迎え火の照らす先

井槻世菜

第1話

「千華ー」

「やっほ、大輝たいき

 校門の端に立って、次々と帰って行く生徒たちの集団を横目で見送っていた千華は、聞こえた声に勢いよく振り返る。比較的長身の茶髪男子が、千華に向かって手を振っているのが目に入った。

「待った?」

「えっと、ちょっとだけ」

「ごめんごめん。上野のやつがさ、マンガの新刊について猛烈に語り出して帰してくれねえの。まじあいつオタクかっての。なあ?」

 そんな、ほとほと勘弁といった様子で両手を挙げて肩をすくめる大輝が何だかおかしくて、千華は思わず噴き出してしまった。



 大輝の隣に千華は並んで、ゆっくりとした速度で歩いて行く。今日は何だか大輝が饒舌で、次から次へと色んな話題が彼の口から飛び出してくる。大輝は話が上手いので、笑いすぎた千華はお腹が痛い。

 大輝と一緒にいるのはとても楽しく心地よい。こうやって大輝と帰る時間が、千華は好きだ。

(三ヶ月、か)

 三ヶ月。そう、もう三ヶ月も経つのだ。こうして、学校の後には決まって二人で帰るようになってからいつの間にかそんなにも経過していた。

 妙な関係だな、と自分でも思う。端から見れば、毎日一緒に登下校している二人は付き合っているようにしか見えないのだろうけど、でも実は千華は大輝の告白を断ったきり、一度もOKなんてしていない。

 ふられた大輝がその後に、「じゃあ一緒に学校行かない?」と食い下がって来たのが全ての発端だった。それぐらいならいいかと千華が了承し、そして登校だけだったはずがいつの間にか下校も一緒にするようになって何となく今の状態がある。

 周りの友達からは、すっかり彼氏彼女扱いを受けているが、そういう話題になる度に千華は猛然と否定する。それが大輝の耳に入り、幾度となく彼を傷つけているのは知っているけれど、それでも千華は頑なに認めようとはしなかった。

 付き合ってしまえばいいんじゃないかと、自分でも思う。千華だって大輝のことは嫌いじゃないし、むしろ好きだ。それに、大輝が真っ直ぐに自分を想ってくれているのはわかっている。制服を着崩して、髪を染めたチャラい見た目とは裏腹に、実際の彼はとてもストイックで誠実なのだった。

 でも、嫌いでもないのに振ったのは大輝が初めてじゃない。それだけではなく、千華はこれまで誰とも付き合ったことはない。高校二年生にして彼氏いない歴十七年というのは、どうやら驚愕すべき事実らしいけど、そんなこと千華にはあまり関係なかった。

「何か、賑やかだな」

「ほんとだ、何でだろう?」

 丁度商店街にさしかかった辺りで、大輝がそんなことを言い出した。その様子がどこかそわそわして見えて、千華は首を傾げながら周りの音に耳を傾ける。確かに、いつもとは違うどこか華やかなざわめきが風に乗って耳に届く。

 そういえば、今日は年に一度のお盆祭りの日だったと、千華はふと思い出した。商店街には、赤い提灯が至る所にぶら下げてある。お祭り好きなこの街の住民のことだ。きっと準備にも余念がないのだろう。

 そんなことを考えつつ隣の大輝を伺い見ると、その視線は商店街の方へと向けられていた。だから千華には彼の考えていることがとっさに分かってしまう。大輝が口を開くのと、千華が、今から問われるであろう質問に返すセリフを用意するのとは、ほぼ同時だった。

「千華、一緒にお盆祭り……」

「ごめん、駄目。行けない」

 最後まで大輝が言い終わらないうちに、千華が遮った。彼ががくっと肩を落とすのが分かって、とても申し訳なく思ったけれど、返事を変えることはしなかった。

 ひょっとして、今日彼が饒舌だったのは、千華をお祭りに誘おうとしていたからなのだろうか。ずっとそわそわしながらタイミングを待っていてくれたのだろうか。

 その真っ直ぐさに不覚にもどきりとして、思わず「やっぱり行く」と言ってしまいそうになったけれど、とっさに千華は言葉を呑み込んだ。

 やっぱり千華は行くわけにはいかない。だって、

「ごめんね、約束が、あるんだ」


 

 約束がある。思えばそう言ってお盆祭りに行くのを断ったのは初めてではない。去年も、大輝に誘われたのと同じようなシチュエーションで友達の誘いを断った。一昨年もそうだったような気がする。

 四年前から、千華はお盆祭りには行っていない。それどころか、お盆の期間の四日間の間は、夜には家から出ることすらしていない。どんなことがあってもそれだけは千華は守り続けてきた。

 千華の中の絶対のルール。これだけは、絶対に破ってはならないのだった。

「まだ、来てくれないの? 私、待ってるんだよ。せい――」

 帰ってきた自分の部屋で、千華はベッドに腰をおろしてそっと目を閉じる。つぶやきは虚空に吸い込まれてすうと消えていった。


〝約束だよ〟


 無邪気にそう言った千華自身の声が反芻される。

 それに対して、記憶の中の少年が穏やかに笑うのだった。

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