●3、プレゼント
「おいおい、どこに行くんだー」
「こっちよ、こっち。ちょっと、ちゃんと歩いてよね」
いきなりくるみに腕を引かれたため、ノエルは変な体制で歩いていた。
舞台の本番は十六時からで、練習が終わったいま、自由時間は二時間ほどある。
それほど急ぐことなのか。ノエルは呆れつつ、それでも手を引かれるまま危うく歩きながらついて行く。
くるみの恰好が目立つからだろう、道行く人、家族やカップルたちが、ノエルたちを微笑ましそうに眺めている。
その視線が、いやにむず痒い。
雪はパラパラと降っているが、積もるほどではない。ノエルの鼻さきに落ちてきた白い塊は彼の体温により溶けて消えた。
「ここよ」
「――はあ?」
呆けた声を出すと、「もう」と肩を叩かれてしまった。地味に痛いが表情に出すことなく、連れていかれた場所をもう一度まじまじと眺める。
そこは、紳士服を専門に扱っているお店だった。
ウィンドー越しに飾ってある服は、どこか高級な雰囲気を漂わせており、一目で安物とわかるノエルのスーツに比べると、貧富の差を感じる。
くるみは怖気づくノエルに気づくことなく、店内につかつかと入って行った。
その後をノエルは恐る恐るついて行く。
「お嬢、じゃなくって、くるみ。なぜ、どうしてここに?」
「そんなの決まってるじゃない!」
ふんわりしたオレンジ色のスカートを翻し、くるみはノエルに向き合うと言うのだった。
「今日は、クリスマスよ。あなたの誕生日に、私からのプレゼントだわ!」
「…………」
思わず言葉を失う。
そうだった。
今日はクリスマス。雪まで降っている、ホワイトクリスマス。
スラム街で育ったノエルには誕生日がなかったので、くるみによりクリスマスが誕生日だと決定づけられた。
毎年、くるみはなにかしらプレゼントをくれる。去年は、ネクタイだった。一昨年は手作りケーキ(食べれるやつ)。その前は――すべて覚えている。
これまでの十年間、くるみから貰ったプレゼントは忘れられやしない。
今年はどうやら服のようだ。どんどんプレゼントが高価になっていく気がしたが、それは彼女がどんどん有名になっていくのに比例しているのだろうか。
くるみの選んだ服に身を包んだノエルは、苦しそうに首元のボタンを外した。
最近はスーツ以外の服を着ていなかったので、久しぶりに着る若者の服装に、ノエルはむず痒く感じる。
それを表情に出すことなく、くるみの嬉しそうな笑顔を胸に受け止めた。
ノエルたちは会場に戻ってきていた。
「ノエル」
くるみに呼ばれて、ノエルは彼女のところに向かう。
彼女は、とある座席を示していた。嫌な予感がする。
顔を顰めることなく、ノエルは舌打ちしたい衝動を
彼女は知らないのだ。だから、そんなにも無邪気でいられる。
「今日は、ここで私の歌を聴いていてね」
ああ、思った通りだ。
「俺は、いつもの舞台袖で十分だぞ」
「ダメッ。今日は特別な日なんだから、あなたはここで聴くの! これは、主としての命令よ!」
「……かしこまりました、お嬢様」
「お嬢様も敬語も禁止なんだから!」
「わかったよ、くるみ」
背に腹は代えられない。
彼女の目的はまだ不明だが、今日は彼女と出逢って十年目の特別な日なのだ。少しぐらい我慢することにした。
ノエルの返答に、くるみが嬉しそうな笑みを浮かべる。
その笑みは、昔から変わっていなかった。
「じゃあ、私は打ち合わせがあるから。舞台終わったら、ここで待っていてね。感想きかせてもらうから」
「へい」
開場まであと少し。
最後の打ち合わせに向かうくるみの背を、ノエルは見送った。
徐々に観客が増えていくと、ノエルの周りの席も埋まっていく。
そしてノエルは舞台を眺めて、顔を顰めた。
なんて嫌な特等席だ。
くるみが用意した席は、一番舞台から近く、すぐそこにくるみの顔が見えるところだった。
歌声も、近くならもっと深く心地よく聴こえるのだろう。それが、彼女の本当の歌声であったのなら、ノエルも幸せになれたのだけれど。
ノエルは、静かにため息をついた。
●
くるみは昔から歌うのが好きだった。
歌っているその時だけ、彼女は誰しもの視線を独り占めにして、自分も観客も幸せにできる存在になることができる。
それがうれしかった。
だけど、くるみにとってうれしいことは、彼が、自分の歌声を聴いて、楽しんで幸せになってくれること。
それだけが望みで、そして彼女はもうそれが叶わないことを知らない。
くるみが、ルミという名前で歌姫として君臨したのは、三年前のクリスマスからだ。
クリスマスは、彼と出逢った、人生でいちばん大切な日。
あれは、運命だと思った。
――三年前のクリスマスに、くるみは能力を得て歌姫になった。
激痛は突然だった。
いきなり喉が痛くなり、叫びたくても叫べず、泣きたくても泣けず、逆に笑ってやろうと思っても笑うことができずに、くるみはいきなり喉に現れた激痛になすすべなく崩れ落ちた。
その時、どこからか声が聞こえてきたのだ。
――歌いたい?
小さく、囁くような、けれど澄み渡る泉のような音色の綺麗な声。
痛みが、少し和らいだ。
――わたしと契約をすれば、あなたを歌わせてあげる。
歌いたい。
歌いたい。
歌えば、彼は楽しんでくれる。
幸せになってくれる。
笑ってくれる。
その笑顔を、ずっと見ていたいから。
声を失くすのは嫌だ。ここまま炎で焼き切れてなくなってしまえば、彼はもう笑ってくれないかもしれない。幸せにできないかもしれない。楽しくなくなってしまうかもしれない。
彼がいたから自分はここにいる。
あの雪が降り積もるクリスマスの日、愛犬を亡くして心が寂しくなったときに、彼を見つけた。
運命だと思った。
彼を救ったことで、自分も救われた。
彼が笑ってくれただけで、自分も無邪気な笑みを浮かべることができた。
それが、彼女にとって、彼にとっての幸せなのだから。
声を失くすのは嫌だった。
だから、彼女は炎で家が燃えてなくなるその時、心に響いた声に囁かれるまま〝使い魔〟と契約をして――消えることも、褪せることもない歌声を手に入れた。
いまに消えてなくなりそうな声を〝犠牲〟にして。
声は少し変わってしまったけれど、それでも歌えることに変わりはない。
歌えれば、彼は笑ってくれる。
それだけのことが嬉しかったのだ――。
あの日、暖炉の火が家中に燃え移り、眠っていたくるみを火だるまにする寸前の出来事。
上の階で寝ていた彼が、助けに来てくれるまでの出来事。
三年前、産まれてから長い間過ごしてきた家は焼けてなくなってしまったけれど、彼はまだそこにいる。自分は歌うことができる。
それだけで充分だった。
今日は特別な日だ。
彼と出会ってから、十年目のクリスマス。
彼の誕生日で、そして今日はそんな彼に――。
いままでのすべての気持ちを込めたプレゼントを、渡すって決めたのだ。
くるみは決意を胸に、舞台に向かって進みだす。
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