メメコちゃんは神様になれない
さくら ゆゆ
第1話
1
メメコは変わっている。
寝癖で散らばったおかっぱ頭に、どこで付けてくるのか分からない頬のかすり傷。食事を摂らず、お菓子ばかり食べ、授業を抜け出すことなど日常茶飯事であるにも関わらず、常に県内一位の成績を誇っているなど、彼女の変わっているところを上げたらキリがない。
だけど、そんなメメコは私の大切な親友である。
一日の終わりを告げて、一気に騒がしくなる教室を、私は二人分の荷物を持って後にする。廊下の窓から吹く風が私の髪を撫でると、夏が来る前の匂いがした。
私は自分の鞄と、それからやけに軽いもう一つの鞄を左右の肩に引っ掛けて、校舎の裏へと続く非常階段を下りていた。
この中学の裏庭には、理科の先生が作った小さな池があり、メダカやおたまじゃくし、目には見えない微生物が繁殖している。
その池の前に、メメコはいた。
「メメコ、授業終わっちゃったよ」
しゃがみこんで池を覗いていたメメコは、私の声に反応して振り返った。
「ナナちゃん」
メメコは、いつも笑っている。小さな子供のように屈託のない、尖ったものを丸くしてしまうような笑顔が、私はとても好きだ。
「四時間目にいなくなってから、ずっとここにいたの?」
「そう、みんなとお話ししてたんだ」
「そっか。あ、また怪我してる」
メメコは頬を擦りながら、また笑う。
「ナナちゃんも、話す?」
池を指さして問いかけられたけど、残念ながら私には人以外の生き物と話せる能力は備わっていなかったので、私の分もお別れを告げてと頼んでおいた。
裏庭を後にし、正門に向かいながら、メメコはお決まりのセリフを呟く。
「ナナちゃん、今日もうちに来るでしょう?」
それに対して、私の返事ももう決まっていた。
「もちろん」
メメコは嬉しそうにジャンプして、私の手を取った。小柄なメメコは、もちろん手も小さくて、玩具のようなその手を、私はできるだけ優しく握り返した。
メメコとの出会いは、中学に入学してすぐ。もう二年前のことになる。
近所の小学校から流れてくる子供たちが多いこの中学では、入学前からグループが出来ているのがほとんどで、小学校からの友人が全くいなかった私は、どこのグループとも馴染めず、孤立しつつあった。
そんな私に声をかけてきたのは、メメコだった。
「ねぇ、すっごく綺麗だね」
「え、何が?」
唐突にそう言われ、困惑する私を、メメコはいつもの笑顔で指さした。
「すごく綺麗な人がいるって、思ってたの」
背が高くて、無愛想な顔がコンプレックスだった私は、その言葉が信じられなくて、でも、初めてこんな風に声をかけてくれる子がいたのが嬉しくて、泣きそうになったことを覚えている。
そして、私なんかよりも、目の前にいるこの子のほうが、綺麗だと思った。
「私、メメコ。ナナコちゃんだよね?」
「そうだよ。よく覚えているね」
「メメコとナナコ、よく似てるでしょう?私、ナナちゃんとお友達になりたいな」
断る理由などなかった。その日から私達はすぐに仲良くなった。
変わり者と噂され、クラスメイトからも一歩引かれる存在だったけれど、いつも笑顔で人を傷つけることを知らないメメコと一緒にいるのは、今までで一番心地好かった。
私の両親は共働きで遅くまで帰ってこないし、メメコの両親は特殊な事情でしばらく家に帰っていないらしい。
だから、放課後も遅くまで、メメコの家で一緒に過ごしていた。
一度自宅に帰り、いつもの鞄に親が用意してくれた夕食代を入れ、メメコの家に向かう。
玄関から外に出ると、学校の廊下と同じ夏の匂いがした。薄手のカーディガンを羽織り、私は足を速める。
いつも、青いライトのコンビニで待ち合わせる。店内を見回しながら、お菓子コーナーでしゃがむ人影を見つけて駆け寄った。
「メメコ、お待たせ」
「ナナちゃん、どうしよう!」
メメコは左右の手に持った、同じパッケージの箱を私に突き出して、そう叫んだ。
ペンギンのイラストが描かれたその箱には、ささやかな量のラムネ菓子と、七種類のペンギンのキーホルダーがランダムに入っている。
「コウテイペンギンとケープペンギン、どっちがいいかな?」
「どっちって、それ開けてみないと中身が分からないやつだよ?」
「ううん。分かるよ」
私は悩むメメコをお菓子コーナーに残し、自分のお弁当を選ぶことにした。
会計が終わる頃には、メメコも決断を下したようで、先ほどの箱を大事そうに抱えていた。
メメコの家は大きいけれど古くて、雑草がざわざわと辺りを覆っている。時間が止まってしまったようなこの場所は、二人きりで呼吸をするにはちょうどいい場所だった。
「どっちにしたの?」
「やっぱりね、コウテイペンギン」
お弁当を温めながら、メメコが箱を開けるのを見守った。言った通り、中にはコウテイペンギンのキーホルダーが入っていた。
「やった!可愛い!!」
「本当だ!可愛いね!!」
メメコと一緒にいると、こういうことがよくある。ころころとメメコの手中で転がるキーホルダーを見ながら、こんな風に小さな奇跡がこの子を幸せにしてくださいと願うのだった。
2
夏休みも迫り、学校全体の賑やかさがより一層、増しているのが分かる。
いつも、長期休みにはメメコの家に泊まりに行くことが恒例になっている。来たるべき夏休みに何をして過ごそうかと予定を立てながら、私達は帰宅しようと歩き出した。
教室掃除の男子が箒を使ってふざけあう、いつもの光景を見ながら、扉に手をかけた瞬間だった。
勢いのあまり、体格のいい男子がメメコにぶつかった。周りと比べて華奢なメメコは、そのまま飛ぶように倒れた。
「メメコ!」
教室が静まって、全員の視線がこちらに集中した。
「うわ、お前そいつに触ったら呪われるぞ!」
ふと、誰かがそんなことを叫んだ。信じられない言葉に、私は声の主を探そうと振り返った。
「あーあ。そいつの親、やばいんだぞ」
「お前、確実に死ぬぞ」
その瞬間、教室は笑い声に包まれた。騒ぎ声のせいで、結局、誰の言葉が発端だったのかは分からなかった。嫌な笑い声が響く中で、私は何も言えず、ただメメコに寄り添って唇を噛み締めることしか出来なかった。
「あんた達に、」
メメコの何が分かるのかと、そう言いたかったけれど、それを妨げたのはメメコ本人であった。
「ナナちゃん、大丈夫だから」
「メメコ、でも」
「雨が降るから、帰ろう」
窓の外には雲一つない、青空が広がっているのに。そんなことをいうメメコは、やっぱり笑っていた。
私は教室から逃げたくて、メメコの手を握って走った。小さな手は、僅かだけれど震えていた。
メメコの両親に会ったことは一度もない。メメコも、もう長い間まともに会っていないらしい。
二人は数年前から新興宗教にはまり、仕事を辞め、この町のはずれに建てられた施設に入り浸っているようだった。なにがきっかけかは分からないとメメコは言っていた。二人ともとても真面目だったのに、と。
そういう家庭の事情が、メメコが浮いている原因の一つでもあった。
だけど、あんなことをされたのは初めてだった。まだ、笑い声が耳に焼き付いて離れない。
「ナナちゃん?」
「あ、ごめん」
「食べる?」
どうぶつの絵柄が描かれたビスケットを口に含むと、甘くて乾いた味がした。
「ありがとうね」
「え?」
「今日、ナナちゃんがいてくれてよかった」
「メメコ……」
いつも笑っているけれど、メメコが寂しい思いをしているのは知っている。メメコは頭が良いから、自分に足りないものを、よく理解していた。
「夏休みに入ったら、たくさん泊まりに来るね」
「絶対に約束だよ」
私達は小指を絡めて、約束の歌を口ずさんだ。
「楽しい夏休みになるといいね」
「ナナちゃんと一緒なら、きっと大丈夫だよ」
いつの間にか外は曇り、夕立が降っていた。
気の乗らないまま学校に向かった私達に、今日はクラスの誰もが目を向けなかった。
それは有難いことだったけれど、同時にとても残酷だと思った。私たちの存在は、なんでもない存在であるのだと言われている気がして。
眩しい日差しに照らされる廊下には、学期末試験の結果が貼り出されていた。
「また一番じゃん」
「えへへ、やった」
一番先頭にメメコの名前が書かれ、どの教科も満点であったことが下に書かれた数字で分かる。
「ナナちゃんは?」
「いつも通り、中くらい。でも、補習はないから」
「じゃあ」
「うん。あとは夏休みが来るのを、待つだけだね」
メメコの散らかった髪が、初夏の風に揺れた。私は手櫛で柔らかいその髪を整えてあげた。
夏休みが、もうそこまでやって来ている。
3
濃紺の空に花が咲いた。その度に周りから歓声が上がる。
夏休みの始まり、私とメメコは地元の花火大会へ来ていた。
開花の後に散る、ぱらぱらという音が、切なくて好きだと思った。
「綺麗だね!」
隣にいるのに、花火の音にかき消されてしまうから、メメコは出来る限りの大声でそう言った。
「来て、良かったね!」
「うん、良かった!」
私達は土手に座って、静まり返った真夏の夜を引き裂く光を見ていた。
メメコが、いつも以上に楽しそうに笑うと、持っていたかき氷が崩れて、白と青で作られた器にピンク色の海を作った。
「花火綺麗だけど、すぐ消えちゃうの、寂しいね!」
「でも、私、花火が消える瞬間、好きだよ!」
夏は美しくて脆い。
だから、あまり好きじゃないけれど。今日なら永遠に続いてもいいと思った。
最後の花火が打ち上げられ、流れ星のように消えていく光を見届けた後、しばらくは土手に座ったまま空を眺めていた。
駅に向かう人の群れが、次第に遠ざかっていくのを感じながら、私達は途方に暮れたように沈黙を思い出した夜の中にいた。
「終わっちゃったね」
「また、来年も来ようよ、ナナちゃん」
「うん。いいね。絶対来よう」
明りの少ない土手にいると、いつもよりたくさんの星が瞬いているように見える。ずっとこのまま、いっそメメコと一緒に夜の中に溶けてみたいと思った。
「大人になっても、一緒に見たいな」
「大人かあ」
中学を卒業して、高校生になって、二十歳も過ぎて、それでもメメコと一緒にいられたら、すごく素敵だ。まだ予想もできない未来を思いながら、メメコがポツリと問いかけた。
「ナナちゃんは、大人になったら何になりたい?」
「へ?」
あまりにも唐突な内容に、私は思わず間抜けな声を出してしまった。
「将来の夢?」
「そーう!」
「なんだろう、思いつかないな」
しばらく沈黙を置いて、
「私、大人になりたくないんだ」
と呟いた。
「どうして?」
「大人になったら、本当に一人になってしまう気がするから」
今は社会的にも精神的にも子供だから、親や学校が面倒を見てくれる。誰かに甘えて生きていける。だけど、大人になったら、誰も面倒なんて見てくれない。孤独になってしまう気がする。
こんなことを言ったら、メメコに甘えていると思われてしまう気がするけれど。
ずっと、ずっと不安だった。
「大丈夫だよ、ナナちゃん」
「そう、かな?」
自信なく私が俯くと、メメコは勢いよく立ちあがって、両手を空に向けて広げた。
「私ね、神様になりたいんだ!」
「かみさま?」
「そう。誰も寂しい思いをしないで、幸せになれる世界を創ってみたいの」
メメコはずっと寂しくて、でも世界を呪わなかった。何を言われても人を憎まなかった。言われてみたら、確かに神様のようだ。
声をかけてくれたとき、本当にあなたを綺麗だと思ったもの。
「お母さんとお父さんが信じている神様は、全ての人を幸せにしてくれるわけじゃないから。私が神様になるの」
「メメコ……」
「だから、私が神様になったら、大人になっても寂しくないよ。大丈夫だよ」
私は何だか泣きそうになりながら、それでもメメコにつられて笑った。伝えたいことがあったけれど、口に出すには恥ずかしくて、そのまま胸の中にしまった。
立ち上がって周りを見渡すと、もう周りには人っ子一人いなかった。
私達も駅に向かって歩くことにした。
「あ、ほら見て!」
「どれ?」
メメコは指を差した。金色に輝く三日月に向かって。
「今、お月様が笑った!」
外灯の代わりに私達を照らしてくれる三日月は、にっこりとこちらを見つめている。
「私にも、そんな気がした」
この日のことを、私はいつまでも忘れることはないだろう。
4
夏休みの終わり、メメコの両親が帰ってきたらしい。
それは、あまりにも唐突で、でも夢のようで、メメコが初めて泣きそうな表情で、待ち合わせ場所にやってきた。
「本当なの?」
「本当に、本当に、本当だよ!!」
奇跡が起きたような気持ちで、私は思わずメメコを抱きしめた。自分のことのように嬉しくて、私まで涙が出そうだった。
今日は一緒に図書館で、手の付けていない宿題を片付ける予定だったけれど、 私はすぐに家に帰るように促し、メメコと別れた。
「あ、」
去り際、メメコはこちらに向き直り、私に何かを手渡した。
手を開いてみると、中にはあの、コウテイペンギンのキーホルダーが入っていた。
「しばらく、ナナちゃんに会えない気がするから、それを私だと思って持っていてね」
「いいの?」
メメコは頷いて、それから手を振って去って行った。
手の中で転がるペンギンを見つめながら、私は言い知れぬ不安を感じていた。
メメコの言葉は奇跡を起こす。けれど、それは良いことばかりではないような気がして、私はメメコの言葉を繰り返す。
始業式の日。長期休暇の余韻でだらけきった教室の中に、メメコの姿はなかった。
授業を抜け出すことはあっても、学校に来ないなんてことは一度もなかったのに。
不安を抱えたまま、形だけの式を終わらせ、下校の準備になっても、メメコはとうとう姿を見せなかった。
久しぶりに家族そろったのだから、どこかへ出かけているのだろうか。
そう思いたかったけれど、翌日もその次の日も、メメコは学校へ来なかった。
担任にもメメコの行方を聞かれたが、分からないですとしか答えようがない。
学校にも連絡していないということは、何かあったのだろうか。
メメコから預かっているキーホルダーを握りしめ、私はメメコの家に向かうことにした。
見慣れたメメコの家は、いつも以上に静かで、伸びきった雑草が風のせいか不気味に鳴いていた。
インターホンを押したけれど応答はなく、無機質な音だけがやけに大きく響いた。
「メメコ、いないの!」
ノックをしながら、何度かそう叫んだけれど、とうとう誰も出てくることはなかった。
人の気配を感じて振り返ると、近所の人たちが私を見つめながら、ひそひそと何かを話している。私は夏休み前の教室と同じ空気を感じて、逃げるようにメメコの家を後にした。
自分の呼吸が荒くなるのが分かる。走っているからではない。胸が詰まって泣きそうになった。
メメコの言葉を思い出す。
「しばらく、ナナちゃんに会えない気がするから」
しばらくとは、どのくらいだろうか。湧き上がる不安はなんであるのか。
今はただ、無事にメメコと再会できることを祈るしかなかった
始業式から一週間後の、晴れた朝。
私の祈りはむなしく、メメコは町はずれにある宗教団体の施設で、遺体となって発見された。
担任から連絡を受けた私は、立ち尽くしたまま、泣くこともできなかった。
その宗教の神様は、穢れのない者に自分の力を分け与えると言ったらしい。メメコの両親は自分達の子供を差し出し、抵抗するメメコを鎖で縛り、儀式と称して水の中に入れた。
溺れて意識を失ったメメコを、病院に連れてくことなどせず、施設に放置していたらしい。
メメコの死を確認したことで、正気に戻った信者の通報により、発覚したこの事件は、とにかく狂ってるとしか言いようがなかった。
ようやく、メメコが死んでしまったと、殺されてしまったと理解した私は、声が枯れるまで泣き叫んだ。
思い出すのは、メメコの笑顔。
会いたくて、仕方がなかった。
あの時引き止めていればと、何度後悔しただろう。
「メメコ……会いたいよ……帰ってきて……」
残されたペンギンのキーホルダーが、私とメメコをまだ繋いでくれているような気がして、私はそう呟き続けた。
人を幸せにしたいといったメメコは、幸せを求める人々の手で、花火のように儚く消えてしまった。
神様なんかに、なれずに。
5
ようやく学校へ行けるようになった頃には、もうすっかりと気温が下がり、風が刺すように冷たくなっていた。
事件が発覚した直後は、連日のようにニュースで取り上げられ、異色の事件に盛り上がっていた世間も、季節が変わる頃には、メメコのことなど忘れていた。
あの施設は取り壊され、今では更地になっている。
メメコは、どんな気持ちで、施設に行ったのだろう。
両親が帰ってきて、すごく嬉しそうだったのに。何かを察して恐ろしかったかもしれない、神様の力を少しは信じたかもしれない。
それはもう、確かめようがないことだけれど。
白い息を吐きながら、学校に行ったらメメコが声をかけてくれるんじゃないかと思った。
けれど、教室にあったのは、メメコを亡くしたという実感と、哀れむようなクラスメイトの視線だけだった。
私は泣いてしまいそうになるのを堪えながら、ペンギンのキーホルダーをそっと握った。
少しだけ寂しさが紛れるような、そんな気がするから。
メメコが神様になれなかった世界は、何も変わらずに回ってる。
拒絶していても、私の心や体は成長し、大人へと近づいていく。
その事実に私は、あの日のように声を上げて泣きたくなるけれど。
でもね、メメコ。
花火大会の日、恥ずかしくて伝えられなかったけれど、神様じゃなくていい、幸せにもしてくれなくていい、メメコがずっと一緒にいてくれるのなら。
このまま大人になるのもいいかなって。
そう、思っていたんだ。
完
メメコちゃんは神様になれない さくら ゆゆ @sakusaku_yuyu
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