モデル業も楽じゃない! 第8話


「ええと、お財布持った、着替え持った」



昨晩のパーティから帰ってきた次の日。

私は部屋の荷物をまとめていました。



「解約通知書持った、家具は……持ち運べませんね」



私の目的はただひとつ。

ルーノさんに何も告げずに去ること。

当初は『女関係が荒れたとき』なんて考えてましたが、予定変更です。

良い相手を見つけたようだから、邪魔にならない内に立ち去ります。



「これは、どうしようかなぁ」



一枚の絵画。

私を描いてくれたものです。

悩む理由はサイズや重さではありません。



「……置いていきますか」



眺めていると、決心が揺るぎそうになるのです。

ただでさえ残りたい気持ちと、一刻も早く立ち去りたい気持ちがせめぎあってるのに。


キャンバスの中の私は何を思うのでしょう。

今の心境から遠すぎて、当時の事をすぐには思い出せません。



「さようなら、ルーノさん。今までお世話になりました。シエラさんをあまり困らせないように」



本人に告げる代わりに、絵に向けて感謝を伝えました。

彼は常々『アリシアさん以外のモデルでは描けない』なんて言ってましたが、そんなハズはありません。

何回か描いてる内に気も変わるでしょう。

ましてや例のご令嬢の方が、私よりも格段に優れているのですから。


ーーピュロロローォッ。


窓の外で鳥さんが鳴いています。

何やら「早く出立しろ」と言いたげに。



「わかりましたよ。すぐに出ますから」



キャンバスを壁に立て掛け、服のヨレを正して、深呼吸をひとつ。

……よし。いざ、知らない町へ!

気持ちを新たにした、その時でした。


ーーバタァンッ!


とんでもない勢いでドアが開かれました。

突然の爆音に心臓が停止寸前。

危うく黄泉の国へ旅立ってしまうところでしたよ!


その珍入者は息を切らせつつ、通路に立っています。

それが誰かなんて、顔を見るまでもありません。

あまりにも間が悪い。

苛立ちが少しだけ募ります。



「ルーノさん。何か用ですか? 食事の用意だったら、たまには自分で……」

「アリシアさん! 大きな依頼が入ったからすぐに来て!」

「ちょ、ちょっと! 離してください!」



そうして、強引にアトリエへと連れ去られました。

私が常に協力すると疑いすらしないようです。

それはそれで腹が立ちますが、世話を焼きすぎた私の不手際とも言えます。

これまでの関係から話くらい聞くのが筋でしょう。

テーブルにつくなり、ルーノさんは緊張した面持ちで切り出しました。



「今回の依頼は教会からで、大聖堂に飾るものだよ!」

「大聖堂ですか」

「いやぁ……正直いつの日か描いてみたいと思ってたけど、こんなに早いとは思ってなかったよ!」



満面の笑みのルーノさんですが、今となっては少し遠く感じられました。

以前の私なら暖かい気持ちになったんでしょうが。

こっちの心境の変化に気遣いなど無く、話は続きました。



「女神様の像の真後ろに飾られるみたいだよ、これは頑張らないとね!」

「……そうですか。いつ始めますか?」

「できれば今すぐ。お願いできる?」

「わかりました」



正直気は乗りませんが、恩人の夢であるならば一肌脱ぎましょう。

恐らくこれが最後のご奉仕です。

モデルが終わったら即退散しますか。

最後のモデル料も受けとりません。

浮いたお金でシエラさんに花束でも送ってくださいな。



「じゃあ打ち合わせ通り、ここでポーズをよろしくね」

「はい」



私は白いカーテンで女神様っぽい装いを演出してから、両手を組んで祈りの姿勢を取りました。


愛、夢、希望、平穏。


それらが人間に授けられる為の祈りだとか。

その全てが今の私に無縁なんですが、あくまでモデルなのですからね。

内情には目を瞑っていただきましょう。



「なるほどなるほど。やっぱり素晴らしいよ! 君は底が見えないなぁ!」



彼は相変わらず鼻息を荒くします。

何がそんなに嬉しいんだか。

今では慣れたものですけどね。


ーー褒められるのも、最初の頃は嬉しかったっけなぁ。


職を失い、誰にも必要とされずに、町をさ迷う私を突然受け入れてくれたルーノさん。

新たな道を優しく照らしてくれたルーノさん。

子供のように甘えてくるルーノさん。


ーー離れたくないなぁ。


ふと、そんな想いが過ります。

ですが、それも長くは続きません。

暖かい気持ちを凍りつかせる程の恐怖によって。


シエラさんとルーノさんが接近するのを、ただ眺めるだけの私。

すっかり邪魔者となり、ぞんざいに扱われる私。

モデルとしてすら呼び声がかからず、部屋でジッと座るだけの私。


ーー早く逃げたいなぁ。


そんな未来なんか見たくありません。

見たくありませんが、このまま順調に運べば避けられないでしょう。

私という障害をものともせず。


ーー大丈夫、きっと彼は私を選んでくれる。

選ばれる訳がない。これまで指一本触れて来なかった。


ーーもう少し時間をかけよう。今は運が向いてないだけだから。

どれだけ時間をかけても無駄。自分の魅力のなさを痛感して終わる。


ーー拗ねない拗ねない。あの子が羨ましいのでしょう?

あれだけの可愛らしい人を差し置いて、私を選ぶ理由はなんかない。



頭の中に2つの声が響きます。

普段の妄想とは違い、生々しい声だけが。

そして胸はズキズキと痛み、張り裂けそうになります。

まるで魂を左右から引っ張っているようで。

このままでは心が真っ二つに割れそうな気さえします。



ーー彼を信じましょう。きっと幸せにしてくれます。

他人なんか信じない。もう騙されたくない。


ーー寂しがりのアリシア、構って欲しくて悪態をつく。

もう放っておいて。心を騒がせないで。


ーー信頼さえあれば、どんな困難も乗りきれる。

信じるだけ無駄。誰だって自分が一番可愛い。


ーー彼に愛されたいでしょう?

愛なんか無くても生きていける。


ーーあなたの事を愛してると。

私は、いらない。

ーーあなただけを。

いらない。

ーーあなたを。

私は。

ーーあなたを。

私を。



「私を愛して」

「うん? 何か言ったかい?」

「あ、いえ! すいません。忘れてください」

「……って、どうしたの?!」



ーーポタリ、ポタリ。

いつの間にか私の頬を涙が伝っていました。

悲しくなんかないのに。

それなのに、止めどなく流れ続けました。



「すいません! 今すぐ止めますから!」

「いや、いいんだ。仕事ばかりで疲れてるんだよ。ちょっと休憩しようか」

「大丈夫です。まだやれます」

「いいからいいから」



ルーノさんは腰をトントン叩き、かまどの方へ向かいました。

そして暖めたミルクをテーブルに2つ。

それは私も飲め、という事なのでしょう。



「ごめんねぇ。アリシアさんには世話になりっぱなしでさぁ」

「大丈夫ですって。そんなに辛くありませんから」

「でも、今日は元気無いよね」



ーーズキンッ。


胸を突かれたかのような衝撃。

私の頭の中は真っ白になってしまいました。

いっそ、全てを話してしまいたい。

嫉妬やら不満やらも、心に漂うあらゆる事を。

そんな衝動にかられたのですが……。



「すみません、ちょっと風邪をひいたようです」

「そうなんだ。無理しないでいいよ。なんならモデルは後日でもいいし」

「いえ、少し休めば再開できます。今日の内に終えたいです」

「僕はいいけど……平気?」

「もちろんです。やりましょう」



私は逃げました。

現実と向き合うことから。

無慈悲な答えを知ってしまうくらいなら、曖昧な状態のままの方が良いのです。

少なくとも、妄想家の私にとっては。

結論が出ていなければ、空想の余地がありますからね。



それから再び下書き用のモデルを演じました。

私を気遣ってか、ルーノさんは頻繁に話しかけてきます。



「この絵を納品し終わったらさ、ちょっとしたイベントを考えてるんだ」

「そうですか。どんな内容ですか?」

「それはね、今はナイショ。その時のお楽しみってことで」

「わかりました。楽しみですね」



その頃には、私は居ませんが。

やはりそれも告げることはなく、祈りのポーズをとり続けました。



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