#001 世界を動かす仕事
何でもない朝。
限りなく黒に近い紺色の空が徐々に明るさを増し、東の果てから太陽がその姿を現す。
もぞもぞと布団を這い出し、目覚まし時計を止めてカーテンを開け、新しい朝を肌で感じる――
そんな何でもない朝を陰で支えている人たちがいる。
………
日本からおよそ18000km。
飛行機を乗り継ぎ、30時間強かかって待ちあわせ場所のディユタード・ルイス・エドゥアルド・マガリャンイス国際空港に到着。長旅で疲弊した身体を労いつつ、空港の売店で購入したコーヒーをちびちび飲みながら待っていると、眼鏡が特徴的な若い男性に声をかけられた。
今回の職業人、国際NPO団体IRMO・ブラジル支部で作業長を務める向井さん(仮名)だ。
「長旅でお疲れのことと思いますが」
彼が申し訳なさそうに言った。どうやら目的地はまだ遠いようである。
空港から小型機で数時間。飛行場と呼ぶには程遠い、森の中の開けた土地に数百メートルアスファルトを敷いただけの土地に着陸しそこから歩くこと数十分、ようやく辿り着いた目的地は鬱蒼とした森の中。
「我々の仕事場まであと少しです」
向井さんがおもむろにしゃがんで、あたりの草をかき分けると、2メートル四方くらいの薄汚れた金属製の板が姿を表した。
詳細な場所は機密事項のため不明だが、ブラジル・アマゾン川流域の熱帯雨林の中にその入り口は存在するらしい。
金属板の端のほうに彫られた溝にどこからか取り出した名刺ほどの大きさのカードを手慣れた手つきで滑らせると、板の中央が微かに光りはじめた。
「さあ、乗ってください」
少し離れて作業を見守っていた私は、訳が分からぬまま促されるままに彼とともに板に乗った。
空気の抜けたような音がして板が揺れたかと思うと、私達を乗せて地面に吸い込まれていき、数メートル下がったところで頭上で地面の蓋が閉じる音がした。照明は板が発する微かな明かりだけである。
「もともと、公転志望だったんですよね」
ほとんど暗闇といって差し支えない空間に彼の声が響いた。些か唐突だったので理解が追いつかず、はい?と聞き返してしまう。
「そもそも我々の仕事が何なのか、理解していますか?」
「失礼ながら何となくしか」
「無理もありません、あまり知られていない職業ですから。そのために取材に来てくださったのでしょうし」
ほとんど彼の表情は見えなかったが、諦めの色が伺える。おそらく幾度となく繰り返してきたやり取りなのだろう。
「それでは」
そういって彼は丁寧に職業の説明を始めてくれた。
国際NPO団体IRMO。
”国際自転管理機関”はその名の通り、この地球の自転を管理している国際機関である。彼らの仕事場はおよそ海抜マイナス10万メートル地点に存在していて、詳しい仕組みは機密事項に指定されているが作業員にペダルを漕がせることでこの地球を回しているらしい。今回取材に応じてくれた向井さんは、ここブラジル作業場B-3ブロックで作業員の管理・監視を行う作業長を担当しているそうだ。
そんな会話をしているうちに、ものの30分程度で作業場に到着。10万メートルを降りてきたとは思えない速さである。
「最高時速で300キロ以上出ていますのでこんなものですよ」
後ろ姿で顔は見えなかったが、少し得意げな表情を浮かべている気がした。
「それで、公転志望だったというのは」
「大学は地動学部の公転学科を志望していたんですが、受験に失敗してしまいましてね。浪人するのは避けたかったので併願で合格していた自転学科に進学することにしたんです」
初めは悔しく思っていたが、次第に自転の持つ魅力に気が付いたらしい。
「公転は一年を作る仕事ですが、自転は一日を作るという、より生活に密着した仕事ですから。今ではこの仕事を天職だと思っています」
向井さんに案内されて作業場を見学する。
どの作業員も一心不乱にタイヤがない自転車のような機械のペダルを漕いでいた。
それにしても。
「作業員の方々は国際色豊かですね」
「はい、世界中から作業員が赴任してきますからね。今はもういなくなってしまった作業員も含めれば世界地図を網羅できるのではないでしょうか」
どこか遠くを見つめながら話すその物言いに若干引っかかりを覚えたが、今は聞き流そう。
「これだけ国際色豊かな仕事場だと、作業員とのコミュニケーションで困ってしまうことってないんですか?」
「ありません」
即答だった。
「我々の仕事は彼らにペダルを漕がせる事ですから。それ以外の無用なコミュニケーションはむしろ業務に悪影響です」
「……ドライな、職場ですね」
「作業員に情がうつると仕事になりませんので。その点の割り切った合理性も大事ですよ」
「そういうものですか」
「そういうものです」
時計を見ると昼を回っていたので、社員食堂に場所を移した。
作業員は見当たらず、向井さんと同じ役付きの職員しか来ていないようだ。
「ブラジル料理が多いというわけでもないみたいですね」
「世界中から職員が集まってきますから」
二人揃ってタコスを食べながら、話を再開する。
「ところで、現在の仕事を選んだ理由というのは何でしょうか」
タコスを嚥下して水を飲み、一息ついて言った。
「やはり、見えないところで人々を支えることができる点でしょうか」
彼の目は私ではない、どこか遠くを見つめていた。
「文字通り『世界を動かす仕事』ですからね」
しかしその目には力がこもっていた。
「グレゴリオ暦の番人としての自覚と責任感を持ち、誇りを持って今の仕事にあたっています」
文字通り地球を回す仕事。仕事で失敗を犯せば70億を超える人類の生活を乱し、地球上に存在する無限とも言える全ての生命の営みを破壊してしまう。責任は計り知れない。
「この仕事で必要なものはズバリ何でしょうか」
「まず責任感。それから体力と忍耐ですね」
「他に実際に配属されてから想像と違ったということはありましたか?」
「そうですね、未だに天動説論者の支持が根強い事には驚きました」
それを聴いた私は驚きのあまり、タコスの中身を零したことにしばらく気が付かなかった。
あの、と声をかけられ慌ててタコスを水平にする。幸い中身は皿の上に落ちていた。
すいません、続けてください、と続きを促す。
「私は天動説などコストパフォーマンスの悪い過去のものだと思っていましたが、アメリカ南部などでは今でも時々デモや集会が行われているようです」
他の作業区の労働者が地上に戻った際に罵られたというような事例も報告されているという。
「少しづつ、彼らの理解を得られるよう今後も活動していく所存です」
「私も報道者の一人として、この職業を周知していきたいと思います」
考えるより先に言葉が口をついて出た。
眼鏡の奥が少しだけ光っていた。
「他に仕事に関する悩みはありますか」
「家族と過ごす時間が短くなってしまうことでしょうか」
長いときには半年ほど地上に戻らないとのこと。今回の取材でわざわざ彼が空港まで迎えに来てくれたのは地上が恋しかったのもあるのかもしれない。
「今度の8月に息子の三歳の誕生日があるのですが……戻れそうにありませんよ」
最近はテレビ電話も進歩したので有り難いことですが、と力のない笑みを浮かべていた。
それでも、と椅子から立ち上がって呟いた顔はまるで少年のような輝きを魅せていた。
「人類、生命……宇宙が、我々の仕事を待っていますから」
最後に、将来この仕事を目指している人にメッセージを頂いた。
「現在、自転管理官は国連からの補助金の減額等により事業縮小が検討されているほど厳しい状態が続いています。一日に一度太陽が昇り、そして沈んでいく、そうした日常をこれからも守っていくために皆さんの力が必要です。この星を回す覚悟と熱意を持った若者を、我々は歓迎します」
世界を動かす仕事。途方もなく重い責任がのしかかるが、それに見合うだけのやりがいはあるだろう。興味と覚悟があるならばまずは見学に来てみてほしい。
職業探訪記 瀬良 信之
空想職業探訪記 細葉 砂 @felvi
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