ガロア剣聖伝
北見りゅう
第一章 北の雄国
北の雄国1
風の声に混じって聞こえてくるのは、確かに剣戟の音であった。
鋼と鋼がぶつかり合い、こすれ合う独特の甲高い音。それだけではなく、怒号も飛び交っている。
怒りがこめられた罵声、気合、そして絶命に至る瞬間の悲鳴。
枯草を敷き詰めたような草原において、二つの異なる紋章を掲げた旗の元、剣士達が激しく切り結んでいる最中なのだった。
一つは漆黒に染められた布地に、黄色い刺繍糸で、交錯する二本の剣と三つ首の吠え猛る犬という、いかにも勇猛な図案を縫い取った旗、いま一つは紺色の布地、図案は翼ある双頭の猛虎、やはり荒々しい印象を与える白い刺繍の旗。
北から吹いてくる秋の終わりの風を受けて激しくはためいている。その旗を仰ぎ、守る男たちが、剣を振るって互いが敵と見なした相手を枯草の海へと沈めてゆく。
戦いは激しさを増す一方で、制止の声を飛ばす者の姿は無い。
血しぶきがあがる。手にしていた剣を取り落とし、鎧で身を固めた剣士が仰向けに倒れる。一撃を防ぐ盾が耳障りな音を生み、雄たけびが轟く。
「引くなッ。引いてはならぬ、押し返せッ」
「黙れ蛮人がッ。我らが領土を汚い足で踏み荒らすな。退けい。早々に立ち去れッ」
「何をほざく。この地は己らの領土ではないわ。図々しいにも程があるぞ」
剣戟の合間を縫うようにして、二つの武装集団を統率しているとおぼしい男達が罵り合っている。
どちらも自分の主張にこそ正義ありと信じ、毛ほども疑った様子は無い。
彼らの怒鳴り合いも、ますます加熱化していた。
諸神降臨より三八三年。
今も戦いは続いている。
「三十二名の戦死者。
これは捨て置けぬ損害にございますな」
ジークシルト・レオダインは、目を通し終えた書類を父に返却しながら、簡潔に所見を述べた。
過日、東国境で発生した局地紛争に関する報告書である。
王の執務室に出頭を命じられ、挨拶もそこそこに確認を求められた一枚の文書には、事の顛末が詳しく記述されている。
「類似の事例は、近頃とみに目立っているように、わたしには思えてなりませぬ」
「予も同感だ。
夏を過ぎたあたりから、きゃつらめ、頻繁に我が国境を侵犯しおる。
既に、五件もの局地紛争発生が報告されておるわ。
此度で六件目よ」
父王バロート・レオルタスの応じる声も、まことに苦々し気だった。
「報告書によれば、我が方の国境守備隊に見咎められて警告を受け、逆上したとあるな。
先方から斬りかかってきたゆえ、止む無く応戦に至ったと」
「敵は、相当に抵抗したものと推察致します。
戦死三十二名に及ぶとなれば、一隊はほぼ全滅と考えられます」
もはや戦争ではないか。
暗にその意を含ませたのを、父は看取したと見える。腕を組み、眼光も鋭く
「考えねばならんな」
言った。
紛争の相手を明確に敵国と見做すか否か。
判断の時期は迫って来ている。
「本日の会議は、例の事案についての討議を予定しておる。
ジークシルト。
出席者の案配をとくと検分せよ。
我が宮廷に潜む敵は誰か、よくよく見定めねばならぬ」
「承りました、陛下」
実の親子でありながら、彼らの間に漂う空気からは、肉親同士らしい気安さはかけらも感じ取れない。
部屋の主の気質が伺える、実用性最優先で設計されている執務室には、近侍の者が十余名ばかり控えているが、二人の様子に倣うかのように、誰もが面持ちを引き締めている。
やがて、父は息子に退出を命じた。
「王太子殿下の御退(おさが)り」
ふれ係が号令し、扉が外側から素早く開かれた。
近侍が一斉に姿勢を正す。
次の王たる資格を持つ彼は、父に一礼すると、颯爽たる足取りで執務室を出て行った。
シングヴェール朝エルンチェア王国における王家の居城は、テューロッセ城という。
王都ツィールデンのほぼ中央に位置し、北方様式と通称される建築様式に忠実に則って建てられた本丸がそびえている。
城の本丸には行政に関わる全ての機能が集中しており、王が臨席する会議室もその中の一つである。
定例の御前会議は、西刻の一課(午前九時)を期して始められる。
「先頃申し入れのあった、塩の輸出量増量を希望する旨について、諸君らの意見を聞きたい」
当国の主力産業は、北海を背景とする海国の立地条件を活かした産塩事業にある。
国内の消費のみならず、外国へ向けての輸出も盛んであり、今や大陸において随一だった。
王の言葉を受けて、活発な議論が始まった。
「先方の提案した条件に多少の修正が加わるのであれば、我が国の現在の産塩能力からいって、了承は不可能ではございませぬ」
まずは貿易を司る外商卿が発言した。
「ただ、要求にある二万サハードという量が、少々解せませぬのが難でございまして」
「外商卿の仰る通り、これは我がエルンチェアが大陸全土を相手に貿易する一年間総量の、実に五分の一に匹敵致します。
膨大な量と申さねばなりますまい。
一国が一年間に日常使用する量は、平均三千サハードでございますれば、ちと多量ですな」
外交の責任者、外務卿も言った。
「先方には塩を安価に仕入れて、何らかの加工を施し、諸外国に再輸出する目算があろうとは存じます。
度を越さぬ限りはそれも宜しいのですが、万一にも、我がエルンチェアの利益を害するが如き所業に出られては困りますな。
いかに彼らであれ」
「左様。
条件の調整というのも、その点を強調するのが肝要。先んじて念押しせねばなりますまい。
そのあたり、適切な処置を施すのであれば、他ならぬ彼らの申し出。
諸般の事情を考慮致しますれば、無碍には扱えませぬ」
「全くですな」
「そこもとらは、かく申すが」
ジークシルトが割って入った。
議場、特に文官達の席とされている一部分から、息をのむ音が聞こえた。
「適切な処置とやらを、いかに施すのか。
一旦我が国を出た塩の行く末を、我らがいちいち監視してはおれぬ。
もし先方が、条件を服むふりをして出し抜こうとすれば、我らには如何とも成し難いではないか。
そのあたりはどうか」
「恐れながら」
反駁の意思が明快に込められた声が反応した。
「他国であればいざ知らず、件の件は、ブレステリス王国からの申し出でございますぞ」
「それがどうした」
王太子は傲然と突っぱねた。
発言者の外商卿が、ぎょっとなった。彼だけではなく、文官貴族達の全員が顔色を失ったものだ。
「そ、それがどうしたとは……」
「どうもこうもあるまいよ。
その方が言いたいのは、ブレステリスは我が王后陛下を筆頭に、歴代陛下悉くの御生国である。
違うか」
「お、仰せの通り」
「我が王国とは格別なる誼<<よしみ>>を結ぶ、最大の友邦国。
ゆえに、その言い分は必ず正しく、決して我が方に不利な計らいを致さぬと、固く信じる次第か。
随分と夢物語を語るものだな」
「殿下」
「何であれ、他国は他国だ。
両国の歴史上における経緯については、わたしも熟知するところである。
しかし、結論は同じだ。
それがどうした。
彼らは抜け駆けを図らぬ、と断ずるに値する根拠とは言い難い」
ジークシルトは断固として譲らない姿勢を見せた。
文官達がざわつき始めた。それに対して、静観の様子を崩さない席もある。
王太子は、文官達の席を鋭い目で見やった。
「如何な手段を用いたところで、必ず限界がある。
信頼と盲信は別の話だ」
「不躾ながら、御言葉をお返し申し上げます。殿下」
全員の視線を一身に集めつつ、壮年の文官が口を開いた。
まるで睨み合うかのように、ジークシルトと視線が衝突した。
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