第22話 一冊の本

二〇一三年十一月二十二日午後十一時十分


「久しぶりにみなみちゃんのあの笑顔を見たよなぁ」


 家に帰ったあと、今夜の食事会の出来事を思い出したとき、フッと書斎にある本の中で自分にとってかなり思い出深いタイトルが目にとまり、手にとってみた。


「この本を手に取るのは、大阪で初めて大失敗をしたあの後以来かも」





***


 そう、あのときは仕事を覚え始めて彼女との接点も増えてきたときのことだった。とにかく研修で『相手にどうやったらコミュニケーションの大切さを実感してもらえるのか?』について躍起になって動いていたとき、ある会話の弾みで女性社員の方が悩みを抱えていることを知った。

 そのときの自分は、とにかく不安や悩みを解決したければ、自己開示をする必要がある、ということのを必死に説いていた。だから、その女性社員の悩みを知ったとき、悩みを開示できるように問いかけていった――といったら聞こえをいいけれど、ようするに彼女の今は見なくても良かったものまで結果的に無遠慮に掘り出してしまい、逆にさらに悩ませてしまうことになってしまったことも。

 そのことに全く気付いていなかったが、研修後佐倉さんが「話したいことがあるので、このまま残っていただけますか?」と声を掛けてきて一旦部屋を出ていった。


 その声を掛けてくれたときのあの笑顔! 


 一見すると惹かれてしまうような素敵な笑顔だけれどどこかその笑顔に深みを感じて、寒くもないのに鳥肌が立った。なんだかわからない不安というか恐怖を感じながら、佐倉さんが戻ってくるのを本当は五分くらいしか待っていなかったけれど、まるで何時間も待っている感じがしていた。そんな居ても立ってもいられない状況のところに、佐倉さんがある一冊の本を持って現れた。別に怒っているような雰囲気もなければ、文句の言いたそうな感じもなかった。


「(気のせいかな?)佐倉さん、本日も一日お疲れ様でした! 今日はどうでしたか? 何か悩み事ですか? もしよかったらいつでも相談に乗りますよ――」


 とにかくまずは話さなきゃという衝動に駆られて話しまくった……けれど、彼女の真っ直ぐな瞳を見ていたら何も言えなくなってしまった。


「梅里さん」

「はい! なんでしょうか?」

「あなたがどう感じているかではなく、相手がどう感じているかが大切ですよ」


 もう気が付いたら直立姿勢で答えるしかない雰囲気の中、彼女は笑顔で一言だけ添えて、ある本をプレゼントしてくれた。

 この本との出会いがキッカケで、その後自分で犯した過ちに気付き、悩みを打ち明けてさせてしまった女性社員に謝罪できたのだが……正直何でこの本を渡されたのか初めはさっぱりわからなかった。


 佐倉さんのことだから、何らかの意図があって、そして自分のためにしてくれたことだから――そう思い、ひとまず読んでみることにした。

 読み始めたら、もう読み始めてすぐに衝撃を受けた! なぜなら、当時ぼくが大切だと思っていることと全く正反対のことが書かれていたからだ。

 たとえば、人の付き合い方。

 この当時はとにかく社会的ステータスを追い求めていたし、仕事で成功するためには戦術・戦略が必須だと思っていた。


 ところが!

 一番大切なのは笑顔と頷きとプラスの言葉って本で書いてあって、もう完全に疑い度満載な感じで……こんなこと言われなくてもわかっているし、自分は出来ていると思っていた。

 でも、折角だから自分は既に出来ていることを証明しようと思い、家の鏡で自分の笑顔を見てみたら完全に引きつっていた。もちろん作り笑顔だからかもしれないけれど、そのことを差し引いてもとても人を惹きつけるような笑顔ではないと自分でもそう感じた。


(もしかしたら、自分が勝手に出来ていると思ったことって、実は全然できていないんじゃないか!? ってことは、もしかしたら、あのときの女性社員の方への対応ももしかしたら!?)


 そう思ったらもうじっとしていれなくなり、とにかく相手の正直な想いを確認したい! そう考えて、佐倉さんの会社に家から直行することにした。

 正直これまで素直に謝ったことがなかったので、もうこの一件で首になるんじゃないかっという恐怖を感じながら謝罪をしに行ったのだが……

 もう落ち込みまくりで謝罪後に会社に戻ってきて、事の経緯を上司である光恵さんに報告にいったところ――拍手喝采で光恵さんに迎えられてしまった。


「仁くん、おめでとう! ようやく講師としての第一関門突破だね♪」

「え? あ、あ、え~っと。ありがとうございます、光恵さん」


 正直目の前で起きている現象が起きている。深刻な雰囲気になるどころか、他にも称賛の言葉をたくさんいただいた。

 この時は全く状況を理解できていなかったが、要するに『ぼくが誠意を持って自分自身の非を認め謝罪にいったことが、逆に先方の社長に気に入ってもらえた』とのこと。


「仁くんがとった行動は、ただ単に謝罪という形で終わっただけではなく、コミュニケーションの本質を体感する絶好の機会にもなったんだよ。この意味わかるかな?」

「?どういうことですか? どう見ても、ただぼくが悪かったとしか思えないのですが……」

「そう、もしかしたら仁くんのとった行為自体はあの場合では適切ではなかったかもしれないね。でも、コミュニケーションは一方的に仁くんが悩みを聴けば一発で解決するわけでも、相手の方が悩みを打ち明けることができたら解決するわけでもないんよ。このことが実感できたら、仁くんも一人前の講師になれるかもね」


 そう笑顔でアドバイスを光恵さんはしてくれたけれど……このときはさっぱりわからなかった。


***





「そういえば、今でも光恵さんのアドバイスが実感できているかというと微妙かもなぁ。ん、まてよ。もしかしたら、このとき光恵さんやみなみちゃんがおれに言ってくれたアドバイスって、もしかしたら今の自分に役立つのかも!?」


 全くその根拠も何もないけれど、直観でそう感じた。


「歯車が噛み合って動き出しそうな感じがするな~」

「さすが仁、最近は勘が冴えているね♪」


 どこからともなく声が聞こえてきた。



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