第2話 夏の始まり。

 ーここから見える空は、哀しいほど何も無い蒼空だったー




  そして少年は目を覚ます。

  目の前には全く見覚えのない白天井。病院にしては雑過ぎる。更に言えば点滴をされていないし、薬臭い雰囲気も全く感じられない。


  「痛ッ」


  起き上がった瞬間、鈍痛が全身を襲う。特に外傷はないが、プールで軽く五時間程泳いだ次の日の筋肉痛に似た痛みだ。尚、そこまで長く泳いだ経験はない。

  起き上がって初めてここが何処なのか大凡の見当がつく。まずこのベッド。正確には机に布団を乗せた危険度の高いベッドだ。何故わざわざ床ではなく机の上に乗せられたのかは謎でしかない。

  次にこの不自然な仕切り。学校の保健室によくあるような簡易的な仕切りに似ている。所々シミになっていて、ほんのりカビの臭いが鼻を抉る。

  打ってつけはこの枕。いや、枕ではない。文庫本を重ねて上から布を掛けただけの段差。首が寝違えたように痛むのはこのせいだ。

  見ての通りここは学校の教室だろう……多分。多分というのは、一つだけ教室らしくない部分があるからだ。そう、この見るからに異彩を放っている白天井と床の材質。大抵学校といえば木造や鉄骨なのだが、上下ともに謎の建材が使われている。と、いつまでもこんな閉鎖的な空間でカビの臭いを嗅ぐのは衛生的に宜しくないと判断した為、一旦考えるのをやめて仕切りから顔を覗かせた。

  一面どこもかしこも真っ白な壁に囲まれ、そこに机や椅子、黒板がご丁寧に設置されている。考えるまでもなく、充分異質な部屋だということは理解できた。更に言えば、ここは自分が通う学校ではないということ。果たしてここが教室なのかすら危ういが、構造から察するに学校なのだろう。そしてきっと知らぬ間に親に捨てられここへ転校させられたとか、そんなオチなのだ。

  独りこの状況を拡大解釈し勝手に傷心するも、一先ず仕切りから脱出する。改めて周囲を見回すと、窓際の席で視線が止まった。てっきり教室移動で誰もいないのかと思っていたのだが、窓際の席に一人、金髪ロングの少女が座っていたのだ。先端にかけて赤みを帯びてゆく髪は腰の辺りまで伸びている。彼女は平然と、淡々と、沢山のお菓子に囲まれてティータイムを楽しんでいた。


  「やぁ。ティータイムの邪魔をしてすまないが、君はここの生徒か?」


  男の問いかけにちらりと一瞥するも、全く応じる事なく彼女はティータイムを続ける。完全に無視された。めげずに何度か声を掛けるが反応はない。一瞥すらしてくれない。こうなったら強行手段だと、少女の前の机に腰掛ける。近くで見て初めてわかる、透き通るような肌と紅い瞳。しかしこの距離でさえ、その瞳は男の方へ向いてはくれなかった。

  机に広げられたお菓子。色々種類はあるがどれも甘そうな洋菓子ばかりだ。そしてお菓子が少なくなると、小さなリュックから新たなお菓子を取り出す。一つ疑問に思ったのは、そのリュックの容量を遥かに超えるお菓子の量だった。

  試しにそのお菓子の一つに手を伸ばす。瞬間、お菓子に手を伸ばしたその腕を少女が素早く掴むと同時に、紅く鋭い眼光で彼を睨みつけた。


  「あなた、いつまでそこにいるつもりなの?とても目障りなのだけれど」

  「え?あーごめん。だって他にすることもないし。それにガン無視されてたし?」


  動揺を悟られぬよう言葉を返し、必死に掴まれた腕を解こうとするがまるで動かない。


  「はぁ……。数日寝たきりと思いきや、いきなり目が覚めて今度は人のお菓子を食べようとするなんていいご身分ね」

  「俺だってこんな所望んできた訳じゃ……って、数日も寝てたのか?」


  今の状況を打破するより、数日間も寝ていたことに驚く。


  「えぇ、それはもうぐっすり」

  「……そうか。ところでここは学校か?」


  思い出したかのように率直な質問を返す。未だに掴まれた腕はピクリともしない。


「残念、ここは学校ではないわ。当然ながら私はここの生徒でもない」

  「じゃ、じゃあなんで机や黒板があるんだ?」

  「知らないわ。ここの創設者にでも聞いてみなさい」


  少女はそう答えると、掴んでいた彼の腕をやっと離した。掴まれた腕にはびっちりと手の跡が付いている。なんて怪力の持ち主なんだ。一先ず学校じゃないとすればここにいる意味もないだろう。そう思い部屋のドアに手を掛けた。


  「一つ忠告しておくけれど、ここから出るのは不可能よ。正確にはこの建物の門から先だけれど」

  「ご忠告どうも。でも何で出れないんだ?」


  少年は振り返り、言葉を返す。


  「それは行けばわかるわ。それより、貴方に帰る場所なんてあるのかしら」

  「そりゃ俺にだって帰る場所くらい……」


  どこに帰ればいいんだっけ。

 直近の記憶以外何も思い出せない。そう、確か電車に乗っていたというところまでは覚えている。が、その記憶も曖昧でそもそも電車に乗った目的すらわからない。

  立ち尽くす少年の姿を見て察したのか、少女は頬づえをついて口を開く。


  「あら、記憶喪失?それはお気の毒」

  「まぁそのうち思い出すだろ」


  軽く遇らい、彼は部屋を後にした。しかし表情は固く、なんとか悟られまいと部屋を出るので精一杯だった。見知らぬ部屋に気を取られて記憶を失っていることまで頭が回らなかったのだ。まずは記憶を取り戻さなければ。

  部屋を出た先は長い廊下が続く。横を向けば同じような部屋が連なっていた。心なしか人の気配がないのは気のせいだろうか。疑問を抱くもそのまま階段を降り、正面入口から外へ出ると少し開けた先に門が見えるのがわかる。周りに人影はなく、風に踊る草木の音が微かに聴こえるだけだっただ。


  「この状況で、抜け出せないなんてことあるのかね」


  独り言を呟きつつ門へと歩き出す。特段警戒するものは何もなかった。一刻も早く記憶を取り戻し、帰るべき場所へ帰ってとりあえず寝たい。もちろんふかふかのベッドで。門の前まで辿り着くと、そのままゆっくり門をくぐる。


  「あ、あれ……」


  視界の先には見覚えのある白い壁。窓際を向けば先程の少女がティータイムの続きをしていた。


  「どゆこと?」

  「そういうことよ」


  つまりそういうことだ。なるほどわからん。後ろを振り返っても門との接点は無く、ここから門へ瞬時に移動する手段がない。門が教室のドアと繋がっていればまだ理屈は分かるが、いやそれにしたって……。

  彼の悩む姿に見兼ねたのか、少女は渋々口を開く。


  「はぁ。もういいわ、教えてあげる。いつまで考えたところで答えが出ないことはわかっているのだから。そういえば名前を聞いてなかったわ。私はカグラ、あなたは?まさか名前まで忘れたんじゃないでしょうね」


  彼女の言葉を振り切るように窓の外に視線を移す。外に広がる満天の青空を眺めながら彼はこう告げた。


  「ソラ。俺の名前はソラだ」

 

  彼はニコリと笑ってみせる。その戸惑いのないその言葉に彼女は思わず圧倒された。


  「そう、じゃあソラ。まず勘違いして欲しくないのだけれど、私達は転校して来たわけでもなければ、誘拐されたわけでもないわ」

  「えっと……つまり?」


  彼は間抜け面で首を傾げた。その姿は、青いネコ型ロボットが道具を出した時に見せる少年の反応に近しい。


  「つまり、私達は保護されてここに来たのよ。そしてここにいる人間は皆普通ではない。あなたはそもそも記憶がないから自覚すらないでしょうけどね」

  「いや、俺は極々普通の高校生だぞ」

 

  頭を抱えるカグラにソラは普通感を精一杯アピールする。

 

  「見た目は普通かもしれないけれど、此処にいる人は私も含め、特殊な能力を持っているのよ。そういえば、門を潜るまでにここと同じような部屋が幾つか見えたでしょ?」

  「あぁ、確かに部屋はあったな。人の気配はまるでなかったけど。けどそれと能力にどんな関係が?」

  「能力の危険度によって振り分けされてるのよ。学校のクラス分けみたいにね」


  言われてみればそうだ。学校の一大イベントといえばクラス分け。一般的なクラス分けは各クラスの成績が平均になるよう振り分けられるそうだが、ここでは違う。まるで家畜をランク付けするように、能力の危険度によってランク付けされているらしい。

 

  「ざっとここの説明はこんなものね。まぁ能力と言っても実感はないでしょうけど、そうね……時期に分かるわ」


  最後の一言だけ何故か声色を変えて告げると、何事もなかったかのようにティーカップに紅茶を注ぎ始めた。その言葉にどんな真意が込められているのか、もちろん今の彼には知る由もない。

  ただ空に浮かぶ雲のように、時間だけがゆっくり過ぎてゆく。唯一人、彼を残して。

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