あとがき

執筆にあたって ~知覧特攻平和会館を訪問して~

 2017年の3月。まだ寒さ残る初春の頃に、私は長年付き合いのある親友と鹿児島県へ旅へ出た。


 桜島、佐多岬、指宿の砂蒸し風呂、霧島温泉といった鹿児島の名所を巡ったが、最も印象に強く残ったのは、知覧にある特攻平和会館を訪れたことだった。


 本編の最後にも登場するこの施設は、第二次世界大戦末期に日本軍が敢行した特別攻撃隊による犠牲者、つまり特攻出撃して戦死した特攻隊員たちのことを後世に伝えるために設立された博物館だ。主な展示物は、隊員たちが家族や恋人などの大切な人へ宛てた手紙や遺書、辞世の句、絶筆、遺品などと、特攻隊員を傍で世話して出撃を見送った人たちの証言であり、直接的に隊員たちがどのような思いで飛び立っていったのかを偲ばせることができる。特に目を引いたのは、隊員たちの出撃直前の生活の様子や、陸軍への入隊前後の出来事、性格や逸話などを通じて、20歳前後の若者のありのままの人間性に触れることが出来ることだった。

だからなのだろうか。彼らの気持ちに入り込んでしまったのだ。

 私の場合、展示室に入って10分もしない内に胸の中がいっぱいになり、息が詰まるような感覚になった。

20歳前後の青少年が、自国のために命を捧げ、自分は死ぬ作戦に参加させられて、飛行機に乗る。まだまだこれからも人生が続くはずだった彼らは、青春の華々しい時期にその時間を奪われ、を命じられてしまった訳だ。

特に、特攻隊員で命を落とした人の多くが、学徒出陣だったことも忘れられない事実だった。学徒出陣とは、それまで徴兵を免れていた大学・専門学校・高等学校の学生のうち文系の者について徴兵した施策である。当時は大学・専門学校・高等学校まで進学する人は少なく、兵隊の数が少なくなって頭を悩ませていた日本政府にとっての最後の砦でもあった。現代的に置き換えてみると、六大学の大学院生のうち文系学科所属の学生については国のために戦争へ行けと言っているようなものである。


つい最近まで私自身も彼らと同じ世代、青春時代を生きていたからか、74年前のあの世代の(一部の)若者に訪れた不憫な結末を思い、自分と重ねて感じ入ってしまったためか、ひどくショックを受けてしまった。

 多くの隊員たちが、親への感謝と健康を願った最期の手紙を送っている。彼らはこの文章を、どんな気持ちで書き綴ったのだろうか。

そしてもし、彼らが現代の日本を見たら、何と思うだろうか。自分の命を捧げて御国のために戦って散った、その母国の未来がどうなったのか、もし知ることが出来たら、どう感じるだろうか。現代の日本は当時より平和的で、技術的にも経済的にも大きく発展して先進国の一つへと台頭したものの、現代には現代の問題を多く抱えていて、なかなか解決出来ずにいることも多い。そんな日本を見て、お喜びになられるだろうか。それとも、ご立腹になるだろうか。

そんな感想が現れたとき、本編『最後の夏をもう一度』の構想が出てきた。

特攻隊員が戦後70年の時を経て一時的に蘇り、そこで暮らす子孫と共に、現代日本を22歳の青年の視点で見ていく。というものである。

そしてもし、現代に特攻隊員が蘇ったら、現代日本を生きる私たちに何を伝えたいだろう。

その点を深く考えていくうちに、架空の特攻隊員、海村雄吉というキャラクターが出来上がり、彼との対を為す現代日本を生きる21歳の青年、海村雄大が出来た。


 知覧特攻平和会館では、知識や教養としての特攻隊について解説がなされているのは当然だが、それ以上に隊員たちの人間味を垣間見て、感じ入ることが出来る場所だと思う。出撃直前に書いた遺書や絶筆はもちろんのこと、出撃までの隊員たちの生活や、陸軍入隊後のことに限らず隊員の人柄やエピソードなどまで紹介されており、生身の心を知ることが出来るのだ。だからこそ、等身大の彼らに共感し、感情に直接訴えてくることが出来るのだと思う。遠い過去の出来事としての特攻隊ではなく、特攻隊として散華した若者そのものの人と心に触れられる。そんな場所のように思う。

 そのことを表す象徴的な発見は、やはり彼らの日々の行動だろう。本編でも雄吉が「僕は雄大と同じくらいの時間しか過ごしていないってことだよ。だから、なんとなく見えてる世界は、同じなんじゃないかなって、思う。」と話しているように、彼らがこの世で過ごした時間は現代を生きる若者と同じ訳で、彼らもまた、高校生っぽい、大学生っぽい過ごし方をしてたのだ。勉強以外にもうんと遊び、少しずつ朧気に見えてきた世間に憂いたり、気の合う仲間とつるんでじゃれ合ったりふざけ合ったり、時には大それたことをやらかしてみたりと、具体的なやり方はともかくとして、やっていることの本質はほとんど今の20歳前後の若者と何も変わらないように思えるのだ。だから、きっとあの頃もこの頃も、20歳前後の感性はそのままだったのだろう。

 知覧特攻平和会館を訪ねるまでは、特攻隊員とは勇気も精神も、何もかもが常人を逸した勇者のような存在で、厳格で規律正しい人間だったのではないかと神格化した見方をしていた。雄大の言葉を借りるとするならば、「自ら爆弾を背負って自分の命諸共敵艦隊に体当たり攻撃を敢行して爆死できる人は、常に自らの気持ちや欲望に対して律することができる、謂わば遊びの部分がまるでないきっちりとした大人な人物が多いものだと思わせるものだった。そんな重たい仕事を背負って、立派にそのお役目を果たす人々だ。そう感じると、同じ年代の人でもどこか現代を生きる自分たち若者とはそもそもの人間としての出来栄えが違うように感じてしまうのだ。」ということである。しかし、現実にはそれは違い、戦中戦後の世の中で創られてきた神話そのものであったことがはっきりとした。彼らも同じ20歳前後の人間だ。特攻出撃を目前にして落ち着きを失ったり、自棄に走ったり、人目を避けて泣いていたり、弱い部分だってしっかり持っていたのだから。

雄吉と親交を深めていった雄大は、彼と別れる前夜に彼の弱い部分を知ることとなる。そして、本編最後のシーンで、雄吉が強い特攻隊員であるイメージを持ち続けた弟の雄翔の言葉に対してこう思う。

「雄吉は強い人間だったんじゃない。弱さに打ちひしがれて、特攻隊に入ってからはずっと苦悩していたんだ。出撃前夜の晩は声を殺して泣いて、枕がすぶ濡れになったんだぞ。

 でも、雄吉アイツは真っ直ぐに、自分の人生を生き抜こうとしてた。どんな事が起ころうとも、全力で挑んでいたんだ。だから、強く見えるんだ。雄吉アイツのことが。」

これが、知覧特攻平和会館を訪問して一番心を打たれたことだった。


 ここで得た発見や気持ちを、なんとか文章に書き表したい。等身大の特攻隊員と、彼らが願っていたことが何なのかを、しっかりと表現したい。

それが、最後まで書き続けられた原動力だった。


ただ、全部書き切れたかと問われると、それは違うと答えるだろう。知覧特攻平和会館を訪れて感じたことを、丸ごと書き抜くことは出来なかったように思えるからだ。

上手く適切な表現が出てこないことはもちろんのこと、話の流れが思わぬ方向へ向かって当初の予定とは違った内容になったり。度々立ち止まって見つめ直すことの繰り返しだったと思う。何より、執筆開始から2年以上経ち、知覧特攻平和会館を訪れたときに感じた気持ちが過去に埋もれていく、謂わば感性の新鮮さが失われつつあり、物語の本筋を失わないようにするのにも苦労した。

それでも書き通すことが出来たのは、特攻隊員たちが残した言葉を思い出すことが出来たからだろう。


 特に強く心に残った絶筆の一つに、第165振武隊だったえだ幹二かんじ少尉(当時)のものがある。


あんまり緑が美しい

今日これから 死にに行く事すら忘れてしまいそうだ

真っ青な空 ポカンと浮かぶ白い雲

六月の知覧は もうセミの声がして 夏を思わせる


作戦命令を待っている間に

小鳥の声が楽しそう

「俺もこんどは小鳥になるよ」

日のあたる草の上に寝転んで

杉本がこんなことを言っている

笑わせるな


本日一三,三五分

いよいよ知覧を離陸する

なつかしの祖国よ さらば


使いなれた万年筆を“かたみ”に送ります。


他の隊員たちのものと違い、特攻出撃命令の直前に書かれた詩で、そのときに感じた本人の思いが記されている。

この文章で感じたことは、死を目前に控えたとき、人は現世に映る万物を美しく感じるものなのだろうかということと、自分の運命を決めたこの世界や現実に対しての強い怒りだった。

冒頭の「あんまり緑が美しい 今日これから 死にに行くことすら忘れてしまいそうだ」という部分が、前述の死を目前に控えた人には現世に映る万物を美しく感じるのかもしれないという感想である。

そして、真ん中あたりで、同じ隊の仲間だった杉本の「俺も次は小鳥になるよ」に対する「笑わせるな」という一文である。

この一文にはすごく多くの感情が込められているように思うのだ。ただの冗談に対しての笑わせるなとも受け取れる反面、好戦的で人権も何もない血塗られた人間社会になど二度と生まれてくるものかと言う、皮肉に満ちた言葉にも思えるのだ。

 果たして、どういう意図が込められた言葉だったのか、真意はもはや知る術は無いが、ただ、現代を生きる一人の若者の願いとして、出来ることならば、ただ親友の戯れ言に思わず笑みがこぼれてしまっただけであって欲しいと強く感じるものだ。そして、笑わせるなの後に、「それじゃあもう人として生きていけないじゃないか。俺はまた、人の子として生まれて、人生を生き抜いてみたいぞ。」と続いてくれたらと思う。


 この思いを、私の頭の中に現れた架空の特攻隊員 海村雄吉に託して、なんとか書き切ることが出来たのだ。


 あの時代に亡くなった、特攻隊員たちや他の兵士たちがもし、蘇ってきたら。彼らにとっての未来の姿、現代の日本はどういうふうに映るのだろう。


 戦争が無くなって平和になって良かったな!


 徴兵制も無くなって、自由に青春時代を過ごせるなんて、羨ましいぞ。


 夢のような発達した機械がそこら中にあって、すごく便利な世の中になったなんてすごいや!


 外国へ気軽に旅行出来るのかよ?! 俺も憧れのあの国に行ってみたかったぜ。


そんな言葉が返ってきてくれたなら。

いや、むしろ、そんな言葉が返ってきてくれるような日本を、ずっとこれからも守っていかなければならないのだろう。これからの日本がどういう足取りで未来へと向かうのか、皆目見当が付かない。海外諸国との経済的、軍事的な緊迫が増している中、安穏な世の中がいつまで続くことか不安な状況でもある。

しかし、これは特攻隊員たちが過ごした時代、昭和初期にも同じことが言えるのだ。いつの時代も、一寸先は闇なのは変わらない。足下しか照らされない陽光の中で懸命に生きるしかないのだ。彼らは戦争に参加して、自分の祖国や家族の未来を守るために、命懸けの働きをしようとした。

では、これからの未来を守るために戦えるのは、いったい誰であろう。

それは、現代を生きる人々全員だ。武器を手に戦うことは無くとも、常に過去の悲惨な出来事を繰り返さないために、今ある普通の光景が尊いものだという意識を持って生きていかなければと、この作品を書きながら感じたことだった。


知覧特攻平和会館の訪問と、それがきっかけになって書いた、拙作「最後の夏をもう一度」に出会えたことを、私は誇りと思いたい。




最後に、道半ばでありながら儚くも命を落とすことになられた多くの特攻隊員戦没者の英霊が、永く安らかに眠られますよう、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。



              河邑 遊市







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