結晶の心

藍雨

結晶の心



――――――あなたの心は、何色ですか?



「あ、あの俳優さんかっこいいよね~」

「誰、あれ」

「え、知らないの!? 塔子とうこって奴はほんとに……」

「なによ、いいじゃない」

「そんなんだから、冷めてるって言われるんだよ」

「……余計なお世話」


その中吊り広告は、女性へ向けて、化粧品を売り出すためのもののようだ。周囲を見回すと、それを見上げている女子高生は多かった。


「ところで、どうなのよ、城田しろたと」

「……どう、って、なにもないけど」

「あ、ほら、青くなってる、わっかりやすいなぁ」

「私のはいつもこんな色よ」

「……塔子ってほんと、ひねくれてるよね」

「どうも」

「褒めてないよ……」



あなたの心は何色か、なんて。

愚問だ。


私の心は、いつだって藍に近い寒色。ブルーの、冴えない色。

紀里きりのような暖色の結晶とは縁遠い。


羨ましくなんて、ない。


でもやはり、隣の芝生は青くみえるもの……どんなに強がっても、きっと本心はいつだって、この結晶のまま。


惨めなまま、情けなく、手に余る心。藍の、暗い心。





気候変動や、地質変動、原因ははっきりわからないが、ある時期から、世界各地で、人間の臓器が結晶化する現象が発生し始めた。


時代を経て、人間の心、魂、いわゆる感情のみが結晶化するようになる。全人類の感情が、可視化したのだ。


臓器が結晶化している人間も、ごくわずかだが、存在する。けれど、それは高齢者のみで、壮年世代の人間からは、「心臓」の可視化、つまり感情が周囲に筒抜けになってしまっている。


結晶の移色いしょくの差には、もちろん個人差があるけれど、制御することはできない。


物語の中には、誰が何を考えているのかわからず右往左往する登場人物が存在する。


……それはなんだか、人間のあるべき姿のような気がして、向き合うと息苦しくなるときがある。対象が不明なまま、後ろめたく感じる。


でもそれを読む学生にはもう、その迷いは必要ない。


わかってしまうから。嫌でも筒抜け。知りたくなくても、みせつけられ、そして、みせつけている。


服をどんなに厚着しても無駄。光は透過し、感情はもう、自分ひとりのものではない。


いつだって自分の中身をみられている。いつだって、中身を晒しながら、歩く。


―――――好きも嫌いも、なにもかも。





暮野くれの、おい暮野、聴いてるか?」

「……っ、あぁ、ごめん、聴いてなかった」


放課後、人がまばらな図書室。


城田とふたり、図書委員の仕事の途中だったのを思い出す。


「どうした、なにか、悩み事か?」

「ううん、大したことじゃない」

「そ、ならいいんだけど」


城田は、せっかく最近面白かった小説を紹介しようと思っていたのにと、ご立腹だ。


興奮して、結晶は真っ赤に染まっている。……そんなだから、冷たいって言われるのよ。


紀里の言葉が耳元を過る。


「怒んないでよ、悩めるお年頃なの」

「似合わない台詞だな」

「……わかってるよ」


……ムッとしても、ほら、この通り。青いまま。


「……暮野のやつさ、やっぱ、いつみても青いよな」

「なに、いまさらね」

「だってやっぱ、珍しいから。移色が目立たないのって。暮野は冷静だからなぁ」

「冷たいのよ、私。こればっかりはどうしようもない」

「冷たい? どこが。俺はあの恩を忘れてないんだけど」

「恩? 私、城田になにかしたっけ?」


心当たりはまったくない。なんだろう、城田のようなあたたかい人間が恩に感じるようなこと、私がするだろうか?


「ほら、四月に雑用を手伝ってくれたろ、忘れたのか?」

「……あれを恩に感じてるの? 先生が理不尽すぎて、腹が立ったのよ」

「そう思うだけなら、クラス全員、そうだった。でも、実際に行動したのは、暮野だけだった」

「だからって、大げさよ。恩返しなんて考えないでね」

「それは俺の自由だ」


淡いオレンジ。彼は穏やかに笑う。


不機嫌に任せて雑用を城田に押し付けた担任の結晶の色が浮かぶ。醜く濁った赤。八つ当たり、ストレス発散。城田が反論せず頷くと、その色はスッとレッドに戻った。


レッドとブルーは、平常心、もっとも典型的な結晶だ。淡々とホームルームを進める担任に、いっそ私が文句でも言ってやろうかと思うくらい、腹が立った。


だから手伝った、それだけ。あの時彼が恩に感じたことは、言ってみれば私にとっての憂さ晴らし。……なんだ、私、先生と変わらないじゃない。


城田の心は、レッドの結晶。暖色のそれが、青く移色する瞬間を、私はみたことがない。


でも私の結晶とは違い、感情の起伏は豊かで、赤やオレンジ、照れれば朱色、悲しかったら緑。様々に移色する。穏やかで、あたたかい人間。


基礎色の違いはどうしようもないとして、私はブルーから藍、紺、群青……とにかく暗く、そして、移色が目立たない。内気というわけではない。私の結晶は、感情の機微に鈍感だった。


「レッドの人間になに言われても、残念、響かない」

「暮野の結晶は綺麗だ。言われたことないのか?」

「ないよ。移色が不明瞭なんて、個性にもならない」

「そうか? でもいいよ、なに言われても、俺の意見も変わらないからね」


笑うたび、オレンジに移り変わる結晶。眩しくて、最後には私が目をそらす。


……すこしだけ、心拍が上がった。綺麗、なんて言われたことは一度もない。


冷たい人間、それが私。言われ続けてきたし、自分でもそう思っている。


心が揺らいだ。ちらりと結晶をみる。いつも通りの藍。でも心なしか、明るくみえるのは、私の気のせいだろうか。


きっとそうなのだろう。……動揺は、彼には伝わらない。ホッとする。


結晶の利、私はこういう時だけは、移色しない結晶に感謝してしまう。


……まったく、都合がいいな。





「城田君、暮野さん、あとはやるから、帰っていいわよ」


夕が窓から射し込み、図書室が橙に染まり始めた頃、司書が現れて、私たちはバトンタッチ。いそいそと帰り支度をして、図書室を後にした。



「先生今日遅かったな」

「そう? 変わらないよ」

「いや、だってほら、もう六時過ぎてる」


彼が腕時計を示す。


「え、嘘、だってまだ、暮れ始めだったよね?」

「あぁ、日が長くなってきてるんだな」

「えぇ……先生なにしてたんだろう」

「さあ」


図書委員は、司書が来るまで帰れない。戸締りのための鍵は、先生が持っているものと、マスターキーのみ。まったく、不便だ。


「もうこのまま帰るだろ?」

「うん、六時過ぎてるなんて、思ってなかった。損した気分」

「損、か。俺はでも、ちょっと嬉しかったよ」

「え、なんで?」


訊いた瞬間の変化は、あまりにも、あまりにも、わかりやすかった。


朱。顔も結晶も、綺麗な朱色に染まり上がった。それは明らかに、道を染め上げる橙とは違う。彼の色だった。


「……綺麗」

「っ、き、綺麗!?」


ますます朱くなるのがおかしくて、笑ってしまう。


「あははっ、ちょっと城田、ひとりで照れるなんて、なに、どうしたの」

「……わかんない?」

「え、だって、照れる要素なんてどこにもない、から……」



こんなにわかりやすい。ほんとうは気づいている。


感情の結晶化。私たちは、ほんとうは通じ合っている。


気づかないふりだけは、寒色に移らない、暖色に移らない私たちには、たやすかった。


でも、もう、誤魔化せない。





「落としたよ」


蘇る、優しい声。五月に入ったばかりの頃、彼との二度目の会話。


「あ、ありがとう」

「綺麗な栞。買ったの?」

「うん、雑貨屋で。掘り出し物でしょ?」

「あぁ、いいな。暮野さんによく似合う」


その栞は、淡い紅梅色だった。


明るい色は似合わないよ、母親はいつも、私の服を寒色系で揃えていて、私もなにも不満はなかった。自分で選ぶようになってからもずっと、そうし続けた。


でもこの栞だけは、私の視線をとらえて離さなかった。


羨望。それは、藍の私がどんなに望んでも手に入らない、純粋な紅梅。吸い込まれるように、惹きつけられ、気づけば会計を済ませ、店の外に居た。



「似合う……?」

「うん、紅梅と、藍。ぴったりだ」

「そっか、ありがとう」

「なんで礼?」

「……気にしないで」





「……いつもより長かったのが、嬉しかったんだ、暮野とふたり、だったから」

「……あ、うん、そ、そっか」


沈黙。心臓がバクバク鼓動する。体温も上がっている。結晶は相も変わらぬ藍のまま。でもたぶん、この動揺は、隠せない。


隠しきれない。そう、筒抜けだ。


「あのさ、暮野」

「はい」

「好きです」

「……私も、好き」

「あぁ、知ってる」


朱いまま、けれど彼は穏やかに微笑んだ。


「知ってるなんて。それを言うなら、私だって、知ってたよ」

「だよな、筒抜け、だもんな」

「……うん、隠せないからね」

「どうしようもないこと、だからな」

「制御なんて、できないしね」




心が、感情が結晶化し、可視化している。感情は筒抜け、隠し通せはしない。


制御不可、結晶はただ、私たちの感情を反映し、光る。


けれど、どんなにみえていても、わかっているつもりでも、物語の登場人物のそれのように、複雑なのに変わりはない。


彼らのように、想いを伝えるまでの葛藤はいらない。けれど、口に出さなければ、なにも変えられないのだ。


人間関係の構築が楽になることもない。結晶は、助けにも邪魔にもなる。印象を左右して、人間らしさを削ぐ。


答えがわかっているなら尻込みする必要がないなんて、それは違う。



「勇気、出してくれてありがとう」

「……こういうのは、自分から、言いたかったから」

「うん、でも、ありがとう」

「どういたしまして。……これから、よろしくな」

「こちらこそ、不束者ですが」

「……知ってるか? 相反する結晶の持ち主同士って、相性がいいって」

「そんなこと、私信じないけど」

「言うと思った」

「相性が悪くても、でも、好きなことに変わりはない」

「同感だ、安心した」



相性なんて、関係ない。結晶のせいで恋まで左右されるなんて、たまったものではない。


感情はひとりのものではない。ふたりのもの。



橙に染まる道を歩く。私は藍、彼はオレンジ。


それは、穏やかな夕暮れ時だった。



fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

結晶の心 藍雨 @haru_unknown

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る