第4話 赤坂の城

「城を築くのですか」


 久し振りに兵の調練を見に来た正成は、正季に一枚の絵図面を拡げて見せていた。


「うむ、まずは赤坂にな」


「まずは……ですか」


 正季は一体いくつの城を築くつもりなのか、とでも言いたそうである。


「そうだ。いきなり目的の場所に築く訳にもいかないからな」


 この兄はなにやら時の向こうが見えているようでもあるが、いつもの通り柔和な笑みを浮かべて調練を眺めている。

 一体、兄はこの正季に何を期待しているのだろうか。

 まるでどのような遠謀を持っているのか、今の言葉だけで当ててみよとでも言いたげである。


「正季、城は何の為に築くか知っているか」


「敵を防ぐ為です。兄様、これは一体なんの暗示ですか」


 問い返されて、正成は笑い出した。


「いや、よい。楠木の侍大将七郎正季をして思い至らぬとなれば、この正成にはちょうじょう。済まぬがこの赤坂のしろしん、受けてくれぬか」


「兄様の命となれば否応は申しませんが……兄様はいかがなされるのですか」


「わしか。正季には悪いが、しばらくは水分みくまりもんまるたちと遊びながら領内を差配しようと思っている」


「それはよい。ここのところ父者ててじゃがおらぬと寂しがっておりましたからな」


 弟にそう言われ、正成は寂しげな憂いの影を含んだ笑みをもらして立ち上がった。


「そうよな」


 正成は弟正季に宣言した通り、赤坂城が姿を現す頃までは水分の館にきょしていた。

 もちろんその間も散所さんじょみやこなどへは盛んに人を出し、分厚い情報網を張り巡らせて何やら調べ上げていたらしい。

 しかし、表面上はそのような策謀とは無縁に見える日常の中に身を置いていた。

 相変わらず百姓を手伝い、辰砂掘りの人夫を差配し、樵の真似をし、息子たちに混じって野山を駆けている。

 政情不穏の折りである。

 六波羅からは時折それと判る男どもがこの河内にも入って来たが、赤坂の城普請をそれとなく調べる程度で戻って行く。

 赤坂に小さな城を築いておれば、やはりその奥までは探らぬようだ。

 正成はその見切りをつけると、再び行動を開始した。

 樵や猟師を数人連れて赤坂の奥、金剛山こんごうさんこもったかと思うと大和やまと、伊賀へと足をのばす。

 河内に戻ったかと思えば遠く播磨はりまの方まで旅をする。

 さらには単身京の都に現れもした。

 正成の読みでは時が迫っていた。

 彼はその観測をより正確にする為に自らの目で確かめようとしたのだ。


「楠木」


 都大路を眺め歩いている時だった。

 かすかに記憶に残っていた声に呼び止められた正成は、声の主を確認する為に辺りを見回した。

 そこにはやはり山伏の姿をした日野俊基が、三人ほどの従者を連れて立っている。

 正成はさっと辻々に目を配る。

 案にたがわず目つきの鋭いいかにも放免ほうめんといった風体の男たちが、三方から刺すようにこちらを見つめている。

 このお方はやはり世間を知らない。

 いや、貴族とは総じてそういう人種なのかもしれない。

 正成の元には既に確報としてもたらされてはいたのだが、此程これほど用心なく出歩いていたとは思いもよらなかった。


「これはこれは、またお山歩きでございますか」


 多少の皮肉を込めて正成は近付く。

 もちろん、話を六波羅の放免に聞かせぬ為である。


「うむ、正中の変からもう幾年も経つ。ほとぼりも冷めていよう。時は移り鎌倉に対する不満も募ろう程に、御家人の内にも我らに心寄せる者が増えていよう。円観えんかん文観もんかんなどに任せてばかりもおれまい」


 また平気で人の名を…とは思ってみてもどうする訳にも行かない。

 もともと在世中にもかかわらず、自らを「だい」とお名乗りのきんじょう尊治たかはる天皇派の中心人物と見られている僧たちである。

 六波羅とて目を光らせていない筈はない。

 しかし、こうも平然と味方の名を口にされてはいつ計画が漏れてもおかしくない。

 ただ別の見方をすればそれ程の事を暴き出せずにいる六波羅探題の無能さ、とも言える。

 確かに正中の変後、都の周辺を中心に反幕府ともとれる悪党の叛乱が増えている。

 それらの鎮圧に多数の兵を割いている六波羅に表面化していない倒幕謀議を探る余裕などないのかも知れない。


「ところで……」


「はい」


 正成は俊基がまた、自分の名を口にしそうなのを察して言葉を遮るように返事をした。

 それがかんに障ったのか眉間に不快さを浮かべた俊基はしかし、すぐさま声を落として耳元に囁いてきた。


「先年のやくじょう。よもやお忘れではあるまいの」


 正成は慇懃いんぎんに目を伏せ穏やかに答える。


「私は悪党ではございますが、臣民にございます」

 それを聞いた俊基は安堵の表情を浮かべ、涙さえ流しそうな気配であった。

 「臣民」という言葉が、よほど強く胸を打ったのかも知れない。


「そうだ。は臣民の大義である。麿も大義に殉ずる覚悟を改めて誓おう」


 正成は思った。

 このお方は確かに世間を知らず、下々しもじも機微きびを知らない。

 しかし、知らないが故の純粋さをもって大義に当たろうとしているのだと。


「都まで来たついでじゃ、えいもうでる事をすすめるぞ」


「では、そういたします」


 言われるまでもなく正成は詣でるつもりでいた。

 えいざんえんりゃくには二人の親王がおられ、先年天台てんだい座主ざすの座を弟のそんちょう法親王ほうしんのう宗良むねよし親王しんのう)に譲った尊雲そんうん法親王ほうしんのう(後の大塔おおとうのみや護良もりよし親王しんのう。以後、小説の便宜上基本的に還俗けんぞく後の呼び方で表記する)というお方が、盛んに僧兵をさししているという話を耳にしている。

 比叡山自体は判らないが、このお方は確実に挙兵するであろう。

 とすれば、正成が数えられる数少ない戦力の重要な柱の一つである。

 会っておかねばと考えていた人物を、俊基は暗に正成に知らせたという事になる。

 そう言えば俊基以外のはっきり宮方という人物には、まだ一人も会っていない正成だった。

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