1-2

 そして、彼は目覚めた。

「……いや、ここどこだ?」

 明らかにそこは地下鉄の車内ではなかった。

 そもそも彼は座席に座って眠っていたはずなのに、地面に直に横たわった状態で覚醒した。伝わってくる地面の冷たさに身体を震わせながら彼は起き上がり、周囲を確認した。

 板張りの床に、少し低めの天井。左右にはまるで壁のように襖が並んでおり、通路の広さはおよそ数メートル。どこかのお屋敷かなにかの廊下といった感じだ。天井に光源はないが、襖を照らしている白い光が視界を確保してくれている。

「うっわ、これ幽霊とか出てくるパターン……? やだやだやだ」

 先ほどとは違う理由で身を震わせながら、古谷はとりあえず自分の身体を確認した。服はそのままだったので、まず左ポケットを叩き、次に右ポケット、そして尻ポケットを叩く。叩いた感触がいつもと違いないことに安堵して、彼は左ポケットからスマホを取り出した。画面は問題なく映っていたが、電波は一本も立っていなかった。このご時勢に。

「となると異世界か、もしくは隔離された場所、ってことか」

 そう分析してスマホをしまうと、次に右腰の後ろあたりに手をやる。そこに収まっているべきものがしっかり収まっていることを確認して、彼は今日最大の安堵のため息を漏らした。

「さて、と」

 用心深くあたりを見回しつつ、彼は右手を右腰の後ろのあたりに置きながら左手を襖にかけた。そして力を入れて開こうとする。

「……ん?」

 だが開かない。いくら動かそうとしても、襖はびくともしない。

 もしやちょっとした意地悪か、と思いながら引いたり押したりもしてみるが、やはり開いてはくれない。

「なるほど、そういうパターンか。この襖は襖じゃなくて壁という扱いなんだな」

 やけに飲み込み早くそれを悟った彼は、通路の先に目をやる。

 どこまでも果てしなく続いているように見えて、ところどころに曲がり角があった。

「和風の迷宮ってところか……牛魔王とかいたりしねぇよな?」

 自分の考えに自分で身を震わせる無駄なことをしながら、彼はとりあえず歩き始めた。右手は右腰の後ろのあたりに置いたまま、左手を左の襖――壁につきながら歩き始める。

 だが、少しも歩かないうちにその足は止まった。

「ん?」

 彼は左手を耳の後ろにつけて、前方に向けた。

 前方、かなり遠くから物音が聞こえてくる。しかも近づいてきている。

 パッと身を伏せた彼は、板張りの地面に耳をつけた。

「足音が二つ。そして金属音。一人は人間、もう一人は……?」

 バッと身を起こして、彼は用心深く前方を見やる。腰を軽く落として僅かに前傾姿勢になり、右手を右腰の後ろのあたりに。

 そうしていると、物音がさらに近づいてきた。二人分の足音と、それをかき消すほどのガシャガシャという金属音。

 あと一つ、角を曲がればその姿は見えるだろう。

 古谷の緊張が最大限に高まり、そして――

 前方の角を曲がって、制服姿の女子高生が姿を現した。彼女は古谷に気づくと、まっすぐに彼へと向かって走ってくる。

 その姿を見ても古谷は警戒を解かなかった。もっと具体的に言えば、彼女の後方から接近してくるもう一人の足音に注意を最大限に向けていた。

 そして女子高生が古谷の脇を走り抜けて――彼の腕を取った。

「――へ?」

「逃げて!」

 そう叫びながら女子高生は走る。当然ながら釣られて古谷も走り出すことになってしまった。

「ちょ、ちょっと待て!」

「早く!」

 彼の言葉も耳に届いていない様子の女子高生に、古谷は腕を振り払おうとするが、思いのほか力が強くて振りほどけない。

「お願いだから助けて!」

「助けてやるからちょっと落ち着け!」

 そんなことを言い合いながら二人はいくつもの角を曲がり、駆け抜けていく。その間にも背後から迫る金属音はつかず離れずといった様子で追いすがってくる。

「あいつが、あいつが来る……!」

「あいつってなに!? お願いだから話を聞いて!?」

 もはやどっちが年上かも分からないようなやり取り。

 だがその逃走劇は突如終わってしまった。

「そんな――!」

 いくつかの角を曲がって二人が飛び込んでしまったのは袋小路だった。

 その驚愕に力が緩んだところで古谷は腕を振り払うと、女子高生を一喝した。

「いや逃げ道わかってんじゃなかったのかよ!?」

「逃げ道なんて分かるわけないじゃない!」

「逆ギレ!?」

 もはやつかみ合いの喧嘩に発展しそうなほど険悪な雰囲気の二人。

 だがそんな言い合いをしている暇などなかったのだ。

 二人が走ってきた通路の方から、ガシャンと音がする。

 そちらを向いた女子高生が「ひぃっ」と短い悲鳴を上げた。

 パッと振り向いた古谷も、「ひっ」と悲鳴を上げる。

 そこには鎧武者が居た――そうとしか形容できない存在が居た。

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