。

「番組で使うからさぁ、下の奴にポラロイドカメラを用意しておくよう言ったんだわ」

 学生時代のやんちゃな表情はどこかに仕舞い込み、いっぱしの大人の顔で佑介は言った。


 世田谷の現場から戻るとポラロイドカメラは机に置いてあった。

 ポラロイドは学生の頃以来だった。デジカメが普及してからはすっかり使う機会もない。

 佑介はカメラを自分に向けた。現場において不手際ゆえのNGは出せない。使用に問題ないかテスト撮影を行おうとしたのだという。

 シャッターボタンを押すと、じじじ……と真っ黒の写真が吐き出される。

 白い写真が出るはずだった。真っ黒のフィルムでは撮影したものが浮き上がるはずもない。

 首を傾げ、もう一度押す。同じだった。まるでレンズに手をかざしたように黒い写真だった。

「チッ……」

 きっとフィルムが古いのだろう、そう佑介は予想した。

 仕事の帰り、家電量販店でフィルムを購入するとまっすぐに家路についた。

 アパートの近くにはいつもの猫がいた。

 首輪をしているところから近所の飼い猫なのだろう、人懐こい猫を佑介は「ピピ」と勝手に名づけ可愛がっていたそうだ。

 その日も撫でていこうとするもピピは佑介に近づかない。

 それどころか一定の距離を保ち、にぃにぃと鳴いている。

 猫の視線は佑介の後ろに投げかけられていた。

 そして翌日の出勤時、いつものように電車で立っていると前の座席には赤ん坊を抱えたお母さんがいた。

 気づけば赤ん坊は目を見開いて佑介を見ていたという。

「けど猫と同じ。向けた視線は俺じゃないんだよ。目が合わない。俺の後ろ辺りを赤ちゃんはじっと見てて」

 母親は愛想よく「どうもすいません」と笑みを浮かべたが、佑介は眉をひそめた。

 まるで知らないうちに周囲から嫌われているような、静かな異変を佑介は肌に感じた。


 気味の悪さから苛立ちもあったと佑介は言う。

 職場に着くと後輩にポラロイドの件で、普段では考えられないトーンで怒鳴りつけた。

「カメラさぁ、使えないの持ってくんなよ。お前何年目だよ!」

 後輩はキョトンとした顔を浮かべた。誤審を受けたスポーツ選手のような表情だった。

「使えますよ。テストもやってますし……」

「ならこれはなんだよ」

 そう吐き出すと同時に、佑介は昨日撮影した真っ黒な写真を取り出した。

「いや……なんですかね、ソレ」

「いいよ。新しいフィルム買ってきたから」

 こみあげてくる得体のしれない感情を押し殺し、佑介はカバンを探った。

 しかしフィルムは不要だった。

 別の人間がさっとポラロイドカメラのスイッチを押すと、「じー」という音とともに職場を写した写真は出てきたからだ。

「問題ないですよ。これ」

 佑介は気まずい思いをしながら、曖昧に頷くしかなかったそうだ。


 その日は仕事を終えると仲の良い編集マンと「軽く一杯」と立ち飲み屋に寄った。バカ話とアルコールで池の澱みのような不快さを吹き飛ばしたかった。

 仕事で携わった芸能人の噂話、あるいは社内の人間の今考えている企画の話、嫌いな映画の話。

 雑多な話を繰り返し、佑介が壁を背にして呑んでいると相手の目が一瞬彷徨う。酔っ払いたちの喧騒とアイドルソングの音量ボリュームが下がったような気がした。

(まただ……)

 不吉な予感しかしない。だが堪えることも無理だと判断した佑介は尋ねた。

「なんですか?」

「いいえ……」

「気になりますよー。後ろになんかいます?」

 あえて笑いながら佑介は昨日からの出来事を話した。面白く話そうと努めた。ジェスチャーも交え、道化のように話した。しかし相手の目は笑っていなかった。

「疲れ目ですから、気にしないでください」

「気にしませんから。言うだけ言ってください」

 仕事上での立ち位置も暗にほのめかし聞く佑介に嫌々ながら編集マンは答えた。

「……さっき、佑介さんの肩に、手が伸びてるように見えて……」

 後ろから捕まえるように、黄色く変色した指が五本、かけられていたという。

 ――その後は半ばヤケになり深酒したせいか、帰り道はあまり覚えていない。たぶん青山通りでタクシーをつかまえたのだろう。


 暗闇の中、焼けつくような渇きで目を覚ますと自分の部屋でキチンと寝巻きに着替えていた。

 ただ妙に部屋が冷えていたという。

 枕元に置いてあったペットボトルを飲み干すと、便所に行きたくなった。携帯を開くと時刻は二時を指していた。


 カリカリカリカリカリ……。


 ベッドから起き上がると音が鳴っていることに佑介は気づいた。猫がドアを開けることを求めるような引っ掻き音。嫌な予感はしたが、一人で暮らしている以上確認しない訳にはいかない。

 佑介は玄関へと続く戸に手をかけた。昨日から続く厭な感じは最高潮だった。

 音は一層激しくなっていく。ガリガリ、ガリガリガリガリガリガリと板に爪をたて掻き毟る音にまで高まっていた。口が再び渇いた。

 ノブを掴み静かに戸を開ける。

 CG効果だと思った。スピリチュアル番組のオーラを演出するために用いるようなCGは過去に扱ったことがある。

 それに近いものが目の前にあった。人の輪郭に沿った薄い光彩が放出されている。

 顔に当たるだろう箇所に溶けた黒飴のような目玉が浮かんでいた。通常目がある場所よりも数センチほど下、頬あたりに下がっている。

 女。佑介は根拠もなく感じた。目玉は佑介を見つめているように感じた。

 指のような細い光彩が目前にあがり、佑介の頬にあたる。

 玄関も窓も閉めきっているはずなのに風が入る。佑介の鼻腔に養豚場のような匂いが飛び込んだ。

 光彩が胸に飛び込んできた。腐臭が一気に鼻をつく。佑介の掌が光彩の胸の部分にあたる。目に見える物体はないのに、掌を魚の咥内のような感触が包んだ。

 呆然とする佑介の耳に声が届いた。

<いやんなる>

 それを機に佑介は喉を潰したような悲鳴をあげ、寝巻き姿のまま部屋から飛び出した。新高円寺のアパートから阿佐ヶ谷の友人宅まで一度も休まず走っていったという。裸足は傷でずたずたに血塗れになっていた。


 後日後輩にポラロイドカメラの入手先を聞いたところ「ネット通販です」と答えられたそうだ。

 バカみたいに安い値段でした。誇らしげに後輩は言っていたという。

「あれこれ考えたけど、あのカメラが異変の発端だとしか俺は思えないんだよ。どこの誰が使っていたものか、どういった経路で流れてきたのか。そういうのが全くわからないものって、俺はもう嫌だ」

「けど、ただの偶然かもしれないよ」

 慰めるつもりで私は佑介に言った。むろん何かしらの因果が含まれたカメラだと私は思っていた。

「そうだったらいいけど……」

 はっきりとした姿はその晩以来見ていないが、三度ほど異変があったそうだ。

「アパートに着くだろ? 外から電気ついてない部屋の窓見るとさ、白いのがふっと動いてんだよ」

 その度に友人宅に泊まりにいくという。

 佑介は遅くとも年内には引越しすることを決めているそうだ。

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後ろから捕まえるように 別府崇史 @kiita_kowahana

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