第11話 懐かしい母の面影

「うーん……。やっぱり、分っかんないなー」


 天皇家に代々伝わる三種の神器のひとつ、神鏡(八咫鏡やたのかがみ)が安置された温明殿うんめいでん賢所かしこどころにて。脇息きょうそく(肘掛けのこと)に肩肘をついてもたれ掛かり、わたしは独りそう言って小さく溜息をついていた。


 つい半刻(1時間)ほど前になる。麗景殿から清涼殿へと、雅永帝が顔色を変え立ち上がり去ったあと。十和皇后様が困惑と心配そうな表情でオロオロとしながら、わたしを見つめ『あの……咲花尚蔵くらのかみ。帝と、何かあったのですか?』と優しく訊ねて来られたけれど。わたしには、まったく身に覚えなんて無かった。そもそも会うのは今日が初めてなのだから、ある筈がないのだ。


 その後、わたしは気分が優れないと告げ、麗景殿から温明殿へと渡り戻り。そのことを思い出しては、こうやって溜息ばかりついている。


「まぁ結果的には、これで良かったのではありませんか?」

「は?? 何でよ? やんちゃ」

 温明殿・賢所の西側にある廂の向こう側から、近衛忠房やんちゃが急にそう言ってきたのだ。その表情は、廂の向こうということもあって、よく見えず分からずだったけれど。何故かホッとしているように窺え、それが妙にカチンと来て癪に障る。

 その隣では、基近の義兄様が不可解といった表情をやんちゃに向けて、訝しげに同じく胡座をかいて座って居た。


「だって咲花尚蔵くらのかみは、端から乗り気では無かったじゃないですか。入内の件については、初めっからね。

そうでしょ?」

「まぁ、そりゃあー。そうなんだけどさー」


 例えそうだとしても、不快を受けるような理由も解らず一方的に断られたのでは、流石に気になる、ってもので……。

 まぁ~この事で、御父上様おもうさま達にお咎めが無ければ、万事それで構いはしないんだけどさー。


「そう言えば……咲花さな。それと同じことを、十和皇后様の前でも言っていましたね」

「………」


 やんちゃの隣に座る基近義兄様が、『私はその事についての仔細、聞かされてはいないが?』とばかりに、不機嫌顔でそう言ってきたのだ。

 今、義兄様が言った『それ』っていうのは、察するに『端から乗り気では無かった』という部分についてなのだと思う。それに対してわたしは、「よく覚えておいでで……」と半眼に見つめ返してやった。

 だって、基近義兄さまの鈍化振りには、ほとほと愛想が尽きるもの。あの十和皇后様でさえ、呆れていたほどなんだからさ。


 わたしがその一言のみでそうしていると、基近義兄さまは焦れた様子で檜扇をピシャリと小さく打ち鳴らし口を開いて来た。

「それならば何故、その事を義兄であるこの私に、直ぐ話さなかったのだ」

「言いましたよ」

「? ……私はそんな話、聞いていない」

「言いましたよ? それとなく、何度も」

「いつ言った? 何かの間違いではないか?」

「これまでに幾度も。入内の話が舞い込んで来た、にも言いました」

 基近義兄さまはそこで思案顔を見せ、暫く考え込んだあとハッとし、困り顔のあと神妙な顔つきに変え再び口を開いた。


「もう一度だけ訊ねよう……。私はそのことについて、何も聞かされてはいないと思うが?」

「理由なら、十和皇后様のところでも充分にお話し申し上げた筈です」

「もしや……『他にが居る』という、あの話のことか?」

「よく覚えておいでで」

 わたしは再び同じ言葉を口を尖らせ、ツンとした表情でそう素っ気なく返してやった。

 基近義兄さまはそこで、やれやれといった具合に小さく溜息をつき、次にやんちゃの方を向いて口を開く。


「少将(忠房)殿は、この事をいつ頃に?」

「あ………えーと。あ、そうそう! つい先日、だったかなぁー? ハハ…あはは」

「…………(うは。今のめっちゃ、白々しいなぁー)」


 やんちゃがこの事を知ったのは、先日じゃなくて、。それを今更、基近義兄様に言い出し難いのは理解出来るんだけどさ。今頃、罪悪感なんか感じるくらいなら、もっと早くから義兄様と意思疎通くらいしてなさい、っての!


 この時、やんちゃがわたしの方を見つめ救いの表情を見せていたけど。わたしは、「知~らないっ」とばかりに顔を背けた。


 それにしても……麗景殿で初めて出会った雅永帝とは、前に何処かでお会いした気がするのよね。

 今日初めてお会いしたのだから、そんなことは無い筈なんだけど。初めて会った気がしない、って言うのかな? ずっと昔から知っていたような……不思議な懐かしさのようなものを感じた。


 それに、『あさひ』って……?


 確か雅永帝はそう言って、急に顔色を変えられた。という事は、その『あさひ』っていうのが、その事に多少なり関係しているのは間違いない。でも、それが物の名前なのか、それとも人の名前なのか……。



「そう言えば……」

 わたしの本当の御母上様の名も、そんな名前だったっけ?



 ふと、そんな遠い幼い頃の想い出を思い起こして、何かと繋げてみようとしたけれど。直ぐに、亡くなった母の優しげな面影を思い出し、急に悲しくなって、「……まあ、そんな訳ないか」と頭で否定し、それ以上考えるのをこの時のわたしは辞めていた──。


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