忘衛本能

逢坂一加

第1話

 ホラー好きのSさんは、非常に記憶力がいい。一度見ただけの映画、流し読みした記事、すれ違った人の服装など、なんでも覚えている。

 ホラーが好きなら怪談も好きだろうと思い、友人はSさんに怪談の本をプレゼントした。

 ところが、Sさんは困った顔をした。


「もしかして、怪談は苦手だった?」


 ホラーファンとはいえ、映画は良くても漫画や小説はダメ、スプラッタなものはダメ、というような細かい好みがあるのかと友人は推測した。

 ところが、Sさんはそれを否定した。


「読むのに抵抗はない。ただ、覚えられないんだ」


 子どもの頃から、実話系怪談の内容が覚えられないらしい。読んだことも、誰に紹介されたかも覚えているが、翌日になるとどんな内容だったか忘れてしまう。

 再読するが、日が経つとすぐに忘れる。

 そんなことを繰り返しているから、実話系怪談は避けていた。

 完全に創作されたホラー系作品なら、脇役のセリフまで覚えているのに。


「ホラー雑誌の編集とか、絶対にできない仕事なんだよね」


 Sさんは、どんな形式で発表されたものであれ、実話系怪談はすぐに忘れてしまうのだ。

 活字でも、漫画でも、そして口頭でも。


「一度だけ、木の芽時にバスに乗っていたら、変な人に絡まれたらしいんだよね」


 自分の身に起こったことなのに、Sさんは他人事のように教えてくれた。


「なんか、わたしに向かって延々と話しかけていたみたい。でもわたし、それに気付かなかったんだ」

「音楽でも聞いていたんじゃないの?」

「ううん。イヤホンしてなかった。あと、話しかけてきた人は、わたしの正面にいたみたい」


 やっぱり他人事のように、Sさんは続けた。


「一緒に停留所に降りた、近所の人に教えてもらったんだよね。

『あなたのほう見て、ずっと変なお話してたよ。よく平気な顔していられたね』て。

 どんな内容だったかも語ってくれて、その時にすごく嫌そうな顔をされたのは覚えているんだけど……

 話の内容は、どうしても思い出せないんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

忘衛本能 逢坂一加 @liddel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ