食い物と恋の怨みは凄まじい

 世界三大美女などと、一体誰が言ったのだろう。

 妬ましい。まったく面白くない。


 よりにもよって、何故自分の妹なのだ。

 あれのどこが美しい。あれのどこが可愛いのだ。

 皆、私が生まれてからずっと可愛いと、美しいと言ってきたではないか。あの言葉は妄言だったのか。虚言だったのか。戯言だったのか。


 ふざけるな。


 私は世界で最も美しい存在だ。

 誰かに問うまでもない。鏡に問うまでもない。

 むしろ問いかけるより先に、皆の顔が、鏡に映る自分の顔が答えてくれる。

 私がこの世で一番美しいはずなのに――どいつもこいつも。なんで、なんで。


「ぁぁぁ……ぁぁぁ……」


 仮に彼女が世界で一番美しい女性だとして、一体何人が納得するだろう。

 反応を見て、彼女は納得するのだろうか。

 また妄言を言うのか。虚言を、戯言を言うのか。嘘偽りなく言えと言っても、いざ本当のことを言えば癇癪を起こすに決まっていると言うのに。


 シムリエ・ベインレルルク。


 世俗的に見て、彼女は不細工にカテゴライズされない顔立ちをしている。

 容姿こそ端麗であるものの。端麗だからこそより、痛々しい中身が醜く見えて仕方ない。

 さながら、金箔で豪奢に飾った弁当箱の中身が、すべて腐っているかのような残念感。

 妹がいなければ、確かに世界三大美女として数えられていたかもしれないくらいに美しさがあるだけあって、酷く残念でしかない。


「ぁぁぁ……あの方も、あの方も、ぁぁぁ……ぁぁ、ぁぁぁ……どうして。どうして」

「シムリエの様子は如何ですか?」

「ザァンラネーク王妃」


 王妃ザァンラネークは、バスタブの中、濁り切った水に浸かったまま、ずっとボソボソと呟き続けている我がを憐れみを籠めた目で見つめる。

 櫛を通せば、絡まることなく通った美しい金色の髪も、手入れを怠り続けたせいでグチャグチャに絡まり、櫛もブラシも通さなくなってしまった。

 痩せこけた頬といい、彼女が美女であったのはもはや過去形である。


 妹に対する嫉妬とコンプレックスから民を唆し、妹の抹殺計画を実行したものの、実の兄たるブルグンドに計画を暴かれ、口封じのためとはいえ自らの手で殺してしまった後悔が未だ洗い流せず、ずっとバスタブに浸かり、洗い流そうとしている。

 食べ物はずっと受け付けられず、拒食症に陥っていた。痩せこけている原因である。


「可哀想に……仕方ないこととはいえ、実の兄を手に掛けてしまった後悔が、蝕み続けているのですね。すべては愚かな妹のせいだと言うのに。なんと健気な子なのでしょう」

「ぁぁぁ……」

「王妃。あまり王女の前でその話をされるのは。また癇癪を起されたら、自決しかねません」

「あぁ、そうでしたね。ごめんなさい。それで、あれを殺す手筈はもう整えてあるのですか?」

「あっはっはっはぁぁぁあ!!! 実の娘なのに殺す手筈が整ってるかどうか訊くとか?! ガチ狂ってるなぁ、ばあさぁぁあん!」


 一体どこから出て来たのか。

 アクアパッツァが、シムリエの奥からぬぅっ、と出て来た。

 護衛兵もまったく気付けず、不意の登場に驚きを禁じ得ない。


「あっはっはっはぁぁぁあ!!! はぁぁぁあっ!!! ……その問いはさぁ。もしかして実は隠れた親心? せめてもの慈悲に苦しまないよう殺してあげよう、的な? 慈悲的な?」

「まさか。あの子には苦しんで死んで頂きます。己が我儘のせいで、国の将来を不安定にしたばかりか、兄妹での殺し合いにさえ発展させた。世界三大美女などと呼ばれてうつつを抜かし、国益を度外視したあの子の罪を、思い知らせなくてはなりません」

「あぁ? あぁ、そう。ま? 国益だの何だのと、スケールデカすぎで俺には理解出来ない話なんだけどさぁ……ま、とりあえず安心したよ。要はあの女殺すのに、躊躇いはないんだな?」

「無論です。でなければあなたのような大罪人。誰が受け入れるものですか」

「あぁあぁ、なるほどなぁ。納得がいった」


 ズシン、


 突如腹の底に、深く響いて沈む衝撃。

 見下ろすと、自分の腹を背後から手が貫通して、バイバイ、と見下ろしている自分に向けて手を振っている。

 遅れて、ザァンラネークは血反吐を撒き散らした。


「な、に……を……! おっ、っ……」

「いやいや。わかるだろ? わかってくれてるんだろ? 国のためだよ。あんたはもう要らねぇんだよ、ザァンラネーク。夫のグァガラナートの始末は失敗したみたいだが? とりあえずおまえら老いぼれはもう用済みなわけだよなぁ。うんうん」

「馬鹿、な……! 私が居なければ、あなたの身柄は誰が保証すると……!」

「あぁ、そうだなぁ。でも、あんたが国のために動くってんならさぁあ? 俺を側に置いておくわけねぇよなぁあ。用済みになったら監獄にポイだなんて、ヤだぜ俺ぁ」

「最初から、裏切るつもりだったの、ですか……」

「むしろ何で最初から裏切られない想定してたんだよ? 国のためなら犯罪者の横暴さえ許容しましょうって誘い文句は魅力的だったが、その後が保証されてねぇんじゃなぁぁあ!?」


 と、アクアパッツァはバスタブからシムリエを引き上げる。

 側にいたはずの護衛兵に止めさせようと思ったが、すでに血塗れの肉となって倒れていた。


「娘、を……っ、どうす……」

「あぁあ? あぁ、安心しなって。殺しはしねぇよぉ。むしろあんたの大願とやらを、叶えてやろうじゃあないの。要は、国益って奴を護りたいんだろ? だから護ってやろうって話だよ。

「――!?」

「ふふふぁあはははははははっ!!! その顔は想像出来たみてぇだなぁぁあ?! そう、その想像通りだよぉぉぉ。本当は俺の管轄外なんだが? 王族の遺伝子から生まれる怪物ってのが見てみてぇしなぁぁぁあ!!!」

「あ、あれだけの、子供、たち、を、喰らってぉぃぇ……」

「だぁって。国を護る防衛装置としちゃあ不充分なんだもんよぉ。俺の能力で生まれる怪物は、卵の母体が新しければ新しいほど――つまりは、純潔の卵から生まれた怪物ほど強力なんだが、さすがにあの子達じゃあ卵として若過ぎた。で、ここには男にフラれて未だ純潔。そして放心状態かつ自暴自棄の女が一人……用意されていたみたいなシチュエーションだ」

「き、ぃぃ、さっ、ぁぁぁあ!」


 死にかけのザァンラネークはEエレメントを発現。

 自ら蛇と化して首を伸ばし、猛毒の滴る牙を剥ける。


 が、アクアパッツァにシムリエを盾にされ、痩せこけて呻くだけの娘を見たザァンラネークはそれ以上何も出来ず、硬直した状態で怪物らに殴られ、蹴られ、踏み砕かれて命を終えた。

 無残に殺したザァンラネークの憐れな姿にアクアパッツァは一欠片の興味も示さず、どこか遠くを見つめたまま動かないシムリエで遊んでいる。


「あぁあぁ、可愛そうになぁ。国益だなんだと理由を付けられて、利用されて、兄妹同士の殺し合いまでさせられて。結果、こんなまともに口も利けなくなるくらい壊されちまうたぁ、実に憐れな話だよぅ。当人としても、そう思うだろ? ん?」


 などと返答を求めたところで、何も返って来ないことはもうわかっている。

 アクアパッツァ自身、まともじゃないと散々言われてきただけあって、壊れた奴らと一緒にされて来ただけあって、壊れている奴はわかるのだ。


 もはやスッポンだ。

 水にいない間ずっと噛み付いて来て離れず、水に入れるとようやく落ち着きを取り戻して離す、亀の防衛本能を人型にして体現したような存在。

 水に浸からせていないと、何も言わなくなるししなくなる。唯一することと言えば、発作的な癇癪ぐらい。


 しかしその程度、アクアパッツァからしてみれば、子供の駄々と変わらない。

 押さえ付けることは簡単で、堕とすのはもっと簡単だ。

 だからヤる事は変わらない。嫌がろうが自棄になろうが、鈍痛の奥から快楽を見出させてやるだけである。

 それが、せめてもの慈悲だ。


「食い物の恨みは凄まじいって言うが、恋ってのも負けず劣らず恐ろしい代物だなぁ。ま、俺からしてみれば? だなんて、性行為に及ぶ相手を選ぶための本能を、ただ綺麗に聞こえるように付けた名前であって、そこまで深い意味合いはないがなぁあ?」


 もはや、人の扱い方ではない。

 髪が指に引っ掛かることを良いことに、強引に引っ張って持ち上げる。

 四肢がダランと垂れ下がり、抵抗の様子もなく、もはや彼女が生きているかは、彼女の肺が呼吸のために膨張と収縮をしているかでしか、外見では判断できない状態である。


「かぁわいそぉだなぁぁ……あぁあ。あぁあ。可哀想だなぁ。可哀想だなぁぁ、あぁぁ。あぁあ。はぁ……やっぱり燃えねぇなぁ。ただでさえ対象外なのに、ガリガリに痩せて食べるとこもねぇじゃん。ま、いいや」


 アクアパッツァが唇に吸い付くと、反射的にシムリエの舌が絡まって来た。

 唾液を絡める妖艶な吸い付き。しかしそこに心は無く、反抗も抵抗も、歓喜も歓迎もない。

 もはや人としている感覚さえ、アクアパッツァは感じられなかった。


 故に気持ち悪い。

 彼女は今、自分が異性の舌に己のを絡め、しゃぶっていることを自覚しているのか。

 男にフラれ、兄を殺めたことで自暴自棄になったと言っても、他の男の愛撫を甘んじて受け入れるなど、もはや生きる気力さえないではないか。

 なら、利用したところで文句もあるまい。


「このまま死ぬなんざぁ、もったいねぇからぁぁなぁぁあ。有効活用、してやるよぉぉお?」


 獣の如く、本能に飢えて。

 ただひたすらに行為にふけて、熱と命を吐き散らす。


 物言わぬ女性を愛せぬままに抱き締めて、慰めにもせず、ただ、抱く。

 時折、抱き締める理由さえ忘れて。愛撫でもなく暴力でもない、まぐわりをひたすらに続けて、果てる。


 女は泣き叫ぶこともなく、悲痛に呻くこともなく、ただ熱を受け止め、はらに蓄え、本人の意図も意思も関係なく、卵を作り上げた。

 その先、怪物へと成り果てるしかない卵を。


「あぁぁぁ……疲れた」

「ここで、何を?」

「あぁぁ! 天音あまねちゃぁぁん!」


 状況が良い方向にないことは、一見してわかる。

 跡形もなくなっている王妃。慰み物どころか、ただの孕み袋とされた憐れな王女。

 吐き気を誘う異臭といい、天王寺てんのうじ天音と同じ年齢の子供が見るには、刺激が強過ぎる惨状。

 天音が動じないのは、単に経験値の問題だ。


「勝手な真似は、しないで欲しいのですが」

「そんな冷たいことを言わないでよぉぉお? 天音ちゅわぁぁん。あの王妃様は俺を使い捨てる気だったんだぜぇ? それこそ、天空そらの監獄に閉じ込められたら、もう出られねぇだろぉよぉ。そしたら? 俺を使ってた帝国の評判はどうなるだろうなぁ? なぁ、どぉなるだろぉぉなぁぁ、あ?」


 この人、どこまで本気なのですか……?


 本能だけの怪物かと思えば、一端の悪党らしい思考回路で脅してくる。

 というか、そんな考え方が出来たんだと、驚愕さえさせられる。


 まったくもってこの男、得体が知れない。


「ってぇなぁわぁけでぇぇ……反乱軍の奴らららにぃぃわぁぁぁぁ、よっろしっく言ってぉぉぉぉぉぃぃぃいいてぇぇぇぇえええ?!」

「……わかりました」

「まぁあ? そんな顔しないでよぉ、天音ちゃぁぁん。こっちはこっちで困ってるんだ。思わぬ場所で、凄いのが手に入ったもんだからさぁぁあ?」

「凄い、もの……?」


 気持ちの悪い笑い方で笑うアクアパッツァは、自分の腹をさすっている。

 中から感じられる力はとても小さなものだったが、アクアパッツァが凄いと表現したせいか、禍々しいものを感じてならなかった。


「王国の連中、俺の怪物を倒しながらこっちに来てるなぁぁぁぁ……」

「蓮様達が?」

「悪いんだけどさぁぁあ? 俺はぁ、この卵を産むことに集中したいんだぁぁぁあああ? いいかなぁ、天音ちゃぁぁん」

「……わかりました。では私達で対処します。頼みましたよ、アクアパッツァ」

「はっはははは……君は時々、怖い顔をするなぁぁぁ」


 それがわからない馬鹿だったら、すぐさま殺しているのにな。

 天音は体の中で震える魔神の興奮を宥めつつ、殺気を秘めた鋭い目つきのまま、その場を後にした。


「食い物と恋の恨みは、恐ろしいねぇぇぇぇえええええ」


 怪物の中で、卵が胎動し始めた。

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