第13話 迷い

 どうして主上おかみが、『蛍の君』のことを……?


 わたしは頭がこんがらがっていた。朝露の御所のこともそうだけど、何よりも当人同士にしか知り得ない筈の『蛍の君』のことを知っていたのには驚かされた。


咲花尚蔵くらのかみ主上おかみとは前々からお知り合いだったのですか?」

 十和皇后が不思議そうにして、そう聞いてきたのだ。

 そりゃ、そう不思議に思うだろうなぁ……。


「いえ、そんな筈はないんですけど……」

 困り顔にそう答える。まったく身に覚えがないから。それどころか前回会うなり主上が慌てて去られたので、そのことで基近義兄様も苦慮しているくらいだ。


「『蛍の君』って言ってましたが、誰のことなのですか?」

「それはですね……」 

 わたしは朝露の御所でのことを、十和皇后に全て教えることにした。



「なるほど、そうでしたか……咲花尚蔵くらのかみも大変苦労したのですね」

 全てを語り終えたあと、十和様は考え深そうにそう言った。

「そうでもありませんでしたよ。朝露の屋敷での日々は、母上様おたあさまと楽しく過ごしていましたので。それに、『蛍の君』も居ましたし」

 それを聞いて、十和皇后はほっとした顔を見せてくれる。


「朝露の御所といえば……確か、主上おかみも幼少の頃に居たと聞いています。もしかすると『蛍の君』は主上おかみに大変近しい方か、主上自身なのかもしれないですね」


 まさかと思いながらも、その可能性もあるなと思案する。


 そのあと貝合わせや投扇興とうせんきょうなどで遊んで、温明殿へと戻ることにした。



 次の日も主上おかみ麗景殿れいけいでんへとやって来て、機嫌よく上座に座る。わたしは困り顔を扇で隠しつつ、そんな主上をチラリと見つめていた。

 そんな主上に十和様が「『蛍の君』は主上ですか?」とそれとなく訊ねるが、主上は『はて?』といった様子でその場を誤魔化すばかりである。

 しばらく会話を楽しんだあと、主上は立ち上がり「では、また来る」と述べ、去っていった。


 そうした日々が続き、偶にわたしが居ないと御機嫌が悪いらしいと聞く。

 お陰でその事が宮中での噂となり、「主上は、咲花尚蔵に恋している」などと囁かれるようになっていた。


 わたしとしては困った。主上から嫌われ、入内を破談にするつもりだったのにそれどころではなくなっていたからだ。




「咲花らしくもないですね。そんなの関係なく、嫌われるように動いたらいいじゃないですか」

「簡単に言うけど近衛忠房やんちゃ、それで御父上様おもうさんに迷惑掛けたらどうするのよ」


 温明殿で近衛忠房と基近義兄様とで、主上のことについて話し合っていたのだ。


「簡単な話じゃないですか、咲花。このまま予定通り入内じゅだいすればよいだけのことです。わざわざ嫌われる必要などありません」

「そうは言うけど、基近義兄様……」

「咲花だって、相手が主上『蛍の君』なら不足はないのでしょう? 違いますか?」

「………」


 主上おかみが顔も分からない人のままなら、嫌われて入内を破談にするつもりだった。だけど今では、その正体が『蛍の君』かも知れないと分かり、正直迷っている。

 でも、まだ主上が『蛍の君』だという確証もないのだ。本人が認めないのだからどうしようもない。


「相手が主上では、聞き出すのは難しい。主上にその気があれば、別ですがね」 

「問題はそこなのよね〜」

 どうして隠そうとするのか意味が分からない。はぐらかそうとするのも、訳解んない。

 そもそも嫌われようにも、常に笑顔で御機嫌も良く気も使ってくれるので、嫌われる隙もない有り様。やれやれだ。


「咲花としても『蛍の君』が主上だったらと、思っているんじゃないのかい?」

「………」

 言われ、わたしは頬を染めた。

 まだ小さな頃だったからよくは覚えていないけど、確かに蛍の君に憧れというか恋心のようなものを持っていたような気がする。だとしたら入内は、わたしにとって決して嫌なことではない。それもこれも主上が『蛍の君』だったら、となるけど……。


 今となっては、基近義兄様との恋も叶いそうにないし……。

 

 わたしは、ほぅ……と溜め息をついた。




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